啓介は、会社の事業のために結婚という形式が必要だった。そして、その相手に選ばれたのが、偶然にも異業種交流会で知り合った佳奈という女だった。もちろん、投資契約書に「既婚であること」が明記されているわけではない。それは、あくまで凛と私の推測であり都合の良い解釈だった。しかし、私たちにとっては決定的な「証拠」に思えたのだ。
「まさか…こんなことが…」
私は、目の前の「現実」が信じられなかった。啓介がこんな形で結婚を選んだなんて。私の胸は、怒り、悲しみ、そして何よりも息子が利用されていることへの憤りでいっぱいになった。
「佳奈さんはきっとこの投資の話を知って啓介さんに近づいたに違いありません!」
凛の言葉が私の頭の中で響き渡る。佳奈のあの冷静な態度、子どもに興味がないと言い放った言葉、そして金銭的な援助を拒んだ不自然さ。すべてがこの「契約結婚」という仮説と繋がった。啓介の弱みに付け込み金と地位を手に入れようとしていたのだ。
私の決意は揺るぎないものとなった。息子がこんな悪質な女に利用されるなど、絶対に許されない。私と凛はお互いに顔を見合わせ強く頷いた。
「和美さん、考えてみてください。もし、啓介さんが事業のために結婚が必要で佳奈さんにその役割をお願いしたとしたら、その見返りに金銭を享受している可能性が高いですよね? 彼らはお互いの利害関係のためだけに夫婦のふりをする必要があり、いわゆる契約結婚だと結論付けてもいいのではないでしょうか」
凛の分析は
佐藤side「なあ、裕子?もうすぐ結婚記念日だし、やっぱり今度二人で食事に行かないか?」子どもたちが寝て、リビングでテレビを見てくつろいでいる裕子に、俺は意を決して話しかけた。凛に言われた言葉を胸に、今度こそ心から労いたいと思った。「え、もう良いわよ。子どもたちもいるし、家族みんなで過ごしましょう。」裕子は、こちらを見ることなく冷めた声で返してきた。「裕子が本心で言っているならいいけど、もしそうじゃなかったら、俺から母さんに連絡して子どものことを頼むから、都合のいい日を教えてくれないか?」「え……。」俺の真剣な言葉に、裕子はテレビから目を離し、俺の顔をじっと見つめた。その瞳には、驚きと、そして何か企んでいるのではないか、悪い知らせでもあるのではないか、という不信感が混ざり合っていた。「あとさ、同僚にも聞いて、フレンチや懐石とかの美味しい店も教えてもらったから、もし俺と行ってもいいと思うなら、考えてみてくれないか?」「どうしたの、急に?」裕子は、俺の変わりように
確かに二人で食事に行こうと誘った時、裕子は嬉しそうな顔をした。その顔を見れたのが嬉しくて、つい日程調整するよう裕子に指示した。しかし、俺の母親に連絡するように伝えると裕子の顔は一気に曇り、次第には「やっぱり家族で過ごしたいから行かない」と言い始めた。(あの時は、裕子の気まぐれだと思っていたが、そうさせていたのは俺だったのか?)「どうせ、店も好きなところ決めていいから予約しといて、とか調べといて、とでも言うつもりだったんでしょ?」「そ、それは…そうだけどまずいのか?その方が食べたいもの食べられるだろう」「違うわよ!日々育児を頑張っている中で、お店を調べて予約するなんて、疲れ切っている側からしたらタスクが増えるだけなのよ。疲れている奥さんの労いなら、自分で店探して誘いなさいよ!」裕子の気持ちに全く気づいてやれなかったことに、俺は鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けていた。俺は、自分だけが被害者だと思っていたが、本当は、俺が一番、裕子を傷つけていたのかもしれない。その後も、どう誘われたら嬉しいかのレクチャーと説教が続いた。俺の隣で、相変わらず勝ち気な顔で説教を続ける凛の姿が、なぜか少しだけ眩しく見えた。「そうか、ありがとうな。誘ってみるよ。なんだか次は上手くいきそうだ。」「当
佐藤side「……ねえ。あなた、さっきから静かに聞いてるだけだけど、場慣れしているわよね?本当に独身?」凛の言葉に、俺は飲んでいたコーヒーを吹き出した。「ブッ……ゴホゴホッ、場慣れってなんだよ。でも、正解。俺は結婚している。ついでに子どもも二人いる。」「やっぱり。既婚者があんな合コンの場に来て何してるのよ。」呆れた顔をする凛に、俺は正直に答えた。「俺はな、家族も妻も大事にしている。だけど、孤独な愛妻家で相手にされないんだよ。この前だって……。」俺は、凛に慰めてほしいわけではなかったが、裕子との冷え切った関係や、それでも改善しようと食事に誘ったが断られたことを話した。すると、凛の顔が次第に曇っていく。苛立ちを隠そうともせずに、俺の話が終わるとすぐさま口を開いた。「はあ?バカじゃないの?何が愛妻家よ?相手にされない、孤独?それはあなたの配慮が足りないせいでしょ!」さっきまでの強がって涙を堪えた凛の姿はもうどこにもなく、代わりに勝ち気な女が現れ、呆れた声で俺に説教をしはじめた。「何が『母さ
佐藤side「慰めて欲しかったら、今だけ相手してやるよ。」カツカツとヒールの音を立てて歩く凛に追いつき、隣に並んでから話しかけた。だが、凛は、路上にいるキャッチや勧誘を断るかのごとく、冷たくあしらった。「結構よ。仕事を偽るような人に興味はないの。」「そうか、俺も婚約者でもないのに偽る人には、本来は興味がないんだがね。」その言葉が聞き捨てならなかったのか、凛はピタリと足を止め、物凄い剣幕で睨みつけてきた。「あなたって性格悪いのね?」「そりゃ、どうも。でも、残念ながらこっちが本性なんだよな。」俺たちは近くの公園のベンチに座った。二人で買ったコーヒーを手にしていたが、お互い口を開かず、重い沈黙が続いた。静かな公園の空気の中、凛の怒りや苛立ちが、まるで形を持つかのように俺の隣に座っているのが分かった。「あんた、美人なのに不器用なんだな。」俺の言葉に凛は顔を上げた。「それ、褒めてるの?けなしてるの?」
「でも、啓介は私が初めて自分から惚れた相手なんだから大切にしなさいよ!!!そうじゃなかったら、あなたのこと呪ってやるんだから。」ぷいっと顔を背けてから、凛はカツカツとヒールの音を立ててその場を去っていった。その足音は、どこか寂しげで怒りよりも諦めがにじんでいるように聞こえた。「何あれ……。」「あの子、素直じゃないから、今のはあの子なりの祝福の言葉じゃないか?」「え、分かりにくすぎるんだけど……。」困惑する私に、佐藤は苦笑しながら凛の気持ちを代弁しようとしている。そして、頭をポリポリと掻いた後、小さくため息をついてから意を決したように呟いた。「はあー面倒くさい。しょうがない、俺は姫のフォローでもしてくるか。坂本、悪い。今日はここで。」佐藤はそう言って凛が歩いていった方向へ向かって踵を返した。「それはいいけど、大丈夫?もう、関わらないんじゃなかったの?」凜の今までの行動を知っている私は、佐藤の行動に戸惑いを隠せない。(止めた方がいいし、本人も関わらないと言っていたのに……)「ああ、面倒だ
佳奈side「なんでここに?」三人が三人、怪訝そうな顔をして呟いた。「それはこっちの台詞だよ!」「それはこっちの台詞だわ!」そして、同じセリフを口にした。昼下がりのオフィス街で、私と佐藤、そして凛は、まさかの再会を果たした。今日も可愛く着飾っていた凛は、私たちを交互に見ると、ボソッと小さくつぶやいた。「……あなた、個人事業主じゃなくて同じ会社の人だったのね。パーティーもこの人に頼まれてカメラマンやっていたの?」凛は、佐藤さんのスーツの胸元にある社章をじっと見つめている。視線に気がついた佐藤さんは、しまったという顔をして、慌てて手で覆い隠していた。佐藤が慌てる姿を冷たい目で見ていたが、やがて視線を私の方へ移してきた。「啓介から聞いたわ。本当に結婚するのね。」「ええ、私も事前に啓介から、あなたに会うと聞いていたわ。」互いに落ち着いた口調だったが、相手に聞こえるように淀みのないハッキリとした声で言