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第五話

مؤلف: 麻木香豆
last update تاريخ النشر: 2026-07-02 14:19:33

 寝室の空気は、重く澱んでいた。

 ベッド横で、駆けつけた医者が静かに荷物をまとめる。その視線には、淡々とした仕事への自負と、目の前の「飼い主」に対する隠しきれない軽蔑が混じっていた。

「……処置は終わりました」

 宙の知人であるその医者は、深く眉を寄せ、寝椅子に座り込む宙を冷ややかに見下ろした。

「身体もですが、精神的なショックの方が深刻です。今はただ、眠らせるしかない」

 精神的。その言葉が、鋭い棘となって宙の胸に突き刺さる。

 タバコを取り出す。手は震えるが何とかして火をつけ吸い、大きく吐き出した。

 圭は、いつも静かだった。

 この三年。無理やり自分の思い通りにし、そのたびに医者を呼んだことは一度や二度ではない。

 行為のあとに圭が意識を失うことも、今さら珍しいことではなかった。

 以前、医者に言われた言葉が脳裏をよぎる。

『あなた自身にも問題があるのかもしれません』

 宙は苛立たしげに眉をひそめた。

(俺のせいだとでも言いたいのか)

 最初からわかっていたはずだ。自分は愛しているなどと言ったことはない。

 一生面倒を見るとは言った。

 だが、それ以上のものを期待したのは圭のほうだ。

 離れる機会だって、いくらでもあった。

 それでも隣にいることを選んだのは圭自身だ。

 だから、自分だけが責められる理由はない。

(面倒なことになったな……)

 小さく息を吐く。圭は昔から頑固だった。

 何も言わないくせに、勝手に傷ついて、勝手に抱え込む。

 今回だってそうだ。

 別れようと言い出したのも、急に反抗し始めたのも圭のほうだった。

 宙はベッドの上で眠る圭を見下ろした。青白い顔に閉じた瞼。

 胸の奥が、僅かにざわつく。

 だが、その違和感の正体には気づかないふりをした。

(……どうせ、目を覚ませば元通りだ)

 これまでもそうだった。

 少し時間を置けば、圭はまた何事もなかったように隣にいる。

 そうやって三年間過ごしてきたのだから。

 宙は無意識にベッドへ視線をやる。細い指先が目に入った。

 一瞬、何かを確かめるように手を伸ばしかけて……止める。

 すぐにその手を引っ込めた。別に心配しているわけではない。

 ただ、医者が来るまでこのまま放っておくのも気分が悪いだけだ。

 そう自分に言い聞かせながら、宙はソファへ腰を下ろした。

 静まり返った部屋の中で、時計の秒針だけが妙に耳についた。

 翌朝。

 圭が意識を取り戻さないまま、無情にも仕事の時間はやってくる。イレギュラーなことが起こりいつもよりも早い出勤になってしまった。

「……行ってくる」

 返事のない圭に呟き、部屋を出た。

 その後何時間後か……圭は目を覚ます。香水の匂い。花の香りが強い香水。鼻につく……宙とは違う香水の匂い……。

 ゆっくりと両目を開けるとそこにいたのは珠那だった。

「な、なぜ君が」

 香水の匂いは彼女からするものだった。

 珠那は、物が減り、空虚になったリビングを見渡した。

「合鍵くらいあるわよ」

 白いワンピースを着た珠那が、ベッド脇に立っている。

「……何しに、来たんですか。今、宙は……」

 掠れた声。珠那は、その瞳に宿る深い疲弊を愉しむように微笑む。

「わかってるわ、それくらい。私は宙の婚約者よ」

 彼女は鼻で笑った。

 なぜかしら勝ち誇ったかのような表情と笑み。しかし圭は

「……そうですか」

 とだけの薄いその反応に珠那の眉がピクリと動く。

「……あなた、宙のことが好きだったんでしょう? こうして飼われて、可愛がられて……。でも、もうおしまい。出ていってくれる?」

 圭は目を伏せた。何とか左手で体を起こした。

「……安心してください」

「?」

「僕はもう、いなくなりますから」

 その言葉に珠那はハッとする。

「……あら、それって宙知ってるのかしら。それにその右手……」

 圭は首を横に振る。

「あとはよろしく……珠那さん」

「よろしくって……私に言われても。宙があなたのために色々と尽くしてたのに彼に何も言わずに? ……まぁいいけどね」

 珠那にとっては邪魔の存在だった圭。それが自分の目の前から消えることは好都合であった。これで自分は宙を独り占めできる……と。

 そしてその夜……宙は用をすませ帰宅した。玄関の扉を開けた瞬間、宙は足を止めた。

「……圭?」

 返事はない。

 いつもなら、どこかから「おかえり」と小さな声が返ってくる。

 だが、部屋は静まり返っていた。

「……おい」

 苛立ったように靴を脱ぎ捨てる。

「どこだ」

 リビングへ向かって、宙は眉をひそめた。また物が減っている。

 ソファの隅に置かれていたブランケット。 圭が使っていたマグカップ。玄関にあった小さな観葉植物。

 少しずつ、少しずつ。

 この部屋から圭の痕跡が消えていた。

「……は?」

 寝室へ向かう。クローゼットを開ける。

 ものの見事に空だった。引き出しを開ける。空だった。

「……おい」

 低く呟く。

「ふざけるな」

 スマートフォンを取り出した。電話をかける。しかしでない。

 もう一度。もう一度。何度かけてもでない。

「……何してる」

 そのうち帰ってくる。いつもそうだった。少し時間を置けば、また隣にいる。

 そうだろう。

「……圭」

 しかし、静まり返った部屋は何も答えない。

 そこで初めて宙は、視界の端に見覚えのあるものを見つけた。

 テーブルの上。鍵が置かれていた。家の鍵だった。

「……」

 その瞬間。胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。

「……嘘だろ」

 足から力が抜けた。膝が床に落ちる。

「……圭?」

 返事はない。

「おい……」

 静まり返った部屋に、掠れた声だけが落ちた。

 宙は初めて理解した。圭は、本当にいなくなったのだと。

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