LOGIN会社の忘年会で、夫と女性秘書が肩を寄せ合いながら、楽しそうにピアノを連弾していた。 二人が手をつないで壇上から降りてくると、息子まで嬉しそうに駆け寄っていく。 「蛍さん、すごいね!なんでもできるんだ。蛍さんが僕のママだったらよかったのに」 目の前の、仲睦まじい三人を眺めながら―― 私は静かに、心の底で決めた。 もう、いい。 捨てるべきものは、ちゃんと捨てないと。
View More関係がはっきりしてから、蓮の甘えん坊度はさらに増していった。毎日のように私の腕を引っ張って、ウェディングドレスを選んだり、結婚式の準備をしたりしている。その日、ホテルの打ち合わせを終えて外に出たところで、一真と颯太と鉢合わせした。照明の下、一真の指にはめられた指輪がきらりと光る。彼の目には言葉にしがたい感情が揺れ、しわがれた声が漏れた。「千尋……指輪を見つけたんだ。あの女は追い出した。家の中の悦子の物も全部片付けた。お前が出て行って、やっと気づいた。お前こそが俺の本当の愛だったって。何年も……俺は家に決められることにうんざりして、お前まで時野家と一緒に『重荷』だと思い込んでいた。……俺は間違ってた。許してくれ。俺たちと一緒に家に帰ってくれないか?」颯太も顔を上げ、私に向かって謝ってきた。「ママ、ごめん。前の僕は分からず屋で、悪い人たちに騙されてたんだ。ママだけが、世界で一番優しいんだよ。僕、もう良い子になるし、パパも変わったよ。ママが戻ってきてくれたら……また三人で暮らせるよ」二人がそっくりな「可哀想な顔」をしてこちらを見上げてくるのが、なんだか滑稽で私は思わず笑ってしまった。「時野一真。私たちが結婚していた何年ものあいだ、あなたは一度も私を尊重したことなんてなかった。あなたの息子も私を見下していた。会社の忘年会では、大勢の前で私にあんな恥をかかせたわよね。今さらこんなことを言って……自分でおかしいと思わない?」一真と颯太の顔は一瞬で真っ青になった。一真は何か言いかけたが、私は手を上げて制した。「一真、私はあなたとは違うの。私は誰かを愛する時、その人だけを真っ直ぐに愛する。蓮は私にとても優しい。江崎家の人たちも、私を実の娘みたいに扱ってくれる。今の生活は、とても満足してるわ。だから……もう邪魔しないで」嘘じゃない。江崎家は本当に私のことを大切にしてくれて、私の好みも驚くほど理解してくれている。だから私はすぐにあの家に馴染むことができた。時野家では、おばあ様だけが私の家族だった。でも、もうおばあ様はいない。あの家に戻る理由も、未練もない。蓮がトイレから出てくるのが見え、私は振り向いて彼の胸に飛び込んだ。蓮は慣れた様子で私を抱きとめ、すっと髪飾りを整えてくれる。そ
警察署を出た途端、蓮はすっかり馴染みの甘えん坊モードに戻っていた。「千尋さん、あの元夫の人さ……全然手加減なかったよ。ねえ、俺、まだかっこよく見える?」私が「どれどれ」と近づいて顔を覗こうとした瞬間、蓮は素早く身をかがめ、私の唇に軽くキスを落とした。あまりにも自然で、私は思わず目を瞬いた。「ちょ、蓮!最初は偽装結婚だって言ってたでしょ?婚姻届もお母さんを安心させるためだけだって……!」蓮は顔を赤くし、空を見上げたり地面を見たりしながら、しばらくもじもじしていた。そしてようやく、私の目を見る決意をしたように顔を上げる。「俺……早めに決めたかったんだよ。だって千尋さんってこんなに素敵でしょ?一真がいつか正気に戻って、俺と取り合いになったら困るし。だから母さんには、結婚と引き換えに自由をくれって言ったんだ。千尋さんがいらないって言ったら……俺、妻も自由も両方失っちゃうんだよ?めっちゃ可哀想じゃん」大きな瞳で瞬きしながら、蓮は私の袖をちょん、と引っ張って甘えてくる。あまりの子犬っぽさに、私は呆れながらも笑ってしまい、くるくるの髪をぐしゃっと撫でてやった。すると蓮はすぐ調子に乗り、顔を近づけてくる。「千尋さん、俺を弄んで捨てるとか……ナシだからね?さっき殴られて痛かったんだよ。千尋さん、キスして治して?」その無邪気な顔に負けてしまい、私はそっと蓮の唇に軽く触れた。蓮は一気に表情を明るくし、そのままキスを深めようと身を寄せてきた――その時、軽い咳払いが聞こえた。振り向くと、気品のある美しい婦人が少し離れた場所に立ち、優しく微笑んで私たちを見ていた。さっきまで図々しかった蓮は、一瞬で小さくなり、弱々しく「……母さん」と呟いた。私は一気に顔が熱くなる。まさか蓮のお母さんに、こんなタイミングで初対面するなんて思わなかった。蓮のお母さんが私と一真の過去を知ったら、きっと私たちを引き離すだろうと思っていた。でも彼女は全く気にする様子もなく、むしろ私に向かって朗らかにこう言った。「蓮と早く結婚式を挙げて、うちの別荘に住みなさい。あの二人、これからきっとしつこく来るでしょう?」高慢な一真が、颯太を連れて何度もしつこく私を追いかけてくる姿なんて、到底想像できない。そのはずなのに。蓮のお母さんの真剣で温かいま
その言葉を聞いて、颯太はわっと泣き出し、しゃくり上げながら手を伸ばしてきた。まるで私を心配させれば、元に戻れると思っているかのように。一真は苛立ったように舌打ちし、颯太の泣き声を一瞬で止めた。振り返った彼は、まっすぐ私を見つめ、私が駄々をこねている「証拠」を探すように目を細める。しばらくして、自信に満ちたその顔に初めて焦りの色が浮かんだ。虚勢を張るように、低い声で問い詰めてくる。「お前を手放すと思ったのか?千尋。お前は時野家が育てたんだ。死ぬまで時野家の人間として生きるんだよ」そう言って一真は私の手を掴み、大股で外へ連れ出そうとした。だが、二歩も行かないうちに、蓮のボディーガードたちが立ちはだかった。「時野社長。今日、俺の嫁を連れて行く気なら――拉致で警察に通報するよ。まさか、俺・江崎蓮に、自分の妻を守る力がないと思ってるのか?」私は呆然としてしまった。こんな状況、夢にも思わなかった。私が出て行けば、一真も颯太も喜ぶと思っていた。私が時野家を離れると言えば、二人はすぐに蛍を家に連れて帰ると信じていた。なのに、どうして。一真は衝動的な性格そのままに、状況を見るなりすぐ自分のボディーガードに指示を飛ばした。現場は混乱し、全員がまとめて警察へ連行された。蓮は眉骨を一真に擦られて傷つき、ずっと私の肩に凭れながら「痛い」と訴え続ける。一方、一真はさらにひどい怪我をしていて、顔中が青あざで、調停室の反対側で黙り込んでいた。そんな一真の様子を見て、蓮はこらえきれず笑った。「時野社長、年取っても行動が変わらないんだね。最初に手を出すなんて。俺と違って落ち着きがない。千尋さんには、俺みたいに若くて冷静な方が似合うよ」私はテーブルの下で蓮の太ももをつつき、警察署で余計なことを言わないよう牽制した。だが、逆に蓮に手を握られてしまう。蓮は私の手をゆっくりと持ち上げ、一真の目の前で私の指の間へ一本ずつ自分の指を差し込み、しっかりと絡めた。そのゆったりした動作に、一真の怒りは一気に燃え上がる。しかし動く前に、警察官に「座ってください」と制される。防衛側だった私と蓮は、すぐに釈放された。出る前、私は真っ赤になった一真の目を見つめ、静かに言った。「時野一真。時野家が私を十五年育ててくれたのは
聞き覚えのある声に、私は一瞬で冷や汗がにじんだ。一真だ。さっき見間違いじゃなかった。本当に、一真と颯太がここにいる。いつも冷淡なはずの一真の目に、今ははっきりと怒りが浮かんでいた。「千尋、どこまで逃げるつもりだ?半年以上も姿を消して、俺と息子のことを一度でも考えたか?お前は俺の嫁だぞ。少しは時野家の人間らしく振る舞え」言うほどに一真は興奮し、掴まれた手首がズキズキと痛んだ。振りほどこうと数歩下がった瞬間、颯太が慕わしそうな顔で私の足にしがみついてくる。「写真の人、ママなの?ママが前からこんなに綺麗だったら、僕、蛍さんをママにしたいなんて言わなかったよ。今すぐパパと僕と一緒に家に帰れば許してあげる。じゃないと……」颯太が言い終える前に、蓮が飛び込んできて私を引き離した。蓮は、私の手首に残った赤い痕を見ると、拳を握りしめ、そのまま一真の顔へ殴りかかった。「時野一真。俺のところで騒ぎ起こすなんて、正気かよ!」裕福に育った一真は、蓮の相手になるはずもなく、一撃で地面に倒れ込んだ。私が助け起こさないまま立ち尽くしていると、一真の目に一瞬、暗い影が差した。でも彼はすぐに歯を食いしばり、蓮に怒鳴りつける。「さっき俺がその絵を買いたいと言った時、お前、非売品で『自分の妻のための作品』だと言ってただろ?よく見ろ。写真に映ってるのは俺の妻だ!」蓮は冷えた表情で腕を組み、一真を見下ろして嘲るように笑った。「お前の妻?時野社長、人の嫁を横取りするって、どういう神経だよ。それに千尋さんはお前の妻だって証拠は?」一真と颯太の顔が、はっきり青ざめた。二人ともよく分かっている。この何年も、私は時野家の中で透明人間だったことを。二人は、私を見ることすら面倒くさがっていた。だから私たちの写真など1枚も存在しない。自分が不利だと理解したのか、一真は蓮へ怒鳴り返した。「江崎蓮!お前が俺の妻を隠しておいて、まだ証明しろと言うのか?説明を求めたいのはこっちだ!」蓮は肩をすくめて笑い、懐から紙を取り出した。「説明なんて要らないだろ。お前らに証拠がなくても構わない。俺にはあるから。これ――俺と千尋さんが出した婚姻届の受理証明だ。千尋さんはもう、俺の正式な妻だ」一真は証明書を見つめ、しばらく固まっていた。ようやく