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第3話 異世界へ、もう一度だけ、愛する人へ祈りを捧げるために

last update publish date: 2026-08-11 13:35:17

(嗚呼、またこの夢か)

『へへ、やったぜ!!』

『ざまぁーねぇーな!!』

視界が真っ赤に染まるのを感じる中、不協和音にも似た男達の度し難《がた》いほどに汚い声が耳に響く。

例えるなら、銃弾が耳から入り込み、頭蓋《ずがい》の中で貫通せずに跳弾を繰り返し、脳を変形させる勢いで響き回る……そんな錯覚すら襲ってくる。

言葉という名の『狂気』と『凶器』は、この夢を見るたびに視界を赤く染め上げ、俺の心を発狂させるように蝕《むしば》んでいく。

聞くに堪えない声……。

仮に手の内に鼓膜を突き破れる棒のようなものがあったなら、迷わず突き刺しているだろう。その確信を抱かせながらも、声は無情に響き続ける。

(ふざけんな……思い出させるな……!!)

護《まも》り切れなかった過去。思い出すだけで憎悪に身を焦がすその記憶が蘇るたび、これ以上怒り狂ったら自分はどうなってしまうのかという、根源的な恐怖に支配される。

怒りのあまり、得体の知れない何かに侵食されてしまうかもしれないという恐怖と絶望は、筆舌《しつぜつ》に尽くし難いものだった。

俺が『特別な何者でもなかった』という現実。そしてそれに気づけなかった自分に、宛て先のない後悔を突きつけられる時間《あくむ》。

視界が歪み、醜悪《しゅうあく》な声と共に雨音が耳を打った。

……あのとき。

目の前で、大切な命が消えた。

俺が今まで自らの手で行ってきたことを、そっくりそのままやり返されたように……。

自らの心が引き裂かれる痛みによって、初めて被害者の気持ちを知った。

俺は勘違いしていた。

……。

――圧倒的な。

絶対的な……。

―――見るに堪えない。

俺の傲慢《ごうまん》。

(もう……)

己が強者であるつもりでいた。

どこの誰とも知れぬ有象無象《うぞうむぞう》に殺されることなどない。だから守れると思っていた。

(やめてくれ……!!)

でも、それは──この時間を与えられる度に。

(歪む……やめてくれ)

狂死《きょうし》しかねないほどの痛みと共に。

突きつけられた。

(これ以上はやめてくれ……!!)

まるで、全身に凌遅刑《りょうちけい》を下されているかのような絶望感。

(なんでもする……!!)

本当に強かったなら、···を失わずに済んだのかもしれない。

(頼む……!!これ以上は……!!)

あんな結末は、迎えずに済んだのかもしれない。

(――――あ……、思い出した……)

……人には、手の届く範囲がある。

全てを救える者など、絵空事の……。

架空だけに存在する者だ。

現実に生きる者は……。

すべてを救えない。

だから、自分の想いに同意してくれる、ほんの一握りの人間だけを……救うしかない。

でも、俺は·················

腹の中にいた、“俺とあいつの愛の証”ごと殺された。

『良かったな!!その程度で済んで!!』

頭の中で、その声が弾丸となって跳弾した瞬間。

「ガアア……ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!」

まるで俺の本来の姿は言葉を発することのない、獣《けだもの》だったかのように。

雄叫《おたけ》びをあげるしか能のない獣のように叫び……理性を失った。

その瞬間、俺は……ただ、殺《キレ》た。

(殺す……)

鮮血に染まり、憎悪に焼かれながら殺し続けた。

目を血走らせて……。

(殺す……!!)

次……。

(皆殺しだ……!!)

次……。

(慈悲なんて与えない)

次……だ。

(全てを憎んでやる!!)

憎悪を胸に宿しているはずなのに、笑っていた連中の声を聞く度に、一人、また一人と屠《ほふ》っていく。

(見つけた……!!)

気がつくと……。

(お前も)

半数を“死人《しにん》”の名にふさわしく地獄へ送った頃。連中は自分自身の意思で手を汚した癖に、命乞いと錯乱《さくらん》の声を上げ、俺をさらに苛立たせた。

(……お前も)

さらに気づけば、百を超える屍を築いていた。

(お前もだ……!!)

赤く濡れた手──誰かの血で、べったりと塗られていた。

ゆっくりとその手を顔に塗りたくって……。

その場にひざまづいた。

そして、今度は雄叫びではなく。

悲痛な声……。

後悔。

絶望。

深淵。

絶叫。

ありとあらゆる負の感情を込めて叫び散らかす。

―――こんな俺に、あいつを抱きしめる資格などなかった。

それでも、あいつは言った。

最後に抱き寄せる俺の腕の中で、その体温が失われていく最中に。

なぜか、微笑みながら……。

俺には回答不能な問いを残して――――。

『もし、生まれ変わったら、もう一度……夫婦になってくれますか?』

最後のその声を聞いて、俺は泣きながら頷いた。

夢であってもいい。もう一度、君と結ばれたい。

でも……それは叶わない。

やがて、視界が灰色と赤の二色が混ざったような色に染まる。

(嗚呼、地獄とは―――――)

歪む。

染まる。

己の存在が曖昧へと変化していく。

(こういうものなのか?)

果てしない悪夢が続く。

自らの罪を永遠と見せつけられる場所。

そうしたループの果てに……。

青年の心は、また孤独《こどく》へと繋がれた。

それを知覚した瞬間。

視界が暗転した。

────────

「……んー」

ゆっくり目を開ける。暗闇の奥から差し込んでくる光が、少し眩しい。

世界が灰色や赤の混ざり色から、色彩を取り戻した感じがして……。

目を開くと。

……晴れ。

どこまでも澄み切った、果てしない青空。

吹く風が心地いい。何もかも包み込んでくれるような──そんな空だった。

「ここは……」

見渡せば、森ばかり。

遠くの山の上で小鳥と猛禽鳥《もうきんちょう》が逃走劇を繰り返しているのが見えた。

だが、森は、人の手が入っていないように感じるほど不自然さがない。

無人島に放り込まれたと聞かされる方が、まだ納得できる。

そんな、手つかずの地だった。

先程までの地獄のような光景から一転してこの安心する風景を見ると、自分は何らかの手違いで天国に来てしまったのかと錯覚する。

「俺は、たしか……あいつに胸を抉られて……」

その瞬間。

シュレッダーにかけた写真が繋ぎ合わされるように、断片的な記憶が頭の中でフラッシュバックした。

苦しみながら死んだ感触。鮮血《せんけつ》に沈んだ記憶。

そして、あのなんとも言えない痛みに、体が思い出したかのように大きく跳ねた。

思わず、身震いする。

そうして、ドクンと心臓が大きな音を立てて……1回だけ鼓動した気がした。

でも……。

あれは、間違いなく……現実だった。

「君! 大丈夫かい?」

背後から、威厳のありそうな老人の、緊急性を要した慌てふためく声が聞こえた。

振り向けば、麦わら帽子とカゴを抱えたヒゲの長い男が、俺に駆け寄ってきた。

「どうしてこんなところに!? ここは危ないんだ! 水場だから、魔獣が集まる!」

魔獣──?

何を言ってる?

まるで、俺が異物であるかのような感覚に陥る。

その時、草陰がガサついた。

土煙が舞い。

枝がバキボキと音を立てて砕け、その生物の巨大さと異様さを感じさせる。

それはまるで、森が俺を招かれざる客として追い出そうと突きつけた音のようだった。

……出てきたのは“熊のような何か”。

(デカすぎる……!!)

最初に抱いた感情はそれだった。

その巨躯はざっと見ても4メートルはあるだろう。

そして、全身に刻まれた傷。

額からは、金属のような刀身が伸びている。

熊──にしては異質すぎた。

サイの成長過程の変異体か?

「ぐおおおおお……!!」

二足で立ち上がり、こちらを威嚇する。

その瞳と声からは、ただ根源的な欲求のみが感じられた。

それは……。

……食欲と破壊欲。

それを聞いた途端に俺の奥底から湧き上がったのは、生への渇望。

そして思考が加速する。

(逃げられるか……? 武器もない。時間もない)

「…………」

老人が、何も言わずに地面を見た。

すると、地面から湧き出すように鋼らしき物が浮かび上がり──空中で剣を成形した。

それは無音のまま射出され、真っ直ぐ熊の頭へ向かって飛ぶ。

そして、触れた瞬間。焼き焦げた臭いが充満したと思った時には既に……轟音《ごうおん》とともに、熊の頭が爆ぜていた。

頭を失った熊のような生物は、二、三歩。

千鳥足《ちどりあし》でよろめき、ありえない方向へ力無く倒れ伏す。

倒れた瞬間、鈍い音と地響《じひび》きが鳴り、土煙が舞った。

俺はその異常な光景を無言で見つめ……驚愕の表情で老人を振り返る。

老人は、哀愁《あいしゅう》の漂う表情で目を閉じていた。

その姿はまるで……。

(……祈っている)

誰かに。

何かに。

命を摘んだ者だけに許される、贖罪《しょくざい》の行為。

だが、それと同時に、壊れないおもちゃを探す無邪気な子供のようにも見えた。

そう、それはまるで……。

幼い子供が、壊れたおもちゃを惜しむようにゴミ箱へ捨てる姿……。

これが人の力とは思えない。

俺の中の“合理性”が、音を立てて崩れ去る。

……俺は、死んだはずだ。

この世界は、罰なのか?

あてつけなのか?

でも、もう一つだけ可能性が残っていた。

馬鹿らしくても、信じるしかない。

ここは──例えるなら、おとぎ話に出てくるような世界。

俺がいた場所とは、根本から異なる……。

そう。

魔法が根付く世界……。

老人が行った祈りのようなものは、ただの飾りか……それともこの世界にも『祈り』があるのか……。

今の俺にはまだ分からなかった。

そして、この『祈り』こそが、俺がこの世界で生きていくための唯一の糧《かて》になるということに……。

__今の俺はまだ気づいていなかった。

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