เข้าสู่ระบบ私が用意したのは、「鯛の胡麻ダレ出汁茶漬け」だった。
刺身用の新鮮な鯛を、すり胡麻、醤油、みりんを合わせた特製ダレに漬け込む。それをご飯に乗せ、熱々のカツオ出汁をたっぷりと回しかける。鯛の表面が白く湯引きされ、胡麻の香ばしい香りと出汁の湯気が立ち上った。「……どうぞ」
3人の前にお茶碗を置いた。
レンくんが、ゆっくりとレンゲを手に取る。パクッ。一口口に入れる音だけが、静かな部屋に響いた。「…………」
出汁の温かさが、冷え切った心に染み渡っていく様子が分かる。
体と心の両方を温めてくれたはずだ。「……あったかい」
お茶碗を持ったまま、ハルくんがポツリと言った。目元が少し赤い。3人は何も言わず、けれど噛み締めるように茶漬けを平らげた。
「……紬は」
食べ終えたレンくんが小さく呟いた。弱々しい、迷子のような声だった。
「紬は、俺たちを売らないよな?」
私はきっぱりと答えた。
「売りませんよ。絶対に」
3人の顔をまっすぐに見る。
「私はNoixのファンですから。ファンは、推しの幸せを一番に願う生き物なんです。貴方たちが悲しむようなことは、死んでもしません」
その言葉に、3人が顔を上げた。セナさんがふっと口元を緩めた。
「……ファンという生き物は、時にスタッフよりも信頼できるようですね」
セナさんが笑い、つられてレンくんとハルくんにも微かな笑みが戻った。
この夜、私たちの絆はただの「雇用関係」を超えて、痛みを共有した「家族」に近いものへと変化した気がした。
◇ それから数日後。裏切りのショックも落ち着いて、平和が戻ったペントハウスに来客を告げるチャイムが鳴った。コンシェルジュからの連絡ではない。セキュリティパスを使って、直接このフロアまで上
(……遠い) 物理的な距離は、わずか10メートルだ。彼の荒い息遣いさえ聞こえてきそうな距離。 けれど、心理的な距離は数億光年彼方にあるように感じた。 彼は私だけのものではない。ここにいる5万5000人、そして世界中にいる何百万人というファンのための「綺更津レン」なのだ。 昨晩、雨の公園で彼を抱きしめたこと。不格好なミサンガを喜んでくれたこと。 それら全てが、私の都合の良い妄想だったのではないかと錯覚してしまうほど、ステージの上の彼は遠く、眩しかった。◇ その頃、ドームの関係者席の一角にある記者エリアでは。 望遠レンズを構える1人の男がいた。彼はステージ上のレンの顔ではなく、ある一点を執拗に追っていた。「……見つけたぞ」 男がニヤリと唇を歪めた。綺更津レンの左手首、豪華絢爛な衣装の袖口から、激しいダンスの合間にチラリと覗く青と銀の紐。「間違いない。ハイブランドのブレスレットを外してまでつけている、安物のミサンガだ」 男はシャッターを切り続けた。カシャ、カシャ、カシャ。 歓声にかき消されて聞こえないその音は、熱気に包まれたドームの中で場違いなほど冷たかった。「スタイリストが用意するわけがない。あんなみすぼらしいミサンガなんてな。……それが『本命』の動かぬ証拠だ」 誰よりも早くスクープを見つけた。 そう確信して、男はシャッターを再び切った。◇ 激しいダンスナンバーが終わり、会場が暗転した。 ステージ中央に汗だくのレンくんが一人だけ残る。 一筋のピンスポットが、彼だけを照らし出した。 先程までとの熱狂はすっと静まって、痛いほどの沈黙が落ちた。 5万5000人が固唾を飲んで彼を見守る。「……今日は来てくれてありがとう」 マイクを通した彼の声が、優しく響
周囲の席を見渡せば、全身をNoixグッズで固めた猛者たちばかり。 ごく若い人から少し年配の人まで、みんな頬を紅潮させて興奮を隠しきれていない。 中でも若い人たちのテンションは高く、こんな会話が聞こえてきた。「やばい、近い! 死ぬ!」「レンくんと目が合ったらどうしよう、妊娠する!」 そんな興奮した悲鳴が飛び交う。 彼女たちの物言いはちょっとどうかと思うが、バカバカしいとは思わない。私だって少し前まではただのファンだったのだから。 この人たちはこの神席を手に入れるため、どれだけの苦労をしたことだろう。 そう考えれば、ただ招待された私は少し肩身が狭い。 私は1本だけ持ってきたペンライトを握りしめ、身を縮こまらせて席に着いた。 場違い感が凄まじい。ここにいていいのだろうか。 いつまでも庶民根性が抜けなくて、自分でもため息が出た。◇ 18時ちょうど。フッ、と客電が落ちた。 その瞬間、5万5000個のペンライトが一斉に点灯した。暗闇が一瞬にして、色とりどりの光が揺れる巨大な銀河へと変わる。 悲鳴のような大歓声と共に、腹の底に響く重低音の序曲が始まった。低い音楽は悲鳴を飲み込みながら、ドーム全体を震わせていく。 ドォン!! 特効の爆発音と共に、メインステージの中央がせり上がる。煙の中から3つのシルエットが現れた。「キャーーーーーーーッ!!!」 ドームが揺れた。大歓声で鼓膜が破れそうだ。スポットライトが彼らを捉える。 きらびやかなゴールドと白の衣装を纏った『Noix』の3人が立っている。 挑発的なラップで会場を煽るハルくん。 冷徹なほど美しくダンスを決めるセナさん。「レンくーーーん!!」「セナさん!!」「ハルくん~~~!!!」 それぞれのファンが必死に歓声を上げる。 そして――センターに立つ、綺更津レン。彼は歌い出す前、ただ無言で右手を天に掲げる。たったそれだけの動作で、5万5000人
封筒の中に入っていたのは、プラチナチケットと名高い『Noixドーム公演』のチケットだった。それも関係者席ではない。「アリーナの最前列ブロックだ」 レンくんが真剣な眼差しで私を見つめる。「関係者席だと遠いだろ? 一番近くで見てほしいんだ」「でも、こんな貴重な席……」「来てくれなきゃ困る」 彼は私の手を取り、チケットを強く握らせた。「5万人の観客がいても、俺が見てるのは紬だけだと証明する。……絶対に来て」 ただのライブへの招待ではない。彼からの愛の誓いへの招待状とも言えるもの。「……はい。絶対に行きます」 私はそのチケットを大事に受け取る。 これは宝物だ。彼とお揃いの青銀のミサンガと、同じくらい大切な宝物。 ◇ ドーム公演が迫る。 街じゅうがNoixのポスターで溢れる中、ふと、カメラのシャッター音が響いた。 パパラッチが狙っているのは、トップアイドル・綺更津レンの左手首。 そこに巻かれた、あまりにチープであまりに不自然な「青い糸」だった。◇ ドームのゲートをくぐった瞬間、私は酸素が薄くなったような感覚を覚えた。「……すごい」 視界を埋め尽くすのは、人、人、人。5万5000人の観衆が発する熱気と、開演を待ちわびる地鳴りのようなざわめきが、巨大なドーム屋根に反響して降り注いでくる。 すれ違うファンたちは皆、メンバーの顔写真が入ったうちわやツアータオルを持っている。推し色の服に身を包んで戦闘態勢に入っていた。 私は帽子を目深に被り、マスクをして人波に揉まれていた。街じゅうが彼らのポスターであふれ、ここには彼らを愛する5万5000人の人々がいる。(これ全部、彼らのファンなの……?) 今朝まで私の目の前で、寝癖がついた頭で「卵焼きはたっぷり砂糖を入れてくれ~」と甘えていたレンくん。 そんな姿に慣れてしまって、つい忘れていた
レンくんは左手首にはめていた数百万円の高級腕時計と、ハイブランドのブレスレットを外した。 戸惑う私をよそに、いかにも価値のないもののように、ベンチの上に放り投げる。 そしてむき出しになった手首を、私に差し出した。「早く。……つけて」「…………」 私は濡れた糸を彼の手首に回した。肌に触れると、雨の冷たさとは対照的な脈打つ熱さが伝わってくる。「固く結んで」 彼が切実な声でささやく。「二度と、解けないように」 私は頷くと、ぎゅっと力を込めて結び目を作った。 不格好な青と銀の糸が、彼の手首にしっかりと巻きつく。 レンくんはミサンガを愛おしそうに右手の指で撫でて、そっと唇を寄せた。「……どんなブランド物のアクセサリーより嬉しい」 彼はうっとりとした表情で、私の頬に顔を寄せた。 濡れたような艶のある声が耳元で聞こえる。「これでもう、俺はどこにも行けないね」 それは「お守り」というよりも、飼い主に繋がれることを心から喜ぶ「首輪」のようで。「紬……」 彼は私を強く抱きしめる。 雨は降り続いていたけれど、お互いの体温が溶け合って――もう冷たくはなかった。◇ 公園の前に黒塗りのワンボックスカーが滑り込んできたのは、それから間もなくのことだった。 運転席からセナさんが降りてくる。「……やれやれ。GPSを見たら妙な場所にいるから、事故かと思いましたよ」 呆れたような声だが、その表情はほっとしていた。 GPS。そうか、セキュリティのためにGPSを持たされていたんだっけ。 レンくんがこの公園を突き止めたのも、GPSのおかげだろう。 後部座席のドアが開いて、ハルくんが大きなタオルを2枚投げてきた。
「お前の横でなら、俺は生きていける。お前はファンだと言いながら、俺に何も求めなかった。ただ優しくしてくれた。その優しさに……惚れたんだ」 レンくんはどこか寂しそうに笑った。「業界の奴らも、お前以外のファンも。親ですらも俺を商品とみなし、消費しようとした。……だがお前は違う。俺を一人の人間として扱ってくれた。紬、お前だけだ。俺をただのレンでいさせてくれるのは」(……ああ、この人は) 私はポケットの中で、あるものを握りしめた。 本当は渡すつもりなんてなかった。彼が生きる世界にある宝石やブランド品に比べたらゴミのようにみすぼらしい、子供騙しのプレゼント。(必死に生きようとして、私にたどり着いたんだ) 出会った時の彼は死にかけだった。 迷子の子猫のように不安そうにして、お腹をすかせていたっけ。 その後の大型犬のような振る舞いも、ごはんを美味しそうに食べる姿も。 Noix(ノア)のメンバーと一緒にわちゃわちゃとしている姿も。 私は彼が大好きで、守ってあげたいと思っていた。いつの間にかただの推しではなくなっていた。 ちょっと重すぎる独占欲を示してきた時も。 充電と言ってくっついてきた時も。 マスコミから私を守ってくれた時も……。 いつだって私だけを見つめてくれた。 「……私は何もあげられませんよ」 私は呟くように言った。「あなたが持っている、宝石みたいなもの。きれいで華やかなもの。何一つ返せません」「いらない。紬がいれば何もいらない」「……これでも?」 私はポケットから、握りしめていた手を出した。雨に濡れた手のひらに乗っているのは、青と銀の刺繍糸で編まれた、一本のミサンガだった。「……暇つぶしに作ったんです」 嘘だ。本当は心を込めて作った。
夜の公園に、叩きつけるような雨音だけが響いている。 他には何も聞こえない。まるで雨のスクリーンにさえぎられて、世界が私と彼の2人だけになってしまったかのようだ。「……帰ってください」 冷静に言おうと思ったのに、声が震えてしまった。 目の前に立つレンくんは、雨でずぶぬれ。あの完璧なタキシードは見るも無惨に濡れそぼって、セットされた髪も水を含んで額に張り付いている。 それでも彼は美しかった。 濡れた衣装は彼の完璧な体の線をかえって浮き上がらせて、アンバランスな美を描いている。 張り付いた髪もぞくぞくするような色気があった。 だからこそ。 こんなありふれた公園に、彼のような王子様がいること自体が間違いなのだ。「風邪をひきます。貴方は、あのきらびやかな場所にいるべき人です。こんな暗い場所に……私みたいな人間のところに来ちゃいけない」「――勝手に決めるな!」 レンくんが私の両肩を強く掴んだ。濡れた前髪の隙間から、アイスブルーの瞳が私を射抜く。「俺の居場所を、勝手にお前が決めるな! あの場所がどれだけ寒くて、空っぽか……お前には分からないだろ!」「でも……っ!」 私は叫び返した。「西条さんと並んでいるあなたは、完璧でした! お似合いでした! 私なんかより、あっちの方がずっと……」「あんなの、ただの仕事だ。演技しているだけの虚像に決まっている!」 彼は乱暴な仕草で、ポケットからスマートフォンを取り出した。画面が光る。『西条リカ』という文字と着信が表示されているのが見えた。 彼が会場から消えたことで、向こうはパニックになっているのだろう。 けれどレンくんはその画面を一度睨みつけると、私の目の前で迷わず電源を切った。画面がブラックアウトする。彼はそれを、無造作に上着のポケットへ突っ込んだ。「打ち上げもあいつの誘いも、全部どうでもいい