LOGIN家を継ぐと目されていた姉の身代わりとして、召使い同然に酷使されていた早瀬恵は巳の神様と呼ばれる生贄として送り出される。 家での扱いから酷使を酷使だとすら感じられなくなっていた恵は、役割を強迫観念に迫られるように求めるが、そんな恵を辰巳家当主である辰巳真人は「これからはここが、お前の家であり帰る場所だ、無理をしなくていい」と温かいが、恵にとっては余計に困惑してしまう言葉と共に受け入れられてしまう。 「生贄かも知れない、それでも私はちゃんと妻になりたい」 知らずとして培ってしまっていたスキルは辰巳家の家中を驚かせ、恵らしく日々奮闘する姿はやがて神に、選ばれるべくして選ばれた妻と評されるようになっていく。
View More「一つ、多分惠さんが考えてるだろうっすけど……やっぱ神の一族ってヤツらは、普通ってのとは違う世界に生きてるっすよ」「違う世界に、ですか?」「はい。もちろん、夢の中だとかそういう意味じゃなくて。現代日本で常識とされている文化っつーんすかね? そういうものとはちょっと違うって意味っす」「……文化」 随分と大きな主語だと惠は思う。 ただ、理解できないわけではなかった。 何より、辰巳家における自分がまだ馴染めていないという感覚はあるのだから、実感として惠の中にあるものが頭より先に理解できた。「人の力じゃなくて家の力っつーもんがでかくなればでかくなるほど、やっぱ独特な文化、ルールがそこに生まれるもんなんでしょうね。オヤジは殊更そのルールを遵守すべく自分を厳しく律して生きてきたっす」 それも、理解できる。 いや、理解できると言うよりは。「……それ、なのかもしれません」「と言うと?」「似ている、と思ったのは、です。その、上手く言葉にはできないのですけれど」 感じたのはそこだった。 自分で言ったように言葉に変えることは出来ないが、引っ掛かる、通じるものがあると。「それは、そう。なのかもしんねーっす」「え?」 そんな惠に日向は頷いた。 ある意味近くて、それでも近すぎない距離にいるからこそわかることもある。「話を戻すっすよ」「あ、はい」 ただその答えを口にする前にと、日向は意図的にぴしゃりと切り替えた。 日向の表情は変わらない、それでも少しだけ目が細められる。「神の一族、とりわけ天宮家ってーのは中でも日本と言う国に対して、国家レベルでの影響力が高いっす。見方を変えるのならば、それは天宮の一存が国家判断を左右するということっす」「正直、スケールが大きすぎて想像が難しいのですけれど」「なはは。ぶっちゃけオレもそうっすよ。辰巳の現場判断でいっぱいいっぱいになってんのに、んなむつかしーこと、わかんねっす」「え、えぇ?」 カラカラと急に笑い出す日向に困惑する惠だが、これもまた意図的に雰囲気を和らげるためだろう少し緊張は緩んだ。「高貴である者の義務」「っ……」 緩んだところに、日向の声がすっと場を引き締めた。「ノブレス・オブリージュ、なんつーすんかね? そう、天宮家の力は強い。強いだけにその力を振るう人間は、多くの義務を背負っているん
やはり神の住む世界は違う。 真人との勉強会で惠が得た所感の多くはそれだった。 もちろん話の内容に関しては覚えているし、何なら聞くばかりで早瀬の家に関してを全然伝えられなかったことを今も悔いている。 ただ、所感ではなく印象に強く残っていることがあるとするのなら。「旦那様の目……」 宿っていた色に含まれていたモノは何かわからない。 わからないが、少なくとも普段見る真人の目にはなかったもので。「なんだろ、何か気になる……な」 庭を掃いている放棄が地面を空ぶる。 真人らしからぬ目をしていたと言えるほどまだ彼のことを知っているなどという自惚れではない。 あえて言うのであれば似合わない、と言うべきだろうか。「あれは……よく、見たことがある、気がする」 惠の持つ箒の動きが止まった。 改めてになるが、惠の考えとして真人、ひいては辰巳家、神の一族に数えられるなど自分には恐れ多すぎると言うものがある。 身の丈に合っていない。 そういう考えがあるからこそ、住んでいる世界の違いを強く感じてしまった面がある。 そう、自分とは違うのだ。 違うにもかかわらず、己程度の人間があたかも真人の感情を掴めると思ってしまう。 見たことがある、知っている気がするのは。「……私?」 思い当たったのは、己の目。 そうだ、いつも見ている、見ていた。 起床して身なりを整えている時、身を清めた後、鏡に映った自分が、ああいう目をしていた。 だと、言うのなら。「っ……確かめ、なきゃ」 初めて。 惠は初めて己で定めた仕事を箒と共に放り出し、知っているだろう人間の姿を探し出した。「ひなた、さんっ」「へっ? お、お疲れ様っす惠さん。そんな息を切らせてどうしたっすか?」 自発的に動く難しさ、あるいは言われるがままで動くことの楽さ、か。 辰巳家の庭にある蔵で探し物をしていた日向の前へ現れた惠は肩で息をしていた。 すわ一大事かと、慌てて手を止めて日向は惠に駆け寄るが、近寄るや否や。「だ、旦那様のことっ! 教えて、くださいっ!」「お、おおぅ?」 がばりと顔を上げて、必死そうな表情を浮かべた惠の懇願に対する事となった。「お、同じっ、なんです! 失礼にも程があるのは承知しています! けど、けどあの人は、旦那様はっ!」 相手の方が焦っているなら自分は冷静になれるとは
惠が真人と共に勉強をしたいと言った翌日、再び惠は書庫に入る事が叶った。「……ふふ」「どうした? 急に笑って」「いえ、その……どうやら私は、本を見る、読むことが好きなようでして」「ほう、そうだったのか」 だと言うのなら何か好みの本を探して贈るべきか。 等と考えている真人の隣で、惠は自然と浮かんでしまう笑みをそのままに書庫の雰囲気を五感で味わう。 日向と共にやって来た時と比べて、古書特有の匂いや埃っぽさと言ったものは薄れている。 自分で掃除したのだから当たり前ではあるのだが、それを残念にも思いつつ、わずかに残っていた雰囲気を惠は楽しんだ。「惠」「あ、はい。申し訳ありません、勉強をと自分で言い出したのに」「いや、そうじゃない。本が好きだと言ったな? どういった本が好みなのだ?」「へ? あ、そう……です、ね」 思っていた言葉じゃないことに若干狼狽えながらも惠は考える。 どういった本が好みか。 簡単な質問だが、惠にとっては返事が難しい質問だった。 と言うのも早瀬の家にいた頃は趣味として本を読むようなことがなかった、その時間が与えられなかったからだ。 自分の趣味嗜好ほど理解できないものは無い、少なくとも惠にとっては。 本を読むという機会はイコール教科書であり、義務教育の言葉通り惠にとっては義務だった。 最低限の一般的な教養こそ身につけられたが、感性を磨く機会を与えられなかった惠は返事に窮する。「本が好きだと言うのに、何も思い浮かばないのか?」「っ! も、申し訳ありません!」「い、いや。謝られることではないのだが……うぅむ」 今度は謝らせたかったわけじゃない真人が言葉に窮した。 その真人とて、感性を磨く機会に乏しかったという事実はある。 今の真人を形成しているのは神の一族としての義務、それに加えてある種の反面教師で磨かれた感性と言えるだろうか。 神の一族に在る人間、あるいはその関係者である大人たちの中には権力欲に酔っているものもいる。 巳神はやはりそう言った不穏分子に対して何かしらの処理をすることも仕事として含まれているのだ、当然汚い人間に触れる機会は多くあった。 そう言った人間を見るたびに真人は思った、こうはならない、と。「ふぅ。惠? すまない、俺はイスを持ってくるから、茶を用意しておいてくれないか?」「あっ! か
「書庫へ自由に入りたい?」「はい。改めてになりますが、私はまだまだ辰巳家、ひいては神様のことについて知らないことが多すぎると思いまして」 唐突にと言うわけではなく、真人の机仕事がひと段落ついたタイミングでの惠の声掛けだった。 積極的努力は何も水面下だけで行われるものではない。 物理的ではなく精神的に余裕が生まれた惠が思い立ったのはより深く神について知りたいと言うものだった。「ふむ……」 心情的に、今の惠になら許可を出してもいいと真人は思っている。 しかしながら現在辰巳家が置かれている状況は複雑だ。 パワーバランスという面ではなく、やはりタイミングがまさしく微妙と言える状態なのだ。 天宮家の調査勅命然り、工藤の跡取り息子が来訪してきたこと然り。 辰巳家を含めた神一族の機密に近い情報へ、意図せず触れて知ってしまう事が、彼女自身の身の危険を高めてしまうのではないかと真人は危惧もしている。「だめ、でしょうか?」「うぐ」 恐る恐ると言った様子で惠は真人へ伺う。 以前であれば微妙な反応を示されたのならすぐさま引いて頭を下げていたところだが、おっかなびっくりながらも引こうとはしていない。(……好ましい変化ではある、そう思う。だからこそどうにか要望を叶えてやりたいのだが) 辰巳家へ相応しい自分になりたい、辰巳家へ必要とされる自分になりたい。 そういった願望に近い物が芽生えたが故の変化ではあったが、加えて言うのならやはり惠はあの場が好きだった。 あの時は自覚できなかった知識欲と言うもの、自覚を言うのなら自分は本が好きだという面だけではあるが。 いずれにしても、好きなことをすることがひいては辰巳家のためになる事へ繋がると考えられたのなら、惠に控えると言う選択肢はなかった。「旦那様。私は、もっと辰巳のことが、神様の事が知りたいのです」「……それは、嬉しく思う」「あるいは、モノを知らなすぎる自分