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15話 この感情をなんというのだろうか?

last update تاريخ النشر: 2026-08-22 08:15:47

「…………」

少女が眠るベッドの横で、俺はじっと彼女を見つめていた。

その寝顔は、昔話に出てくるお姫様のように静謐《せいひつ》だった。

だが、それとは裏腹に、俺の心の内ではとてつもない荒波が吹き荒れていた。

「なんで……お前が…………」

誰にも聞こえないほどの小さな声。

だが、自分の耳にははっきりと残酷に響く。

綿で生殺しにするかのように首を締め付けるような息苦しさを覚えた。

いくら呼吸をしてもこの息苦しさが終着点が見えない。

……まるで地獄のような時間だった。

心臓が鼓動を打つ度に『あの惨劇』がフラッシュバックする。

そして·····を伝える言葉が頭の中で幻聴《こうかい》のように聞こえた。

だから俺は、この出会いの意味から無理やりにでも意識を逸らそうとした。それでも、どうしてもひとつの思考に囚《とら》われてしまう。

「いや、それより──これは偶然なのか?」

……いや、偶然なはずがあるものか。

ただ“似てる”じゃ済まされない。

これは、誰かの……意志が、絡んでる。

俺の直感がそう警鐘《けいしょう》を鳴らしていた。

何とか動揺を押し殺しながら、俺は少女の顔を見続けた。

傍から見れば、熱心に看病をしている心優しい青年に見えるかもしれない。

……実際、扉の隙間《すきま》からそう見つめている者がいた。

――――――――――――

(なんで──急に、そんなふうに……)

他人を前にした時は、常に心の内を隠し、平静を装うはずの青年が……。

今はひとりの少女に対し、ひどく心を乱《みだ》して見つめている。

その様子が、彼女の胸の奥を冷たい刃のようにえぐった。

“問いかけたい”

彼女は、そう思った。

何故?

何故?

何故……?

私があんな状態になったら彼はあのように心配してくれるのだろうか?

そうやって彼の気を引こうと思う自分がいる時点で自分自身に自己嫌悪が覚えた。

(醜《きたな》い……けれど、考えてしまう)

なぜ、そこまで彼に執着するのか?

その理由は、自分自身がずっと胸の奥に抱えていた『孤独』と向き合っていたからだ。

この村で生まれ育ち、主《あるじ》に仕《つか》えて死んでいく。

外の世界を知らず、ただ役目のためだけに生きる。

自分なんて──居ても居なくても、変わらないのではないか?

所詮《しょせん》は、いつでも替えの利く歯車でしかないのではないか?

そんな深い諦めの底に沈んでいた時、現れたのがあの青年だった。

青年の瞳の奥には、常に底知れぬ『自滅願望《しにたいきもち》』が宿っているように見えた。

それに誰よりも早く気づけたのは、彼女自身もまた、同じ··を抱えていたからに他ならない。

だから、彼に“生きる理由”を与えたかった。

彼を救うことで、自分自身の空っぽな命にも意味を与えたかった。

ただ、それだけだったはずだ。

その想いが、いつの間にか“好意”に変わっていたのだと──あの少女が現れ、一心不乱に心を奪われている青年の姿を見て、彼女は今、残酷なまでに確信してしまった。

けれど、激しく動揺する青年の隣に踏み込むだけの権利が、今の自分にはない。

彼女は扉の隙間から覗き見るのをやめ、背中を向けた。

どうすればいいのか、分からなかったからだ。

助け方も。

……祈り方も。

彼女は自分の無力さを呪いながら、それでも祈った。

青年に……安寧《あんねい》が訪れますように、と。

聖職者のように、ただ純粋な心で。

今の自分には、ただ祈ることしか出来なかった。

だが、彼女は気づいていない。

「彼を救いたい」という純粋すぎる祈りが、やがて「私以外に彼を救わせない」というどす黒い執着へと反転していく構造を孕んでいることに。

見返りを求めない聖母のようなその愛執こそが、青年の未来を最も残酷な形で縛り付ける呪いになるのだと。

それは彼女が·······続くということが決まっている未来でも……。

――――――――――――

「……いや、落ち着け」

誰かの意思が、関与しているとして。

その··はなんだ?

なぜ、こいつと俺を会わせた?

偶然なのか? 必然なのか?

どこまでが計算で、どこまでが運命なんだ?

そこまで考えて……俺はゆっくりと息を吐き出した。

強引に冷静さを取り戻していく。

大丈夫だ。今は、まだ答えを出す時じゃない。

少女が目覚め、語るまで──それまでは、待つしかない。

けれど……この焦燥感に似た“ざわつき”は何だ?

再び巡り会えたことが、奇跡《きせき》のように思えるはずなのに。

俺の心には、まったく嬉しさが湧き上がってこない。

俺の知らないところで、何かが始まろうとしている。

すべてが──何者かの掌《てのひら》の上で、弄ばれている気がしてならない。

「やあ、ソル。考え事をしていたのかね?」

静かに開いた扉の奥から、アーコブが姿を現した。

その眉間には、以前よりも更に深くシワが刻まれている。

少女が村へ運び込まれた際、街では大きなざわめきが起きた。

銀髪と藍色《あいいろ》の瞳を見た者は、口々に「憤怒の民だ」と囁き合った。

中には、「今のうちに……始末してしまえ」という過激な声すらも含まれていたほどだ。

いつもは穏やかな住民達が。

よそ者である俺が現れた時ですら何も言わなかった街人《まちびと》達が、そこまで言うのだ。

“憤怒の民”という存在の希少性と異常性は、俺の想像を遥かに超えていたということだろう。

最終的に、あのレクスでさえも周囲の声を抑えきれなくなりかけたその時。

「その少女を、私の家に運びなさい」

アーコブのその一言だけで、すべての騒ぎは静まった。

そして、現在に至《いた》る。

俺は判断した。

アーコブには、本当の事を話しておいた方がいいだろう。

仮にも彼女を救い、匿《かくま》ってくれた恩人として……。

「……ええ。隠す必要もないでしょう。彼女は──本来なら、もう二度と会えるはずのない人間でした」

「……それは、死別かね」

「はい」

俺は溢れ出しそうになる感情を奥歯で噛み殺し、話を続けた。

「偶然とは思えないんです。誰かの意思が絡んでいるようで……でも、それがどこまでの範囲なのか。そう考えると、得体の知れない感情に囚《とら》われてしまって……」

アーコブは、少し黙ってから「むぅ……」と低い唸り声を響かせた。

その顔は、いかなる時にも見せたことのない、ひどく重苦しいものだった。

「以前、君に話した『境《きょう》』という言葉──覚えているかい?」

「……ええ」

「あれは、七元徳が関与しない土地を指す。この村から北へ。川の上流、そのまた上流。魚すら棲《す》まない場所に、“境”はある」

アーコブはゆっくりと語り始めた。

「フェルータから多少は聞いているだろう。始祖の戦に敗れた七つの血──それを“大罪”と呼ぶ。傲慢。嫉妬。憤怒。怠惰。強欲。暴食。色欲。その中のひとつ──“憤怒”の子孫が住む土地。それが、この“境”だ」

アーコブの視線が、眠る少女の銀髪へと向けられる。

その視線には、いつもの彼らしくない色が混じっていた。

(なんだ? その目は……恐れか?)

俺は少し考えた。

彼自身も、この少女に恐れを抱いているのだろうか?

真相は分からない。

「憤怒《ふんぬ》の境は、災いが絶えない。そのため、彼らを目にした土地には“不幸が感染する”と恐れられている。もちろん、真相は分からない。歴史とは、常に勝者が正義になるものだからね」

アーコブは自嘲するように目を伏せた。

「……ただ、もし仮に、憤怒《ふんぬ》の始祖が歴史通りの“大罪”を犯していたのだとして。その魔術を色濃く受け継ぐ子孫たちは、本来始祖が背負うべきだった罰を──代わりに背負わされているのかもしれない」

その言葉には、静かな苦悩が宿っていた。

アーコブのような絶対的な実力者が、“見透かせない歴史”に怯えることがあるのだと思うと──俺の胸の奥に、ひとつの冷たい風が吹き抜けた。

それは知りようもない歴史の闇。

その時代の権力者達が悪意と……そして、正義感という二律背反《にりつはいはん》の感情を持って作り上げたかもしれない、残酷な筋書き。

「……もし、誰かの手が絡んでいるなら。いつか必ず“その糸”が見えてくるはずだ。考えすぎるな、ソル。彼女が目覚めたら、まず話を聞いてみよう」

アーコブはそう言い残し、静かに部屋を後にした。

あの恐るべき老人もまた、ただの絶対者ではなく、何かに怯え、祈る者としての側面を持っているのだと。

アーコブの本当の姿──その底知れぬ人間性を垣間見た気がして、俺は新たな畏怖を抱いた。

ならば、歴史とは一体なんなんだ。

何故、記録する意味がある?

強者が故意に改変した歴史になんの意味があるんだ?

考えたが結論は出なかった。

そんな簡単に出たなら……俺はきっと傲慢だっただろう……。

そして──。

“憤怒の民”と呼ばれた、俺がよく知る顔に瓜二つの少女は。

三日後。

静かに、その瞳を開いた。

俺の顔を映した、その藍色の瞳。

覗き込んだ瞬間、俺は全身の血が凍りつくのを感じた。

……違う。

姿形は同じでも、そこに宿る『光』が、俺の知る『あいつ』のそれではなかった。

果たして俺は、本当に目覚めさせてよかったのだろうか。

取り返しのつかない重い歯車が、いま確実に回り始めた音だった。

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  • 堕天使に寵愛を。そして、全ての魂に、グレイスを。   16話 絶望の果てに与えられた祈り

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  • 堕天使に寵愛を。そして、全ての魂に、グレイスを。   第12話 その魔術。首と岩を落とす

    「それじゃあ、今度はあのビッググリズリーに向かって魔術を使ってみろ」 深い草むらに身を潜めながら、レクスはうろつく巨獣を見据えて顎《あご》をしゃくった。 木々の幹に残された真新しい爪痕《マーキング》と、むせ返るような獣臭。以前アーコブと出会った際にも気配を感じていた個体——この森の生態系の上位に君臨する巨大な魔獣だ。 しきりに鼻を鳴らし、こちらの匂いに気づいている素振りは見せるものの、絶対的な強者であるがゆえの慢心か、自らが『狩られる側』であるなどとは思考の片隅にもないらしい。 のっそりと辺りを見回しているが、俺たちの正確な位置を特定するには至っていなかった。 俺は深く息を吐き、先程レクスの体内を巡っていた『魔術の流れ』を意識の奥底でなぞる。 俺自身の回路で再現しようとしても、あの男の力強い奔流を完璧に模倣することは難しく、威力が落ちることは避けられない。 だが、それでもイメージは結ばれる。 ただ一つ。あの熊の太い首を、正確に刎《は》ね飛ばすことだけを。 淀《よど》みない殺意を『祈り』として具現化し、撃ち放つ。

  • 堕天使に寵愛を。そして、全ての魂に、グレイスを。   第11話 魔術(祈り)が殺しに変わる瞬間

    「よし。じゃあまずは──お前の魔術の質を調べるぞ」 街の外に出て、レクスと俺はひたすらに『獲物』を探した。 しかし、レクスは純粋な戦闘者だからか、俺に比べて気配遮断能力……否、相手をただ殺すための下準備の力が、どう見ても及第点を与えられないほどお粗末なものだった。 そのため、俺がレクスから獲物の特徴を聞き出して探すことになった。 まずは獲物の能力。 嗅覚はそこそこあるが、絶対的な捕食者としての自信ゆえか、接近に警戒を抱くほどの鋭い嗅覚は持ち合わせていないらしい。ただ、目は前に付いているため、距離感を測るのは得意だそうだ。 典型的な肉食獣のものだな。 次に戦闘能力。 レクスの言う通りならば、そこら辺の魔術師の魔術はその剛毛を通らず、普通の武具も効かない。 だから、この生物には『ある感情』が強く表れる。 慢心。 自らが襲われるなんていう想像すらしない。 故にそこに付け入る隙がある。 だが、俺たちがそれを狩るには、魔術が使えることが大前提だ。 「その前に聞いていいですか?俺、魔術なんて無縁の世界にいたんですけど……使えるんですか?」 「ああ、人間である限り使える。条件はひとつ。流れさえつかめばな」 「流れ……?」 (気功みたいなものか?) そう思っているとレクスに腕を突きつけられた。 「ソル。俺の腕を、組ん

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