私・藤井凛香(ふじい りんか)は弟の親友である村上奏多(むらかみ かなた)と、三年間恋人として付き合っていた。 彼は耳元で何度も、家同士の政略結婚なんて大嫌いだと漏らしていた。 けれどまた一度の熱に身を委ねた夜の後、彼は甘えた声で、見たこともない婚約相手のために結婚指輪をデザインしてくれと頼んできた。 その瞬間、私の笑みは凍りついた。だが彼は当然のように言った。 「俺たちみたいな人間は、最終的に政略結婚するしかないんだろ?」 血の気が引いた私の顔を見て、彼は鼻で笑った。 「凛香、まさかまだ二十歳の小娘みたいに、本気で俺が君と結婚するなんて思ってたのか? 俺たちの関係なんて、せいぜいセフレだろ」 その後、私は家の決めた縁談を受け入れることにした。 すると惨めに涙で目を赤くした彼が、私の前に現れ、地に膝をついて必死に戻ってきてほしいとすがった。 私は新婚の夫の腕に手を添えて、かすかに笑みを浮かべた。 「最初に言ったのはあなたでしょ。私たちみたいな人間は、生まれた時から政略結婚する運命なんだって。今、あなたの願い通りになったんだから、喜ぶべきなんじゃない?」
view more盗作騒動が落ち着いたあと、私のデザインのキャリアは一気に絶頂期を迎えた。 複数のメディアが事件を競い合うように取り上げ、その流れで私のデザイン経歴まで掘り返され、アトリエの受注は半年先まで埋まってしまった。 晴真はそのためにわざわざ小さな打ち上げを開き、親しい友人や家族だけを招待した。 宴の席で、隼人はほろ酔い加減で私の腕をつかみ、止まらなく喋り続けた。 「姉さん、奏多が今どれくらい悲惨か、知らねぇだろ……」 「隼人」 いつの間にか背後に現れた晴真が、自然な仕草で私の肩に手を置いた。 「今夜はその話はやめよう」 隼人は口を尖らせ、別の話題に切り替えた。 けれど、その言葉はやっぱり私の好奇心を掻き立てた。 宴が終わってから、私は思わず晴真に尋ねた。 「村上グループって、最近どうなってるの?」 書斎で書類を眺めていた晴真は、顔を上げた。 「知りたいのか?」 私はうなずいた。 「千尋のスキャンダルが暴かれてから、村上グループの株価は急落した。奏多の父親は怒りで倒れて入院中だ。今は一時的に奏多が会社を預かってる」 私は目を丸くした。 「……何のスキャンダル?」 晴真は歩み寄り、私を抱き寄せて膝の上に座らせた。 「知らなかったのか?」 彼の指先が、私の長い髪を優しく梳いた。 「千尋と奏多の秘書との関係、それに君を陥れた証拠。全部、誰かが匿名でネットに流したんだ」 私はすぐにピンときて、彼を見つめた。 「あなたがやったの?」 彼は真顔で答えた。 「俺は、ただ真実が広まるのを加速させただけだ」 私は思わず吹き出した。晴真にこんな腹黒い一面があるなんて、どうして今まで気づかなかったんだろう。 …… その頃、奏多は毎日のように火の車だった。 晴真の容赦ないビジネス上の圧力と、村上グループの一族内の激しい重圧に挟まれながら、彼はようやくひとつの冷酷な現実を認めざるを得なかった。 ――自分は徹頭徹尾、自分だけを愛する男だと。 村上グループの莫大な利益を捨てることも、自分が慣れきった贅沢な生活を手放すことも、彼には絶対にできなかった。 彼は完全に、私への未練を捨てた。 ただ、それでも時折、経済ニュースの紙面や社交の場で、遠くから私と晴真が並び立つ姿を目にするた
千尋の件を片付けたあと、奏多はかつて私と一緒に暮らしていたあの家へ戻った。 だが今や、そこは千尋の痕跡で完全に覆われていた。 私が心を込めて選んだカーテンも、ソファも、ラグも、すべて千尋好みのギラギラした派手なものに取り替えられていた。 壁に掛かっているのは、もう二人で旅行した時の思い出の写真じゃなく、奏多と千尋が寄り添うツーショットだった。 私の痕跡は徹底的に消され、まるで最初から存在していなかったかのよう。 その空っぽさと後悔に、奏多は押し潰されそうになっていた。 ――まだ間に合う。やり直せる。 そう信じて、千尋が壊したミニチュアハウスを高額金で修復させ、さらに街中の一流テーラーを駆け巡って、あの日自分で切り裂いてしまったウェディングドレスをどうにか元通りにしようと必死になった。 そしてそれらを両手に抱え、私の前に現れた奏多は、声をかすれさせて赦しを乞い、もう一度だけチャンスをくれと縋った。 私はその手にある、痛みばかりの記憶で満ちた品々を見て、ただ皮肉さしか感じなかった。「奏多」私は静かに口を開いた。「壊れたものは、もう壊れたままなの。いくら繋ぎ合わせても、最初の姿には戻れない。私とあなたも……同じよ」彼の目は赤く滲み、涙が溢れそうになりながらも、必死にこぼすまいと堪えていた。私はもう視線を向けず、踵を返して車に乗り込み、去る準備をした。だが彼は突然、車の前に飛び出し、両腕を広げ道を塞いだ。「凜香、俺、本当に間違ったんだ!君が赦してくれないなら……ここで死んでやる!」私は冷たい目で彼を見据えた。「じゃあ、死ねばいい」奏多の顔が凍りついた。まさか私がそこまで残酷な言葉を吐くとは思っていなかったのだろう。けれどすぐに、彼の唇は歪み、哀れな笑みを浮かべた。「そんなことない!君は、俺が死ぬなんて耐えられないはずだ」私はエンジンをかけ、アクセルを踏み込んだ。車がぶつかる寸前、奏多は慌てて横に飛び退き、地面に派手に転がった。笑みは凍り、苦痛に顔を歪めながら、彼は私を見上げた。その時、晴真の車がやってきて、私の隣に止まった。彼は車から降り、地面に座り込む奏多に一瞥をくれただけで、横に立つ秘書に低く命じた。「村上グループの最近のいくつかのプロジェクトに少し厄介なこと
奏多は私と晴真に刺激され、頻繁に仲間を呼び出しては酒に溺れるようになった。 ある夜、泥酔した勢いで、彼はうっかり隼人に本音をこぼしてしまった。隼人は彼の支離滅裂な話を聞くにつれ、顔色はどんどん険しくなり、怒りが膨れ上がっていく。ついに知ってしまったのだ。自分の姉が奏多のもとでどれほどの屈辱と傷を負ってきたのかを!抑えきれぬ怒りに駆られた隼人は、その場で奏多を殴り倒し、病院送りにしてしまった。奏多は顔を腫らして病床に横たわっていたが、千尋は一度だけ見舞いに来た。だがほんの数分でスマホを眺めると、会社の急用だと適当な口実を残し、そそくさと去ってしまった。その目には、ほとんど心配の色すら浮かんでいなかった。千尋が去って間もなく、奏多は医師の制止も聞かずに勝手に退院手続きを済ませた。病棟を通りかかったとき、ふと耳に千尋の声が届いてくる。「奏多なんてただの馬鹿よ、私がいいように弄んでるだけ」千尋の声がはっきり響いた。「でも、ベッドの上ではまだ使えるわね」甘く笑う声が続く。「頭はあんまり良くないみたいで、あなたのことを自分の忠実な秘書だと思ってるんだよ。そういえば、今回のデザインコンテストで凛香を陥れる件、あなたがインターンをうまく操ってくれて助かったわ。でも残念だね、晴真のやつに邪魔されちゃったけど!」別の男の声が混ざった。「前から奏多の鼻持ちならない態度が気に食わなかったんだ。いいところに生まれただけで、あいつ自身の力なんてたかが知れてる」なんと、盗作事件は千尋がすべてを計画したものだったのだ!奏多は騙され続けただけでなく、とんでもない裏切りまで被せられていたのだ!怒りで顔が青ざめ、胸の奥で炎が爆発する。奏多は一気に病室のドアを蹴破った。そこでは千尋と秘書が衣服を乱したまま絡み合っていた。突然の乱入に千尋は悲鳴を上げる。奏多は秘書の胸倉を掴み、容赦なく殴りつけた。千尋は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、必死に這いつくばって奏多に縋りついた。「奏多、聞いて!……悪いのはあいつよ!あいつが私を誘惑したの!」彼女は地面に半殺しにされた秘書を指差し、すべての責任を彼に押し付けようとした。だが奏多は千尋の髪を掴み、ぐいと持ち上げた。強引に顔を上げさせ、低い声で囁く。「この
この言葉が出た瞬間、会場はざわめきに包まれた。 奏多がすぐさま彼女の隣に立ち、軽蔑を込めた口調で言い放つ。 「凛香、まさか勝つためにそこまで卑怯な手を使うなんて思わなかったよ!」 途端に会場は議論でざわつき、視線が一斉に私へと集中した。 審査員たちの表情も厳しくなっていく。 その時、入口から聞き慣れた声が響いた。 「俺は妻を信じてる。彼女の才能は、盗作なんかに頼らなくても証明できる」 晴真が私の隣に歩み寄り、そっと手を握って安心させるように目を合わせてくれる。 そして審査員席に向き直った。 「松井さんの告発については、これは悪意ある中傷に過ぎないことを示す充分な証拠があります」 私はすぐに、数ヶ月前に国際著作権センターで登録した作品の著作権証明を提示した。 そこには細かい修正段階とタイムスタンプが明記された詳細な制作原稿。 さらに、国際的に名高いジュエリーデザイナー、アントニー先生とやり取りしたメール記録。 保険のつもりで慎重に残していたものが、まさか本当に役立つとは思わなかった。 これらの証拠は、千尋の作品よりも私のデザインが先に完成していたことを十分に裏づけていた。 そして晴真がさらに強力な証拠を提示した。 それは録音データと数枚の写真だった。 千尋が金で私のアトリエのインターンを買収し、私のデザイン初稿を盗ませていたのだ。 その初稿を手にした彼女は、別の代筆デザイナーに少し手直しさせ、自分の作品として堂々と出品していた。 千尋の顔色は瞬時に真っ青に変わり、今にも倒れそうだった。 審査員たちは短い協議の後、即座に千尋の出場資格を取り消すことを発表した。 晴真の視線は、顔をひきつらせている奏多に向かう。 「村上社長。本日をもって、武田グループと村上グループの全ての進行中、及び計画中の協力案件は取り消しとさせていただきます」 千尋の醜聞でただでさえ面目を失っていた奏多は、この言葉に耳を疑い、顔色を失った。 彼は昔から、晴真の余裕をもって全てを掌握する態度が気に入らなかった。 その苛立ちを隠さず、侮蔑を込めて言い返す。 「武田社長、たかが一人の女のためにここまでやるつもりか?両家の協力には何百億円も関わってるんだぞ!」 晴真は淡々と彼を一瞥し、そして優しく私に視
モルディブに来て一週間。 晴真は毎日、新しいサプライズを用意してくれた。 プライベートのダイビングレッスン、満天の星空の下でのシーフードディナー、さらには私の誕生日のためだけに島全体を貸し切ってくれた。「何を考えてる?」 背後から晴真が私の腰を抱き寄せ、顎を肩にのせてくる。 「こんなに素敵なことが、本当に現実なのかなって」 私は彼の胸に身を預け、安心したように微笑む。 「噂で聞いていたあなたと全然違う」 晴真はふっと笑った。 「噂の俺はどんな感じだった?」 「冷酷で無情な仕事人間……利益のためなら手段を選ばないって、奏多が……」 その名前を口にした瞬間、思わず口をつぐむ。 晴真の腕がわずかに強くなったが、声色はあくまで柔らかかった。 「奏多の言うことなんて半分で聞いておけばいい」 彼は私の身体をくるりと前に向ける。 「ただし、仕事人間ってところは事実だ。けど今は、仕事よりも君のほうが大事だ」 そして彼の唇が降りてくる。 優しく、それでいて揺るぎのない口づけ。 奏多の支配欲に満ちたキスとはまるで違い、晴真のそれは祈りのように穏やかだった。 帰国後、晴真は「サプライズがある」と言い、私の目を布で覆ってどこかへ連れていった。 手を放されると、目の前に現れたのは、デザインスタジオだった。隣には国際宝飾デザインコンテストの応募用紙が置かれていた。目にした瞬間、胸が熱くなり、涙が込み上げてくる。 晴真は指先でそっと私の涙を拭った。 「君の才能は、埋もれさせるには惜しい」 まっすぐに見つめてきて、真剣な声で続ける。 「好きなことを思い切りやればいい。俺が一番の後ろ盾になる」 その言葉に、私は過去の三年間を思い出す。 奏多と一緒にいたあの時間―― 彼は私のデザインをいつも見下していた。 「そんなチンケなデザインじゃ、家の格を落とすだけだ」 三か月をかけて準備し、ある展示会に応募しようとしたときも、目の前でデザイン画をシュレッダーに投げ込まれた。 「無駄なことはやめろ!」 あの日の絶望に比べて、晴真の理解と支えはあまりにも温かく、胸の奥が熱を帯びる。 私は決めた。情熱を注ぎ、自分の夢を追いかけることを。彼の想いを裏切らず、自分自身も裏切らないために。
奏多の頭の中で「ガンッ」と鳴った。 晴真は彼の宿敵であり、ビジネスの場では互いに刺し合うように争い、私生活でも犬猿の仲だった。 父親ですら一目置く存在だ。 奏多は結婚式の数日前を思い返す。 千尋はずっと彼にまとわりつき、北欧へオーロラを見に行こうだの、南の島でバカンスだのと、徹底的に時間を奪い取っていた。 挙式前夜でさえ、千尋はわざわざレースのセクシーな下着を着て彼を誘い、他のことに気を回す暇など与えなかった。 ましてや凛香に連絡を取ったり、世間のニュースに気を配ることなど不可能だった。 奏多は無理に冷静を装い、受話器に向かって言い放った。 「晴真が彼女に惚れるわけないだろ。俺を引き戻すために、あの女は本当に何でもやるんだな。 所詮その程度の女だ」 口ではそう言いながらも、胸の奥の不安はどんどん膨れ上がっていく。 彼は電話を切ると、押し寄せる感情を必死に抑え込み、足早に式場へ戻った。 決して誰にも動揺を悟らせるわけにはいかなかった。 一方、隼人は通話を切った後、なんとも言えない表情を浮かべていた。 彼は私の耳元で囁く。 「奏多が晴真は姉さんと本気で結婚するはずがない、芝居だって言ってたよ。 ホント意味わからないよな。姉さんが誰と結婚したかなんて、どうしてそんなに気にするんだ?付き合っているわけでもないのに」 私はその言葉を聞いて、ただ苦く笑った。 彼はまだ、私が本気で彼を離れるなんて信じられないのだ。 確かに、以前の私ならそうだった。 彼にどれだけ傷つけられても、指先ひとつで呼ばれれば戻ってしまった。 でも、今はもう違う。 私は深く息を吸い込み、隣にいる男性の手を強く握りしめた。 晴真が顔を寄せ、温かな吐息が耳をくすぐる。 「緊張してる?」 私は顔を上げる。奏多の派手さとは正反対に、晴真の雰囲気はどこか静かで落ち着いていた。 「ちょっと」正直に答えた。「だって、私たち出会ってまだ一か月も経ってないの」 晴真は口の端をわずかに上げ、花嫁のベールをそっと整えながら言った。 「でも、君が俺と一生を共にする人だって分かるくらいにはもう十分さ、そろそろ入場しよう」 式が終わると、晴真は突然耳元で囁いた。 「出発の準備はできた?」 「今?」私は驚いて彼
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