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椿の咲く日に、私は消えた

椿の咲く日に、私は消えた

By:  うしぃCompleted
Language: Japanese
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七年前に死んだはずだった、夫・渡辺颯太(わたなべ そうた)のかつての婚約者、富田椿(とみた つばき)が突然戻ってきた。 私、渡辺千早(わたなべ ちはや)が渡辺家の本宅を訪ねたとき、二人はちょうど結婚式の相談をしているところだった。 椿は颯太の腕に寄り添い、人の輪の向こうにいた私を指さした。 「颯太、あちらの方は?」 颯太は迷いなく答えた。 「式の司会を頼んだ人だ」 私は胸を押さえた。心臓の発作が近いのだと、ぼんやり分かった。 問い詰める暇もなく、私はボディガードにリビングから連れ出された。 部屋の中からは楽しげな笑い声が聞こえてくる。けれど私は手足が冷たくなり、痛みで息をすることさえつらかった。 二時間後、颯太はどこか晴れ晴れとした顔で出てきた。けれど私の様子を見るなり表情を変え、すぐにコートで私を包み込んだ。 「椿は何も覚えていないんだ。ただ、俺が婚約者だったことだけは覚えている。 医者にも言われた。今の椿には、少しの刺激も危ないって。結婚式は本気じゃない。あいつを落ち着かせるために合わせているだけだ。俺が愛しているのは、今も昔もお前だけだ」 私はもう耐えきれず、その場に崩れ落ちた。 颯太は慌てて私を抱き上げ、車へ運んだ。その声は、はっきり震えていた。 「千早、大丈夫だ。怖がるな。適合する心臓はもう用意してある。俺が絶対にお前を助ける。 今すぐ、いちばんいい病院へ連れていく」 けれど私を助手席に乗せた直後、颯太の前に、涙を浮かべた椿が現れた。 「颯太、私を置いていくの?」 その一言で、颯太は決めてしまった。 彼は私の手をほどき、車のドアを閉めた。 それから颯太は、一度も姿を見せなかった。 届いたのは、メッセージだけだった。 【よかった、千早。手術、成功したんだな】 【椿は今、少しの刺激にも耐えられない。三か月だけ、姿を消してくれないか。三か月経ったら、必ずお前のところに戻る。もう二度と離れない】 その約束だけが、やけに鮮やかだった。 けれど颯太は知らなかった。 手術は、成功してなどいなかった。 三か月は長すぎる。 私はもう、そこまで生きられない。

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Chapter 1

第1話

七年前に死んだはずだった、夫・渡辺颯太(わたなべ そうた)のかつての婚約者、富田椿(とみた つばき)が突然戻ってきた。

私、渡辺千早(わたなべ ちはや)が渡辺家の本宅を訪ねたとき、二人はちょうど結婚式の相談をしているところだった。

椿は颯太の腕に寄り添い、人の輪の向こうにいた私を指さした。

「颯太、あちらの方は?」

颯太は迷いなく答えた。

「式の司会を頼んだ人だ」

私は胸を押さえた。心臓の発作が近いのだと、ぼんやり分かった。

問い詰める暇もなく、私はボディガードにリビングから連れ出された。

部屋の中からは楽しげな笑い声が聞こえてくる。けれど私は手足が冷たくなり、痛みで息をすることさえつらかった。

二時間後、颯太はどこか晴れ晴れとした顔で出てきた。けれど私の様子を見るなり表情を変え、すぐにコートで私を包み込んだ。

「椿は何も覚えていないんだ。ただ、俺が婚約者だったことだけは覚えている。

医者にも言われた。今の椿には、少しの刺激も危ないって。結婚式は本気じゃない。あいつを落ち着かせるために合わせているだけだ。俺が愛しているのは、今も昔もお前だけだ」

私はもう耐えきれず、その場に崩れ落ちた。

颯太は慌てて私を抱き上げ、車へ運んだ。その声は、はっきり震えていた。

「千早、大丈夫だ。怖がるな。適合する心臓はもう用意してある。俺が絶対にお前を助ける。

今すぐ、いちばんいい病院へ連れていく」

けれど私を助手席に乗せた直後、颯太の前に、涙を浮かべた椿が現れた。

「颯太、私を置いていくの?」

その一言で、颯太は決めてしまった。

彼は私の手をほどき、車のドアを閉めた。

それから颯太は、一度も姿を見せなかった。

届いたのは、メッセージだけだった。

【よかった、千早。手術、成功したんだな】

【椿は今、少しの刺激にも耐えられない。三か月だけ、姿を消してくれないか。三か月経ったら、必ずお前のところに戻る。もう二度と離れない】

その約束だけが、やけに鮮やかだった。

けれど颯太は知らなかった。

手術は、成功してなどいなかった。

三か月は長すぎる。

私はもう、そこまで生きられない。

……

颯太は、めったにインスタを更新しない人だった。

その彼の投稿が、私のタイムラインに次々と流れてくるようになった。

颯太と椿は、写真の中で、おしゃれなカフェや雰囲気のある通り、ケーキ屋、ハンドメイド体験工房を楽しそうに巡っていた。

普段は無口で、自分の気持ちなどほとんど表に出さない人なのに、投稿された文章には、読んでいるこちらの胸が詰まるほどの想いがにじんでいた。

【恋人同士でやりたい100のこと。前に一度、全部叶えた。でも彼女は忘れてしまったらしい。なら、俺がもう一度、最初から付き合う。失ってから戻ってきてくれた人だから、何より大切にしたい。彼女の願いなら、たとえ命を削ってでも叶える】

それは、私がずっと颯太としたかったことだった。

けれど、私が口にするたびに、颯太は「幼稚だ」と言い、「そんな時間はない」と言って、一度だって付き合ってくれなかった。

嫌がられていたのは、その100のことではない。

私とすることだった。

胸の奥が裂けそうに痛んだ。

震える手で颯太に電話をかけ、ちゃんと問いただそうとした。けれど発信する前に、颯太のほうから着信が入った。

颯太はすぐに言った。

「投稿文も写真も、全部椿が勝手にやったんだ。俺はただ、形だけ合わせてるだけだ。あいつの病状を考えたら、そうするしかなかった。

椿が、誰も非表示にしないでって言うから、お前にも見えるようになっただけだ。お前が傷つくのは分かってる。怒るな、千早。俺が愛してるのはお前だ。昔からずっと」

颯太は、全部嘘だと言った。

けれど、彼の顔に浮かぶ喜びも、椿を見るときの大切そうな眼差しも、あまりにも本物で、隠しようがなかった。

むしろ、何度も愛していると繰り返すその言葉のほうが、ひどく安っぽく聞こえた。

息がうまく吸えなかった。ベッド脇の心電図モニターが、ピッ、ピッと鳴り続けている。裏切りも、恐怖も、病の痛みも、全部が絡みついて、私は崩れ落ちそうだった。

額に汗が浮かび、そのまま流れ落ちて、目尻の涙と混ざった。

私は震える声で言った。

「颯太……胸が、苦しい。心臓が痛いの……」

私は、颯太なら心配してくれると思っていた。

けれど、返ってきたのは気遣いではなく、疑うような声だった。

「どうしてだ。移植はもう終わったはずだろう?」

そう言ったあと、颯太は何かに思い当たったように、すぐさま言い切った。

「千早、具合が悪いふりはやめろ。今は椿に張り合っている場合じゃないだろう」

胸の奥が、すっと冷えていく。

「違う……本当に痛いの。ふりなんかじゃない。お願い、少しだけでいいから来て」

けれど、返ってきたのは椿の声だった。

「ねえ、あなた。こっち来て。お風呂に入ってるんだけど、背中に手が届かないの。手伝って」

颯太の足音がして、電話の向こうの水音が少しずつはっきりしてくる。

私は心臓を押さえた。そうしていないと、この痛みに呑まれてしまいそうだった。

「本当に、手伝いに行くの? 私は何なの、颯太」

颯太の落ち着いた声には、わずかな苛立ちが混じっていた。

「全部、ただの芝居だ。そんなことで騒ぐな。いい子だから、分かってくれ。3か月のうち、もう3日は過ぎた。あと89日で全部終わる。だから安心して俺を待ってろ」

電話はそこで切れた。

何度かけ直しても、もうつながらなかった。ほどなくして、インスタに新しい投稿が上がった。

ずぶ濡れになった颯太のシャツが腹筋に貼りつき、赤いネイルをした細い指が、その隙間からシャツの中へ入り込み、胸元に置かれていた。

【甘えん坊な彼女に、触り心地がいいと言われた】

息が詰まり、咳が止まらなくなった。しばらくして、喉の奥から強い鉄の味がせり上がり、白い掛け布団に血を吐いた。赤い染みがじわりと広がる。

震える手でそこに触れようとした。けれど、視界はみるみるぼやけていき、私はそのまま意識を失った。

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ノンスケ
ノンスケ
本当にかつての婚約者とか、男っていつまでも胸にしまっておくものなんだね。妻が心臓移植の手術をするのに、元婚約者の方を優先とか、あり得ないでしょう。夫が本婚約者のところに行くって言った時にさっさと別れて他の病院で診てもらってたら、まだ生きられたかもしれないのにね。
2026-06-23 18:58:21
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松坂 美枝
松坂 美枝
よくこんな真似が出来たなと呆れるばかり 術後の妻より他所の女のために三ヶ月会わないとか人間か? しかも楽な散り方しやがって 何が裏切ってないだ 愛してもなかったくせに外道が
2026-06-23 11:22:00
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8 Chapters
第1話
七年前に死んだはずだった、夫・渡辺颯太(わたなべ そうた)のかつての婚約者、富田椿(とみた つばき)が突然戻ってきた。私、渡辺千早(わたなべ ちはや)が渡辺家の本宅を訪ねたとき、二人はちょうど結婚式の相談をしているところだった。椿は颯太の腕に寄り添い、人の輪の向こうにいた私を指さした。「颯太、あちらの方は?」颯太は迷いなく答えた。「式の司会を頼んだ人だ」私は胸を押さえた。心臓の発作が近いのだと、ぼんやり分かった。問い詰める暇もなく、私はボディガードにリビングから連れ出された。部屋の中からは楽しげな笑い声が聞こえてくる。けれど私は手足が冷たくなり、痛みで息をすることさえつらかった。二時間後、颯太はどこか晴れ晴れとした顔で出てきた。けれど私の様子を見るなり表情を変え、すぐにコートで私を包み込んだ。「椿は何も覚えていないんだ。ただ、俺が婚約者だったことだけは覚えている。医者にも言われた。今の椿には、少しの刺激も危ないって。結婚式は本気じゃない。あいつを落ち着かせるために合わせているだけだ。俺が愛しているのは、今も昔もお前だけだ」私はもう耐えきれず、その場に崩れ落ちた。颯太は慌てて私を抱き上げ、車へ運んだ。その声は、はっきり震えていた。「千早、大丈夫だ。怖がるな。適合する心臓はもう用意してある。俺が絶対にお前を助ける。今すぐ、いちばんいい病院へ連れていく」けれど私を助手席に乗せた直後、颯太の前に、涙を浮かべた椿が現れた。「颯太、私を置いていくの?」その一言で、颯太は決めてしまった。彼は私の手をほどき、車のドアを閉めた。それから颯太は、一度も姿を見せなかった。届いたのは、メッセージだけだった。【よかった、千早。手術、成功したんだな】【椿は今、少しの刺激にも耐えられない。三か月だけ、姿を消してくれないか。三か月経ったら、必ずお前のところに戻る。もう二度と離れない】その約束だけが、やけに鮮やかだった。けれど颯太は知らなかった。手術は、成功してなどいなかった。三か月は長すぎる。私はもう、そこまで生きられない。……颯太は、めったにインスタを更新しない人だった。その彼の投稿が、私のタイムラインに次々と流れてくるようになった。颯太と椿は、写真の中で、おしゃれなカ
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第2話
どれくらい眠っていたのだろう。目を覚ますと、主治医の緒方賢一郎(おがた けんいちろう)が重い表情で私を見ていた。「これ以上、心に強い負担をかけないようにしてください。手術はうまくいっています。ただ、術後の体はまだとても不安定です。今日のように感情が大きく揺れると、軽くても吐血や失神を起こします。最悪の場合、命に関わることもあります」私は天井だけを見つめ、胸の奥にこみ上げるものを必死に押し込めた。耳元では、颯太からのメッセージ通知が次々と鳴っていた。けれど、もう読む気力もなかった。私は家政婦の中田栄子(なかた えいこ)に、代わりに読んでもらった。栄子は気まずそうに小さく咳払いをしてから、おそるおそる読み上げた。「椿は今日、少し調子がよくなった。医者にも、俺がそばにいることが一番の薬だと言われた。このまま付き添っていれば、きっとすぐによくなる。椿が少しずつ元気になっていくのを見ていると、本当に嬉しい。椿は、自分と同じ名前の花が好きなんだ。ここ数日、雪が降っているだろう。すごく喜んでいる」そこまで読むと、栄子は私の顔色をうかがいながら、颯太をかばうように言った。「奥様、もう一つございます。颯太様が、西町のいちごケーキがおいしかったので、今度奥様にも買って帰ると……。颯太様は、奥様のことも気にかけていらっしゃるのだと思います」どのメッセージにも、椿がいた。私は目を閉じた。涙は止められなかった。私はいちごアレルギーだ。心臓を患っている今、強いアレルギー反応が出れば、それだけで命取りになりかねない。だから、いちごはずっと避けてきた。好きだったのは私ではない。椿だった。胸の奥が苦しくなり、私は下唇を強く噛んだ。賢一郎は点滴の処置をしながら言った。「つらそうですね。鎮痛剤を少し増やしておきます。とにかく、気持ちを乱さないようにしてください」薬が効き始めると、ようやく頭が少しはっきりしてきた。私は賢一郎にうなずいた。「分かりました。もう大丈夫です」それから私は、弁護士にメッセージを送った。【離婚協議書を作成してください。颯太と離婚します】もう、あの人に縋る気持ちはどこにも残っていなかった。颯太のために泣くのも、胸を痛めるのも、これで最後にする。それから丸十日、私は颯太からの
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第3話
私はテーブルに手を伸ばし、賢一郎に処方されていた薬を取って舌の下に入れた。けれど今度は少しも効かず、苦しさだけが増していく。手足の先がみるみる冷たくなり、胸が詰まって、息が続かない。もう返事をする力もなかった。颯太は私を抱き起こした。「もう落ち着いたんじゃなかったのか。どうしてここまで悪くなる」そう言って、賢一郎に電話をかける。「千早がひどく苦しんでる。何が起きてるんだ」しばらくして、受話口から賢一郎の声が漏れた。「容体は落ち着いていたはずです。そこまで苦しむ理由はありません。……演技でもしているのでなければ」颯太は黙り込んだ。電話を切った直後、颯太のスマホに通知が入る。見えてしまった。椿からのメッセージだった。颯太は画面を一目見るなり、ためらわず立ち上がった。「悪い、行く」「颯太」私は必死に名前を呼んだ。聞きたいことは山ほどあった。どうして、医師の言葉ならすぐ信じるのに、私の言葉は信じてくれないの。どうして、こんなに苦しんでいる私を前にしても、見ないふりができるの。どうして、いつも最後には椿を選ぶの。けれど、どれも声にならなかった。颯太はもう一度だけ私を見た。「緒方先生の話、聞こえただろ。これ以上そんなことをしても、意味ない」それだけ言うと、振り返ることなく出ていった。その途端、張り詰めていたものが切れた。私はソファの上で体を支えきれず、そのまま床に崩れ落ちる。涙が出ているのに、口元だけが引きつっていた。痛みで体がこわばり、床の上で何度も身を丸めた。栄子が慌てて119番に電話し、私は家から一番近い病院へ運ばれた。薄れていく意識の中で、颯太の姿が見えた。その隣には、椿がいる。周りの音が遠ざかっていくのに、椿の声だけはやけにはっきり聞こえた。「ねえ、嬉しい? 私、妊娠したの。一か月だって。あなた、パパになるのよ」「……ああ」たったそれだけで、胸の奥が押し潰された。もう、耐えられなかった。目を閉じると、耳に届いていた心拍の音が、そこでぷつりと途切れた。次に目を開けたとき、私はまだ生きていた。耳元では、機器の音がピッ、ピッと規則正しく鳴っている。病室を見回しても、颯太の姿はなかった。ベッドのそばにいたのは、栄子と医師だけだった。頭の中では
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第4話
けれど、何度かけても電話はつながらなかった。颯太は、私からの着信を拒否していた。それでも私はやめられなかった。気づけば、発信履歴には三百回以上の記録が残っていた。出口のない場所で、同じ壁に何度もぶつかっているようだった。医師が何度も処置をしてくれて、私の状態はようやく少し落ち着いた。それでも栄子は納得できないように首を振った。「きっと診断が間違っているんです。奥様がこんなことになるはずありません。まだまだお元気でいられるはずです」そう言って、栄子は私を別の病院へ連れていった。三日間、私はいくつもの病院を回り、何人もの医師に診てもらった。けれど、どこへ行っても答えは同じだった。もう治療の手立てはない。できるだけ安静に過ごせば、次の春を迎えられる可能性はある、と。目を覚ましたその日、私は颯太にメッセージを送った。【私の心臓病、治ってなかった。別の病院で、もう何日ももたないかもしれないって言われた】三日目になって、ようやく返事が来た。けれどそれは、私の言葉を少しも信じていない内容だった。【緒方先生は大丈夫だと言っていただろ。千早、もう嘘はやめろ。俺が椿のそばにいるのがつらいんだろう? それは分かってる。でも勘違いするな。俺が愛してるのはお前だ。椿は妹みたいなものだし、この先も俺の妻は千早だけだ】颯太は、賢一郎を疑っていなかった。けれどその賢一郎は、すでに姿を消していた。この三日間で、私は賢一郎のことを調べられる限り調べた。賢一郎は、椿の古くからの友人だった。二人は同じ大学に留学していて、賢一郎はその頃から椿に想いを寄せていた。七年前、椿がどうしても海外の医療支援に行くと言って聞かなかったとき、賢一郎もあとを追うように海を渡った。けれど、ほどなくして一人で帰国し、その後、偶然を装って颯太に近づいた。当時の颯太は、三年ものあいだ椿を捜し続けていた。無理を重ねて体を壊し、心臓にも負担を抱えるようになった。そのとき主治医になったのが賢一郎で、心理カウンセラーとして関わっていたのが私だった。【緒方先生に騙されてる。あの人はもう消えたの。あなたは知らなかったのかもしれない。でも、あの人と椿は昔から知り合いだった。何も関係ないなんて嘘よ】私は三日間で撮った吐血の写真、ほかの病院でもらった三十人以上の医師
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第5話
突然、LINEに知らないアカウントからメッセージが届いた。相手は富田椿と名乗り、挨拶もそこそこに本題へ入ってきた。【あなたがこの前、颯太に紹介されていた、式の司会をしてくださる方ですよね】あの日、本宅で颯太は確かに、私をそう紹介していた。私は返事をしなかった。けれど椿は気にする様子もなく、続けて送ってきた。【十日後に私、結婚するんです。お時間があれば一度うちに来てもらえませんか? 当日の流れを確認しておきたくて。私、妊娠しているので、気をつけてほしいことも先にお伝えしておいたほうがいいと思うんです】その文字を見て、胸の奥がかすかに疼いた。私は感覚の鈍った胸に手を当て、短く返した。【分かった】十日後、二人にはとっておきの贈り物を用意してあげる。スマホはしばらく暗くなっては、またすぐに光った。椿から、式の時間や会場、二人の結婚写真が次々と送られてきた。写真の中の椿は、幸せそうに笑っていた。隣に立つ颯太も、私が見たことのないほど穏やかな顔をしていた。何十枚も送られてきた写真の中で、二人はどれも笑っていた。ああ、そうか。好きな人と結婚する男は、こんな顔をするのか。鏡に映る私は、顔色が悪く、目の下も深く落ちくぼんでいた。写真の中の二人と比べると、自分だけが別の世界に取り残されたようだった。胸の中に、言葉にならない虚しさだけが広がっていく。椿がまたメッセージを送ってきた。【受付に飾るなら、どの写真がいいと思いますか? 経験がおありでしょう】私は適当に一枚選んだ。椿はすぐに返事をした。【きれいですよね。これにします。颯太が選んだのも同じ写真なんです。あなたたち、本当に気が合うんですね】私は椿の通知を切った。布団にくるまり、窓の外の雪を眺めた。鎮痛剤の副作用は重く、体力もすっかり削られて、もうベッドから起き上がることさえ難しくなっていた。その後も椿は何度も、式の流れを確認したいから来てほしいと連絡してきた。私はすべて断った。けれど椿は、別の司会者を探そうとはしなかった。やはり、椿は何もかも知っている。分かったうえで、わざとやっているのだ。そして、結婚式の前日。椿と颯太が私の家に来た。ドアを開けたのは栄子だった。ソファに横になっている私を見た瞬間、颯太はしば
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第6話
その結婚式は、派手で、どこまでも大がかりなものだった。市内で名の通った人たちは、ほとんど招かれていた。誰もが内心、この式をおかしいと思っている。けれど、それを表立って口にする者はいなかった。颯太が大事にしている椿を刺激して、余計な面倒に巻き込まれたくなかったのだ。式が始まる時間が近づいても、颯太は千早の姿を見ていなかった。胸騒ぎがして、どうにも落ち着かない。颯太は千早に電話をかけた。けれど、誰も出ない。栄子にかけても同じだった。その瞬間、不安が一気に膨れ上がった。颯太は部屋を飛び出し、車で千早を探しに行こうとした。理由は分からない。ただ、取り返しのつかないものを失ったような感覚だけが、胸の奥に重く残っていた。その頃、椿はオーダーメイドのウェディングドレスをまとい、控室でメイクを受けていた。颯太が出ていこうとしているのを見ても、椿は少しも慌てなかった。そばにいた付き添いの女性に、静かな声で言う。「颯太を止めて。出ていくなら、私はここで死ぬって伝えて」付き添いの女性は、そのまま颯太に伝えた。その言葉に、颯太の足が止まった。行かなければならないと思うのに、体が動かない。握りしめた手が、かすかに震えていた。結局、颯太は引き返し、椿の控室へ向かった。椿は鏡の前で、何事もなかったようにメイクを直していた。何億円もするジュエリーが、彼女の美しさをいっそう際立たせている。けれど颯太には、七年前の椿とはどこか違って見えた。あの頃の無邪気さの奥に、知らない冷たさが混じっている気がした。颯太は声を落として言った。「どうしても確かめたいことがある。すぐ戻るから、一時間だけ待ってくれ」椿は首を横に振った。「嫌。もう何かが起きるのは耐えられないの。あなたが行くなら、私、本当にここで死ぬから」そう言って、椿は手元のナイフを首筋に当てた。颯太がまだ動けずにいると、椿はその刃をわずかに押しつけた。白い肌に、細く血がにじむ。颯太は慌ててナイフを奪い、床へ投げた。「……分かった。行かない」椿はそのまま颯太の胸に飛び込んだ。「愛してる、颯太」颯太は出席者への挨拶を理由に、控室を出た。会場へ戻ると、すぐに一番信頼している秘書へメッセージを送った。【千早がどこにいるか調べろ】そのメッセージを送った直
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第7話
「颯太、結婚おめでとう。この動画を見ているってことは、私はもう死んだあとだと思う。誰が正しいとか、何が間違っていたとか、もう考える力も残っていない。ただ、これだけは伝えておきたい。私はあなたが憎い。死ぬほど憎い。もし来世があるなら、二度とあなたとは出会いたくない」千早の声はかすれていて、ひどく遠く聞こえた。生きている人間の声というより、すべてを諦めたあとに残った最後の言葉のようだった。颯太の顔から、一瞬で血の気が引いた。彼は顔を上げ、大スクリーンを見つめた。「千早!」その声は震えていた。次の瞬間、颯太は会場を飛び出し、車に乗り込んだ。誰もがそれを颯太の車だと分かっていた。だから、止めようとする者はいなかった。颯太は速度を落とすことなく、千早の仕事部屋へ向かった。仕事部屋の前には、すでに警察が来ていた。颯太は中へ入ろうとしたが、警察官に止められた。「申し訳ありません。現在、現場保存中です。中へは入れません」颯太が声を荒げようとしたとき、栄子が口を開いた。「颯太様。奥様は、もう亡くなりました」颯太は、言葉を失った。栄子は目を赤くしながらも、まっすぐ颯太を見て言った。「ご遺体はもう火葬されました。お骨も、あなたの手が届かない場所に納めてあります。奥様の最後の願いは、たった一つでした。二度とあなたに会いたくない、ということです。生きている間、あなたは奥様をあれほど苦しめました。亡くなったあとまで、追いかけるおつもりですか。もう、そっとしておいてあげてください」颯太は栄子へ歩み寄った。涙が止まらなかった。「何を言ってる……千早が死ぬはずない。死んでないんだろう? なあ、違うって言ってくれ」いつも誰にも弱みを見せなかった颯太が、今は縋るように泣いている。その姿に、栄子も胸が締めつけられた。「亡くなりました。私が見つけたとき、奥様の体には発疹が広がっていて……本当に、苦しそうなお姿でした」「発疹……? どうして、そんな」栄子は冷たく笑った。「奥様は、いちごアレルギーだったんです」颯太は、その場に立ち尽くした。「そんな……どうして。いちごアレルギーなのに、どうして俺が渡したいちごケーキを食べたんだ」そう言って、颯太は力なく笑った。「千早……そんなに俺が憎か
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第8話
颯太の目には、これまで見たことのない険しさがあった。椿はその目に気圧され、すぐに涙を浮かべた。「颯太、私が悪かったの。そんなに許せないなら、私が死ねばいいんでしょう? 私なんて、あのまま海外で死んでいればよかった。戻ってこなければよかったのよね。ごめんなさい、颯太」けれど、その涙に颯太はもう反応しなかった。颯太は何も言わずに身を起こし、ベッドから下りた。まだ傷の癒えない体を引きずるようにして、渡辺家の本宅へ向かう。颯太はあらゆる伝手を使い、海外へ逃げていた賢一郎を連れ戻させていた。賢一郎がいなければ、千早は死ななかった。心臓の件について、必ず代償を払わせるつもりだった。連れ戻された賢一郎は、すでに見る影もないほど痛めつけられていた。颯太は調べた資料を、二人が同じ大学にいたことを示す書類と一緒に床へ投げた。そして、椿を見据える。「お前たち、昔から知り合いだったんだな。全部、お前が仕組んだことか。椿」椿は必死に自分を落ち着かせた。証拠は消した。颯太がそこまで調べられるはずがない。それに、椿は颯太の性格を知っている。もし決定的なものを握っているなら、今こうして無事でいられるはずがなかった。まだ大丈夫。颯太は、何も知らない。椿は何も知らないふりをして、首を横に振った。「何のこと? 分からないわ、颯太。私、何も覚えていないの」賢一郎は口の中の血を吐き出し、かすれた声で言った。「椿は関係ない。全部、私が勝手にやったことだ。私は椿を愛していた。だから、彼女のために許せなかった。それだけだ」言い終わるより早く、颯太の手にあった鉄の棒が、賢一郎の頭に振り下ろされた。賢一郎は床に倒れ、そのまま動けなくなった。椿は思わず口元を押さえた。それでも、どうにか平静を装う。彼女はそっと腹に手を当てた。何も言うな。そう賢一郎に示すように。けれど、その仕草を颯太は見逃さなかった。その瞬間、賢一郎がなぜ自分一人の犯行だと言い張るのか、颯太には分かった。颯太は片手を上げ、秘書に椿の体外受精に関する書類を持ってこさせた。「椿の腹の子は、精子バンクから選んだものだ。三か月治療しても効果が出なかったとき、別の方法を取るためにな」颯太は冷たく続けた。「俺は椿に、子どもは俺の子だと思わせた。椿は
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