LOGIN日曜日。
佳苗は予定通り雄吾と出かけた。
昼食を済ませ、以前から見たかった家具店を回る。それだけの休日だった。
それでも、佳苗はときどきスマートフォンを気にしていた。
「母親から連絡?」
「いえ。来てないです」
「なら何で見る」
「なんとなく……」
雄吾は少し呆れたように佳苗を見る。
「昨日のこと気にしてるのか?」
「少し」
「佳苗は午後なら会えるって言ったんだろ」
「はい」
「それを断ったのは向こうだ」
「分かってるんですけど」
佳苗は苦笑した。
「お母さん、楽しみにしてたのかなって」
「だったら午後から来ればよかっただろ」
「……そうなんですよね」
雄吾の答えは単純だった。
けれど、その通りでもある。
佳苗は母に会
母から連絡が来なくなって、一週間が過ぎた。 佳苗も最初の数日は気にしていたが、仕事に追われているうちに、いつもの生活へ戻っていた。 そんなある日、恵からメッセージが届く。『お母さんから連絡あった?』『ないよ』『やっぱり』 嫌な予感がして、佳苗は電話を掛けた。「何かあった?」『いや、何もないんだけどさ。今日電話したら、お姉ちゃんから一週間も連絡ないって言ってたから』「……それだけ?」『それだけ』 佳苗は眉間を押さえた。「お母さんからも連絡ないよ」『私もそう言ったんだけど』「何て?」『たまには娘の方から連絡するものでしょうって』「この前、私から連絡したこともあったんだけどな……」『覚えてないんじゃない?』「覚えてると思う」 きっと、そういう問題ではない。 母は今、自分が何もしなくても佳苗が気づいてくれることを待っているのだ。 ◇ 電話を切ったあと、佳苗は迷った。 このまま放っておいてもいい。 けれど、母と話したくないわけでもなかった。 結局、その日の夜にメッセージを送った。『元気?』 すぐに既読がついた。『元気よ』『最近連絡なかったから』 返事はしばらく来なかった。『佳苗も連絡くれなかったでしょう』『うん。お互い様だね』 また沈黙する。 数分後。『普通、親が連絡しなかったら心配しない?』 佳苗は画面を見つめた。『一週間くらいなら、忙しいのかなって思うよ』『倒れてるかもしれないのに?』『そのときは連絡して。必要ならすぐ行くから』 母が求めている答えではないことは分かっていた。『連絡できない状態だったらどうするの?
日曜日。 佳苗は予定通り雄吾と出かけた。 昼食を済ませ、以前から見たかった家具店を回る。それだけの休日だった。 それでも、佳苗はときどきスマートフォンを気にしていた。「母親から連絡?」「いえ。来てないです」「なら何で見る」「なんとなく……」 雄吾は少し呆れたように佳苗を見る。「昨日のこと気にしてるのか?」「少し」「佳苗は午後なら会えるって言ったんだろ」「はい」「それを断ったのは向こうだ」「分かってるんですけど」 佳苗は苦笑した。「お母さん、楽しみにしてたのかなって」「だったら午後から来ればよかっただろ」「……そうなんですよね」 雄吾の答えは単純だった。 けれど、その通りでもある。 佳苗は母に会うことを拒否していない。 ただ、先に入っていた約束を守っただけだ。 ◇ 夕方、恵からメッセージが届いた。『今日お母さんち行った?』『行ってないよ』『だよね』『どうしたの?』 しばらくして、電話が掛かってきた。『私、今日呼ばれたんだよね』「お母さんに?」『うん。お姉ちゃんが来なくなったから、ご飯食べない?って』「行ったの?」『行ったよ。暇だったし』 そこまでは何も問題ない。『でもさ、お母さん、お姉ちゃんの話ばっかりするの』「私の?」『雄吾さんとの予定を優先されたって』 佳苗はため息をついた。「優先したんじゃなくて、先に約束してたの」『そう言ったよ』「恵が?」『うん。そしたら、結婚したら夫が一番になるものなのかって聞かれた』
母から返事が来たのは、その日の夜だった。『分かった。もう急に行かないわ』 それだけだった。 佳苗は少し気になったものの、これ以上話を広げる必要もないと思い、『うん。今度はゆっくりお茶しよう』 と返した。 既読はついたが、返信はなかった。 ◇ 数日後、恵から電話が掛かってきた。『お姉ちゃん、お母さんとまた何かあった?』「どうして?」『この前、お姉ちゃんの家に行ったら、雄吾さんに邪魔そうにされたって言ってたから』「……やっぱり恵にも言ったんだ」 佳苗は事情を説明した。 突然訪ねてきた母を、雄吾は家へ上げたこと。 飲み物も出したこと。 ただ、仕事中だったため、ずっと話し相手にはなれなかったこと。『それだけ?』「それだけ」『普通じゃん』「私もそう思う」『ていうか、急に行ったんでしょ?』「うん」『それで仕事やめて相手してくれなかったって怒ってるの?』「怒ってるというか、歓迎されてないって思ったみたい」 電話の向こうで、恵が大きくため息をついた。『お母さん、めんどくさ……』「恵」『だってそうじゃん』 否定はできなかった。 ◇ その週末、母から佳苗へ電話が掛かってきた。『来週の日曜日、そっちに行ってもいい?』 今度はきちんと事前に聞いてきた。「ちょっと待って。予定確認するね」 カレンダーを見る。「午後なら大丈夫だよ」『雄吾さんもいる?』「いると思う」『じゃあ、お昼くらいに行こうかしら』「午後って言ったでしょう?」『お昼なら一緒に食べられるじゃない』
母が料理を持ってきてから、二週間ほど経った。 その間にも、母から料理の写真が送られてきたり、佳苗の好きだった菓子の話をしたりすることが増えた。 母との関係は、少しずつ良くなっている。 佳苗もそう思っていた。 ◇ ある土曜日。 佳苗は美容院へ出掛け、雄吾は自宅で仕事をしていた。 昼を少し過ぎた頃、インターホンが鳴る。 画面に映っていたのは佳苗の母だった。「こんにちは」「こんにちは。佳苗なら今、出掛けてます」「あら、そうなの?」 母の手には紙袋があった。「近くまで来たから、これを渡そうと思って。すぐ戻るのかしら?」「夕方になると思います」「そう……」「よかったら、上がって待ちますか?」「いいんですか?」「はい」 雄吾に促され、母は家へ上がった。 ◇「仕事中だったんですね」「少しだけ片づけたいものがあって」「あら、ごめんなさい。邪魔しちゃったかしら」「大丈夫です」 雄吾は飲み物を用意し、母の前へ置いた。「ありがとうございます」「佳苗に連絡しておきます」「あ、わざわざいいですよ。これを渡しに来ただけだから」 母は笑った。 けれど雄吾はすぐに仕事へ戻った。 同じ部屋にはいるものの、パソコンへ向かったまま会話はない。 母は一人で飲み物を口にした。 五分。 十分。 雄吾はときどき電話にも出ている。 忙しいのだろう。 頭では分かる。 それでも、だんだん居心地が悪くなってきた。「雄吾さん」「はい?」「私、そろそろ帰りますね」「佳苗を待たなくていいんですか?」
恵が帰ったあとも、母は一人でその言葉を考えていた。『必要だから一緒にいるんじゃなくて、会いたいから会うんじゃ駄目?』 言っていることは分かる。 今日だって恵は、頼み事があったわけでもないのに訪ねてきた。 それは嬉しかった。 けれど同時に、妙な寂しさもあった。 昔は違った。「お母さん、これどうしたらいい?」「お母さん、分からないから教えて」 娘たちは何度も自分を頼った。 自分が答えを教えれば安心した顔をした。 いつの間に、それがなくなったのだろう。「大人になったんだから、当たり前なのよね……」 口にしてみても、胸の奥はすっきりしなかった。 ◇ 数日後。 佳苗のスマートフォンに母から写真が届いた。 見覚えのある料理だった。『これ覚えてる?』『覚えてるよ。昔よく作ってくれたよね』『そう。久しぶりに作ったの』 懐かしくなり、佳苗は素直に返信した。『おいしそう』『今度作ってあげようか?』『食べたい』 すぐに返事が来る。『じゃあ今度持っていくわね』 佳苗の指が止まった。『うちに?』『そうよ。雄吾さんにも食べてもらいたいし』 母が家へ来る。 それ自体が嫌なわけではない。 ただ、勝手に日程を決められるのは困る。『来るなら先に日を相談してね』『もちろんよ』 その返事に、佳苗はほっとした。 ◇ 翌週。『土曜日はどう?』 母から連絡が来た。 佳苗は雄吾に確認してから返信する。『午後なら大丈夫だよ』『じゃあ持っていくわね』『ありがとう』 土曜日、母
母からの『必要ないのね』というメッセージには、結局返信しなかった。 何を返しても、同じ話を繰り返すことになりそうだったからだ。 それから数日、母から連絡はなかった。 ◇「お母さんから連絡来てる?」 恵から電話があったのは、週末だった。「最近は来てないよ」『やっぱり? 私のところに来てる』「何て?」『仕事のこととか、ちゃんと相談してって』 佳苗は思わず眉を寄せた。「恵にも?」『うん。転職先探してるって前に話したじゃん。それで、応募する前に相談してほしいって』「それは恵が決めることでしょう?」『そう言ったよ』 恵がため息をつく。『そしたら、お母さんの意見なんて聞く価値もないのねって』「……同じだ」『何が?』「私も似たようなこと言われた」 佳苗は研修の件を説明した。『あー……』 恵は納得したような声を出した。『お母さん、相談されたいんだ』「多分」『でもさ、相談することないのに相談できなくない?』「そうなんだよね」 佳苗も困っていた。 母の意見を聞きたいことがあれば、聞けばいい。 けれど、自分で決められることまで相談する必要はない。『じゃあ、お姉ちゃん』「何?」『お母さんに相談するための相談事、作る?』「何それ」『今日の夕飯、カレーとパスタどっちがいいと思う? とか』 佳苗は吹き出した。「それ、余計怒られるんじゃない?」『だよね』 二人で笑った。 以前なら、母のことで恵とこんなふうに話すことなどなかった。 ◇ その日の夕方。 恵は母の家
「……今、泣いてるのか?」 低く静かな声が耳に落ちる。 その一言だけで、張り詰めていた感情が崩れそうになった。 佳苗は慌てて口元を押さえた。「な、泣いてません」『嘘が下手だな、お前は昔から』 昔から。 その言葉に、大学時代の記憶が蘇る。 榊原雄吾。 成績優秀、容姿端麗、誰にも媚びない孤高の男。 学生の頃から有名だった。 近寄りがたい人だったのに、なぜか佳苗にはよく話しかけてきた。『また他人の仕事押し付けられてるのか』『断れないのか、お前は』 呆れたように言いながら、結局いつも助けてくれた。 けれど卒業後は一度も会っていない。 それなのに、どうして今。「どうし
「佳苗? 本当にどうしたんだよ」 怪訝そうな顔で、悟がこちらを見る。 その優しげな声に、佳苗は思わず身を強張らせた。 前世でも、この男はこんな顔をしていた。 穏やかで、頼れて、優しくて。 だから信じてしまったのだ。 まさか裏で妹と不倫し、自分を“代理母”として利用していたなんて、夢にも思わなかった。「顔色悪いぞ。熱でもある?」 悟が立ち上がり、額に触れようと手を伸ばしてくる。「っ……!」 佳苗は反射的にその手を振り払った。 ぱしん、と乾いた音が響く。 悟が目を見開いた。「……佳苗?」 しまった、と思った。 前世の記憶が蘇ったとはいえ、今の悟はまだ“何も知らない夫
「……っ、はぁ……ぁっ……!」 全身を引き裂かれるような痛みに、藤倉佳苗は汗で濡れたシーツを握り締めた。 眩しい手術灯。鼻を刺す消毒液の匂い。何度も響く機械音。 苦しい。 息ができない。「もう少しです! 頑張ってください!」 医師の声が遠い。 お腹の奥が裂けるように熱い。 それでも佳苗は必死に意識を繋いだ。(赤ちゃん……) やっと会える。 悟との子供。 愛する夫との、大切な命。 その一心だけで耐えていた。 けれど次の瞬間、医師たちの声色が変わった。「血圧低下!」「出血が止まりません!」「急げ!」 視界がぐらりと揺れる。 寒い。 急激に体温が奪われていく。
ホテルへ入る佳苗と雄吾。 暗い夜道で撮られたはずなのに、驚くほど鮮明だった。「……どうして」 佳苗の指先が震える。 まるで誰かに見張られていたみたいだった。『ねぇお姉ちゃん』『その人、誰?』『もしかして浮気?』 次々届くメッセージ。 佳苗は顔を青ざめさせた。 浮気。 その言葉に胸が痛む。 裏切っていたのは悟たちの方なのに、なぜ自分が責められなければいけないのだろう。「見せろ」 雄吾が静かにスマホを受け取る。 メッセージ画面を見た瞬間、その目が冷えた。「……なるほど」「先輩」「撮られていたな」 低い声。 感情を押し殺したような響き。「どうしよう……」