تسجيل الدخول「なんで“勤勉”なんかに助力を求めなきゃいけないんだよ。アーコブのじいさん」 レクスが開口一番に不満を漏らした。 その顔つきは普段以上に強張《こわば》っていて、どこか余裕がない。 そして、その瞳は一瞬……ほんの僅《かす》かにだが、悲しげな色に染まったように見えた。 俺の気のせいだろうか? 「レクス、そう言うな。あの少女が事情を話せない以上──“勤勉”の力を借りるしかないんだ」 アーコブが諭すように言うが、レクスはそれでも首を縦に振らない。 「……そう言われてもな」 普段ならなんだかんだ文句を言いつつ、最終的にはアーコブの指示に従うレクス。 だが今回は、露骨に渋っている。 (珍しいな……) 彼は軽口こそ叩くが、アーコブの指示に妥当性を見つければ必ず従う男だ。 だが今の彼には、衛兵隊の長という役割を忘れるほど明確な嫌悪感が滲み出ている。 否、もしかしたら従うという選択から、どうにかして逃避しようとしているかのようだった。 “勤勉”という呼称に、俺は心当たりがない。だが、推測はできる。 アーコブは自らを“忠義”の元徳と名乗っている。ならば、“勤勉”も同じ七元徳のひとつ。 大戦を勝ち抜いた始祖の末裔のひとり──それが今回、力を借りる相手なのだろう。 「アーコブ様……“勤勉”という方は、レクスさんがこれほど嫌がるくらい、“人格”に問題があるのでしょうか?」 俺がそう訊ねると、アーコブの目が泳いだ。 レクスは「けっ……」と短く息を漏らし、顔を逸らす。その横顔には、先ほどは上手く確認出来なかった、暗く重い何かが宿っていた。 やはり何かある。俺はそう確信した。 何故なら、アーコブの顔にも言葉を選ぶような困惑の色が垣間見えたからだ。 普段の彼なら、絶対にこんな顔は見せない。 「えーと……彼女は、少し『特殊』でね」 「何でもかんでも、短所を見つけては矯正しようとする。自分を完璧な魔術師だと思い込んだ、いけすかねぇ狐婆《きつねばばあ》だよ!!」 アーコブの言葉を遮るように、レクスが吐き捨てた。 これもまた、珍しい反応だった。 (もはや間違いない) “勤勉”という人物とレクスの間には、過去に何かがあったのだ。 「言い過ぎだよ、レクス。彼女の『あの魔術』のせいで、他者
フェルータの祖母と母、そして服を無理やり着せられたフェルータが、目を赤くして俺の向かいに座っている。 さっきから、重苦しい沈黙が続いていた。 母親と祖母の二人に挟まれ、尋問《じんもん》される形になっているというのに、フェルータは時折《ときおり》、鼻をすするだけで、頑なに口を閉ざしている。 『フェルータ? 説明しなさい!!』 厳しい口調で祖母が問い詰める。だが、フェルータは口を開こうとしない。 まるで、自らの内に秘めた何らかの覚悟を、無言で主張しているかのようだった。 『何があったの? 言わないと分からないわよ?』 今度は母が優しい声をかける。 その声に押されるように、フェルータはとうとう自身の犯した罪を暴露《ばくろ》した。 「……ソル様の貞操《ていそう》を、奪おうとしました……」 フェルータがしぶしぶ答えると、二人は目を伏せ、深く考え込んだ。 仮にも主《あるじ》の客人である俺に手を出そうとした。その事実を前に、身内としてどう言葉をかければいいのか分からないのだろう。 やがて、フェルータがゆっくりと口を開いた。 「私はもう……職《ここ》を辞めさせて──」 だが、フェルータが言い切る前に、俺は強引に言葉を挟んだ。 ここで止めなければ、彼女は永遠に何処かへ行ってしまう。 取り返しのつかない事態になる。そんな恐怖にも似た感情が俺を支配した。
「……えーと。まず聞きたいんだけど……君は、名前は?」 少女を怖がらせないよう。 俺は暗殺者時代に培った、人を安心させる笑顔を作った。 声はなるべく柔らかく。掴みはこれでいいだろう。 そう思っていた。 だが、返ってきたのは、俺の想像の余地すら破壊する無機質な響きだった。 「えーと? まず? んー? なまえ?」 純粋な目で、言葉の音だけをオウムのように繰り返す。 (……ふざけているわけじゃない) 俺は一瞬、どうしていいのか分からなくなりレクスに視線を移した。 だが、レクスはただ黙って視線で促す。続けろ──と。 「君は……《境》の者かな? 憤怒の民、って呼ばれてるけど」 「きみは? じょう? のもの? ふんぬ、の……みん?」 最後の確証を得るために踏み込んで聞いた。 だが、結果は同じ。 意味を持たない「音」だけが、空洞に響くように返ってくる。 「……言葉が、通じてないわけじゃない。発音はできる。けれど、意味を何一つ知らない──」 まるで赤子に向かって話しているような感覚。 彼女は、記憶も、言語も……なにも持っていなかった。 レクスが低くうなりながら言う。 災いを呼ぶという少女に、記憶がない。事情の聞き出しようがない。 普通なら、村人達の動きをどう抑えるか途方に暮れるレベルだ。 「ともあれ、アーコブじいさんに報告だ」 「……俺が行く」 思わず素の言葉遣いが出てしまったが、レクスは気にすることなく頷いた。 「分かった。判断が出るまで、民衆の動きは止めておく」 そう言うと、レクスは足早に部屋を後にした。 部屋に残るのは、俺と少女だけ。 眠っていたはずの記憶が、喉の奥からせり上がってくる。 俺は暗殺者としての仮面を無理やり顔面に縫い付け、最後の抵抗で笑顔を作ろうとしたが……。 すぐに。 パリン、と。 音を立てて、俺のすべてが砕け散った。 「なんだ、これ……」 「ん……?」 少女は、不思議そうに小首をかしげる。 その瞬間、言葉にならない嗚咽が込み上げた。俺は叫んでいた。 「俺だよ……××××だよ。……覚えてないのか? お前は……俺の……俺の……俺の……っ!!」 (俺が『愛した』人だ!!) 最後の言葉はもはや言葉にならない。
「…………」 少女が眠るベッドの横で、俺はじっと彼女を見つめていた。 その寝顔は、昔話に出てくるお姫様のように静謐《せいひつ》だった。 だが、それとは裏腹に、俺の心の内ではとてつもない荒波が吹き荒れていた。 「なんで……お前が…………」 誰にも聞こえないほどの小さな声。 だが、自分の耳にははっきりと残酷に響く。 綿で生殺しにするかのように首を締め付けるような息苦しさを覚えた。 いくら呼吸をしてもこの息苦しさが終着点が見えない。 ……まるで地獄のような時間だった。 心臓が鼓動を打つ度に『あの惨劇』がフラッシュバックする。 そして誓いの言葉を伝える言葉が頭の中で幻聴《こうかい》のように聞こえた。 だから俺は、この出会いの意味から無理やりにでも意識を逸らそうとした。それでも、どうしてもひとつの思考に囚《とら》われてしまう。 「いや、それより──これは偶然なのか?」 ……いや、偶然なはずがあるものか。 ただ“似てる”じゃ済まされない。 これは、誰かの……意志が、絡んでる。 俺の直感がそう警鐘《けいしょう》を鳴らしていた。 何とか動揺を押し殺しながら、俺は少女の顔を見続けた。 傍から見れば、熱心に看病をしている心優しい青年に見えるかもしれない。 ……実際、扉の隙間《すきま》からそう見つめている者がいた。 ―――――――――――― (なんで──急に、そんなふうに……) 他人を前にした時は、常に心の内を隠し、平静を装うはずの青年が……。 今はひとりの少女に対し、ひどく心を乱《みだ》して見つめている。 その様子が、彼女の胸の奥を冷たい刃のようにえぐった。 “問いかけたい” 彼女は、そう思った。 何故? 何故? 何故……? 私があんな状態になったら彼はあのように心配してくれるのだろうか? そうやって彼の気を引こうと思う自分がいる時点で自分自身に自己嫌悪が覚えた。 (醜《きたな》い……けれど、考えてしまう) なぜ、そこまで彼に執着するのか? その理由は、自分自身がずっと胸の奥に抱えていた『孤独』と向き合っていたからだ。 この村で生まれ育ち、主《あるじ》に仕《つか》えて死んでいく。 外の世界を知らず、ただ役目のためだけに生きる。
「おう、全員──気合い入れろ!これより森の調査に向かうぞ!」 レクスの掛け声と共に皆が一斉に声を出す。 『おー!!』 レクス率いる調査隊は、俺を含めて10名。 近接・中距離・遠距離や索敵のバランスが緻密《ちみつ》に整えられ、魔術の構成に一切の無駄がない。 探知・索敵役には五感強化魔術の使い手が配属されており、魔力を感知できるフェルータの家系の男も参加していた。 アーコブとレクスが直々に選んだ隊。 ──まさに精鋭の名にふさわしい布陣だった。 「散開!!」 レクスの号令で、隊が動く。 声が届くギリギリの十メートル間隔で並び、森を横断して進む。 これしきのペースで遅れをとるほど、俺は柔《やわ》な人生を送ってきてはいない。 見た目は貧弱な少年かもしれないが、体力と、いざという時に逃げるための高速歩法には絶対の自信がある。 俺は常《つね》に息一つ乱さず、隊の速度について行った。 数分後──数十メートル先にビッググリズリーが現れた。 それを視認した隊員から掛け声が飛ぶ。 だが、誰も勝手には動かない。
「今日もおつかれさん」 「ありがとうございます……」 交代の衛兵たちが次々とやってきて、軽く労いの言葉をかけてくれる。 ここ、アーコブの村に来てから──もう一ヶ月。衛兵兼討伐者としての任務も、ずいぶんと板についてきた。 今のところ、アーコブが命じてくるのは魔獣の討伐のみであり、“暗殺者”としての役割はまだ与えられていない。 (ただ、たまに執務室から「やはり、あいつは消したほうがいいか……」という物騒《ぶっそう》な呟きが漏れ聞こえることはあったが) その日が来るのも、そう遠くはないだろう。 だが、その『いつもの日常(ひとごろし)』が近づいていることを感じる度に……なぜか、胸の奥が重くなるように痛んだ。 「あら、ソル君じゃない。いつ見てもかっこいいわね。これ、アーコブ様と一緒に食べなさいな」 「……ありがとうございます。伝えておきます」 屋敷への帰り道、村の女から手渡された真っ赤なリンゴ。 俺は歩きながら、自分の手のひらと、そこに乗る果実を交互に見つめた。 何人もの首を掻っ切り、命を奪ってきた薄汚いこの手が、今はナイフではなく、陽の光を浴びた果実を持っている。誰も俺を疑わず、無防備な背中を見せ、笑いかけてくる。







