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愛あるところ、すべては虚妄

愛あるところ、すべては虚妄

By:  星崎Completed
Language: Japanese
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私・篠原美月 (しのはら みづき)と藤崎彰人 (ふじさき あきひと)は大学時代に出会い、恋に落ちた。 卒業後、私たちはごく自然な流れで結婚した。 翌年、藤崎遥斗 (ふじさき はると)が生まれた。けれど、不幸にも聴力を失うという後遺症が残ってしまった。 それでも、私はその運命を甘んじて受け入れ、彰人が築いてくれた幸せな世界に、満ち足りた想いで浸っていた。 けれど、ある日突然、私の耳が再び聞こえるようになってしまったのだ。 彰人が部下の女性と睦言を交わす声。 遥斗が、誕生日のパーティで「ママなんて、永遠にいなくなればいいのに」と願う声。 それらを聞いてしまった瞬間、私の心は音を立てて崩れ落ちた。 再会は、アズマニア共和国。 遥斗がみすぼらしい姿で駆け寄り、泣きながら私に抱きついてこようとした時だった。 私はその手をすり抜け、そばにいた別の子供を愛おしそうに抱きしめると、平坦な声で言い放った。 「私はあなたのママじゃない。今度は……私があなたを捨てる番だ」

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Chapter 1

第1話

私・篠原美月 (しのはら みづき)と藤崎彰人 (ふじさき あきひと)は大学時代に出会い、恋に落ちた。

卒業後、私たちはごく自然な流れで結婚した。

翌年、藤崎遥斗 (ふじさき はると)が生まれた。けれど、不幸にも聴力を失うという後遺症が残ってしまった。

それでも、私はその運命を甘んじて受け入れ、彰人が築いてくれた幸せな世界に、満ち足りた想いで浸っていた。

けれど、ある日突然、私の耳が再び聞こえるようになってしまったのだ。

彰人が部下の女性と睦言を交わす声。

遥斗が、誕生日のパーティで「ママなんて、永遠にいなくなればいいのに」と願う声。

それらを聞いてしまった瞬間、私の心は音を立てて崩れ落ちた。

再会は、アズマニア共和国。

遥斗がみすぼらしい姿で駆け寄り、泣きながら私に抱きついてこようとした時だった。

私はその手をすり抜け、そばにいた別の子供を愛おしそうに抱きしめると、平坦な声で言い放った。

「私はあなたのママじゃない。今度は……私があなたを捨てる番だ」

……

「なんでまたあの足手まといからだよ。パパ、早く電話出て!」

画面の向こうから聞こえてきた幼い声に、私ははっと息を呑んだ。

それが息子の声だと、少し遅れて気づく。

どういうことだろう。今朝、幼稚園に行ったはずなのに。どうして彰人と一緒にいるの?

「い……ま、どこ……?」

聴力を失ってから、他人に嘲笑されるのが怖くて、私は一度も声を発したことがなかった。

彰人は少し驚いたように私を見つめ、慌ただしく手話で伝えてくる。

「会議、今終わったとこだよ、美月。どうした?俺に会いたくなった?

今日、声が出せるようになったのか?!」

私が口を開くより先に、画面の外から、軽蔑のこもったはっきりとした声が聞こえてきた。

「フン!声が出たって何の意味があるんだよ。どうせ聞こえてないくせに」

彰人はその声を無視し、優しい眼差しで私だけをじっと見つめ、辛抱強く答えを待っている。

すると、少し焦ったような女の声が、息子を優しくなだめるのが聞こえた。

「遥斗くん、パパの邪魔しちゃだめよ。学校に行ってないのがママにバレたら、また叱られちゃうでしょ」

遥斗は嫌悪感を隠すことなく言った。

「ありえないよ。あの人、耳が聞こえないんだぞ!何がわかるっていうんだ。せっかく遊園地に来たのに、僕のこと指図する気?

やっぱり沙友理お姉さんがいい。ねえ、先に僕と遊びに行こうよ、いいでしょ」

私はその場に凍りついたようだった。衝撃と失望で、身動き一つ取れない。

彰人は、私が呆然としているのに気づいたのだろう、表情が険しくなり、慌てて手話で尋ねてくる。

「美月、どうした?気分でも悪いのか

すぐにチケットを取って、そっちに帰る」

私は大丈夫だと手で制し、深く息を吸い込んでどうにか感情を押し殺した。

再び画面の外から急かす声が聞こえ、私は慌てて通話を切った。

手から力が抜け、携帯電話が滑り落ちる。ガシャン、と音を立てて床に落ちた。

はっと我に返った時、私はソファに崩れ落ちていた。

心臓が激しく、胸から飛び出してしまいそうなほどに高鳴っている。

私は力なく左胸を押さえた。そして、今更ながらに思い出す。私が電話をかけたのは、彰人に聴力が戻ったという、この吉報を伝えるためだったのだと。

今朝、目が覚めた時、不意に足を踏み外し、私は階段から転げ落ちた。

再び目を開けると、耳の奥で「ボン」という音が響いた。

耳鳴りがすべて止み、周囲の環境音が、突如として信じられないほど鮮明に流れ込んできた。

私はその場で呆然とし、しばらくして、居ても立ってもいられず彰人に電話をかけたのだった。

まさか、回復して最初に聞いた言葉が、いつもは素直で聞き分けのいいはずの息子の、私への恨み言だったなんて。

階段から落ちた時に打った頭のたんこぶが、ズキズキと痛み始める。

私はぼんやりとしたままソファに横たわる。悔しさが涙と共に溢れ出し、ソファのクッションを濡らしていった。

どれくらい時間が経っただろうか。額に、そっと触れられるくすぐったい感触がした。

目を開けると、彰人が痛ましそうな顔で、綿棒に消毒液をつけて私の頭の傷に塗ってくれているところだ。

「あなた……どうして帰ってきたの?」

私は習慣的に手話で尋ねた。

彰人もすぐに手話で返す。その顔に浮かんだ心配は、嘘偽りのないものに見えた。

「美月のことが心配で。だから、出張を切り上げて帰ってきたんだ」

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第1話
私・篠原美月 (しのはら みづき)と藤崎彰人 (ふじさき あきひと)は大学時代に出会い、恋に落ちた。卒業後、私たちはごく自然な流れで結婚した。翌年、藤崎遥斗 (ふじさき はると)が生まれた。けれど、不幸にも聴力を失うという後遺症が残ってしまった。それでも、私はその運命を甘んじて受け入れ、彰人が築いてくれた幸せな世界に、満ち足りた想いで浸っていた。けれど、ある日突然、私の耳が再び聞こえるようになってしまったのだ。彰人が部下の女性と睦言を交わす声。遥斗が、誕生日のパーティで「ママなんて、永遠にいなくなればいいのに」と願う声。それらを聞いてしまった瞬間、私の心は音を立てて崩れ落ちた。再会は、アズマニア共和国。遥斗がみすぼらしい姿で駆け寄り、泣きながら私に抱きついてこようとした時だった。私はその手をすり抜け、そばにいた別の子供を愛おしそうに抱きしめると、平坦な声で言い放った。「私はあなたのママじゃない。今度は……私があなたを捨てる番だ」……「なんでまたあの足手まといからだよ。パパ、早く電話出て!」画面の向こうから聞こえてきた幼い声に、私ははっと息を呑んだ。それが息子の声だと、少し遅れて気づく。どういうことだろう。今朝、幼稚園に行ったはずなのに。どうして彰人と一緒にいるの?「い……ま、どこ……?」聴力を失ってから、他人に嘲笑されるのが怖くて、私は一度も声を発したことがなかった。彰人は少し驚いたように私を見つめ、慌ただしく手話で伝えてくる。「会議、今終わったとこだよ、美月。どうした?俺に会いたくなった?今日、声が出せるようになったのか?!」私が口を開くより先に、画面の外から、軽蔑のこもったはっきりとした声が聞こえてきた。「フン!声が出たって何の意味があるんだよ。どうせ聞こえてないくせに」彰人はその声を無視し、優しい眼差しで私だけをじっと見つめ、辛抱強く答えを待っている。すると、少し焦ったような女の声が、息子を優しくなだめるのが聞こえた。「遥斗くん、パパの邪魔しちゃだめよ。学校に行ってないのがママにバレたら、また叱られちゃうでしょ」遥斗は嫌悪感を隠すことなく言った。「ありえないよ。あの人、耳が聞こえないんだぞ!何がわかるっていうんだ。せっかく遊園地に来たのに、僕のこと指
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第2話
彼は恐る恐る私の傷に触れる。「痛むか?」私は首を横に振り、彼の表情をじっと見つめた。嘘でもいいから、彼の方から何か説明してほしかった。けれど彰人は何も言わず、向き直ると鞄から小さなクマのぬいぐるみを取り出し、得意げに宝物を見せるかのように私の腕の中に押し付けた。「気に入ったか?俺がわざわざ手配させたんだ。これが最後の一つだった。怪我を乗り越えた、勇敢な美月へのご褒美だ」彰人は出張のたびに、私にぬいぐるみを買ってくる。「次に離れる時は、このぬいぐるみが俺の代わりに君を守る『臨時の騎士』になるんだ」、とか言って。けれど今回、私は淡々とそのぬいぐるみを脇に置き、彼から顔を背けた。彰人は心配そうに私の手を握り、緊張した面持ちで手話で尋ねてきた。「気に入らなかったか?」私は彼の手を振り払い、答えをはぐらかすように目を閉じた。彰人はため息をつき、少し不満そうにぼやいた。「急いで帰ってきたってのに、機嫌が悪いな。本当に手がかかる」彼がシャワーを浴びてベッドに戻ってきた時、私は固く目を閉じ、眠ったふりを続けた。彰人は鞄に入れていたジャケットのポケットから携帯を取り出す。ほどなくして、女性の恨めしそうな声が再生された。「一週間一緒にいてくれるって約束したじゃない!嘘つき!」彰人は私を抱き寄せ、私が聞こえないのをいいことに、耳元で堂々と相手にボイスメッセージを返す。「美月のことは、お前なんかより常に最優先だ。自分の立場をわきまえろ」そう言うと、彼は私の耳に優しくキスを落とし、「おやすみ」と囁いた。疑惑は、確信に変わった。何かが私の心臓を掴んで、痛みが止まらないように締め付け続ける。涙が枕にこぼれ落ち、私は湿った夢の中へと沈んでいった。翌朝、階下で遥斗の姿を見かけ、私はいつものように屈んで彼を抱きしめ、手話で「おはよう」と伝えた。まさか、彼は顔では素直に微笑んでいながら、口では悪態をつくなんて。「おはよう、このツンボ」私は一瞬、呆然とし、信じられない思いで息子を見つめた。彼は挑発するように私を見返す。そこへ彰人が朝食を運んでキッチンから出てきた。彼は息子の背中を軽く叩き、かすかな怒気を込めて言った。「何度言ったらわかる。ママをそんな風に呼んじゃだめだ」遥斗の態度を、彰人がまるで当たり前
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第3話
私は頷いた。彼女には見覚えがあった。まだ私が現役の記者だった頃、何度か顔を合わせたことがある。その後、出産がきっかけで聴力を失う後遺症が残った。それは記者にとって致命的な打撃で、私は毎日、心が張り裂けそうな状態だった。彼女は当時、彰人とパートナーを組んでいて、彼がキャスターを務めるお昼のニュースの手話通訳を担当していた。私のことで彰人が憔悴しきっているのを見て、彼女はまるで小さな太陽のように私たちの生活に飛び込んできた。私の世話をさせてほしいと自ら申し出て、私に手話を、そして彰人に私とのコミュニケーションの取り方を教えてくれた。そこまで思い至り、私は彼女に感謝の笑みを向けた。「あの時はバタバタしていて、お名前も伺っていませんでしたね」私が手話でそう伝えると、彼女は携帯を取り出し、文字を打ち込むと私の目の前に差し出した。ちらりと画面に目を落とした瞬間、心臓が激しく揺さぶられ、全身の血が凍りついた。時間も空間も、すべてが停止し、私の目にはただ、そこに表示された文字だけが映っていた。【如月沙友理】如月沙友理 (きさらぎ さゆり)は携帯を服のポケットに戻す。携帯には、私とお揃いのクマのストラップがついており、それがわざと挑発するように、ゆらゆらと揺れていた。沙友理。沙友理お姉さん……どうやら、あの遊園地の一件の「ヒロイン」を見つけてしまったらしい。私は呆然と沙友理を見つめる。一体いつから、彼女は私の生活に入り込んできたのだろう?目の前にある、若く活力に満ちた彼女の顔を見て、その答えは難なく見つかった。彰人にとって、私といるよりも彼女といる方が、比べるまでもなく気楽なのだろう。彼はただ、体面を保つために私に切り出せないだけ。だからわざわざ沙友理を寄越して、私に自ら身を引けと暗示しているのだ。心は千々に乱れていたが、夜、私は彰人の腕に手を回し、パーティ会場のホールへと足を踏み入れた。彼の同僚たちが次々と集まってきて、私たちをからかう。「あらまあ、結婚してもう何年にもなるのに、お二人さんは相変わらず幸せそうだね」「本当だよ。関係も安定していてラブラブで。お二人は本当に、お似合いの夫婦だね」彰人は、私が聞こえないことで気まずい思いをしないよう、慌てて手話で通訳してくれる。同僚たちの話を聞いて
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第4話
誰かが私の後ろで息を呑むのが聞こえた。振り返ると、そこには剥き出しの嫉妬と憎しみを湛えた沙友理の瞳があった。彼女は挑発するように片眉を吊り上げると、くるりと踵を返し、エレベーターに乗り込んでいった。随分と時間が経ち、会場からはすっかり人気がなくなった。それなのに、彰人が戻ってくる気配はない。悪い予感がして、私は震える手で携帯を取り出し、車のドライブレコーダーの映像を呼び出した。真っ暗な画面の中、二人の熱っぽい喘ぎ声だけが、やけにはっきりと響いていた。「彰人さん……ん……もう、ゆっくり……」広々とした後部座席で、二人が服を乱したまま、もつれ合うように抱き合っていた。彰人は沙友理のしなやかな腰を掴み、その目を赤く充血させていた。「ん?……ほんの少し離れただけなのに、我慢できなくてコソコソ誘惑しに来たのか。今日、美月に何を言った?あいつ、一晩中機嫌が悪かったぞ。言っておくが、裏でコソコソ小細工するのはやめろ。お前と俺はただの遊びだ。美月だけは……俺の絶対的な一線なんだ」彰人の言葉が終わるか終わらないかのうちに、沙友理はわざとらしくしゃくり上げる声を出した。「私に何ができるっていうの。どうせまた、私が悪いって言うんでしょ。私の唯一の間違いは、彰人を好きすぎること。あなたの心に私がいないってわかってるのに、それでも自分を安売りして、第三者でいることに甘んじてる。あなたのキャリアのために、脇役に徹してる。毎日、こんなに長い時間あなたと一緒にいるのに、まだそんな風に私を疑うの?」彼女の泣き落としに、彰人はすっかり絆されたようだ。気まずそうに口調を和らげ、彼女の唇の端にキスを落として、なだめる。「わかった、わかった。俺が悪かったよ。こうしよう。お前がいい子にしてるなら、褒美をやる。何が欲しい?」沙友理はピタリとしゃくり上げるのをやめ、可哀想な私、という顔で彰人を見つめ返した。「さっき、彰人が競り落としたあのネックレスが欲しい」彰人の声が、低くなった。「ダメだ。あれは、美月にやるとずっと前から約束していたものだ」その瞬間、沙友理の目から再び涙がこぼれ落ちた。実に憐憫を誘う泣き顔だ。「それが『ディアレスト』シリーズのジュエリーだってこと、知ってる。私はあなたと公の場で一緒にいることもできない。欲しいのは、ほ
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第5話
局長は一瞬きょとんとしたが、すぐに興奮した様子で私を見上げた。「美月、聞こえるようになったの?!」彼女は安堵したように私を見つめた。思えば、私が入局したての頃、OJTで指導してくれたのが局長だった。仕事では厳格さを求める一方、プライベートでは何かと私を気にかけてくれた。私が聴力を失ったと知った時は、私を抱きしめて声を上げて泣いてくれた。外での取材が困難になっても、局長は私の退職を良しとせず、ずっと事務的な仕事を与え続けてくれたのだ。「美月、あなたの理想と情熱は知ってるわ。ジャーナリストとしての素養も、学歴も、局内ではトップクラスのもの。もし彰人のためでなかったら、もしあんなことさえなければ……でも、もう大丈夫ね。私は、あなたにはもっと素晴らしい未来があると、ずっと信じてた」私は目頭が熱くなるのを感じ、局長と二言三言交わした後、別れを告げた。去り際にふと思い出し、局長に一つだけお願いをした。私が聞こえるようになったことは、彰人にはまだ伝えないでほしい、と。彼を驚かせたかったのだ。幸い、ちょうど現地は人手を求めていた。私は自分のこれまでのキャリアに感謝した。局長はすぐに、私のために派遣枠を一つ確保してくれた。旅立つまでの二週間、私は一つ、また一つと自分の持ち物を片付け、この家にあった私の痕跡を消していった。偶然にも、出発の前日は、息子の誕生日だった。私は、本当に久しぶりに、息子を迎えに行くことにした。まさか、幼稚園の門の前で、また沙友理と顔を合わせることになるなんて。彼女が車から降りてくると、遥斗は跳ねるようにして彼女の胸に飛び込んだ。沙友理は優しく彼の手を伸ばし、その髪を撫でる。その温かい光景は、まるで彼女たちこそが本当の母子であるかのようだ。私が軽く咳払いをすると、沙友理と遥斗はようやく私に気づいた。遥斗は慌てて沙友理の後ろに隠れ、眉をひそめて叫んだ。「なんであの人が来たんだよ!早くあっちに行かせろよ!ママがツンボだって、友達に知られたくないんだ!恥ずかしい!」その言葉を聞き、私は強く拳を握りしめた。心が、刃こぼれした鈍いナイフで切り裂かれるようだった。以前から、遥斗は私に迎えに来てほしがらなかった。彰人は、私が疲れるのを心配して、遥斗が遠慮しているだけだと説明していた。けれど今日、
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第6話
彼は手を差し出してきた。「相葉圭吾です。篠原さんのことは、もちろん存じ上げています。受賞された原稿、何度も読みました」圭吾は一瞬言葉を止め、照れくさそうに頭を掻いた。「大学時代、篠原さんのこと、本気で憧れてましたから」圭吾は若く情熱的で、仕事の腕も確かだ。彼といると気楽で、連携も非常にスムーズだった。私たちは最前線の報道をいち早く掴むため、何度も死線をくぐり抜けてきた。ある爆発で、私は爆風に巻き込まれて意識を失った。次に目覚めた時、私は圭吾に背負われて走る彼の背中にいた。彼の咽ぶような声が耳に届き、口からは神や仏や、ありとあらゆる神様の名がデタラメに飛び出している。「何を泣いてるの。まだ死んでないわよ」私は弱々しく声を絞り出した。圭吾が顔をこちらに向けた。土埃にまみれた彼の顔には、涙の跡が白い筋となって何本も残っている。私が目を覚ましたのを見て、圭吾の表情が、しゃくりあげから一気に号泣へと変わった。私は彼のこんなに取り乱した姿を見たことがなかったので、ただどうすることもできず、その肩を叩くしかなかった。その夜、私と圭吾は手に入った材料で年越しそばを作り、異国の地で二人きりの新年を迎えた。食後、私は子供たちに囲まれ、お正月の話をして聞かせた。ふと、ここに来てからすでに一年以上が経っていること、そして彰人たちの報せを久しく聞いていないことに気づいた。出発する前、私は彼らに「盛大な置き土産」を残してきた。あのドライブレコーダーの映像を録画し、一つは記者時代に知り合ったゴシップ記者の同僚に渡し、もう一つはSNSで時間指定投稿をセットしておいたのだ。前途有望な人気キャスターと、その傍らにいる親密な仕事仲間。世間と彰人本人にどれほどの衝撃を与えるか、想像に難くなかった。こちらに来て最初の数ヶ月は、何人かの同僚や局長が、途切れ途切れに彰人たちのその後の様子を教えてくれた。私はその断片を繋ぎ合わせ、私が去った後の彼らの生活を組み立てていった。例の動画が公開された日、彰人はニュースの生放送中だった。CMの合間、アシスタントが血相を変えて駆け寄り、私が投稿した動画を彼に見せたという。彼は仕事も放り出し、放送中にもかかわらず、ふらふらと家に駆け戻った。だが、いくら探しても私の姿はなく、書斎に置かれたクマのぬいぐる
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第7話
取材の傍ら、私は行き場を失った孤児たちの世話に追われている。私と圭吾は、瓦礫の中からあの子たちを一人、また一人と拾い出し、ここでの寝床に詰め込んでいる。あの子たちは幼い頃からあまりに多くのことを経験しすぎた。だから、妙に早熟で、その健気さが私の胸を締め付ける。ただ、時折、砲弾が私たちの近くに落ちると、普段は大人びている子供たちも、判で押したように私の腕の中に縮こまり、震える声で「ママ」と、か細く私を呼ぶ。私があとどれくらいここにいられるかはわからない。ただ、ここを離れる前に、あの子たち全員に安住の地を見つけてやりたいと、それだけを願っている。ある日の真夜中、情報提供者から連絡が入った。私は夜も明けきらないうちに、唯一の自転車に乗って街の中心部へと向かった。だが、戻る途中で不意に襲撃に遭い、砲火の中で、私は手近な遮蔽物を探した。パニックの中、傾いた瓦礫を踏みつけて足首を捻ってしまう。全身を突き抜けるような激痛が走った。立ち止まるわけにはいかない。私は服の裾を破り、簡易的な包帯にして足首に巻き付けた。「美月、大丈夫か?」少し震えた声が、探るように響いた。こんな場所で、彰人に会うなんて。彼は崩れ落ちた入り口から駆け込むなり、私を強く抱きしめた。薄汚れたその顔は、失ったものを取り戻したかのような、狂喜に満ちている。「見つけた……やっと、見つけたぞ!無事でよかった……」私は一瞬、何が起きたかわからなかった。正気に戻ると、私は力の限り彰人を突き飛ばした。「なんであなたがここにいるの?」彰人は核心を避け、曖昧に答える。「美月が街に入ったって聞いたから、俺も追いかけてきた」彼は私から視線を逸らして俯くと、そっと私の足首に触れようとした。私は距離を取る。彼を上から下まで、じろりと観察した。彰人はひどい火薬の匂いがする。まるで走ってきたかのようだ。まだ整わない呼吸に合わせて、胸が激しく上下している。まだ肌寒い早春だというのに、彰人の額には汗が浮き、それが土埃と混じって泥の点となり、前髪をぐっしょりと濡らしている。彼は眉をひそめ、ごく自然に私の足首をぐっと押した。長年の付き合いで、私の世話を焼くことは、すっかり彼の習慣になっている。私は彼の手を振り払った。「平気。骨折はしてない。とにかく戻るわ。
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第8話
彰人の目が赤くなり、まぶたが力なく垂れ下がっている。私は、もうこれ以上彼と関わりたくない。ここに来てからは仕事に没頭した。取材で多くの人々に会い、多くの涙を、そして多くの不屈の魂を見てきた。忙しさに紛れ、恋愛沙汰など考える暇もない。彰人への愛も憎しみも、時間と共にすり減り、とうに平淡なものになっていた。私はもう、彼が悲しそうな顔を見せただけで、すぐに絆されてしまうような、かつての美月ではない。びっこを引きながら防空壕の重い扉を押し開けると、私は息を呑んだ。彰人は、遥斗まで連れてきていたのだ!言葉が通じないせいだろう。小さな体で丸くなり、膝を抱えて床に座り込んだまま、他の子供たちとただ戸惑ったように見つめ合っている。遥斗は生まれてこの方、ずっと家族の宝物として、甘やかされた温室で育ってきた。本の中でさえ、本物の戦乱など見たことがない。絶え間なく続く爆発音に、すっかり怯えきっていた。入り口に私の姿を見つけた途端、遥斗の緊張の糸が切れた。わっと泣き出し、短い腕を振り回しながら、よろよろと私に向かって飛び込んできた。「ママ!怖かったよぉ、うわぁぁん」私は胸を痛めながら、彼を迎え入れようと両手を広げた。――けれど、私は遥斗をすり抜け、隅にいた子供たちを優しく抱きしめた。あの子たちも怯えていた。もしかしたら、私の本当の子供が来たと察して、健気にも声を出すのを我慢していたのかもしれない。私に抱きしめられ、ようやく緊張が解けたのだろう。安堵の混じった泣き声が、あちこちから上がり始めた。「ママ、もう会えないかと思った……ううっ」「すごく、心配したんだよ」私はあの子たちの背中を優しく叩いてやった。遥斗は、両手を広げたまま、呆然と立ち尽くしている。どうして、いつものように自分が抱きしめられないのか、理解できずにいるのだ。遥斗は駆け寄ってくると、私の腕の中にいる子供たちを乱暴に引き剥がし、無理やり私の胸に顔を埋めてきた。「なんであんたたちが抱っこされてるんだよ!この人は僕のママだ!こんな汚い子たち、ママに触るな!」私は厳しく、その名前を呼んだ。「遥斗!」彼は涙ぐんだ目で私を見上げ、口をへの字に曲げ、顔全体で「納得できない」と訴えている。私は静かに告げた。「遥斗。私は、あなたのママじゃ
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第9話
彼が何か言いたげにしているのを察し、私はその微妙な空気を破った。「聞きたいことがあるなら、どうぞ」圭吾は息を深く吸い込み、緊張した面持ちで口を開いた。いくつかの賞を取ったほどの記事を書く男が、この瞬間は、言葉が途切れ途切れで、まったく文章になっていない。圭吾を見送った後、私は窓を閉めようと立ち上がった。だが、窓辺に彰人が立っているのが見えた。彼は青白い顔をしている。土埃に汚れたシャツが、その体の輪郭を浮かび上がらせている。揺れる蝋燭の光の中、彼の手にも、救急箱が握られていた。いつからそこで聞いていたのだろう。彰人は私に気づくと、はっと我に返った。窓越しに、まるで命綱を掴むかのように、私の手首を掴んだ。彼は震える声で私に懇願した。「美月……頼む、あいつの申し出を、受け入れないでくれ」私は眉をひそめて手首を捻った。「離して。痛いわ」彼は崖っぷちに立たされているかのように、ただ私の審判を待つかのように、頑として私を見つめている。何人かの子供たちがこちらの様子に気づき、心配そうに私を見ているのがわかった。仕方なく、私は彼を中に入れることにした。「こんなところでもめないで。子供たちが心配する。中に入って」彰人は即座に手を離し、大股で部屋に駆け込んできた。彼は椅子に腰掛けるなり、焦ったように上半身を乗り出した。「美月!あいつ、大学時代から君に憧れてたなんて……口当たりはいいが、全部嘘だ!男なんて、息を吐くように嘘をつく!俺にはわかる。頼むから、あいつだけは、絶対ダメだ」私は彼を冷ややかに見つめた。「どういう意味?私には、誰かから好意を寄せられる資格もないとでも言いたいの?」彰人は慌てて口を開いた。「違う、もちろんそんなことない!ただ、沙友理もそうだったから……」彼は、自分が何を口走ったかに気づいたように、ふと言葉を切った。私は彼の言葉を引き取った。「知ってるわ。沙友理さんも同じことを言ってたんでしょう。『ずっと憧れてた』『心は要らない、体だけでもそばにいたい』って」彼の表情が苦痛に歪んでいくのを見ながら、私はわざと続けた。「なに?あなたはよくて、私はダメなの?」彰人は顔を真っ赤にして、しばらく黙り込んだ後、言った。「……いいよ」よく聞こえず、私は問い返した。「なに
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第10話
慌てて拠点に戻ったが、中は真っ暗だ。心臓が跳ね上がった。神経が張り詰め、嫌な予感が次々と頭に浮かぶ。極度の緊張で、吐き気さえ覚える。警戒しながら窓辺に隠しておいた護身用の鉄パイプを掴み、私はゆっくりとドアを押した。突然、歌声と共に小さな光が部屋の中から灯った。彰人の顔が照らし出される。彼は私を見て、優しく微笑んだ。「美月、誕生日おめでとう。こんな場所で、ありあわせのものしかないけど……国に帰ったら、もっと盛大にお祝いするから」ガシャン、と鉄パイプが床に落ちる。私は長く、息を吐き出した。ロウソクは、一本のパンに突き刺さっている。十数対の瞳が、きらきらと輝きながら私を見つめ、調子の外れたバースデーソングを歌っている。溶けたロウが、ゆっくりとパンに垂れそうになっている。彰人が、期待に満ちた目で私を見つめて言った。「早く、願い事を」私はうんざりして言い返した。「本当に暇なのね。冗談も、時と場合を考えたらどう?それに、こんなの子供騙しだわ」彰人は、恐る恐る私に謝った。「ごめん……神様が叶えられないことでも、美月が望むことなら、俺がなんだって叶える。たとえ空の星だって、君のために取ってくる」私は鼻で笑って、尋ねた。「本当?」そう言うと、私は真剣な顔で両手を合わせ、彰人の目をまっすぐに見つめた。「私の願いは……」彰人は何かを予感したように、狼狽えて首を横に振った。私に懇願するような目を向けて。「あなたたち親子が、二度と私の前に現れないこと。私の人生を、もう邪魔しないでくれること」彰人の顔が、一瞬で真っ白になった。彼は、その場に凍りついたかのようだ。私は、彼が感傷に浸る時間を与えなかった。彼らのスーツケースを掴み、その手に押し付ける。「明日の早朝、隣の街から、乗り継ぎで国に帰る飛行機が出るわ。三十分だけあげるから、荷物をまとめて。車を借りてある。今から出れば、まだ間に合う」彰人は、まだ天真爛漫な希望を捨てていない顔で、私に尋ねた。「美月も、一緒に帰るんだろう?」私は、おかしなものを見るような目で彼を一瞥した。「私は仕事で来てるの。任務が終わるまで、帰るわけないじゃない」彰人は、焦って私の袖を掴んだ。「なら俺も残る!もう二度と、君と離れたりしない!」遥斗はま
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