LOGIN澪は成雄を無視し、車のドアを開けて乗り込もうとした。すると成雄が急に口を開いた。「もう十数年も経ったな。少し話をしないか?涼太が今は立派に会社を経営しているって聞いたよ。本当に大したもんだ。まさか自分の息子がこれほど成功するなんてな」その口調からは、興奮と醜い金への執着が透けて見えた。澪の動きがピタリと止まる。彼女は振り返って成雄を睨みつけ、言い放った。「一体どうやってここを突き止めたの?」成雄は昔、ギャンブルで全財産を失い、多額の借金を背負った。その取り立て屋との乱闘で相手に重傷を負わせ、懲役18年の判決を受けたのだ。彼が服役している間に、澪は離婚した。だが条件として、彼が残した400万円の借金を肩代わりすることになった。当時の澪にとって、400万円という金額は途方もない大金だった。それでも彼女は引き受けた。東都に出て働き、成雄の借金を返しながら涼太の学費を稼いだ。澪は自分で小さな商売もしつつ、工事現場で作業員の食事も作った。その現場は、ちょうど正人の会社のものだった。正人は彼女の作った料理を食べ、その腕前をほめてくれた。当時、正人は彩乃と離婚したばかりで荒んでいた。また、母親と兄が去ったショックで、美羽も摂食障害に陥っていた。澪は正人に雇われ、今井家で料理を作るようになった。こうして、澪は今井家で暮らすことになった。涼太は自力で優秀な成績を収め、東都の大学へ入学した。澪はこの先、成雄と関わることなど二度とないと信じていたのに。成雄は馴れ馴れしく笑った。「元は夫婦だったんだ。息子がどうしてるか気になってな。それにしても澪、今じゃすっかりセレブな奥様じゃないか」澪に男の下心が分からないはずがなかった。冷たい表情で言い放った。「用があるならはっきり言って。遠回しな言い方はやめて」成雄は笑みを引っ込めて言った。「実は最近、商売でちょっと金回りが悪くてな。少し借りたいんだ。たいした額じゃない。6億円でいい」澪は眉をひそめた。「刑務所に入って頭でも狂ったの?私たちにはもう何の関わりもないでしょ」「冷たいなあ。元夫婦だろ?今のお前の住まいは数億円はくだらないだろ?6億円くらい、お前にとってはお安い御用だろう」「寝言は寝て言いなさい」澪は相手にするだけ時間の無駄だと、車のドアを閉めきった。豪がそ
ある日のこと。家族みんなで食卓を囲み、朝食をとっていた。柚葉が正人たちとおしゃべりをして、彼らを大笑いさせていた。海晴も澪の腕の中で、楽しそうに声を上げている。部屋の中は、温かく幸せな空気に包まれていた。美羽の口元も、自然とほころんだ。その時。使用人が入ってきて言った。「美羽様、お電話です」美羽はリビングに行き、バッグからスマホを取り出す。相手は直美だった。受話器越しに直美の話を聞いた瞬間、美羽の顔から血の気が引いた。「すぐに会社へ向かいます」美羽は通話を終えた。そしてダイニングへと戻った。「会社で急用ができたから今から行ってくるね……お母さん、あとで柚葉を幼稚園に送ってあげて」その慌てた様子を見て、正人と澪も深くは尋ねなかった。美羽が柚葉に、いってきますを言う。「ママ、いってらっしゃい」美羽は柚葉の額に優しくキスをすると、車で家を出た。彼女が正門を出て車を走らせた時、道路の向かいに停まっていた白い車の運転席から、中年男が窓越しに彼女をじっと見つめていた。美羽の車が走り去ると、男はドアを開けて車から降りた。男は門の警備員に歩み寄り、尋ねた。「ここに今井正人さんという方が住んでいますか?」警備員は警戒しながら聞き返す。「どちら様でしょうか?」「彼の友人です」「なら、本人に電話して確認を取ってください。そうしなければお通しできません」男は慌てて答えた。「ああ、分かりました」そのあとすぐ、車に戻ってポケットからタバコを取り出し、火をつけた。警備員に見られていることに気づくと、スマホを耳に当てて、いかにも誰かと話しているようなフリをした。そして車内で待ち構える。十数分後、警備員が不審に思って声をかけに行こうとした時、一台の車が通りかかった。警備員は一礼し、後部座席の窓を軽くノックした。男は門の方をじっと見つめていた。距離はあったが後部座席の人物が見え、その人物がこちらを向いた瞬間、男は一目で誰かわかった。豪が車を発進させた。中年男性は急いでエンジンをかけ、あとを追う。「奥様、後ろの車がつけてきています」澪は後ろを振り返り、眉をひそめた。さっき警備員から、正人の友人を名乗る男が来ていると聞いていた。電話をするように言われたのに、ずっと車から動かなかった男だ。
涼太がちょうど仕事から戻ってきた。リビングに入って翔平の姿を見かけると、足を止めて険しい表情を浮かべた。翔平は涼太を見て、控えめな態度で軽く会釈した。涼太は何も返さず、じっと彼を見つめた。翔平はそのまま玄関へと歩き出した。涼太は翔平の背中を見送った後、階段に立つ美羽に視線を移した。使用人が涼太のお抱えのコートを預かる。涼太は美羽に歩み寄り、尋ねた。「美羽、あいつは何しに来たんだ?」美羽は言った。「柚葉がこっちにいるからよ」涼太は美羽の手元に気づき、聞く。「それは何だ?」「翔平からの贈り物」涼太はそれを受け取って中を開けた。宝石については疎いが、一目見て高級品だとわかるような品だった。「かなりの値がつく代物だな」「ええ、40億円以上するらしいわ」涼太が高いだろうとは思っていたが、そこまでの額とは予想外だった。「あいつは一体、どういうつもりなんだ?」「さあね」離婚を切り出そうが何を言おうが、翔平は聞こえないふりをして相変わらず我が道を行くつもりなのだ。「タイミングを見計らって突き返した方がいい」と、涼太は箱を閉じて美羽に返した。「わかってる」このネックレスを受け取るつもりは毛頭なかった。寝室に戻る。柚葉は大人しくベッドで待っていた。美羽が入ってくる姿を見て、柚葉は笑みを浮かべる。「ママ、パパはもう行ったの?」美羽は短く、「ええ」と答える。美羽の手にする箱を見て、ベッドから立ち上がった柚葉はねだった。「ママがそれ着けたらすごく綺麗だと思うわ、見せてよ」美羽は箱をドレッサーの引き出しに仕舞うと、柚葉を抱き寄せて優しく言った。「今は着けないわ」「じゃあ明日、綺麗におめかしして着けてね」と柚葉が笑う。美羽は柚葉の小さな頭を撫で、あやした。「明日また考えよう。もう寝る時間よ」柚葉を寝かしつけた後、美羽は再び仕事に追われた。それから3日が過ぎた。柚葉はずっと中山家のほうに泊まった。美羽は仕事が忙しく、正人と澪が柚葉の面倒をみた。柚葉はもうここに泊まるのに慣れていて、前みたいに夜泣きすることもなくなっていた。……ある日の午後。翔平が柚葉を届けに来た。ついでに高価な贈り物までたくさん持参していた。柚葉は正人と澪に言った。「これ、パパからのプレゼント!」
美羽は視線を逸らし、柚葉の方を向いて言った。「その話は、また今度ね」翔平はそれ以上聞かなかった。「何か考えが変わったら、いつでも連絡して」美羽は返事をしなかった。「ママ!」柚葉が突然嬉しそうに叫び、美羽へ駆け寄ってきた。「ママ、見て!すごくきれいだよ」柚葉は手に持ったきれいな箱を高く掲げ、美羽の目の前で見せた。美羽が箱の中を覗くと、そこにはサファイアとダイヤモンドが散りばめられたネックレスが収まっていた。宝石が鮮やかに輝いている。その美しさに、思わず見とれてしまった。このネックレスは、以前に見かけたことがあった。もっとも、画像で見ただけだが。紗良から送られてきた写真だった。雑誌でジュエリーを見ていた時、美羽は一目でこのサファイアのネックレスが気に入り、画像越しでもその眩しさに魅了されたため、記憶に深く刻まれていたのだ。もちろん価格も桁外れで、3000万ドルもする。世界トップクラスの職人が2年かけて手作りしたもので、珍品のサファイアを使用した世界に一本だけの代物だった。今こうして実物を見ると、写真よりもずっと圧倒的な輝きを放っている。当時、紗良が問い合わせの電話を入れたが、すでに予約済みだった。まさかこうして、目の前に現れるとは。翔平は彼女の瞳に浮かぶ感情の変化を見逃さず、口元を緩めて言った。「気に入ったか?」美羽は我に返り、彼を見据えた。何か言おうとしたその時、柚葉が興奮気味に言った。「ママ、柚葉がつけてあげるね」美羽は手を伸ばして箱を受け取り、蓋を閉めた。「ありがとう柚葉。でも着けないでおくわ。高価すぎるから、パパに預かっていてもらいなさい」柚葉は唇を尖らせた。「いいじゃん、一度着けてみてよ!」美羽はただ微笑み、こう言った。「柚葉は先に上に行ってなさい。パパと少し話があるの」柚葉は翔平の方を見た。翔平は柚葉を見下ろし、その頭を優しく撫でた。「柚葉、先にお部屋へ行こう」「パパ、ママに優しい言葉をかけてね。ちゃんと教えたんだから」翔平は笑った。「分かっているよ」そう言われて、柚葉はようやく安心して階段を上っていった。柚葉がいなくなると、美羽は箱を翔平の方へ突き出した。「あなたが何をしようとしているのか知らないけれど、この品物は受け取れないわ。誰か他の人にでもあげて」翔平
ソファに深く腰を下ろした翔平は、テーブルのグラスを手に取り、一口飲んでから言った。「勝負は決まりだ。華晟の利益の一割を譲ろう」浩平は翔平の向かいに座ると、静かにグラスを手に取った。「柚葉ちゃんは、ようやく母親と過ごせるようになったみたいだな」柚葉は家で一日過ごしたが、またママと一緒に暮らしたいと言い出した。翔平が口を開いた。「柚葉は今、彼女にべったりだよ」浩平はフッと笑った。「子供ってのは、結局母親が一番好きだからな」翔平はそれを否定せず、溜め息まじりに答えた。「全くだ。最近じゃ、彼女のために、俺に怒ることまで覚えてね」浩平が翔平を見ると、その表情は娘への優しさに満ちていた。これこそが彼の本気の姿であり、嘘偽りのない心からの愛情だった。「前、家族3人で日の出を見に行ったときも、妻との関係はまだあまり良くならなかったのか?」翔平の黒い瞳がグラスの壁に映り込み、揺れる液体とともに、底知れぬ影を落とした。「時間は、かかるだろう」翔平は残りの酒を飲み干すと腕時計に目をやり、立ち上がった。「契約書は明日送らせる。先に行く」翔平はそのまま去っていった。浩平は、遠ざかる翔平の背中を見つめながら、静かに杯を重ねた。……ロールスロイスが、今井家の前にゆっくりと停まった。ちょうど、柚葉が起きていてビデオ通話がかかってきたところだった。翔平が通話に出ると、クマのパジャマを着た柚葉の可愛い顔が映った。「パパ、見て!ママが買ってくれたパジャマだよ」「すごく可愛いな」翔平は言った。「うふふっ、パパ今どこにいるの?」「さあ、どこだと思う?」「当てっこは嫌だ。パパ、教えてよ」「パパはね、ママのお家の前にいるんだ」そう言うと、柚葉の目が一気に輝き、ベッドから飛び降りると、美羽の方を向いて言った。「ママ!パパが来たよ!」美羽は驚いた。翔平はいったい何の用なのか?柚葉は翔平に会おうと階段を駆け下りる。「柚葉、ゆっくり」翔平は通話を終えると、袋を提げてドアを開け、車を降りた。夜の寒風が吹き抜けていたが、今年の初雪はまだ降っていなかった。彼は進み出て、インターホンを押した。すぐに使用人がドアを開けに来た。リビングに入る。部屋には暖房が効いており、翔平は使用人に勧められたスリッパを履く。
澪はさんざん怒鳴り散らして、寝室に戻った。正人は何があったのか知りたくてたまらなかったが、一言も聞けなかった。澪はスマホを放り投げた。正人は慌てて近寄り、肩をもみほぐしながら機嫌を取った。「澪、ベッドを暖めておいたよ。一緒に海晴を寝かしつけよう」澪が正人を睨むと、彼は恐ろしさのあまり首をすくめた。翌日。美羽のところに悠斗から連絡があった。未菜がついに耐えかねて、本当のことを白状したのだ。確かにある人物から接触があり、悠斗を薬で眠らせろと指示されていたという。しかし、悠斗の警戒心があまりに強く機会を逃したため、未菜はいっそ自分から服を脱いだのだ。当初の目的は、美羽の動向に関わらず、最終的にそれがスキャンダルになれば美羽自身が非難を浴びるようにすることだった。でも彼女は、裏にいる人物の正体をまったく知らなかった。あのとき中年男性が近づいてきて、その場で、彼女のライバルがずっとほしがっていたブランドの契約を差し出してきたのだ。事が済めば高級ブランドの仕事を回すと約束された。しかも、いま契約している事務所からきれいに抜けさせてやると言われた。相手には相当な資金力があると分かり、未菜は誘惑に負けて引き受けてしまったという。今ではもう黒幕が誰か明白だが、確たる証拠はなかった。美羽は昨日、浩平に相談していた。過去の貸しを引き合いに出し、彼に回答を求めたのだ。「断るというならそれでも構いません。あなたのお母さんと妹さんのことですから。でも、この件は絶対に見過ごしません」そして今日。真司の部下が、浩平に連絡を取った。最終的に浩平は、深津市での十億単位のプロジェクトを一つ真司に譲った。真司は悠斗の考えを聞いた。「それなら損はないな」そうして真司は追及をやめた。美羽についてはというと、浩平が涼太にあるプロジェクトを譲った。それはちょうど涼太が必要としていたものだった。知らせを受けた涼太は、あまりのことに驚いた。なぜ浩平が、理由もなくプロジェクトを譲ってくれるのか?もしかして美羽が何か関係しているのではないかと彼女に連絡し、美羽もようやくその顛末を知ることになった。結局、彩乃がしでかした愚かなことは、すべて浩平が責任を負って片付けたのだ。しかし根本的な原因は翔平にある。彼が離婚しよう
遥は顔色を変えると、勢いよく机を叩いて立ち上がった。「何んなのよ!」美羽は遥を無視して、その場を離れた。自分のデスクに戻ると、小さな鏡を取り出し、頬のかすかなひっかき傷を見た。傷は浅かったので、ウェットティッシュで拭くだけで十分だった。どうせこんな顔なんだから、傷が一つ増えたってどうでもいい。それにしても、瑠衣の顔は、どこかで見たことがあるような気がした。仕事が終わる頃、美羽に父親の今井正人(いまい まさと)から電話があった。杉山涼太(すぎやま りょうた)が帰ってきたから、実家で一緒にごはんを食べよう、という誘いだった。美羽は嬉しくなって声を弾ませた。「お兄ちゃんが
「会社の財務レポート、お昼休みが終わるまでに仕上げておいて」美羽は自分のデスクに戻った。美羽は秘書課の一般職に降格させられたが、遥は美羽に本来の担当じゃない仕事まで、たくさん押し付けていた。それでも、美羽は黙ってすべて引き受けていた。文句ひとつ言わずに会社にしがみついているのだって、ただの自己満足に過ぎない。どうせ翔平は、見向きもしてくれないのに。美羽はレポートを完成させると、データと印刷したものを遥に提出し、それからデリバリーを頼んだ。会社には社員食堂があるけれど、美羽はいつもお弁当を持参していた。人が多い場所は苦手だから。じろじろ見られるのも、誰かと話すのも嫌だった
隆はドアの前に立つ女性に目を向けた。最初はきょとんとして誰だか分からなかったが、彼女が口を開いたことで、それが美羽だと気づいた。「佐野先生」隆は何事もなかったかのように表情を整え、「やあ、来たんだね」と声をかけた。美羽はマスクを外し、研究室の中へと入った。「佐野先生、ご無沙汰しております」「久しぶり。君だと気づかなかったよ」隆は優しく微笑んだ。美羽は自嘲気味に口角を上げ、話した。「こんな姿になってしまって、先生に会いに来るのも少し気が引けました」隆は立ち上がってデスクを回り込み、言った。「妊娠して体型が変わるのは当たり前のことだ。産めばまた戻るさ。まあ、座って!」
だが、翔平はそれ以上何も聞かなかった。美羽は続けて言った。「明日、月曜の午後って空いてる?よかったら、先に役所へ行こうよ。どうせ2ヶ月前でも大丈夫でしょ?」離婚が成立していなければ、生まれてくる子は自動的に翔平の子として戸籍に記載されてしまう。翔平は落ち着き払っている美羽を、探るように見つめた。そして、ふいと視線をそらすと、「俺が決める」とだけ言った。美羽は俯いて、もう何も言わなかった。車は中山家の本邸に着いた。日和が二人を呼び戻したのは、やはり美羽のお腹の子どものことだった。中山家は男の子ばかりで、日和には二人の息子がいた。長男が中山湊(なかやま みなと)、次







