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その後、母も私を訪ねてきた。以前より白髪がずいぶん増え、顔には隠しきれない疲れと後悔が滲んでいた。私の手を握ったまま、なかなか離そうとしない。その目には、許してほしいという思いがありありと浮かんでいた。両親は緋奈を家から追い出し、遺言書まで作って、すべての財産を私に残すことにしたらしい。けれど、今になって差し出された愛情に、もう心が揺れることはなかった。どれだけ後悔されても、これまでのことまでなかったことにはできない。それから間もなく、母は帰宅途中に大きな交通事故に遭った。父もその衝撃に耐えられず病に倒れ、ほどなくして後を追うように亡くなった。葬儀の日は、細かな雨が降り続いていた。並んだ2つの墓石を前にしていると、ふと15歳のあの日を思い出した。私を迎えに来た両親は、手を握りながら言ってくれた。これからは、今までの分まで大切にする、と。私はずっと、その言葉を信じていた。けれど、最後まで叶うことはなかった。一方、蓮もこのところ、頭を抱える日々が続いていた。怜司が事業で桐生グループを次々と追い込み、会社は立て続けに打撃を受けていた。株価は暴落し、提携先も次々と手を引いていった。それでも蓮は、彼なりに償おうとしていた。高価な宝石に、不動産の権利書、株式の譲渡書類。次々と送られてきたものを、私はひとつ残らず送り返した。それから間もなく、私は怜司と盛大な結婚式を挙げた。指輪を交換するとき、会場のいちばん後ろに見覚えのある姿を見つけた。蓮だった。以前よりずっと痩せ、顔色もひどく青白い。白いドレスをまとった私が怜司へ「はい」と答えた瞬間、蓮はこみ上げるものを堪えるように私を見つめた。それでも彼は手を叩き、何度も私たちへ拍手を送っていた。式が終わると、蓮が私のもとへやってきた。しばらく何も言わずに私を見つめたあと、ようやく口を開く。「美月……きれいだ」「ありがとう」「この結婚式、俺も何度も想像したことがあるんだ」「……」「ほとんど、思い描いてた通りだよ」蓮は笑った。けれど、その頬には涙が伝っていた。「ただ、美月の隣にいるのが俺じゃない。それだけだ」私は何も答えなかった。しばらく黙っていた蓮は、やがて静かに言った。「絶対、幸せになれよ」「
父は青ざめたまま、その場に立ち尽くしていた。大きな体を縮こまらせるように肩を落とした姿は、ついさっきまでとは別人のように老け込んで見える。何度も何か言おうと口を開くのに、結局、言葉にはならなかった。私はもう、2人の顔を見ていたくなかった。床に散らばったネックレスの欠片を拾い集め、その場を離れようとしたところで、ふと足を止める。「蓮」振り返らないまま、名前を呼んだ。「婚約指輪なら、緋奈の誕生日パーティーで返したよ。覚えてる?」背後で、蓮が息を呑んだ。「……あれ」かすかに震える声が返ってくる。「あのときの……あれ、美月だったのか?」私は小さくうなずいた。「そう。私だった」少しの沈黙を置いて、静かに続ける。「だから、これで私たちはもう終わり。何の関係もない」視界の端で、両親がこちらへ歩み寄ろうとするのが見えた。けれど私は、その手を取ることなく怜司の腕を取った。もう、遅すぎたのだ。あの誕生日パーティーの日、ほんの少しでも私のことを見てくれていたら。あの場にいたのが私だと、誰かひとりでも気づいてくれていたら――もしかすると、ここまで迷いなく手放すことはできなかったかもしれない。けれど、今となってはどうでもよかった。死にかけて、ようやく分かったのだ。私はもう、あの人たちの愛を求めなくていい。その後も、蓮は何度となく私のもとを訪ねてきた。ある日など、私の前で膝をつき、何度も自分の頬を打った。「やめて」静かに止めると、蓮の手が止まる。「そんなことしても、私は許さないよ」その目から、また涙がこぼれた。自分が何を壊したのか、今になってようやく分かったのだろう。私は確かに蓮を愛していた。だからこそ、これまでのことを簡単になかったことにはできない。蓮は泣きそうな顔のまま、どうにか笑おうとした。「ごめん。俺は緋奈を、妹と重ねてたんだ」蓮は俯き、しばらくしてから言葉を継いだ。「俺を助けて死んだ妹のことが、ずっと忘れられなかった。あの子への罪悪感も消えなくて……緋奈に優しくしてやれば、少しは楽になれる気がしてたんだ」そこで一度、言葉が途切れる。「でも、緋奈は妹じゃない。それなのに俺は、罪悪感から逃げたくて、勝手にあの子を重ねてた」やがて顔を上げた蓮は、まっすぐ私
緋奈の目がわずかに泳ぎ、指先が無意識に服の裾をつかんだ。その様子を見ていた怜司は、ゆっくりと周囲を見渡した。「それでもまだ、緋奈の言うことを信じるのか?」父が緋奈へ向き直る。「緋奈。あのとき、お前は泣きながら電話してきたな。美月にわざと危険な場所へ置き去りにされたって。あれはどういうことだ?」緋奈の顔がこわばった。「本当だよ!」すぐさま声を上げる。「本当にお姉ちゃんが私を置いていったの!あの電話だって、もう二度とお父さんたちに会えないかもしれないって怖くて……」怜司は呆れたように笑った。その声に、緋奈の肩がびくりと揺れる。「じゃあ聞くけど、美月が命がけでクスタニアへ戻ってから、何があったか知ってる?」誰も答えない。「拉致された。何度も殴られて、散々痛めつけられて、襲われかけて……最後には脚まで折られた」「……何?」蓮の顔色が変わり、次の瞬間には緋奈の腕をつかんでいた。「お前、俺に何て言った?」「蓮さん……」「美月が全部仕組んで、お前を置き去りにしたって言ったよな?」声が荒くなる。「美月はちゃんと準備してるから安全だ、心配する必要なんかないって……そう言っただろ!」蓮は緋奈を睨みつけた。「だから俺は、少しくらい苦労すれば反省するだろうって……放っておいたんだぞ!」緋奈の体が震え始める。「全部、お前が仕組んだのか?」怜司の声には、はっきりと怒りが滲んでいた。「美月は何度も死にかけた。それがお前の言う安全か?」緋奈は答えられない。「折れた脚を引きずって、それでもお前を捜してた。少しでも手がかりが見つかれば、すぐ家へ知らせようとしてたんだ」怜司は両親へ視線を移した。「その間、あんたたちは何してた?」両親も、顔を上げられなかった。「こいつの誕生日を祝ってた」誰も動かなかった。「3か月だ。3か月もの間、美月を捜した人間はひとりもいなかった」怜司の話によれば、緋奈は最初から旅行を利用して私を消すつもりで、現地の男たちに拉致を依頼していた。ところが地震と暴動によって計画が狂うと、自分だけ安全な場所へ逃げ、それでも私を陥れるため家へ電話をかけたという。そして3日後、今度は自分が被害者であるかのように振る舞って救助されていた。話を聞くう
重い沈黙を破ったのは、緋奈だった。私のそばまで駆け寄ると、傷ついたような顔でこちらを見上げる。「お姉ちゃん。お父さんとお母さんを恨んでるのは分かるよ。でも、蓮さんは悪くないでしょう?」一度ためらうように口をつぐんでから、ぽつりと続けた。「ほかに好きな人ができたからって、蓮さんまで……」その言葉に、蓮の表情が変わった。「……ほかに好きな男がいるのか?」答える間もなく腕をつかまれ、そのまま物置へ連れ込まれたかと思うと、扉が勢いよく閉まり、暗闇の中に蓮の声だけが響いた。「少しそこで頭を冷やせ」「それから、本当に婚約をやめるのか、もう一度よく考えろ。落ち着いたら話を聞く」足音が遠ざかっていく。その瞬間、閉ざされた暗闇の中で逃げ場を失ったクスタニアの地下室での恐怖が一気に蘇り、背中を冷たい汗が伝った。「いや……やめて……」脚から力が抜け、震える声とともに呼吸もどんどん浅くなっていく。耳の奥では、自分の心臓の音だけがやけに大きく響いていた。「開けて!」堪えきれずに叫ぶと、すぐに足音が戻ってきて、ドアノブが回った。扉が開く――そう思った瞬間、私は泣きながら叫んでいた。「怜司、助けて!」ドアノブの動きが止まった。「……今、誰の名前呼んだ?」蓮の声が、一段低くなった。「ほかの男の名前を呼べるくらいなら、そこでしばらく頭を冷やしてろ」足音はそのまま遠ざかっていった。私は壁際にうずくまり、震える手で何度も扉を叩いた。やがて声も掠れ、指先にも力が入らなくなっていく。もう耐えられないと思ったそのとき、外がにわかに騒がしくなり、次の瞬間、激しい音とともに扉が開いた。蓮と怜司が、ほとんど同時に中へ入ってくる。私は考えるより先に怜司へ駆け寄っていた。「怜司……!」その胸にしがみつき、肩へ顔を埋めた途端、堪えていた嗚咽がこぼれた。「大丈夫」怜司が私の腰を抱き寄せる。「もう大丈夫だ。怖がらなくていい」そう言いながら、ゆっくり背中を撫でてくれた。その様子を見た蓮の顔が険しくなる。「美月から離れろ!勝手に触るな!」蓮は怜司を引き離そうと私へ手を伸ばしたが、触れられる寸前、私は反射的に身を引いた。それを見て、蓮の手が止まった。「……美月?」そこでようやく、私
電話越しにも、2人が怒っているのが伝わってきた。先に口を開いたのは父だった。「美月。本気で婚約を解消するつもりなのか?」「うん。もう蓮とは結婚したくない」「正気か!」たちまち声が荒くなる。「桐生家との婚約だぞ。お前ひとりの都合で、勝手に白紙にできると思ってるのか!」そのとき、電話の向こうで人の気配がした。次に聞こえてきたのは、蓮の声だった。「美月、どういうつもりだ」苛立ちを抑えきれない声だった。「勝手に婚約破棄できるとでも思ってるのか?今日中に戻ってこい。来ないなら、おばあさんからもらったネックレスを壊すから」「……蓮」思わず目を閉じた。ここまでされるなら、もう先延ばしにする意味もない。終わらせよう。全部。怜司はここ数日仕事が立て込んでいたため、私はひとりで藤宮家へ戻った。リビングには両親が並んで座り、その向かいに蓮がいた。私を見るなり、蓮が立ち上がる。目の下には濃い隈ができていた。ろくに眠っていないのだろう。やがて、その視線が私の首元で止まった。服の隙間から、ガーゼが覗いている。「……首、どうしたんだ?」蓮が手を伸ばしてきた。私は反射的に半歩下がる。今は、触れられたくなかった。まさか避けられるとは思わなかったのだろう。蓮の手が宙で止まった。「美月」母が厳しい声で私を呼んだ。「最近のあなた、本当にどうしたの?緋奈につらく当たったかと思えば、あんな危険な場所に連れていって置き去りにして……そのうえ今度は、勝手に婚約まで解消するなんて」私は黙って母を見た。「やっぱり、緋奈の言うことしか信じないんだね。緋奈から電話が来たときには、もう私がわざと置き去りにしたって決めつけてたんでしょう?」母の顔を見たまま、続ける。「私が何を言っても、最初から聞くつもりなんてなかった。今までだって、私の言葉を信じてくれたこと、あった?」母は何も言えなかった。「もう疲れたの。ずっと我慢して、譲って、聞き分けのいい子でいようとして……そうしないともらえない愛なら、もういらない」これ以上、話しても仕方がない。2階へ向かおうとしたところで、蓮に腕をつかまれた。「待てよ。それ、どういう意味だ?」その瞬間、緋奈の顔色が変わった。みるみる目
「蓮が前に言ってた。怜司とは昔から折り合いが悪いって。何かあったの?」そう尋ねると、怜司は少し不満そうに答えた。「俺が美月を見つけるより先に、あいつが美月の隣にいた。十分すぎる理由だろ?」あまりにも当然のように言われて、返す言葉がなかった。「でも、それならどうして今まで一度も会わなかったの?」怜司は少し目を細めると、長い指で私の頬をつまみ、そのまま顔を近づけてきた。「昔の美月は、蓮しか見えてなかっただろ。ほかの男が目に入る余地なんてあった?」隠すつもりもないらしい。呆れて何も言えずにいると、ちょうどそのときスマホが鳴った。画面に表示されたのは、蓮の名前だった。私が手を伸ばすより早く、怜司が通話ボタンを押す。「美月、いつまで意地張ってるんだ?もう何日経ったと思ってる。明日は父さんの60歳の誕生日だ。ふざけてないで、遅れずに来い」出るなり、不機嫌そうな声が飛んできた。私が口を開くより先に、怜司がさらりと答える。「分かった」そして、そのまま電話を切った。思わず怜司を見ると、本人は何食わぬ顔をしている。一方、電話を切られた蓮は、しばらくスマホの画面を睨んでいた。――今の男は誰だ?どこかで聞いた覚えのある声だった。すぐにかけ直したものの、つながった途端に切られる。3回、4回と繰り返しても拒まれ、ついには電話そのものがつながらなくなった。美月が自分の電話に出ない。それどころか、知らない男が代わりに出た。なぜか、それがひどく癇に障った。その頃、怜司は私のスマホを手にしたまま尋ねた。「で、本当に行くの?」私は少しだけ笑って、首を横に振った。翌日、桐生家では蓮の父の60歳を祝うパーティーが開かれた。蓮は何度も会場の入口へ目を向けていた。招待客に話しかけられてもどこか上の空で、気づけばまた外を見ている。やがて父に席へ戻るよう促され、渋々その場を離れた。「美月は一緒じゃないのか?」「……たぶん遅れてるだけだ。もうすぐ来ると思う」そう答えたものの、蓮自身も落ち着かなかった。それから2時間が過ぎても、私は現れなかった。パーティーも終わりに近づいた頃、蓮はたまらず会場の隅へ移り、私に電話をかけた。けれど、呼び出し音がむなしく続くだけだった。そのとき、贈