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幕間 第95話 聖ヨハネ公国の落日

Author: 輪廻
last update Last Updated: 2025-07-29 11:00:05

旅人に扮した"三日月の魔女"アスタロトと、元・死の天使サリエルが聖ヨハネ公国を訪れると、そこはさながら激戦の跡地のようであった。

倒壊した家屋、人肉の焼ける不快極まる臭い、軍馬に跨って忙しなく駆け回る聖教騎士たち………そして意味の分からぬことを喚き散らしながら、処刑場へと連行されてゆく大勢の老若男女。

彼らは何れも、大公ヨハネ並びに彼の愛娘である修道女(シスター)アグネスを殺害し、国家転覆を目論んだ罪に問われて火刑を言い渡された叛徒たちである。

「──信じてくれぇ! 俺たちは騙された! ただ、騙されただけなんだぁ!!」

叛徒の一人がそう叫びながら激しく抵抗し、縋るような目でアスタロトに訴えかけてくる。アスタロトとサリエルの服装を見て、巡礼中の修道女と勘違いしたのだろう。

けれども、悠久の時を生きてきたアスタロトにはすぐ分かった。彼は··であると。

彼の記憶を介して、アスタロトには見えていた。大公ヨハネの館で働いていた目鼻立ちの整った侍女──瀕死の傷を負い、助けを乞う彼女の衣服を剥ぎ、苦痛から発せられる喘ぎ声を聞きたいがために彼女の胸や太ももの深傷を指で容赦なく抉りながら、肉欲に身を任せて一心不乱に犯す彼の様子が。

記憶を介して垣間見た、何とも胸糞の悪い光景。心の底から軽蔑した、まるで汚物を見るような目で叛徒を睨み付けるアスタロトを庇うように、一人の聖教騎士が彼女と叛徒との間に割って入った。

「──····のならば、許されるのか? 人を犯し殺すことが、容認されるのか?」

四十代後半と思われるその聖教騎士が、醒めた目で問い掛ける。他の騎士たちとは異なり将官服を身に纏っていることから、それなりの地位にあることが窺えた。

「ああ! 神はきっとお許しになられるとも! 俺たちも被害者だ! ·に騙された哀れな被害者なんだ!!」

「そうか。では、たとえば見知らぬ誰かがお前の妻や娘を殺したとしても、"俺は····哀れな被害者だから許してくれ"と相手が言ったなら、お前は快く許すというのだな?」


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