「ここが我が王国の城です」
ヴィンセントはそう案内する。
「お、大きなお城ですね」
私はその城を見あげた。
「王子は自室にいます。どうかこちらにお越しください」
「は、はい!」
私は隣国の執事ーーヴィンセントに引き連れられ、王子の自室へと向かった。
◇
「ごほっ! ごほっ! げほっ!」
王子の部屋に入った時の事だった。咳き込むような声が聞こえてきた。
「お、王子! し、しっかりしてください! 王子!」
メイドの慌ただしい声が聞こえる。
ベッドに寝込んでいたのは一人の青年だった。金髪をした色白の青年。整った顔に青い。本来は絶世の美青年であるはずだが、病の影響からか、血色が悪い。
本来の彼の魅力を何割も損ねているかのようだった。見れば彼の口元には血が見えた。恐らくさっきのはただ咳き込んでいたのではない。吐血したのだ。
わざわざ隣国にいる私を呼びつけている程だ。重症で間違いは無い。
「はぁ……はぁ……はぁ……ヴィンセント。そこの彼女は?」
「エルドリッヒ王子。こちらは隣国からいらしてくれた薬師。アイリス・ギルバルト嬢であります」
「そうか……新しい薬師か」
王子は寂しげな顔をする。きっと今まで幾人もの薬師がここに連れられてきたのであろう。そしてその度に彼は「今度こそ病気が治るかもしれない」そう思ってきた。そしてその願いは叶わず、失望していった。
その結果彼はもう、希望を持つ元気すら失われてきたのである。
「王子! 彼女ならきっと、あなた様の命を救ってくれるはずです!」
ヴィンセントは言ってきた。
「え? そんな?」
治せる自信は元よりない。ヴィンセントの言葉は正直重荷だった。
「さあ、アイリス様。どうか王子を診てやってください」
「は、はい」
だが、診てみるより他にない。私は王子を診察する。
この症状は……間違いない。私は王子の病因を特定する。その病魔は私が母から受け継ぎ、今まで研究してきた数多のうちのひとつであった。
「この病は治す事ができます」
「ほ、本当ですか!? それは本当に!?」
執事ヴィンセントは面を喰らっていた。
「ええ。しかし必要なものがあります。まず薬材です。薬の材料がなければ薬を作る事はできません。ヴィンセント様、どうか私の言った薬材を集めてきてください」
「ありがとうございアイリス様。すぐさま薬材を集めさせて頂きます!」
こうしてヴィンセントは私の指示した薬材を集め始めた。その後、私は薬を調合する。
「できた……この薬を王子に飲ませてください」
「は、はい! わかりました。王子、どうかこの薬を飲んでください」
ごくっ、ごくっ、ごくっ。
エルドリッヒ王子は私の調薬した薬を飲み干した。すると、王子の顔色がすぐに良くなってきた事を感じた。
「ぼ、僕は一体……これは夢なのか? あれ程苦しめられていた病魔が一瞬で!?」
「お、王子!! 病気が治されたのですか!? 王子、本当に!?」
「あ、ああ。自分でも嘘のようだ。こんなに簡単にあの病魔が治ってしまうなんて」
王子は驚いたようだ。私は胸をなで下ろす。そして笑みを浮かべた。
「治ってよかったです……」
私の薬で王子の命が救われて良かった。私が考えていたのはそれだけの事だ。そして母の薬の研究、それから私が今まで人生で費やしてきた事が報われたような気がして純粋に嬉しかったのだ。
「薬師の方。よろしければお名前を教えてはくれませんか?」
王子は聞いてくる。
「は、はい。アイリス・ギルハルトと申します」
「僕の名はエルドリッヒ。どうか、エルと呼んでください」
「そ、そんな王子をエルだなんて、恐れ多いです」
「いえあなたはそれだけのお方です。どうか」
「せ、せめてエル王子と呼ばせてください」
「ええ。それで構いません。アイリス様」
「王子に様付けなんてとてもではありません!」
「いえ。あなたはそれだけの事をしてくれました。あなた様は僕の命の恩人です。そしてアイリス様、あなたにお願いがあるのです」
王子は真剣な表情で私に何かを訴えようとしていた。生気が戻った王子の顔は、まさしく私の思い描いていた理想の王子様の顔だった。
金髪の美しい髪。青い宝石のような目。紳士的で理知的な雰囲気。全てが私の理想で構成されており、完璧な王子であった。「是非、僕と結婚して、妻となって欲しい」
「ええ!!! なんですってーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
王子の突然の告白に、宮廷全体に私の絶叫が響き渡った。
「はあああああああああああああああああああああああああ!!!」 キィン! レオの剣とエルの剣が交錯します。本物の剣です。身体に当たったら大変です。大怪我をしてしまいます。 二人ともチャンバラ遊びをしているのならいいのですが、完全に真剣です。「ふっ……思ったより腕を上げたな。レオ。以前よりやりがいがある」「へっ。伊達に騎士団を率いてはないぜ。兄貴。油断してると足元救われるぞ! おらっ!」 キィン! 剣と剣がぶつかり合います。二人とも手加減をしているようには見えません。身体に当たったら最悪死んでしまいます。 こんなの間違っています。なんで兄弟で喧嘩なんてしなければならないんでしょうか。喧嘩ではなく決闘ですか。 どちらでも私からすれば同じようなものです。「くっ!」「へっ! どうだっ! 兄貴!」 レオの剣圧の凄まじさにエルが一歩後ずさってしまいます。小競り合いをレオが制したのです。「なぜだ……レオ」「ん? ……何かおかしな事でもあった」「なぜアイリスに手を出した……貴様、アイリスを情婦か何かだとでも思っているのか?」「へっ。なんだ、アイリスとキスした事を根に持ってんのかよ。それが俺の決闘する気になった理由か。憂さ晴らしってわけだな。けどな、勘違いするなよ。俺はマジでアイリスに惚れたんだよ」「お前は俺に色々と言ってきただろうが。アイリスと俺達王族では身分が違うだのなんだの。矛盾している事に気付いてないのか?」「うるせぇ! 前言撤回だ! 惚れちまったら身分も何も関係ねぇだろうが!」 レオは剣を振るってくる。キィン! エルはその剣を防ぐ。「そうか。だったら今から俺とお前は兄弟じゃない。敵同士だ」「上等じゃねぇか!」「や、やめてって、二人とも!」 私は叫びます。ですがその声は届きそうにもありません。二人とも興奮しきっています。やはり男の人は闘う事で脳から興奮物質が出るようなのです。 こうなってしまったらとてもではありませんが手のつけどころがありません。「兄貴、この勝負乗せないか?」「乗せるって何をだ?」「勝った方がアイリスを手に入れられる。それで負けた方が手を引くんだ。わかりやすくていいだろう」「ああ。いいだろう。受けて立つ」「行くぜ! 兄貴!」 キィン。 何を言っているんでしょうか。この人達は。私の了承もなしに、勝
※第二王子と出会ってしまいますから「久しぶりだな、兄貴……元気にしてたか? じゃなくて。元気になったんだな」 エルとレオは再会しました。気になった私とヴィンセントは何となくその様子を覗き見します。「レオか……騎士団との軍事遠征から帰ってきたのか」「まあな。兄貴、俺また一段と強くなったぜ。今度また剣の試合やろうぜ」「今はそれどころではない。国中、いや、世界中が伝染病の猛威に苦しめられている。その為我々王族も何かと雑務に追われてるんだ」「ちっ。なんだよ、つれなーな。俺に負けるのが怖くなったのか? 兄貴」「よく言う。昔から俺に勝てなくて、何度も泣きべそをかいて挑んできたではないか」「う、うるせぇ!! それは小さい時の話だろうが!! 今は違うんだよ!! 今は!!」「どうだかな……」「それよりなんだよ、兄貴。あの地味な女は」「地味な女?」「あのアイリスとかいう薬師だよ。あいつがいると宮廷の空気が重くなるぜ。地味すぎてよ。じみじみとしめってくらぁ」 エルの表情が明らかに険しくなった事を感じる。「貴様!」「んっ」 エルはレオの胸倉をつかんだ。そして拳を固く握った。今すぐにでも殴りかかりそうになる。温和なエルが滅多に見せない、怒りに満ちた表情だ。だがエルは何とか自制し、暴力に訴えるのをとどまっていた。「なんだよ? 兄貴……まさか命を救われたあの地味女に惚れたのか?」「だとしたらなんだ?」 エルは真面目な顔で聞き返す。「ぷっふっふ。マジかよ、兄貴。兄貴ってやっぱ頭よさそうに見えて、実は結構単純なんだな」 笑った後、レオは急に真面目な表情になる。「やめとけよ……周りだってよく思わないだろ。王族が王族以外と結ばれる事は通常ない事だ。俺達にとっては結婚ひとつとっても自由にできないのが当たり前の事だ。それに兄貴とあの地味女じゃ、明らかに釣り合ってないだろ」「き、貴様!! またアイリスを地味だのなんだの!」 我慢の限界だからか、エルは拳を振り下ろそうとした。「や、やめてください!」 覗き見ていた私は思わず姿を現す。そして叫んだ。「喧嘩はやめて、やめてください!」「ちっ……なんだ。いたのか、地味女。じゃねぇ、アイリスだったか」 レオはエルから離れ、私の方に歩み寄ってきた。「あんたもなんか勘違いしてないよな?」「か、勘違いってなんの事
その日、ヴィンセントはどこかから帰ってきたようです。 数日用があると言って、彼は私の執事から一時的に外れました。代わりの執事が雑務を担当してくれた為、特に困る事はありませんでしたが。 ですがやはりヴィンセントがいなくかった事で私は些か以上に寂しかったのは確かです。 見慣れた顔がないというのは違和感を抱きます。「お帰りなさいませ。ヴィンセントさん」 私は王宮でヴィンセントを出迎える。「ただいま戻りましたアイリス様。これより通常の業務に戻ります」「どこにいっていたのですか?」「大した用事ではありません。野暮用です」「野暮用ですか……」 あまりヴィンセントは話したくはなさそうでした。ですので私も深く聞くのをやめました。ヴィンセントは常に私の事を想って行動してくれています。 つまりヴィンセントが話さない事とは私が知らない方が良い事。知らない方が良い事というのは当然のように世の中には存在します。 ――と、その時でした。周囲の執事やメイド達がざわめく声が聞こえてきました。「レオハルト王子が帰ってくるらしいぞ」「レオハルト様が……そうですか」 使用人たちはかなり慌てた様子でした。「どうしたのでしょうか? レオハルト王子?」「エルドリッヒ王子の弟君です。第二王子として主立って騎士達を率いています。若いながらも気概と剣の才に満ちた少年です」 ヴィンセントはそう説明する。「はぁ……」 そういえば聞いた事がある。私が生活していたアルカトラス国の隣ルンデブルグ国。その王宮には二人の王子がいると。 第一王子がそのエル王子であり、第二王子、つまりはエル王子にとっては弟である。その弟の名を『レオハルト』だからレオ王子と呼ばれているらしいです。「レオ王子は騎士団と遠征による軍事演習を行っていました。その為、長い事王国にはいなかったのです。本来はもっと帰る予定は先でしたが、早まったようです」「そうなのですか……」 だから使用人たちは慌てているようなのです。最近王宮で働くようになった私はまだ王宮や王国の事を詳しくは知りませんでした。起こる出来事は知らない事や体験した事のない事の連続です。「か、帰ってきたぞ! レオ王子のお帰りだ!」「皆! 一列に並ぶんだ!」 使用人たちは一列に並び始めた。何となく、私もこのままでいいのか疑問を覚えました。
ディアンナと母、マリアは深刻な病に侵されていた。「ごほっ……ごほっ。げほっ!!!」「ごほっ! げほっ! ごほっ!!!」 二人は親子で仲良くベッドで寝込んでいる。「な、なんでよ……なんであの根暗女を呼び戻さなきゃなのよ。ごほっ」「し、仕方ないじゃないの。私達は死ぬわけにはいかないんだから。それで呼び戻してこき使ってやればいいのよ。婚約者のロズワール様はそのままあなたの婚約者として」「ごほごほっ……そ、そうね。お母様」「それに、風の噂ではあの根暗娘の作った薬、凄い高値で売れるそうなのよ!」「ええっ!! それは本当なのかしら。お母様!!」「本当よ!! それであの根暗女に病気を治してもらって、その上で薬を沢山作らせるの!! それを高値で売りさばくのよ!!」 二人は病気にかかっている事も忘れるくらい、目の前の欲に取りつかれていた。「そうすればこの屋敷の生活どころではないわ!! お城のようなところに住んで、使用人を何十人も雇って、それでお姫様のような生活ができるわ」「す、すごいですわ! お母様! だったら私はロズワール様との婚約を破棄して、もっと素敵な殿方と結婚したいですわ! 例えば隣国のエルドリッヒ王子や、それから弟のレオハルト王子のような、美しい上に才能にあふれた、家柄も王族か貴族の!! 素敵な殿方と結婚したいんですの!!」 ロズワールは名家の嫡男ではあり、それなりの美形ではあるが。主にはあの根暗女の婚約者を寝取る事に優越感を覚えていたのだ。他人の玩具を欲しがる。それがディアンナの性格である。 ロズワールを心から愛していたわけではない為、奪い取った時点でそれなりに満足をしてしまった。 当然のようにロズワールより上の男(物件)は世の中には無数に存在する。上には上がいるのだ。 だからディアンナはもっと条件のいい男と結婚できるチャンスがあったら平気で乗り換えるつもりだったのだ。 例えば上記の二人から求婚されたらディアンナは即断でロズワールを捨て、その二人の方に行くだろう。「そうよ!! あの根暗女をこき使えば素晴らしい未来が待っているのよ!!」「そうですわね。だったら我慢しますわ。お城のような生活をして、エル王子やレオ王子と結婚したいんですの!!」 二人はアイリスを呼び戻す事に一応の納得を見せた。 だが当然のように物事は彼女達
「うっ……うう。眩暈がしますわ。頭痛が」 ディアンナは病魔に苦しんでいた。「こ、こんなはずではないですわ。なぜ私が! 私が何をしたというのですかっ! こほっ!」 散々アイリスを虐げ、無実の罪を着せた。その上婚約者まで寝取り、さらには追い出しておいて。それでよくもここまで言えたものだという感じだった。 だがディアンナは本気で自分を悪いと思わない、そういう性格をしていたのである。 だからなぜ善良な自分にこうまでの不運が。ディアンナはそう思っていた。「マリア、ディアンナ。聞いておくれ」 父は言う。マリアとは母の名前である。「お前達がかかっている伝染病は世界各国の医者や薬師が苦闘している原因不明の難病らしい」「な、難病……」「ど、どういう事ですの!! 私達もう治らないんですの!! そんな、このまま死を待つしかないんですの!」「ひとつだけ方法があるらしいんだ」「ひ、ひとつだけ!! なんですのそれは教えてください!! 私なんでもしますわ! まだ死にたくないんですの!」「それがなんでもその治療薬の調薬に成功した薬師が一人だけいるらしい」「だ、誰なんですの!! その薬師を連れてきてくださいまし!!」 ベッドで悶えるディアンナは叫ぶ。「実はだな……」 父は悲痛な顔で告げる。「な、なんですの。お父様、もったいぶって、早くおっしゃってくださいまし!」「その薬師は実は私達が追い出したアイリスなんだ!!」「な、なんですってーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」 病気で体力が奪われているにも関わらず、ディアンナは叫んだ。余程ショックだったに違いない。「ぜぇ……はぁ……ぜぇ。肺が苦しいのについ大声で叫んでしまいましたわ。な、なぜあの根暗……いえ、間違いました。お義姉さまの名前が」「アイリスは薬師だった母の意志を継ぎ、薬の研究に没頭した。何でも母が亡くなった原因も、原因不明の病気のせいだったらしい。それからあいつは幼い頃から躍起になって、薬の研究をしていた。それでつい最近、その研究に成功したんだ」 父は涙した。やはり血の通った子供は違うらしい。 「あいつはそれだけ大きな仕事をしていたんだ。そんな尊い研究をしているとは知らなかった。それなのに私があの子が毒を作っていたなどという戯言に騙され、ううっ!」「なんですのっ! お
その日から私達は宮廷での日常を過ごしていきます。私は調薬をする毎日です。そしてエルもまた仕事があります。あの日から私もまた、レオの言葉が気にかかるようになりました。 エルと私ではそもそも身分が異なるのです。今は薬師として重宝されていますが、将来それが続くとも限りません。世の中から病がなくなる事はありませんが、それでも沈静化される事はあると思います。 そうなると私も大事にはされなくなるかもしれません。十分にあり得る可能性でしょう。そうなるとエルと私が結婚する時、王族でもなければ貴族でもない身分ですから。あくまでも結婚とは可能性の話です。王族でも貴族でもない私との結婚を、保守的な貴族が反対するでしょう。 仮に国王と王妃が認めたとしてもです。そうなのです。二人の関係は茨の道なのです。 だから恐らくこのままの距離がいいのでしょう。王子と薬師。それで構いません。エルは素敵な男性だとは思いますが、きっと世の中にはもっとお似合いの女性がいるはずです。 ですから彼が幸せになれるような人と結ばれればよいのではないか。 私はそう考えています。そして、私をかき乱した問題のレオはまたもや騎士団と軍事演習を行っているそうです。お城の近くに演習場があり、そこで騎馬戦を行っているらしいです。安全には気をつけてはいるとの事ですが、戦争の練習をするのです。危険はゼロにはできません。 家でおままごとをしているわけではないのです。何となく私はレオの事を考えながら窓から青空を見あげました。 ◇ レオは考え事をしていた。実の兄エルの事。そしていきなりやってきた薬師アイリスの事。王宮に入ったのは百歩譲って許すとしよう。だが、エルと恋人関係になるような真似は容認しがたかった。 一時的な感情でそういう関係になってもきっと後悔するだけだ。なぜなら王族とそれ以外の立場の人間では身分が異なる。異なった身分の人間との恋は大抵上手くいかない。 天秤の釣り合いだ。片方が軽すぎても重すぎても均衡は保てない。分相応というものがあった。(兄貴……どうしてあんな地味女の事をそこまで)兄であるエルがそこまで執心する理由がわからなかった。どこにでもいそうな地味そうな女だ。確かに顔は整っていて、品はあるがそれでも王族のような派手さはない。あの程度の女、兄は四六時中アクセサリーのように身に