LOGIN会社の飲み会で、彼氏の木下千明(きのした ちあき)はわざわざ隣の商店街にあるタピオカ店まで遠回りして、フルーツタピオカミルクティーを二つ買ってきた。 一つは向かいに座る私の親友・佐倉双葉(さくら ふたば)へ、もう一つは、私・上野真琴(うえの まこと)の前に置かれた。 双葉は嬉しそうに笑った。 「ありがとう。千明、やっぱり優しいね。 私、胃が弱いから、氷なしじゃないと飲めないの。 ちゃんと覚えててくれたんだね」 私は目の前に置かれたドリンクを見つめ、何も言わずにそっと千明のほうへ押し返した。 「どうした?」 千明が何気なく尋ねる。 「私、マンゴーアレルギーなの。忘れたの?」 千明は一瞬言葉を失った。だが、次の瞬間、大したことではないように笑った。 「そうだな。じゃ、マンゴーの果肉だけ避けて飲めばいいじゃなん」 なんでこうなったのだろう。双葉はパクチーとネギを食べないこと、タピオカミルクティーはいつも甘さ25%で、氷が入っていないものしか飲まないことは、彼はちゃんと覚えている。 私はマンゴーを少し口にしたら呼吸が苦しくなることは、彼にとっては、「避ければいい」程度のことだ。 大切にされる人でなくなったら、命に関わることさえ、軽く扱われてしまうものなのだ。 帰り道、車の後部座席に座っていた私は、二人のよく似合った後ろ姿を眺めながら、心が軽くなった感じを覚えた。 アレルギーのことすら覚えてもらえない恋なら、もう、いらない。
View Moreそれから3か月後、私は江南市の裁判所から、召喚状を受け取った。双葉は千明と会社を相手取り、名誉毀損による損害賠償を求めて訴えを起こしていた。法廷で、彼女は涙を流しながら訴えた。すべては千明の指示で、自分はただ言われた通りにしただけだ、と。被告席に座る千明は、一言も発しなかった。私は証人として出廷した。私の姿を見た瞬間、双葉の顔色が変わった。「真琴、来てくれたんだね。お願い、裁判官に言って。あの企画は全部、千明にやれって言われたの。私だって、仕方ないわよ」その言葉を聞いた瞬間、私は彼女に完全に失望した。私が出した許しの書類があれば、もうすべて終わっていたはずだ。それなのに彼女は、さらに慰謝料まで手に入れようとしてまだ裁判を続けた。もう、これ以上彼女を庇うつもりはなかった。私は一枚の書類を取り出した。千明が私に送ってきたものを、コピーしたものだった。「これは、この3年間、私が代わりに作成したすべての企画書の原本です。作成日時、修正履歴、編集者のアカウント、すべて私のものになっています。佐倉さん、あなたは無理やりやらされたと言ったよね。それなら、どうしてこの資料は全部あなたの名前で提出されているの?」双葉の顔が真っ白になった。裁判官は書類を確認した後、休廷を宣言した。裁判所を出ると、入口の前に千明が立っていた。前に会った時より、さらに痩せていた。でも、目には少しだけ以前とは違う光が戻っていた。「……ありがとう」私は小さく「うん」と答え、そのまま立ち去ろうとした。「真琴」彼に呼び止められ、私は足を止めた。「その……夏川博史って……優しい人なのか?」私は振り返った。裁判所の階段の上で、逆光の中に立つ彼の表情は、はっきりとは見えなかった。声は小さかったが、とても大切なことを尋ねるようだった。「優しいよ」千明は小さく頷木、笑った。その笑顔は泣いているようにも見えた。「なら、よかった」ほどなくして判決が出た。双葉は敗訴し、不正に得ていた利益をすべて返還することになった。千明については、すでに自ら責任を取って退職していた。その後、彼は遠い地方で新しい仕事を始めたらしい。数日後、知らない番号から何通かのメッセージが届いた。
双葉は、図書館の入り口で私を待ち伏せしていた。サングラスを外すと、彼女の目は泣き腫らして真っ赤になっていた。「真琴……もう、私にはどうしたらいいか分からないの」彼女は私の袖を掴んだ。爪が布地に食い込むほど強く。「会社は私を解雇しただけじゃなく、この3年間で余分にもらった給料やボーナスを返せって、一覧まで出してきたの。そんなお金、私には持ってない……父もまだ入院してるし、家族には絶対に知られたくない。お願い、助けて。これが最後だから」私は何も言わず、彼女を見つめた。すると双葉はバッグから一枚の書類を取り出した。「これにサインするだけでいいの。そうすれば会社はもう請求してこないって。条件は、真琴が、自分の意思で仕事を私に譲ったって認めること」私は書類に目を落とした。そこには、はっきり書かれていた。【乙である上野真琴は、関連案件の署名権および報酬分配を自主的に放棄することを認める。また、佐倉双葉による功績の不正取得は存在しないものと確認する】私は、思わず笑いそうになった。「双葉、この内容をちゃんと読まなかったの?」彼女は一瞬、固まった。「これにサインしたら、これらの企画は私が作ったものでなはいって認めることになる。そうなれば、会社はあなたの返済を免除するどころか、あなたがデータを改ざんして功績を偽ったって証拠になる。その場合、あなたは責任を追及される可能性もある。この弁護士、誰が探したの?千明?」双葉の顔が真っ白になった。彼女は震える手で、もう一度その書類を開いて見た。「千明が……これにサインすれば、全部解決するって……」私はその書類を受け取り、彼女の目の前で二つに破った。「千明はあなたを助けようとしてるんじゃない。あなたを、牢屋に送ろうとしてるだけ」双葉はその場にしゃがみ込み、体を震わせながら泣いた。私はしばらく、何も言わず彼女を見ていた。そして、小さく息を吐き、隣にしゃがむ。「会社から来たメールを全部保存して。案件のデータも整理して提出しなさい。一部の企画は私に代筆を頼んだが、名前を変えたのはあなた自身だったことを全部正直に説明して、反省する姿勢を見せれば、会社もそこまで追い詰めないと思う。返金については、私はあなたの代わりに、分割払
翌日、千明はまたやって来た。今度はクチナシの花束と、新しいハイブランドのブレスレットを持っている。「これ」彼は花束とブレスレットを一緒に差し出した。「お前が欲しかったものなら、何でも買ってやるから」私はその花束を見つめると、ふと、7年前のことを思い出した。あの頃、私たちは付き合い始めたばかりで、千明は何も持っていなかった。私の誕生日にも、花を買う余裕なんてなかった。だから彼は、道端に咲いていたクチナシの花を一輪摘んできて、私の耳元に飾りながら、笑って言った。「いつか金持ちになったら、お前に花いっぱいの部屋を作ってやる」今の彼はお金を持っている。でも、そのクチナシの花は、もう私のためのものではなかった。「実はね、私、クチナシの花なんて好きじゃない」千明の手が震え、花束が落ちそうになる。「でも、前は……」「昔好きだったのは、クチナシの花ではなく、花をくれた人だったの」私は彼を見つめながら、続けた。「でも今は、その花をくれる人のことも、もう好きじゃない」千明の目が赤くなった。「真琴……一度だけでもいいから、俺にチャンスをくれないか」「私はもう、何回もあなたにチャンスをあげたよ」千明の表情が固まった。「何度も昇進の申請を出したのに、結局全部あなたに却下された。私、ずっと待っていたの。私がどれだけ傷ついていたか、どれだけ不正な扱いをされたか、あなたが自分で気づくのを。でも、あなたは気づかなかった。一度もね。そして、双葉の代わりに私に責任を押しつけた時、やっと分かった。あなたは、私の苦しみに気づかなかったんじゃなく、最初から、気にしていなかったんだって」千明の手が、ゆっくり下がった。クチナシの花束が地面に落ち、白い花が散らばった。彼が帰った後、私はその花を拾わなかった。翌日、花は清掃員によって片付けられていた。3日目、千明は来なかった。4日目もそうだった。5日目、社長から電話がかかってきた。「上野さん……木下さんは会社を辞めたよ」私は本棚を整理していた手を止めた。「本社から責任追及を受けて、もう耐えられなかったみたいだ。それから、佐倉さんも解雇された」「……そうですか」「それと、木下さんが住んでいた家を、君の名義に変更し
千明の顔から、完全に血の気が引いた。「……あれは、ただの偶然。それに、双葉はお前の親友だから、彼女の代わりに責任を取るくらい、当たり前じゃないか」私は思わず笑い出した。その笑いには少しの温度もなかった。「じゃ、彼女自分で責任を取って、処分を受ければいいんじゃない?どうせ私なら、何でも助けてくれる馬鹿だと思ってたんでしょ?」千明は口を開いた。でも、何も言葉が出てこなかった。私は彼を見つめ、一言ずつ告げた。「千明、あなたのプロポーズって、最初から、双葉と近づくための口実だったんじゃない?」「違う……」千明は必死に首を横に振った。その声が震えている。「俺は本当に、お前を喜ばせるためにしたんだ」「よくもまあそんなのがサプライズだと言えるわね」私は背を向け、その場を離れようとした。その瞬間、千明が慌てて私の腕を掴んだ。骨まで砕けそうなほど強い力だった。「真琴、そんなこと言うなよ。俺たち、7年も付き合ってきたんだぞ」私は顔を上げ、彼を見た。「覚えてたんだ。7年も一緒にいたのに。犬だって7年も飼えば飼い主のことくらい覚えるよ。それなのに、あなたは私がマンゴーアレルギーだってことすら覚えていなかった」千明は唇を噛んだ。「あれは、本当に偶然だった。フルーツミルクティーって、女の子はみんな好きだと思って買ったんだ」私は軽く笑った。「好きなのは、双葉でしょ」その言葉に、千明の動きが止まった。「千明、あなた、本当に反省をしてるの?前に別れようとした時も、あなたは同じことを言ったよね。私の名前の表示を戻すとか、タバコをやめるとか、双葉と距離を置くとか。でも、その後どうなったの?」私は彼に掴まれて赤くなった手首を見る。「結局、あなたは、助手席を双葉に譲った。私の昇進の機会も双葉に譲った。私に与えるべき愛情も全部双葉に渡したんだ。千明、あなたは結局、何も変わっていないじゃん」私は力を込めて、彼の手を振りほどいた。「もう、私と二度と連絡しないで」そう言って、私は振り返らずに図書館の中へ入っていった。背後から、千明の途切れ途切れの泣き声が聞こえた。……その夜、家に帰ると、双葉から電話がかかってきた。彼女は泣き崩れていた。「真琴……
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