LOGIN誠に嘘はないはずだ。宗介は底知れぬ策士であり、そもそも誠を嫌っているからだ。「あなたにその資格はありません。あなた自身のせいで、美羽さんを追い詰めたんでしょう?」浮気とDVを繰り返していた時は家族のことなど考えていなかったくせに、今さら妻子を心配するなんて。綾は心底呆れ果てた。誠は怒りもせず、ただただ、美羽と子供が自分のもとへ無事に戻ることだけを願っていた。「美羽のお父さんは言った。子供が生まれたら、その子を俺に渡す。それ以降、中野家と杉本家は縁を切ると話していた。それに、美羽を完全に『中野家の人間』として扱っている。だから俺のところ以外、美羽には行く場所などないんだ」「誠さん、美羽さんは誰かに依存しないと生きられないわけじゃないです。ほどほどにしてください」綾は眉をひそめて電話を切った。誠という男は本当に役に立たない。何の手がかりもよこさないし、自分で探すことすらせず、妻子が戻ってくるのを待つだけなんて。樹に連絡を試みたが、余計なことをするなと突き放され、それ以降は何の返事もなかった。昼過ぎまで忙しく動き回ったが、結局何も収穫はなかった。凪は目を覚ましてからずっと待っていたが、康弘からは一度も連絡が来ない。宏介は康弘や加奈子にとっての宝物だ。凪は、二人が宏介を苦労させるわけがないと思っていた。その代わり、自分を犠牲にするのは平気なのだ。そう思うと、凪は康弘にメッセージを送った。【警察には言わないで。そうじゃなければ、このガキには二度と会えなくなるから】凪はお菓子をつまむ宏介を横目で見る。宏介は自分とそっくりで、加奈子に瓜二つだ。以前はその美しさを誇りに思っていたが、今はこの顔を見るだけで吐き気がする。スマホが震え、画面を見ると凪の表情が一瞬凍りついた。【お前のお母さんは緊急手術を受けている。騒ぐのはやめろ。宏介を連れて今すぐ来い】凪は躊躇した。どれほど恨んでいようと実の母親であり、自分が突き飛ばした結果なのだ。だが、たかが転んだくらいで大げさだと考え直す。【ハッタリをかまさないで。残された時間はあと半日よ】しばらく待っても、返信がないことに焦りが募る。加奈子は本当に危ない状態なのか?その時、宏介がアクビをしながら言った。「お姉ちゃん、いつ家にかえるの?」宏介はいつも加奈子と
1時間ほど走り、車が停まった。周囲に何もない田舎の家を見回し、宏介は不満げに口を尖らせた。「騙したな!ここには何もないじゃないか?」「黙って!」凪は宏介を無理やり家の中に押し込んだ。「これ以上うるさくしたら、ここに置いていくから」「お姉ちゃん、怖いよ」宏介は涙を溜めた目で、縋るように凪を見上げた。凪は車からスナック菓子を取り出し、テーブルに置いた。「これを食べて。静かにしていればいいの」庭にある井戸で水を汲み、凪は顔を洗った。祖母・谷口莉緒(たにぐち りお)の家はしばらく空き家だが、凪が定期的に掃除を頼んでいるのでそれなりに綺麗だ。今夜はここで過ごし、明日、康弘と加奈子の様子を見てから決断しようと考えた。しかし、夜になっても宏介が騒ぎ続け、帰りたいと泣き叫んだ。凪は部屋に鍵をかけて閉じ込め、隣の部屋で耳栓をして眠りについた。2日間、加奈子と揉め続け、心身ともに疲れ果てているのに、何一つ得られなかった。加奈子の様子を聞こうと電話をかけようとしたが、その偏屈な態度を思い出すと、どうしても胸のつかえがとれず、結局やめた。耳栓のせいで外部の音は遮断され、深く眠ってしまい、気づけば午前10時を過ぎていた。その頃、綾のスマホにDNA鑑定の結果が届いた。予想通り、海斗は誠の息子であることが証明された。「なんてことなの……」綾は画面を食い入るように見つめ、言葉を失った。誠は子供ができにくい体質だと診断されており、美羽はもう二人に子供は授からないと思っていたのだ。それなのに、二人の関係が終わる直前に妊娠が判明し、さらに誠には隠し子がいたとわかるなんて。湊は海斗が自分の子だと信じて溺愛していたのに、結果は実の兄の子供だったというわけだ。凪はつくづく酷い女だ。兄弟二人をこれほどまでに弄ぶなんて。いや、そうさせてしまった中野兄弟も馬鹿だ。湊があの日、酔った勢いで道を踏み外さなければこんな事態にはならなかった。誠が色気に惑わされなければ、これほどまでに家族を不幸にすることなどなかっただろう。綾はその結果のスクリーンショットと、誠の不倫の証拠を揃えて、湊に転送した。多くを語る必要はない。これを見れば全てを理解するだろう。凪はおそらく、海斗を利用して二つの家から金を引き出そうとしている
「宏介はあなたの本当の弟よ。他人じゃないんだから!」と、加奈子は言い返した。あわよくば、凪も自分たちと同じように、可愛がってくれるのではないかという期待が、加奈子の中にはわずかに残っていた。「私に弟なんていないわ。私は二宮家の一人娘よ!」隙を突いて、凪は使用人の膝を蹴り上げた。不意を突かれた使用人は、痛みで手を離してしまった。凪は加奈子に飛びかかり、その腕を捕まえようとした。青ざめた加奈子は、悲鳴を上げて後ろへ逃げようとする。しかし、足が椅子の脚に引っかかって、そのまま床に倒れ込み、後頭部を強打して気を失ってしまった。「奥様!」顔面蒼白になった香織は、慌てて運転手を呼びに行った。加奈子を車に乗せ終えると、香織は凪の方を見て、渋々といった様子でこう言った。「凪様、旦那様が戻ってきたらお終いです。早くここからお逃げください」あんなに平穏だった家が、どうしてこんな事になってしまったのか?床に広がる血の跡を見つめ、凪は手足を震わせ、呆然と立ち尽くしていた。加奈子を引き留めたかっただけ、傷つけるつもりなんて毛頭なかったのに。香織は必ず康弘に電話する。そうなれば、彼に何をされるか分かったものじゃない。凪の頭の中で、考えが駆け巡る。両親が自分の命よりも大事にする息子、宏介のことが脳裏をよぎった。迷わず凪は車を飛ばし、幼稚園へ向かった。「お母さんが急に入院した」という嘘をつき、そのまま宏介を連れ去った。宏介は、いつもより早いお迎えに、嬉しくてはしゃいでいた。「お姉ちゃん、遊園地に連れてってくれるの?」「その呼び方で呼ぶんじゃない!」凪は激しく言い放つ。その呼び方が、何よりも嫌だったからだ。突然の怒鳴り声に、宏介は泣き出した。「家に帰る!ママのところに行くんだ!」「泣き止みなさい!」宏介の泣き声が耳障りで苛立っていたが、凪は渋々機嫌をとった。「分かったから泣きやんで。遊園地で遊んであげるわ。でもまだ泣くなら行かないよ」その一言が効いたのか、宏介は鼻水を垂らしながらも、泣き声をピタリと止めた。加奈子は「遊園地は危険だから」と言って、一度も連れて行ったことはなかった。その時、康弘から電話がかかってきた。凪は不快感をあらわにしながらも、応答した。「この外道が!」繋がるや否や、
綾はDNA鑑定を急ぐため特急料金を支払い、翌日午前中には結果が出るようにした。その頃、凪は二宮家で大荒れに荒れており、事態が深刻化していることには全く気づいていなかった。「本当にいい身分ね。孫より年下の息子ができるなんて、恥ずかしくないのかしら!」宏介の存在を知った凪は、二宮家に押しかけ、両親に対し、保有する株を全て自分に譲渡するよう迫っていた。しかし両親は宏介ばかりを溺愛し、逆に凪を「強欲で身勝手な女だ」と罵倒する始末だ。「恥ずかしい?それは一体どっちよ!婚約を破棄して、前の婚約者のところに転がり込むなんて。凪、人の心なんてものはあるの?」加奈子はこれまでの不満を爆発させ、凪に対しても容赦なく言葉を突きつけた。「私がこんなふうになったのは、全部お母さんたちのせいよ!親を名乗る資格なんてないわ!」凪は取り乱し、叫んだ。弟という存在が突然現れたことも、財産がその弟に移されたことも、全て納得がいかなかった。自分は二宮家の長女なのだ。全ては自分のものであるはずだと信じて疑わない。「不動産を一つあげるから、それで手を打ちましょう。あとは自分で何とかしなさい。不動産を渡したら、もう親子の縁は終わりよ」加奈子は胸を押さえながら、憎しみの籠った瞳で凪を睨みつけた。加奈子にとってこの娘はもう見限った存在であり、全ての期待は跡継ぎの息子にかかっている。「たかが不動産一つ?私が誰だと思っているの?私は二宮家の長女なのよ。馬鹿にしないで!」凪は腕を組んでソファにどかっと座り、株をもらうまでは一歩も動かないという構えだった。「いらないなら、好都合ね。体の具合が悪いから、病院に行ってくるわ。あとは好きにしなさい」加奈子は使用人の介助で立ち上がり、そのまま部屋を出ようとした。しかし、凪は先回りして道を塞いだ。「いいえ、株を譲渡すると言わない限り、この家を一緒の墓場にするわ」加奈子は信じられない思いで凪を見つめた。「胸が苦しいのよ。私を死に追いやる気?」凪は子供の頃は可愛らしかったが、大人になるにつれ手に負えなくなった。何かにつけては親に不満を抱き、理解不能な騒動ばかり起こしている。その積み重ねで、親としての愛情も完全に冷めきっていた。凪の婚約破棄騒動があったことで、新しい跡継ぎを作り、家業を継がせること
ドアの裏でしばらく立ち止まり、気持ちを落ち着けてから、綾はドアを開けた。湊は壁に寄りかかり、何か考えていた。綾が姿を見せると、彼は思索を中断した。「お目当てのものは見つかったのか?」綾は首を振った。「いいえ、ただ確認したかっただけだから」写真については、真相を確かめるまで湊には秘密にしておくことに決めた。「そうだ、今夜星野邸で食事に招いてもらってもいい?」湊は複雑な瞳でかすかな光を宿し、微笑んだ。「言っただろう、あそこはいつだってお前の家だよ」「それなら良かった。じゃ、今夜またね」綾は手を振り、車で研究所へ向かった。颯太は宗介の対応に追われ、健吾はI国に飛んでいる。「001」プロジェクトの進捗を上げなければならない。幸いなことに、仕事に没頭すると集中力が増す綾は、高い効率で作業を進めた。昼食もろくに取らず、サンドイッチをかじりながら仕事を続けた。夕方6時を過ぎて顔を上げると、外はもう暗い。綾は慌てて湊に電話をした。「ごめんなさい、時間を忘れてたわ。今すぐ向かうわね」「仕事だと思って、催促しなかったよ。急がなくていい、気をつけておいで」通話を終えると、湊はシェフに残りの料理の準備を命じた。7時近くになって、ようやく綾は星野邸へたどり着いた。「ごめんなさい、道が混んでいて」「そんなに謝らなくていい。お前を待つ時間は苦じゃないから」湊は綾が脱いだコートを受け取り、丁寧にハンガーに掛けた。手洗いを済ませてダイニングへ戻ると、食事が並べられていた。昼のサンドイッチだけでは物足りず、綾はすでにお腹が空いていた。大好きな料理が並んでいるのを見て、我慢せず食べ始めた。湊が口元を緩める。「ゆっくり食べな。誰も取らないから」海斗がまじめに付け加えた。「パパが言ってた。よく噛んで食べるのが体にいいんだよ」綾は二人の姿を見て、今夜の目的を思い出すと、さっきまでの食欲はどこへやら消えてしまった。綾の上の空な様子を見て、湊が取り皿に料理を運んだ。「たくさん食べな、また痩せたようだ」「これ、パパがシェフに頼んで作ってもらったんだ。美味しい?」海斗が期待を込めて目を輝かせた。「美味しいわよ」と綾は微笑んだ。今は海斗に対する感情も随分落ち着いていた。やはり教養のある子供は愛
美羽との電話を早々に切り上げると、翌朝、綾は湊に電話をかけた。「誠さんの会長室に行きたいんだけど、邪魔が入らないように細工できない?」湊は深く聞くまでもなく、こう答えた。「彼なら9時から10時まで会議室だ。その時間は会長室は無人になる」「ありがとう、今から向かうわ」綾は時計を見ると、まだ8時だった。「本社ビルの外で待ってる。俺と一緒に中に入れば、誰も怪しまないだろう」湊は綾の目的までは聞かなかったが、美羽に関係があるのだろうと踏んでいた。本音を言えば、これ以上美羽と誠に関わって、余計な火の粉をかぶるようなことは避けてほしいと思っていた。だが、綾の性分を知っている以上、何もしないで引き下がるとも思えない。「ええ」美羽が何をしようとしているのかまでは読めないから、まずは慎重に行動しようと思った。8時半、中野グループ本社ビルで湊と合流した。「何のために会長室に入るんだ?」そう尋ねてから、湊はこう付け加えた。「もし1時間じゃ足りないなら、兄さんを引き止めてやる」「1時間もあれば十分よ」綾は以前にも会長室へ入ったことがある。中身はシンプルで、どこに何があるかは一目瞭然だ。徹底的に調べ上げたとしても、十数分もあれば事足りるだろう。ビルに入ると、湊は綾を社長専用のエレベーターへ導き、会長室へ向かった。「一緒に手伝うよ」「あなたは会議じゃないの?」綾が尋ねた。「ああ。俺が門番代わりさ。俺が塞いでれば、ハエ一匹入れさせない」湊は冗談めかしたが、その瞳の奥には拭いきれない闇が広がっていた。綾は小さく微笑んだ。湊とこうして、余計な気を使わずに会話ができるのは久しぶりだった。だが、季節は移ろい、自分の胸のうちにある風景はあの頃とは別のものになっている。9時を回ると、二人は会長室へ向かった。誠はすでに会議中らしく、会長室には誰もいなかった。綾は難なく中へ入り、湊が外で守りを固めた。「写真……」その言葉を繰り返しながら、ありそうな場所を手際よく探した。会長室内は、ソファとセンターテーブル、執務机と椅子だけ。窓辺には観葉植物がある程度だ。デスクの上は、パソコンと書類が山積みになっている。デスクの引き出しには鍵が掛かっておらず、中にはタバコ数箱とライターがあるだけだった。
綾は堂々と出迎えた。「誠さん、そして取締役の皆さん。こんなことで、わざわざお越しいただくなんて申し訳ありません」誠は単刀直入に尋ねた。「湊はどこだ?」「病室です。でも先生からは安静にするよう言われていて……本人も今は誰とも会いたくないみたいです」達也も口を添えた。「今は絶対安静が必要です。皆さん、また日を改めていただけますか」「皆さんはこちらでお待ちください。私が様子を見て来ます」「お待ちください、誠さん」綾は誠の前に立ちふさがり、意味ありげな視線を送った。「湊が今、一番会いたくないのは……誠さんなんです」誠は眉をひそめた。「どういう意味だ?」「今回の拉致事
そのハイヒールは、綾のお気に入りのブランドのもので、とても履きやすいと評判だった。こんな偶然、あるはずがない……「健吾、大変なの!」明里の震える声が、受話器の向こうから聞こえてきた。次の瞬間、健吾はシェパードにリードをつけると、車に駆け込んだ。……「くだらないいたずらだろう」湊は、凪が見せてきたネットニュースを一瞥すると、うんざりした様子で無関心にそう言った。「でも、本当に誰かが危ない目に遭ってるのかもしれないじゃない。それに綾も、こんなハイヒールを持ってた気がするわ」湊は画像に目をやり、答えた。「あいつは同じような靴を何足も持っている。履き心地がいいとかで
綾は眉をひそめて綾を見ていた。綾の左には颯太、右には健吾が座っている。颯太が慌てて説明した。「青木社長はこっちが招待したんです。仕事のパートナーなので」颯太は、どうも湊が健吾に敵意を持っているように感じていた。健吾のほうも、湊のことが気に入らないようだ。この二人がいつから険悪なのかは分からないけど、とりあえず今は問題が起きないようにするしかない。「中野社長、この席にどうぞ」颯太が自分から席を譲ると、湊は遠慮なくその席に座った。綾は湊と健吾の間に挟まれる形になり、ものすごく気まずかった。二人が来るって分かってたら、絶対に来なかったのに。凪が湊の隣に座ったので、颯太
「湊、海斗がサプライズを用意して部屋で待ってるわよ。早く行ってあげて」湊は考えた。綾はもう寝ているだろう。邪魔をしないでおこう。彼は手を引っ込め、凪に車椅子を押されてその場を去った。翌日は土曜日で、凪はキッチンでバーベキューの準備に追われていた。湊はリビングに座り、幸子に言いつけた。「ケーキ屋にケーキをひとつ配達させて。それから、綾を呼んできてくれ」幸子はすぐに3階から降りてきた。「旦那様、奥様は部屋にいらっしゃいません。電話で確認いたしましょうか?」「必要ないわ」と凪が口を挟んだ。「いない方が好都合よ。どうせ気まずくなるだけだし」「綾は明里のところにでも行ってるん







