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第6話

Auteur: Nayko Ayasame
last update Date de publication: 2026-08-09 14:45:14

私が歩き去ると、ザーンが追いかけてきた。

腕を掴まれる。

強く。

「頼む……送らせてくれ」

私は彼を見なかった。

もう言い争う気力すら残っていなかった。

そのまま彼に引かれるように、路肩に停めてあった車へ乗り込んだ。

車内は静まり返っていた。

漂っていたのは、ジョヴィの香水。

淡く花のような香り。

彼女そのもののような香りだった。

ザーンがエンジンをかける。

その音が、やけに大きく響いた。

一つ目の交差点を過ぎる。

そして、二つ目。

「……彼が、新しい上司なのか?」

ザーンが、何とか普通の話題を探すように口を開いた。

「そうよ」

また沈黙。

車内の空気が、ますます重くなる。

「ネリッサ……本当にすまない」

突然、ザーンが言った。

「全部、俺のせいだ。全部……」

声が震える。

「頼む。ジョヴィを責めないでくれ。彼女は弱いんだ。ヴァンスを怖がっていた。君だって、彼がどんな男か分かっているだろう?」

私は笑わなかった。

ただ、信じられないという息だけが漏れた。

「結局、また彼女なのね」

静かに言う。

「彼女がどれだけ弱いか。何を必要としているか。何を怖がっているか……」

「彼女は、俺たちの友達だったんだ」

まるで、それだけで裏切りが許されるとでもいうように。

私はゆっくり彼を見た。

「それが理由?」

声は低かった。

「私たちのベッドで彼女と一緒だったのも、友情のため?」

ザーンが顔をしかめ、ハンドルを強く握った。

「……そんな言い方は、ひどい」

「ひどい?」

私は彼を見つめた。

「彼女が、もっと金を持っている男を選んであなたを捨てたとき、私はそばにいた」

「何か月も、あなたを支えた」

声は震えていた。

それでも、涙は出なかった。

「私たちは一緒に人生を築いたでしょう、ザーン」

「それなのに、私はただの予備だったの?」

「彼女が戻ってくるまで、寂しさを埋めるための存在だった?」

「違う!」

ザーンがすぐに否定した。

「俺は君を愛してる。俺たちの結婚だって大切だ」

彼は言葉に詰まった。

二つの矛盾した感情を、どうにか両立させようとしているようだった。

「でも……彼女とは違う」

そして、苦しそうに続ける。

「彼女だけは……昔から、ずっと彼女なんだ」

――今も、彼女。

その三つの言葉は、車内に漂う香水の中に沈んだ。

口にはされなかった。

けれど、私たちは二人とも聞いていた。

私はヴァンスを思い出した。

バーで私を見たとき。

ホテルで私を見たとき。

そして、廊下で私を見たとき。

あの瞳に浮かんでいたもの。

愛でもない。

欲望でもない。

ただ――認識。

まるで、彼だけが私を見ていた。

ずっと前から、私という人間を見ていたかのように。

「仕方ないんだ……」

ザーンの声が続く。

「彼女のことになると、どうしても守りたくなる。何よりも彼女を優先したくなるんだ」

「昔から、彼女は弱くて……優しくて……傷つきやすくて」

「だから、彼女が泣いているのを見るたびに、胸が痛むんだ」

彼は私に理解してほしかったのだろう。

自分の苦しみを。

葛藤を。

彼女への愛を。

でも私には――

その一言一言が刃物だった。

彼がどれほど彼女を愛しているのか聞かされるたびに、私の心が少しずつ切り刻まれていく。

「車を止めて」

「俺たちは、このことをちゃんと話し合わないと――」

私は彼の言葉を無視し、ドアノブへ手を伸ばした。

「分かった! 分かったから!」

ザーンが慌てて車を路肩へ寄せる。

車が完全に止まるより先に、私は外へ出た。

ドアを強く閉める。

それが、すべての終わりを告げる音のように響いた。

振り返らない。

私は歩道まで行き、腕を上げた。

そして、最初に見つけたタクシーへ乗り込んだ。

「どちらまで?」

運転手が尋ねる。

「アステラ・スパイアへ」

家には帰らない。

もう、帰る場所なんてなかった。

あるのは――

これから何をするか、それだけだった。


アステラのエレベーターは、滑るように静かに上っていった。

磨かれた扉に映る自分の姿。

虚ろな目。

固く結ばれた唇。

さっきのザーンとの会話が、頭の中で何度も繰り返される。

熱い涙が一粒落ちた。

そして、もう一粒。

そのとき、エレベーターが短く音を鳴らした。

扉が開く。

そこに――

ヴァンス・ブラックウッドがいた。

秘書と話している。

けれど、私の顔を見た瞬間、彼は言葉を止めた。

五十代ほどの、鋭い雰囲気を持つ女性秘書も私に気づき、黙り込む。

私は慌てて顔を背け、頬の涙を拭った。

俯いたまま、扉が閉まることだけを願う。

「少しだけ、時間をくれ」

ヴァンスが秘書へ言った。

静かな声だった。

秘書は何も言わず、その場を離れた。

ヴァンスがエレベーターへ入る。

扉が閉まった。

重い沈黙が、二人の間に落ちる。

私は階数表示だけを見つめた。

慎重に呼吸する。

こんな姿を彼に見られていることが、どうしようもなく嫌だった。

「大丈夫か?」

その声は、冷たくなかった。

静かで。

近かった。

私は声を出す自信がなくて、小さく首を横に振った。

彼が隣で動く気配がした。

磨かれた扉の反射を見る。

ヴァンスが一瞬、ためらっていた。

私の頬に残る涙を見ている。

その表情がわずかに変わった。

昨夜のホテル。

あのキス。

二人だけの、最悪な出来事。

それを思い出したのだろう。

彼の顎がわずかに強張った。

まるで、私の涙をどう扱えばいいのか分からないようだった。

やがて、彼はゆっくり手を伸ばした。

そして――

「開」

停止ボタンを押した。

エレベーターの振動が止まる。

私たちは階と階の間で、二人きりになった。

彼は私を慰めようとはしなかった。

代わりに身体をずらし、隅にある監視カメラと私の間に立った。

私を見ようとはしない。

ただ、閉じた扉をまっすぐ見つめている。

けれど、私は気づいていた。

七年前と同じもの。

一瞬だけ現れて、すぐに消える。

まるで私を見ているのに――

見ないようにしているかのような視線。

「十五分後、ハリントンが役員会議室に来る」

低い声が響いた。

彼は、私が集中できるものを与えようとしているのだと分かった。

「ゼニスのデータを気にしている。君はスカンジナビア地域のレポートを担当したな」

質問ではなかった。

私を現実へ引き戻すための、一本のロープだった。

私は唾を飲み込み、無理やり声を出した。

「はい。生データを見る限り、彼らが見落としている大幅な効率改善があります」

「彼らはコストだけを見ています」

「そうか」

ヴァンスが短く答えた。

そして、一拍置く。

「データをまとめろ」

「十二分後、役員会議室で会う」

私は彼を見る。

「私が?」

「私はデータアナリストです。ハリントンは社長であるあなたか、CFOを期待するはずです」

ヴァンスが、ようやくこちらを向いた。

その灰色の瞳が、私を真っ直ぐ捉える。

そこに同情はなかった。

ただ、明確な挑戦があった。

「彼が会うべきなのは、それを一番よく知っている人間だ」

「数字の中にある真実を恐れない人間にな」

彼の目が私から離れない。

「できるか?」

落ち着いている。

期待している。

まるで、ハリントンを感心させられるかと聞いているのではない。

もう一度、立ち上がるつもりがあるのかと――

そう聞かれているようだった。

涙が止まった。

胸の奥にあった空虚さが、鋭い集中力へと変わっていく。

彼は私の肩を叩いたわけではない。

慰めたわけでもない。

それでも、もっと大切なものを与えてくれた。

やるべき仕事。

そして――

それをやり遂げる理由。

「はい」

私は答えた。

今度は、はっきりとした声で。

「できます」

ヴァンスは短くうなずいた。

そして、停止ボタンを解除する。

エレベーターが再び動き始めた。

扉が開いた瞬間、彼は振り返らずに言った。

「十二分だ、サリヴァンさん」

仕事の声だった。

彼はそのまま歩き去った。

私は一人、エレベーターに残された。

深く息を吸う。

真鍮の扉に映った自分を見る。

そこにもう、泣いている妻はいなかった。

仕事を持つ一人の女性がいた。

私はプレゼンの準備をしなければならない。

ザーンは五年かけて、私に「私は足りない」と思わせた。

ヴァンスは、たった五分もかからずに――

私が何に価値があるのかを思い出させた。

私は新たな自信を胸に、役員会議室へ向かった。

もし、愛が私を守ってくれないのなら――

私自身が、私を守ればいい。

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  • 復讐のアフェア:親友の夫が、私に復讐を持ちかけてきた   第255章

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  • 復讐のアフェア:親友の夫が、私に復讐を持ちかけてきた   第254章

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  • 復讐のアフェア:親友の夫が、私に復讐を持ちかけてきた   第253章

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