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第4話

Author: 芝崎聞
和真は仕事に追われ、小さな子どもに手をかける余裕などなく、いつも冷たい顔で「世話がなってない」と私を叱るだけだった。

拓哉を連れて病院に行き、アレルゲン検査を受けさせたのは私だ。

一軒で分からなければ別の病院へ。

ひと月かけてようやく子どもの体質を把握できた。

そしてその時、私は和真を狂わせかねないある真実を偶然知ってしまった。

その後は一層細かく拓哉を気遣い、彼はほとんどアレルギーを起こさなくなった。

和真も当然のように「楽な父親」の顔を決め込んだ。

拓哉は不満そうに私のスカートを掴んだ。

「夜はママとご飯食べるんだ。今すぐアレルギーの薬を持ってきて」

私は冷たく突き放した。

「手はついてないの?自分で取りなさい。薬は薬箱にある」

私はこれまで、和真と拓哉に対して逆らったことはほとんどなかった。

だが今日、二度続けて拒まれたことで、拓哉の我慢はとうとう切れた。

彼は小さな拳を振り上げ、私の下腹に思い切り叩きつけた。

「悪い女!この家にいる資格なんてない!パパに言ってあなたを追い出してやる!」

ちょうど生理中で体は弱っていて、もともと腹痛もあった。

子どもの力とはいえ、不意に加えられた一撃で鋭い痛みが走り、私の顔色が一気に青ざめた。

和真はすぐに彼の手を掴み、怒鳴った。

「拓哉!誰が殴っていいって言った!こっちに来い。薬をやる」

私は痛みに顔を歪め、額に冷や汗が滲んだ。

けれど和真は私の異変に気づきもしなかった。

いや、気づいたとしても、拓哉が私を傷つけたなんて信じようともしないだろう。

和真は冷たい水をコップに注ぎ、薬を二錠手渡した。

拓哉はそれを飲み込み、すぐに眉をしかめて文句を言った。

「なんで冷たいの?薬は冷たい水じゃ駄目だろ」

そう言うと、半分残ったコップを突き出してきた。

「あなたが熱いの入れてこい」

私は下腹を押さえながら、彼に視線すら投げずに無言で座っていた。

拓哉は信じられないという顔で私を見つめた。

「なんで!今日はどうしてこんなに意地悪なんだよ。ご飯もくれないし、学校にも送ってくれない。前はそんなじゃなかったのに……本当にどんどん嫌いになってく」

私が動かずにいると、彼は怒りを募らせた。

「今すぐ行かないなら、この水ぶっかけるからな!」

私が何も言う前に、和真が顔を真っ暗にして拓哉の手からコップを奪い取った。

「拓哉、もうふざけるな!誰がそんなふうにママを侮辱しろと教えた!」

拓哉は目に涙を浮かべて叫んだ。

「ママなんかじゃない!僕のママは一人だけ!彼女は金が欲しいだけの家政婦だ!金をくれなきゃ、僕をいじめる家政婦なんだ!」

その幼い声は、私の胸を一気に打ち砕いた。

長年積み重なった悔しさと苦さが一気に溢れ、息が詰まりそうになった。

和真は彼の耳をぐいっと引っ張り、さらに厳しく叱りつけた。

「ふざけるな。璃央はママだ。家政婦なんかじゃない!」

その時、和真の携帯が鳴った。

画面を見下ろした彼の顔がふっと和らぐ。

「子どもを連れて出かける。夜は母と食事だ。静香を待たせられない。お前は勝手に食べてろ」

その言葉に、拓哉は顔を輝かせ、和真の腕を引いて駆け出した。

「パパ、この悪い女のことは放っておいて!お金さえもらえれば、死んでも出ていかないんだから!」

和真はそれでも気にかけているのか、出て行く前にドアの前で立ち止まり、私を見つめて言った。

「顔色が悪い。今日は家で休んでろ。できるだけ早く戻る」
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