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13話 森の魔獣と悪意を悟る少女の感情

last update تاريخ النشر: 2026-08-20 05:00:35

「今日もおつかれさん」

「ありがとうございます……」

交代の衛兵たちが次々とやってきて、軽く労いの言葉をかけてくれる。

ここ、アーコブの村に来てから──もう一ヶ月。衛兵兼討伐者としての任務も、ずいぶんと板についてきた。

今のところ、アーコブが命じてくるのは魔獣の討伐のみであり、“暗殺者”としての役割はまだ与えられていない。

(ただ、たまに執務室から「やはり、あいつは消したほうがいいか……」という物騒《ぶっそう》な呟きが漏れ聞こえることはあったが)

その日が来るのも、そう遠くはないだろう。

だが、その『いつもの日常(ひとごろし)』が近づいていることを感じる度に……なぜか、胸の奥が重くなるように痛んだ。

「あら、ソル君じゃない。いつ見てもかっこいいわね。これ、アーコブ様と一緒に食べなさいな」

「……ありがとうございます。伝えておきます」

屋敷への帰り道、村の女から手渡された真っ赤なリンゴ。

俺は歩きながら、自分の手のひらと、そこに乗る果実を交互に見つめた。

何人もの首を掻っ切り、命を奪ってきた薄汚いこの手が、今はナイフではなく、陽の光を浴びた果実を持っている。誰も俺を疑わず、無防備な背中を見せ、笑いかけてくる。

暗殺者としての常識が狂うほどの居心地の良さ。

だが、それは同時に、猛毒のように俺の心を蝕《むしば》んだ。

もし俺が、彼らの隣人を殺すよう命じられたら? その時も俺は、このリンゴを囓《かじ》りながらそいつの首を掻き切るのだろうか。

俺の持つ『祈り(さつい)』は、この温かい村の中で、あまりにも異質で、醜悪だった。

屋敷のドアを開ける。

「おかえりなさいませ、ソル様」

笑顔のフェルータが、いつもの場所に立っていた。

その姿を見て、ふっと肩の力が抜ける自分に気づき……そんな己にひどく戸惑う。

フェルータの家系は代々『感知系魔術』を継承し、悪意や殺気を強く察知できるのだという。

だとしたら、彼女は俺にこびりついた『千の死臭を作れるほど』凍りついた心をどう感知しているのだろうか。

(俺が魔獣なら、どれほど良かっただろうか……)

ふと、そんな自嘲《じちょう》が脳裏をよぎる。

人間の悪意を持たない魔獣として感知され、ただの討伐対象として切り捨てられる方が、いっそどれほど救われたか。

人の形をして、そのふりをしてこの優しい空間に混ざり込んでいる今の自分は、あまりにも悍《おぞ》ましい。

(吐き気がする……!!)

街の住人ではなく、己の業に対してだ。

結局俺は人間らしさを捨てようとして捨てきれてない曖昧で、安易な、どちらの仮面《ペルソナ》 に染まれない半端者。

「ソル様、装備をお預かりします」

「ありがとう、フェルータ……」

「いえ!!ソル様。それが、私の仕事ですから……」

そう言ってナイフと胸当てを受け取る彼女の手元が、僅《わず》かに震えていたような気がした。

(——そうか。やはり彼女は、無意識に俺の血の臭いに怯えているのか)

そう考えると、俺はなぜかひどく安堵していた。

そうだ。彼女が俺を『恐ろしい怪物』として感知してくれている方が、正しい。

この狂った優しい世界の中で、俺を正しく恐れてくれる者がいることに、俺は救いすら感じていた。

「お食事のあと、アーコブ様が執務室へ来てほしいと仰ってました」

「了解」

食堂へ案内され、フェルータが笑顔とともに料理を運んできた。

食卓には、スープやサラダ、チーズがとろけるグラタンのような料理が並ぶ。

「今日は私が作ったんです! 自信作です、ぜひ!」

「……いただきます」

スープを一口飲む。

わずかな舌触りと、鼻に抜ける香りの違い。……スパイスの配合が変わっている。

「ん。……スパイス、変えたな?」

「はい! さすがです!!」

「サラダのドレッシングも、酸味が強くなってる」

「やっぱり分かりますか! ソル様なら、って思ってました!」

鈴を転がすように無邪気に笑う彼女を見て、俺は曖昧《あいまい》に頷いた。

……正直、目を合わせるのすら気が引ける。

分かるに決まっている。俺は、出された食事に『毒』が盛られていないかを判別するため、幼い頃からミリ単位の味覚の変化を脳に叩き込んできたのだから。

人を殺し、自分を延命させるための血生臭い技術《わざ》。

それが今、ただ一人の少女を笑顔にするために使われている。

その残酷な矛盾が嬉しくて、そしてひどく哀しくて……俺はスープの温かさごと、その感情を喉の奥へと流し込んだ。

——食事を終え、アーコブの執務室《しつむしつ》を訪れる。

「やぁ、来たね。ソル……」

書類にサインをしながら、視線はこちらへ向けられる。

しかし、その眉間はいつもよりやや険しい。

「最近、森の魔獣たちが騒がしい。腕利きを集めて調査隊を編成する予定だ。名簿には君の名前も入れてある。頼んだよ」

「了解しました」

それだけ言うと、アーコブは再び書類に視線を落とした。

……アーコブと対峙するたびに感じる、決定的な違和感。

彼は村人たちから絶対の敬愛を集める好々爺《こうこうや》だ。だが、発する言葉と心の内側が、わずかにズレている。

狂いなく精密に調整された『善人』という人格の仮面。その隙間から、ひどく冷たく、無機質な何かが覗いている。

彼には、俺が知る人間の血の匂いがしないのだ。

この一ヶ月、あの老人から読み取れた唯一の『真実』がそれだった。

礼をして、俺はその場を後にする。

森の調査。

それが単なる魔獣討伐で終わるはずがない。暗殺者としての本能が、血生臭い未来の胎動を告げている。

だがこの時の俺は、まだ夢にも思っていなかった。

この出来事が、俺の罪と祈りを根底から覆《くつがえ》し、血と愛に塗れた壮大な運命の引き金になることなど──。

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