FAZER LOGIN私の名前は、香村夏穂(こうむら かほ)。 婚約者だった小澤始(おざわ はじめ)が死んだ翌年、親友の駒井翔子(こまい しょうこ)も死んだ。 しかも二人とも、私の誕生日に。 私は昔から、周りにお姫様のように大切にされてきた。 だから二人が死んでから、いつしか「不幸を呼ぶお姫様」と呼ばれるようになった。 五年が過ぎても、私はずっと自分を責め続けていた。 私が誕生日なんて迎えなければ、二人は死なずに済んだのだろうか、と。 ある日、親戚の子の転校手続きで学校へ行った私は、始によく似た男を見かけた。 思わず追いかけると、その男は子どもの前にしゃがみ込み、叱っているところだった。 「美羽(みう)、また友達を叩いたのか?次やったら、おやつ抜きだぞ」 子どもは不満そうに頬をふくらませた。 改めてよく見てみると、この子は驚いたことに、どこからどう見ても翔子にそっくりだった。 「パパのばか!何もわかってない!先に意地悪してきたのは、あの子なのに!」 パパ? 二人は死んでいなかった。 それどころか、子どもまでいたのだ。 「夏穂お姉ちゃん、何見てるの?」 親戚の子が言った。 その声に反応して、始が振り向いた。 そして、私を見た。
Ver mais綴られた言葉のひとつひとつに、夏穂が誰にも言えなかった苦しみが滲んでいた。始は冷たい床に座り込んだまま、日記を抱きしめた。胸が締めつけられて、息をすることさえ苦しかった。――夏穂がどれほど絶望していたのだろう……ごめん……数日後、始は翔子に離婚を切り出した。その態度は変わらなかった。翔子がどれだけ泣きわめいても、始が振り返ることはなかった。始は財産を何ひとつ受け取らず、夏穂の日記と、あのネックレスだけを持って家を出た。父と母も、それ以来、翔子に関わろうとはしなかった。翔子は美羽を香村家に残していった。離婚したあと、始は夏穂がかつて使っていた部屋に移り住んだ。毎日、夏穂の日記を読み、写真の前でぼんやりと時間を過ごした。仕事も辞めた。夏穂が行った公園へ行き、夏穂が歩いた道を歩き、夏穂が好きだったものを食べた。少しでも償いたかった。けれど、何もかも遅すぎた。夏穂の命日、始はシャクヤクの花束を買った。夏穂がいちばん好きだった花だった。花を抱え、始は夏穂の墓へ向かって車を走らせた。道中、頭に浮かぶのは夏穂の姿ばかりだった。視界が少しずつにじんでいく。涙で、前が見えなくなった。ぼんやりした意識のまま、始は向かいから来る大型トラックに気づくのが遅れた。耳をつんざくブレーキ音と、激しい衝突音が同時に響いた。血に染まったシャクヤクが、車内に散らばった。夏穂の日記と、始の名前が刻まれたネックレスだけは、最後まで彼の手の中にあった。始は、そんな形で夏穂のもとへ逝った。もう二度と届かない償いを抱えたまま。始が死んだあと、翔子も心を病み、精神科の病院へ入った。美羽は、息の詰まるような香村家で暮らすことになった。やがて美羽は、あまり話さなくなった。笑うことも、ほとんどなくなった。父と母がどこへ行ったのか、美羽にはわからなかった。香村家からは、笑い声がすっかり消えた。きっと、最初の一歩から間違えていたのだ。――番外編――私は閻魔殿で、すべての顛末を見届けた。けれど、少しも嬉しくはなかった。人の世は冷たく、人の心もまた、ひとつではない。閻魔大王は、生前の行いが認められたとかで、ひとつだけ願いを叶えてやると言った。私は、まだ幼い美羽のことを思
子どもの何気ない一言に、全員の視線が一斉に翔子へ向いた。信じられないものを見るような目だった。始の表情が、すっと消えた。彼はゆっくりと翔子を見た。喉の奥から押し出すような声だった。「美羽にピーナッツ入りのおやつを渡したのは、お前だったのか。それを夏穂が料理に入れたことにしたんだな。夏穂を陥れるために、自分の娘まで使ったのか」翔子の顔から血の気が引いた。彼女は思わず後ずさり、いつもの優しげな顔を保てないまま、感情をむき出しにして叫んだ。「私がやったから何?私は悪くない!当の香村家の娘は私なのよ。始と結婚したのだって私でしょう!夏穂は何でも持っていたじゃない。なのに、どうしてみんな、まだ夏穂を気にするの? どうして夏穂のことばかり考えるの?私は夏穂が憎かった。小さい頃から何もかも持っていたくせに、始まで奪った夏穂が憎かったの!私は夏穂の代わりに、あんな家で二十年以上も苦しんできたのよ。自分のものを取り戻して、何が悪いの?どうしてみんな夏穂の味方をするの?どうしてよ!」翔子の叫びで、今まで必死に隠してきた本音が、すべてさらけ出された。誰もが言葉を失った。彼らはずっと、翔子は弱くて優しい子で、ただ家族を欲しがっているだけなのだと思っていた。けれど実際は、夏穂を陥れるためなら、自分の娘さえ利用できる人間だった。この何年も見せていた優しさも、思いやりも、すべて作り物だったのだ。。母は翔子を見つめた。その目からは、これまでの愛情も、負い目も消えていた。残っているのは、深い失望だけだった。母はゆっくり首を横に振り、冷えた声で言った。「私が愚かだったのね。実の娘だからって、あなたのことばかりかわいそうだと思って、夏穂につらい思いをさせた。……本当に、あなたには失望したわ」父も翔子を見た。声はひどく沈んでいた。「私たちはずっと、お前に申し訳ないと思ってきた。だから何かしてやりたいと思っていたんだ。それなのに、お前はこんな形で夏穂を傷つけた」始は翔子をにらみつけた。その目には、抑えきれない怒りがあった。「俺はお前のために夏穂を裏切った。死んだふりまでして、夏穂を五年も罪悪感で苦しめた。あんなに追い詰めてしまった。それなのにお前は、夏穂が苦しんでいるときにまで陥れようとしたのか。翔子、もう無理だ
主治医の言葉に、その場にいた誰もが息をのんだ。夏穂は、いつからうつ病を患っていたのか。自傷まであったなんて。どうして、誰も知らなかったのだろう。あの馬鹿。病気だったなら、どうして言ってくれなかったのか。けれど胸を締めつけたのは、それ以上に、もっと早く気づけなかった後悔だった。誰もがずっと思い込んでいた。夏穂は香村家のお嬢様で、何不自由なく、大切に育てられてきた。たとえ裏切られても、時間が経てばきっと立ち直れる。父も母も、そう思い込んでいた。だから五年前も、翔子たちが死を偽ったことを知りながら、黙って隠し通した。始を失っても、夏穂にはまだ自分たちがいる。翔子が幼い頃に背負ってきた苦労も、これで少しは報われるはずだ。そうやって、自分たちに言い聞かせていた。夏穂が何も言わなくなっても、傷ついているのだとは思わなかった。ただ拗ねているだけだと思った。痩せていく姿を見ても、わざと食べないで困らせているのだと決めつけた。誰も考えようとしなかった。すべてを持っているように見えた夏穂の心が、もうとっくに傷だらけだったことを。最期のときまで、そばには誰ひとりいなかったことを。始はベッドのそばまで歩み寄り、ゆっくりと膝をついた。そして、夏穂の手をそっと握った。その手は骨ばっていて、浮き出た関節の形まではっきりわかるほどだった。もう、ぬくもりは残っていなかった。始は血の気のない夏穂の顔を見つめた。次の瞬間、こらえていたものが崩れたように、ベッドにすがりついて泣き崩れた。自分さえいなければ、夏穂はきっと、もっと幸せに生きられたはずだった。夏穂をここまで追い詰めたのは、自分だった。病気のことにも、もっと早く気づくべきだった。始はかつて、夏穂を一生守ると誓った。つらい思いなんてさせないと、そう言った。けれど最後まで夏穂をいちばん傷つけたのは、ほかでもない自分だった。償いたかった。けれどこの世界に、もう夏穂はいない。「夏穂……ごめん……俺が悪かった……戻ってきてくれ……もう二度と離れないから……頼む、戻ってきてくれ……」始は夏穂の手を握りしめ、何度も何度も謝り続けた。けれど返ってきたのは、窓の外を吹く風の音だけだった。母はベッドにすがりつき、夏穂の冷たい
頭の中が、ぶん、と鳴った。始の思考は一瞬で真っ白になり、周りの音がすべて遠のいていった。ただ「お亡くなりになりました」という言葉だけが、耳の奥で何度も繰り返される。胸の奥が、きしむように痛んだ。亡くなった?そんなはずがない。昨日、俺は夏穂に電話をかけたばかりだった。誕生日を家で祝おうと誘ったとき、夏穂はただ静かに「帰らない」と答えただけで、声もいつもと変わらなかった。たった一晩で、どうして亡くなるというのか。信じられない。信じられるはずがなかった。「何を言ってるんですか。夏穂が死んだなんて、あるわけないでしょう。人違いじゃないんですか?名前を間違えてるんじゃないんですか?」始は電話に向かって怒鳴った。声には、自分でも抑えきれない震えが混じっていた。涙が勝手にこぼれ、スマホの画面を濡らした。電話の向こうの看護師は、一拍置いてから、落ち着いた声で言った。「間違いではありません。患者様は香村夏穂様、二十六歳。ひと月ほど当院に入院されていました。詳しいことは主治医からご説明いたしますので、ご家族の方はできるだけ早く病院までお越しください」通話が切れた。ツー、ツーという音だけが耳に残る。次の瞬間、始の手からスマホが滑り落ち、床で鈍い音を立てた。始はその場に立ち尽くしていた。指先が震え、喉がひどく詰まって、何も言えない。その様子に、父と母の顔色が変わった。母がたまらず始に詰め寄り、腕をつかむ。「始くん、どうしたの?夏穂に何かあったの?お願い、何か言って」始は顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、やっとのことで言葉を吐き出す。「夏穂が……亡くなったって」「亡くなったって……どういうこと?」母はその場に崩れ落ちた。血の気の引いた顔から、涙がぼろぼろとこぼれる。「嘘よ。うちの夏穂が亡くなるわけないでしょう?今日はあの子の誕生日なのよ。まだ二十六なのよ。帰ってきて、ケーキを食べるはずだったのに。嘘でしょう。ねえ、嘘だって言ってよ!」父も呆然としたまま後ずさり、ソファの背に手をついた。そうしなければ、立っていられなかった。父も母も、一瞬で生気を失ってしまったように見えた。翔子は胸の奥にこみ上げる喜びを押し隠し、いかにも心配しているような顔を作った。「落ち着い