Short
彼らに見捨てられた私は、無人島に向かった

彼らに見捨てられた私は、無人島に向かった

By:  柚木 苦実(ゆずき にがみ)Completed
Language: Japanese
goodnovel4goodnovel
12Chapters
38views
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

結婚式の開始まで、あと三十分というときだった。控室に置いていた私のウェディングドレスが、何者かによって無惨に破られていた。 スカートの裾はズタズタに裂かれ、ビジューはすべて剥がされていた。さらに、ドレス全体に赤いペンキと汚水がぶちまけられていた。 ドレスが届いてから控え室に入ったのは、メイク係として来ていた義妹――綾瀬美夜(あやせ みよ)だけ。 我慢の限界を超えた私は、思わず彼女に平手打ちを食らわせた。 だが、婚約者と両親は私を責め、汚れたドレスを着て美夜に土下座で謝れと強要してきた。 「たかがドレス一枚じゃないか。式はまたやればいい。人を殴るなんて、まるでヒステリックな女じゃないか。さっさと謝れ。さもないと婚約は破棄だ!」 婚約者の黒江奏真(くろえ そうま)が大事そうに妹をなだめる姿を見て、私は涙をこらえながら静かにその場を後にした。 そして、ずっと保存してあった連絡先に電話をかけた。 「すみません、無人島の居住権と、恋人・家族カスタムサービスを購入したいのですが」 電話の向こうからは、耳に心地よい女性の声が返ってきた。 「ご購入ありがとうございます。10日後のご入島をお待ちしております」

View More

Chapter 1

第1話

結婚式の開始まで、あと三十分というときだった。控室に置いていた私のウェディングドレスが、何者かによって無惨に破られていた。

スカートの裾はズタズタに裂かれ、ビジューはすべて剥がされていた。さらに、ドレス全体に赤いペンキと汚水がぶちまけられていた。

ドレスが届いてから控え室に入ったのは、メイク係として来ていた義妹――綾瀬美夜(あやせ みよ)だけ。

我慢の限界を超えた私は、思わず彼女に平手打ちを食らわせた。

だが、婚約者と両親は私を責め、汚れたドレスを着て美夜に土下座で謝れと強要してきた。

「たかがドレス一枚じゃないか。式はまたやればいい。人を殴るなんて、まるでヒステリックな女じゃないか。さっさと謝れ。さもないと婚約は破棄だ!」

婚約者の黒江奏真(くろえ そうま)が大事そうに妹をなだめる姿を見て、私は涙をこらえながら静かにその場を後にした。

そして、ずっと保存してあった連絡先に電話をかけた。

「すみません、無人島の居住権と、恋人・家族カスタムサービスを購入したいのですが」

電話の向こうからは、耳に心地よい女性の声が返ってきた。

「ご購入ありがとうございます。10日後のご入島をお待ちしております」

……

「美夜に謝れって言ってるのが聞こえないのか?」

奏真が私を呼び止めた。その声には、うんざりとした嫌悪が滲んでいた。

私が出口へ向かおうとすると、両親が腕を掴み、無理やり美夜の前に引き戻した。手首はすぐに紫色に腫れ上がる。

母は私を壁際に押しやり、泣きそうな顔で叱責してきた。「どうしてそんな性格になっちゃったの?悪いことをしたら、美夜に謝るのが当然でしょ。私たち、何か間違ったこと言った?それで怒って出ていくなんて――」

額から流れ出た血が目に入って、視界が赤く染まる。

鏡に映った自分の姿は惨めで、私は声もなく笑ってしまった。

この結婚式は最初から最後まで、美夜の好みで作られていた。顔のメイクも「プロのメイクアップアーティストだから」と親に任され、美夜に施された。

なのに仕上がった顔は、見れば見るほどひどい有様で、人間とも言えないほどだ。

唯一、自分の意思で選んだ大切なウェディングドレスまで、彼女によって台無しにされた。

私はゆっくりと周囲を見渡した。そこにいる誰もが、敵意に満ちた目で私を見下し、美夜の後ろに立って彼女を庇っていた。

「そうだよね、悪いのは全部私で、あの子は何も悪くない」

本当は、最初から帰ってくるべきじゃなかった。素直に田舎で静かに暮らして、あの「養女」に居場所を譲っていれば、すべて丸く収まったのに。

父が鼻で笑い、腕まくりをして、思い切り私の頬を打った。

「ふん、反省してるならそれでいい。

でもね、悪いことをしたら罰は受けなきゃ。謝りたくないなら、俺が代わりにケジメをつけてあげる」

彼は私の襟首を掴み、容赦なく脛を蹴りつけて無理やり跪かせた。

膝に鋭い痛みが走り、そのまま床に勢いよくぶつかった。

美夜の目に涙がにじんでいるが、その奥には勝ち誇ったような光が見える。そして、わざとらしく私を止めるふりをした。

「もう許してあげる、お姉ちゃん。ほら、立って。

お姉ちゃんは家に戻ってきてからずっと、パパとママが私に優しくするのを妬んでたよね?でも、私のことを妹として認めてくれるなら、家の中にちょっとだけ居場所を分けてくれれば、他は何でも我慢できるよ」

奏真はさらに哀れむような目でこちらを見つめ、優しげに慰めた。「可哀想に、もう泣くなよ。

小さい頃に決められた許嫁の約束さえなければ、俺があんな女と結婚するわけないだろ」

謝罪を終えると、私は壁を伝ってゆっくりと外に出ようとした。もうここに留まりたくなんてなかった。

けれど、両親はしつこく私の腕を掴んで離さなかった。

「今日は大事なお客様ばかりなのよ?招待状も全部出してあるのに、何するつもり?」

「あとで奏真が美夜と恋人同士になろうと、結婚しようと、もうどうでもいい。でも今日の式だけはきちんと演じなさい!」

そう言って、彼らは私に簡素なドレスを無理やり着せた。

その裾には赤いペンキのしみが残っていた――あの子が持ってきたブライズメイド用のドレスだった。
Expand
Next Chapter
Download

Latest chapter

More Chapters

Comments

No Comments
12 Chapters
第1話
結婚式の開始まで、あと三十分というときだった。控室に置いていた私のウェディングドレスが、何者かによって無惨に破られていた。スカートの裾はズタズタに裂かれ、ビジューはすべて剥がされていた。さらに、ドレス全体に赤いペンキと汚水がぶちまけられていた。ドレスが届いてから控え室に入ったのは、メイク係として来ていた義妹――綾瀬美夜(あやせ みよ)だけ。我慢の限界を超えた私は、思わず彼女に平手打ちを食らわせた。だが、婚約者と両親は私を責め、汚れたドレスを着て美夜に土下座で謝れと強要してきた。「たかがドレス一枚じゃないか。式はまたやればいい。人を殴るなんて、まるでヒステリックな女じゃないか。さっさと謝れ。さもないと婚約は破棄だ!」婚約者の黒江奏真(くろえ そうま)が大事そうに妹をなだめる姿を見て、私は涙をこらえながら静かにその場を後にした。そして、ずっと保存してあった連絡先に電話をかけた。「すみません、無人島の居住権と、恋人・家族カスタムサービスを購入したいのですが」電話の向こうからは、耳に心地よい女性の声が返ってきた。「ご購入ありがとうございます。10日後のご入島をお待ちしております」……「美夜に謝れって言ってるのが聞こえないのか?」奏真が私を呼び止めた。その声には、うんざりとした嫌悪が滲んでいた。私が出口へ向かおうとすると、両親が腕を掴み、無理やり美夜の前に引き戻した。手首はすぐに紫色に腫れ上がる。母は私を壁際に押しやり、泣きそうな顔で叱責してきた。「どうしてそんな性格になっちゃったの?悪いことをしたら、美夜に謝るのが当然でしょ。私たち、何か間違ったこと言った?それで怒って出ていくなんて――」額から流れ出た血が目に入って、視界が赤く染まる。鏡に映った自分の姿は惨めで、私は声もなく笑ってしまった。この結婚式は最初から最後まで、美夜の好みで作られていた。顔のメイクも「プロのメイクアップアーティストだから」と親に任され、美夜に施された。なのに仕上がった顔は、見れば見るほどひどい有様で、人間とも言えないほどだ。唯一、自分の意思で選んだ大切なウェディングドレスまで、彼女によって台無しにされた。私はゆっくりと周囲を見渡した。そこにいる誰もが、敵意に満ちた目で私を見下し、美夜の後ろに立って彼女を庇っていた。
Read more
第2話
でも、私には選択肢がなかった。着替えるのを拒んだら、母に髪をつかまれて服を引き剥がされ、そのまま試着室に放り込まれた。「帰ってきてからの服は、全部美夜が譲ってあげたんでしょ?あなた、すごく嬉しそうだったじゃない。なのに、どうしてこの一着だけは着たくないの?」美夜がおずおずと涙声で口を添えた。「お姉ちゃん、まだ私のこと怒ってるの……?」何度も急かされて、私は吐き気をこらえながら、そのドレスに袖を通した。結婚式の会場に立った瞬間、参列者たちのひそひそ話が四方から押し寄せてきた。「ドレス、あれで本気?なんか……安っぽすぎない?さすが田舎から拾われてきた子ね。センス終わってる」「ていうか、あのメイク……まさかの海外セレブ風?式に合ってなさすぎて引くんだけど」両親は順番に登壇し、来賓に向けて祝辞と乾杯の挨拶を始めた。私は差し出されるグラスを次々と空けていく。安物の化粧品に覆われた肌は、時間と共に腫れて熱を帯びていった。やがて綾瀬美夜がグラスを持って前に出てきたとき、私は声を潜めて問いかけた。「……あんた、何か仕込んだでしょ?」すると彼女は突然大げさに胸を押さえ、ぶんぶんと首を振った。「お姉ちゃん、私、もうちゃんと祝福したよ……なのに、まだ責めるの?」そう言って浅く息を何度か繰り返したかと思うと、そのままその場で倒れ込んだ。隣にいた奏真が私を突き飛ばし、美夜を抱きかかえる。「誰か!美夜を病院に連れてって!」母は冷たい目で私を射抜くように睨みつけた。「こんな大勢の前で、まだ美夜を刺激するなんて……あの子、心臓が悪いってわかってるでしょ? 本気で殺す気なの?」顔のアレルギー反応で口もろくにきかず、私は息を荒げながら、体を折り曲げるようにして小さく懇願した。「……私のことも、助けて……」けれど、誰も耳を貸してくれなかった。家族は私を式場に置き去りにし、慌てて美夜を病院へ連れていった。私は客たちの好奇心と嘲笑が入り混じった視線に耐えながら、残された気力で舞台を降り、自ら救急車を呼んだ。病院で目を覚ましたとき、スマホには一件の安否確認すら届いていなかった。当然だ。美夜のことで手一杯なあの人たちが、私が置き去りにされたことなんて気にかけるはずがない。ポケットのスマホが小さく震えた。美夜からのメッセージだ
Read more
第3話
「明日、黒江家に話すわ。あんたの代わりに美夜を嫁がせるって伝えておく」母の声は、深く落胆した響きを帯びていた。「どうしてあなた、こんなふうになっちゃったの?小さい頃は素直でかわいかったのに……もう、DNA鑑定を間違えたんじゃないかって思うわ。美夜のほうが、よっぽど私の本当の娘みたいよ」心が胸がきゅっと締めつけられ、私は唇を噛みしめて、涙を必死にこらえた。父は声を低くして言った。「お前は何度も責任を逃れようとして、妹がいじめてくるなんて言い張るが、家に戻ってきてからはお前が喧嘩をふっかけてばかりだ」その言葉が引き金となり、彼らは私が美夜にしてきたという「数々の悪行」を並べ立て始めた。けれど、話が進むたびに、私の心はズタズタになっていく。私は、八歳のときに突然行方不明になり、半年前にようやく見つかった。私が帰ってきたあの日、あの人たちは確かに目を輝かせて迎えてくれた。美夜も手を伸ばして、にこやかに私の手を取ろうとしてきた。私はその瞬間、悲鳴を上げて彼女を振り払い、道端の側溝へ突き飛ばしてしまった。そのときからだ。彼らの目に映る私は、変わってしまった。私はその場に呆然と立ち尽くし、手のひらの傷をじっと見つめていた。美夜が私の手を取ったとき、彼女の手には針が隠されていたのだ。あとから必死に説明しようとしても、母はただ曖昧に笑って取り合おうとしなかった。この十数年の間に、彼らはすでに強い絆で結ばれた家族になっていた。そんな中で突然戻ってきた私は、まるで異物のように溶け込めなかった。彼らに気に入られたくて、私は使用人のように家事をこなし、田舎で身につけた料理の腕を振るって毎日ご飯を作った。でも、美夜はひと口食べた途端に嘔吐と下痢を繰り返し、それ以来ずっと「心臓の調子が悪い」と言い出した。私は彼女の薬を取りに行ったとき、瓶の中がビタミンCだったことに気づいた。それを両親に話したら、返ってきたのは冷たい叱責だった。「美夜から全部聞いてる。あんたが薬をすり替えて、さらに悪者ぶってるって」そのとき、私は心の底から絶望した。子どものころからの幼なじみ――奏真が、花束を手に私を出迎えてくれた。ひとりで泣いていた私に、彼はとても優しく声をかけてくれた。その優しさに希望を見出した私は、彼の好みを調べて、こっそり
Read more
第4話
私は静かに頷いた。「じゃあ……お二人の幸せをお祈りします」部屋に戻ってドアを開けた瞬間、私は思わず息をのんだ。中の様子がすっかり変わっていた。母が冷たく言い添える。「美夜は体が弱いのよ。一ヶ月もその部屋にいられたんだから、もう満足でしょ」私の荷物はすべて片づけられ、代わりに物置のような屋根裏部屋に追いやられていた。もともと私の持ち物なんて多くなかった。どれもこれも、美夜が使い古した物を回してもらっただけだ。「全部片づけておいたわ。何か取り忘れがないか確認して」「いいよ、どうせもう使わないし」だって、私はもうすぐ無人島に向かう。そこにはきちんとした設備の整った別荘があって、新しい「家族」と一緒にやり直すつもりだ。彼らが私に与えた古びた物たちは、もともと嫌々渡されたものだった。「自分の立場、よく分かってるみたいね」母はそう吐き捨ててから、美夜のためにスイーツを作りに階下へと下りていった。私は埃まみれの屋根裏に身を縮め、下から漂ってくる甘い香りをぼんやりと嗅いでいた。まるで昔、かくれんぼでここに隠れたときのことを思い出す。見つかりたくない私は、ここにこっそり潜んでいた。母は、私を引きずり出すために、いつも美味しい匂いで誘惑してきた。でも今、その温かさはもう存在しない。この壊れた窓のある小さな部屋が、今の私の居場所だった。部屋の隅には積み上げられた古いおもちゃ――積み木、バービー人形、そして父が作ってくれた木のユニコーン。すべて埃をかぶって放置され、まるで私のように忘れ去られていた。私は小さなスペースを掃除し、座り込むと、担当者から届いた仮想家族のカスタム画像を見返した。そこに写っていたのは、父と母の若かりし頃の姿だった。カスタマーサービスの担当者に「一番幸せだった時間」を選ぶよう勧められたので、私は8歳の誕生日に家族みんなでお祝いしてくれた時の写真を送った。そして奏真は、私が帰宅したばかりの頃、優しく微笑んでくれたあの表情を選んだ。スマホを抱きしめながら、私は泣きながら眠りについた。夢の中で、父が私のために小花模様のワンピースを作ってくれて、母がそれを着せてくれた。私たちは草原で凧揚げをして、私は何度もくるくる回って、スカートを一輪の花のように広げた。けれど、そのスカートはだんだん
Read more
第5話
私は、胸の中にぽっかりと穴が空いたような感覚を覚えた。無意識に、手のひらに爪を立てていた。赤い痕がくっきりと刻まれる。これまで何度も、両親に期待しては裏切られてきたけれど、もう十分だと心に決めた。父も母も、私をいらないなら――私だって、もう彼らなんていらない。無人島には「カスタム家族サービス」がある。私のことだけを愛してくれる家族を、私自身の手でつくれる。だからもう、こんな人たちとはさよならだ。額にこもる熱がどんどん上がっていくのを感じながら、私は一通の別れの手紙を書き上げた。明日の朝、あの人たちに渡すつもりだった。翌朝――母が、珍しくスープを持って部屋に入ってきて、私を起こした。その瞳には、少しだけ罪悪感が滲んでいた。けれど、私はそれを指摘せず、黙って受け取った。熱々のスープが舌を焼く。その温もりが、まるで幻のように優しくて、私はそれを貪るように味わった。たとえこの後、彼らが私を追い出すとしても。食事が終わったあと、彼らが何か言い出す前に、私は黙って手紙を差し出した。母は読み終えるなり、苛立った声を上げた。「この恩知らず!今まで散々世話してやったのに、自分から出ていくなんて!」美夜が争いの声を聞きつけて、ひょこっと顔を出した。「お姉ちゃん、行かないでよ。私、なにか悪いことしちゃった……?」父は、彼らがあらかじめ用意していた親子関係断絶の書類を、私の目の前に放り出した。「そういうことなら、これにサインしろ。ただし、家の物はすべて美夜のものだ。お前には一つたりとも持ち出させない」私はためらうことなくペンを取り、署名した。両親は一瞬だけ黙り込み、ぼそっと言った。「信じられん……あれだけ叔父の家に行くのを嫌がってたお前が、自分から出て行くなんてな」こめかみがズキズキと痛み、吐く息さえ熱かった。私はもう、彼らとこれ以上話すつもりもなかった。ただ淡々とこう言った。「もう用がないなら、行くね」私は荷物を手に取ろうとしたが、美夜がその手を掴んできた。「何も持ってっちゃダメって言ってたでしょ?だから私、チェックしなきゃ」彼女は舌をペロッと出して、いたずらっぽく笑った。そして、両親は止めることもなく、彼女が私の荷物をすべてぶちまけるのを見ていた。中に値打ちのある物が一つもないのを確認し、よ
Read more
第6話
彼らは大慌てで美夜の手当をしていた。私がその場に呆然と立ち尽くしているのを見ると、彼らは冷たく睨みつけてきた。「強がって出ていくって言ったくせに、まだ居座るつもりか?」粉々になったオルゴールは、誰かの足で蹴り飛ばされた。私は絶望の叫びを上げ、必死にかき集めようとした。けれどその瞬間、父の足が飛んできて、私は階段の下に蹴り落とされた。「こんなガラクタのために妹を怪我させるなんて……お前には心底がっかりだよ!」全身に走る痛みが波のように押し寄せ、私は冷たい床にうずくまったまま、止めどなく涙を流した。病み上がりの身体で磨き上げた思い出の品々も、すべて手放した。何ひとつ、持っていく気にはなれなかった。外に出た瞬間、ちょうど車が止まる音がした。降りてきたのは奏真だった。「どこ行くんだ?」私がもう帰ってこないことを告げると、彼はほっとしたように息を吐き、珍しく優しい顔を見せた。「乗れよ、少し送ってやる」「どこまで?」私は少し迷った。無人島の入り口となる港は、八日後にならないと開かない。今の私は、行く宛もなかった。私が黙っていると、彼は鼻で笑ってこう言った。「まさかまた、家出ごっこじゃないだろうな」バックミラー越しに彼の目と合った。その眼差しはいつも通り、冷たい。見た目は優しげなのに、私にだけは決して温もりをくれなかった。「……鶴ノ坂で」車はゆっくりと走り出し、彼は一言も発せず、前方を見据えたまま運転を続けた。信号で停まったとき、彼のスマホが鳴った。電話の向こうから聞こえたのは、美夜の甘ったるい声だった。「奏真お兄ちゃん、まだ着かないの?あのダイヤのネックレス、ちゃんと持って帰ってきてくれるよね?」そのネックレスは、かつて奏真が祖母の目の前で私に贈ってくれた婚約の証――彼の家に代々伝わる宝物だった。深い青に輝く「人魚の涙」。なるほど、彼が見せた最後の優しさは、ただそのネックレスを取り返すためのものだったのだ。彼が何か言う前に、私は冷たく口を開いた。「何も持ってきてない」その瞬間、美夜も電話越しに私の声に気づいたようで、気まずそうに言った。「えへへ、ごめんねお姉ちゃん。あたしが奏真お兄ちゃんに頼んだの、怒らないでね?さっきお姉ちゃんとちょっとケンカしちゃって、お姉ちゃん急に出
Read more
第7話
祖母が私に残してくれた言葉は、こうだった。「大好きな孫へ。どうか、いつまでも幸せでいてね」夕暮れの風が、頬についた涙を優しく乾かしてくれた。私はゆっくりと祖母がかつて住んでいた小さな庭の家に向かった。そこは、昔と何も変わっていなかった。あの、今や美夜好みに作り変えられた家とはまるで違っていた。私は無人島のカスタム・ホットラインに電話をかけ、自分が望む家族の条件を一つずつ伝えた。「優しいお母さん、私を愛してくれるお父さん……祖母は不要です、そう、祖母は私の心の中で唯一無二の存在だから」残された数日間、私は祖母の庭を丁寧に修繕し直した。ときおり、庭に座って空をぼんやり見つめる時間もあった。島へ向かう前日のことだった――門の前に、ガヤガヤとうるさく何人もの人が押しかけてきた。彼らは何も言わず、重機で庭の塀を一気に壊し始めた。私は慌てて止めようとしたが、「どけ」と怒鳴られた。「ここは綾瀬家のお嬢様が建て直す予定の場所だ。お前、誰だ?」私が何も答えないうちに、両親が美夜を連れてやって来た。美夜は驚いたように言った。「お姉ちゃん、ここにいたんだ? もしかして行くところなかったの?戻ってくる?」母は美夜を抱き寄せながら、警戒するように私を睨みつけた。「出て行くときはあんなにきっぱりしてたくせに、まさかこんなとこに隠れてたなんてね。でも、ここにはもう住めないわよ。この家、元々おばあちゃんが残してくれたものだけど、もう美夜に譲ったから」私は破壊された庭を見て、声を震わせて叫んだ。「ここは……おばあちゃんが私に残してくれた家よ!」父は冷たく鼻で笑い、権利書を突きつけた。「お前が行方不明になったとき、死亡認定されたんだ。その後はこの家、俺の名義になってる。それに、お前、あれだけ啖呵切ったじゃないか。『一つも持っていかない』ってな」私が一歩近づこうとしたそのとき、美夜は怯えたふりをして父の背後に隠れた。「お姉ちゃん、お願いだから怒らないで……叩かないで……」父は即座に私を押し返した。「ちゃんと話せ!また妹に手を出す気か?」私は瓦礫の上に足を踏み出し、やっと治った足の傷が再び裂けた。目の前では、美夜が施工業者に指示を出し、庭に残された思い出の品々が次々と壊されていく。私は必死に止めよう
Read more
第8話
島に着くと、ローズの言ったとおりだった。私の家族が、歓迎の準備を整えて待っていてくれた。「奏真」が真っ先に私の手を取り、プライベートヨットから優しく引き下ろしてくれた。私は彼の顔を見て、あまりのリアルさに驚いた。彼は私の指先にそっとキスし、穏やかな微笑を浮かべた。「澪、ずっと君を待ってたんだよ」ローズは島を一通り案内したあと、気を利かせて静かに姿を消した。帰る間際に「何かあればいつでもご連絡ください」とだけ残していった。私は「家族」に囲まれ、ダイニングテーブルに案内された。テーブルには私の大好物がずらりと並び、真ん中には精巧なフルーツケーキが置かれていた。「母」はエプロンで手を拭いながら、ろうそくに火を灯した。「澪ちゃん、お誕生日おめでとう! 24歳、素敵な一年にしようね!」揺れるキャンドルの灯りを見つめながら、私の目からぽたぽたと涙がこぼれ落ちた。「父」が私を抱きしめ、優しく言った。「澪ちゃん……パパがそばにいてやれなかったこの十数年、本当に辛かったな」こらえきれず、私はわんわん泣いた。その言葉は、私がずっと家族から聞きたかったものだった。あの時行方不明になったのは彼らのせいじゃないし、彼らが養女を迎えたことも理解できる。だけど――十数年ぶりに帰った家には、もう私の居場所はなかった。どんなに辛くても、私は決して文句を言わなかった。少しでも声を上げれば、「昔と違ってわがままになった」と突き返されるだけだった。今、目の前の「家族」は何度も私への愛を語ってくれる。私は涙を浮かべながら、次々と温かな抱擁を受け取った。「パパ、ママ、澪もうどこにも行かない。ここにいる」「うん」この無人島は四季が春のように穏やかで、今は冬なのに花々が咲き乱れ、夢のように美しかった。「母」は野の花で花冠を編んで、私の頭にそっとのせた。そして、私の手を取って痛ましげに眉をひそめた。そこには、壊れたオルゴールでできた傷跡がまだ残っていた。熱い涙が、私の手のひらに落ちる。私の心もまた、焼けるように震えた。私は目を合わせて、そっと言った。「ママ、もう大丈夫。全部、もう過ぎたことだから。ただ、ちょっと怖い夢を見ただけ。夢の中で、パパとママが私を捨てて、別の娘を迎えてたの」ここにいるのは、本当の私の家族。
Read more
第9話
団子を頬張ると、とろりとした甘じょっぱいタレが口いっぱいに広がった。とても幸せな味がした。不思議だ。以前なら、彼女がこんな風に私にマウントを取ってきた時、胸の奥がチクチクと痛んでた。両親が彼女に優しくする姿を見ては、やりきれない思いでいっぱいになり、つい比べてしまっていた。でも、もう違う。そんな思いは、今はどこにもない。そして、美夜は話題を変え、信託財産の話を持ち出してきた。「お姉ちゃん、私、奏真お兄ちゃんとハネムーンに行きたいの。前におばあちゃんが残してくれたお金、あるでしょ?」「もう全部使い切ったよ」私がそう返すと、彼女はすぐに猫なで声で責めてきた。「えぇ〜、お姉ちゃん、嘘つかないでよ〜そのお金はおばあちゃんが孫にくれたものなんだよ?私だって孫なんだから!」私は無言で電話を切った。しばらくして、母からも電話がかかってきた。開口一番、怒鳴り声。「美夜に何を言ったの!?また心臓発作が出たわよ!私たちは苦労してあなたを探して、美夜の結婚式に出てもらおうと思ってたのに……あなたのその態度は何?私たちの真心を踏みにじって、本当に犬にでもくれてやった気分よ!」私はもう何も答えず、家族全員の番号を着信拒否に設定した。そしてスマホを高く振り上げ、そのまま遠く海へ投げ捨てた。数日後――彼らは怒りに満ちた顔で、島にやってきた。だが、島に足を踏み入れた瞬間から、彼らの表情には戸惑いの色が浮かんだ。島の中央に建つヴィラは、実家を1:1で再現したものだった。そして、その横には、先日彼らに壊されたはずの祖母の家がそっくりそのまま再現されていた。彼らは無言のまま進み、大きなガラス窓の向こうを覗いた。そこには、私が「母」の膝に頭を乗せて、子守唄を聴いている姿があった。母が驚いて声を上げようとしたその時、美夜が手で制した。「お姉ちゃん、また何か企んでるのかも。様子を見てからにしようよ」ヴィラの中では、「母」が私の耳元を優しく撫でながら話しかけていた。「澪ちゃん、昨日の夜は、もう怖い夢を見なかったでしょう?」母はその呼び名を耳にして、ふと動きを止めた。それは幼い頃、彼女が私を呼ぶときにいつも使っていた名前だった。そして流れてくるあの歌が、長い間胸の奥にしまい込んでいた記憶を呼び覚ました。蝉の声が響く
Read more
第10話
ローズは申し訳なさそうに、彼らが「信託財産を騙し取られた」と主張したため同行したのだと説明した。私は肩をすくめた。「追い返していいよ。あのお金はおばあちゃんが私に残したもの。公証済みの書類なら後で渡すわ」抑えていた感情が限界に達したのか、母が泣きながら叫んだ。「この人たち、一体誰なの?」私は母を見つめながらも、その目に浮かぶのはどこか他人を見るような冷めた色だった。隣にいる「母」が、そっと私の肩に手を添えて落ち着かせてくれる。心が落ち着いたところで、私は静かに告げた。「私を愛してくれる家族よ。私の財産は全部、この人たちに使ったの」ずっと冷静だった父の表情がついに崩れ、私のもとへ駆け寄ってきて、手を強く握りしめた。まるで今すぐにでも私を連れ戻そうとするかのように。「澪、騙されてるんだ! 本当の家族は俺たちだろ? 一緒に帰ろう、もう絶対に寂しい思いはさせない」私の瞳が揺れ、一瞬にじんだ涙を瞬きでそっと隠した。「ローズ、説明してあげて」ローズはプロらしい笑みを浮かべ、丁寧に説明を始めた。「こちらは弊社が提供している『家族・恋人カスタマイズサービス』です。実の家族に受け入れてもらえなかったお客様向けに開発された、愛情を提供するバイオロイドとなっております。私たちは高級カスタムのテクノロジー企業であって、詐欺師ではありませんよ」この「家族たち」が、私の幼少期の記憶から再現された仮生体であると知ったとき、父は呆然とした様子で問い返した。「記憶をもとに……?」「はい。脳波を解析したところ、彼女の家族との記憶の大半は『痛み』に分類され、8歳以前のみ『幸福』と判定されました」その言葉を聞いた母は、激しく泣き崩れ、床に膝をついて嗚咽した。「澪、ごめんなさい。帰ってきてからずっとあなたを無視してた。心を傷つけてたなんて、気づきもしなかったわ。一緒に帰ろう。今度こそ、ちゃんと償うから」「父」と「母」が私の前に立ち、まるで本当の両親が美夜を庇うように腕を広げた。私は静かに言った。「戻るつもりはないよ。あそこには、私との思い出なんて、全部あなたたちが捨ててしまったから」父は恥じ入るようにうつむき、なおも未練がましく抗おうとしていた。「オルゴールのことか? もう一度作り直す。いくらでも作る!」私は皮肉
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status