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第151話:柘榴の実の下で

last update Last Updated: 2025-10-05 22:47:25

クラウディアから戻り、忙しくも穏やかに時間は過ぎていた。

夏が過ぎ、ほんの少しだけ冷えを孕んだ風が、屋敷の中庭を抜けていく。

朝の陽射しは柔らかく、けれど確かに季節の移ろいを告げていた。

石畳に落ちる影の形が、どことなく角ばって見えるのは、太陽の角度のせいだろう。

庭の中央。ひときわ大きな柘榴の木の下に、リリウスは一人、静かに立っていた。

枝には、赤く染まりはじめた小さな実がいくつも膨らんでいる。

春に花を咲かせたその姿を、確かこの目で見たはずだが――

いざこうして“実り”の兆しを前にすると、なぜか心がそっと揺れる。

「……こんなふうに、何かが実るって……信じていいのかな」

ひとりごとのように、誰に聞かせるでもなく呟いた言葉が、風に溶けて消える。

その時だった。

足音も立てずに現れた気配に、リリウスは振り向かずとも誰かを察した。

「いつからそこに?」

「最初から」

カイルの声は短く、それでいて優しい響きを帯びていた。

声をかけるでもなく、邪魔をするでもなく、ただそこにいる――

その距離感が、いまのリリウスにはありがたかった。

「……目覚めたとき、君がいなかったから」

「少し、歩きたくなっただけ。眠れなかった?」

「眠れたさ。でも……起きてしまった」

カイルの歩みが、木の傍まで来て止まる。

やがて二人は、柘榴の木の下に並んで腰を下ろした。

石のひんやりとした感触が背中に残り、朝露に湿った空気が肺に染み込む。

しばらく、どちらからともなく黙っていた。

「……怖い夢でも見たのか?」

「ううん、そうじゃない。……たぶん」

リリウスは枝を見上げたまま、ぽつりと声を落とした。

「ただ、時々思うんだ。“これでよかったのかな”って」

「何が?」

「全部。……僕が、ここにいていいのか、って」

ふっと風が吹いた。柘榴の葉がさやさやと鳴る。

実の重みでわずかに傾いだ枝先が、空の蒼にそっと揺れた。

「皆が優しくしてくれる。でも、だからこそ時々、怖くなるんだ。

まるで、僕が“壊れ物”のように扱われてる気がして……」

「……」

「それが間違ってるなんて、思ってないよ。ほんとうに、感謝してる。君にも、リーネさんにも、皆にも。でも……でもね、時々思う。もしもまた、何かが僕から奪われたらって。そうなったとき、きっと僕は、“もうだめ”になってしまうだろうなって」

淡々と語られていた声が、最後の一言で
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