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第11話(番外編):幼少期の味、母の遺産

Auteur: ちばぢぃ
last update Dernière mise à jour: 2025-06-08 09:00:09

享保年間の江戸、深川の裏町。隅田川の支流が静かに流れ、葦の揺れる音が響く貧しい一角に、佐久間宗太郎、8歳の少年は住んでいた。下級武士の家に生まれた宗太郎は、父を早くに亡くし、病弱な母・雪乃と二人で暮らしていた。小さな土壁の家は、雨漏りが絶えず、畳は擦り切れていたが、雪乃の笑顔と料理の香りが、宗太郎の心を温めていた。宗太郎の舌は、すでに並外れた鋭さを見せ始めていた。市場の魚の匂い、屋台の出汁の香り、母の煮物の味。それらが、彼の小さな世界を彩っていた。

朝、宗太郎は母に手を引かれ、深川の市場へ向かった。雪乃は咳を堪えながら、わずかな銭を握り、宗太郎に微笑む。

「宗太郎、今日も何かいい食材を見つけようね。母さんの煮物、楽しみにしてて。」

宗太郎は目を輝かせ、頷いた。市場は、漁師や百姓、行商人の声で賑わう。イワシの銀鱗が朝日に輝き、大根や芋が籠に山積みだ。宗太郎は、魚の匂いを嗅ぎ分け、鮮度の良いイワシを指差した。

「母さん、このイワシ! 目が澄んでて、匂いが強いよ。焼いたら美味いよ!」

雪乃は驚きつつ、笑顔で漁師に銭を渡した。漁師の源助、後の源蔵の父だ。源助は宗太郎の鼻を褒め、余った小魚を一尾おまけした。宗太郎は、その小魚の匂いを嗅ぎ、塩焼きを想像して舌を鳴らした。

家に戻ると、雪乃は小さな囲炉裏でイワシを焼き始めた。塩を軽く振り、炭火の煙が立ち上る。宗太郎は、煙の香りに鼻をくすぐられ、母の手元をじっと見つめた。イワシの皮がパチパチと音を立て、脂が滴る。雪乃は、宗太郎に小さな芋粥を用意した。里芋を水で煮込み、味噌を溶いた素朴な一品だ。宗太郎は芋粥を啜り、目を閉じた。

舌が喜んだ。里芋のほのかな甘みが、味噌の塩気と調和し、舌の上で滑らかに広がる。囲炉裏の温もりが、粥の味を深める。宗太郎は、母の愛情を味わいながら、つぶやく。

「母さん、この芋粥、あったかいよ。里芋の甘みが、まるで母さんの笑顔みたいだ。」

雪乃は目を細め、宗太郎の頭を撫でた。イワシの塩焼きが運ばれ、宗太郎は一口噛んだ。皮のカリッとした食感、身のふっくらした旨味、塩のキレが舌を刺激する。宗太郎は、漁師の源助の顔を思い出し、こう言った。
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    佃島の漁師町、秋の潮風が塩と魚の香りを運ぶ夜。佐久間宗太郎は、佃煮屋「浜田屋」の暖簾をくぐった。享保年間の江戸で、佃煮は漁師の知恵から生まれ、庶民の食卓を支える保存食として愛されていた。宗太郎は、芝の月見楼で宗右衛門の創作料理を評し、江戸中の話題となった今、佃煮の素朴な旨味を求めて舌を研ぎ澄ませていた。だが、松葉屋の藤兵衛と川柳の平蔵による偽装の策略、弥蔵の襲撃、そして源蔵の救援が、彼の心に重くのしかかっていた。腕のかすり傷は癒えつつあったが、宗太郎は、敵の刃がさらに近づいていることを感じていた。浜田屋は、佃島の川沿いに佇む小さな店だ。木の看板には「佃煮」の文字が刻まれ、店内には昆布と小魚の甘辛い香りが漂う。店主の浜田藤次は、60歳を過ぎた痩せぎすの老人で、目には漁師の頑強さと職人の誇りが宿る。宗太郎はカウンターの隅に腰を下ろし、藤次の動きを観察した。鍋で煮込む佃煮の音、醤油と味醂の香りが、店の空気を満たす。「藤次殿、昆布と小魚の佃煮を一皿。それと、貝の佃煮を一品頼む。」藤次は静かに頷き、鍋から佃煮を盛り始めた。宗太郎は、佃煮の香りに鼻を動かした。店の客は、漁師や船頭、佃島の女衆たちだ。皆が佃煮を肴に酒を酌み交わし、笑い合う。宗太郎は、そんな光景に江戸庶民の絆を感じていた。だが、月見楼での干し椎茸の偽装、柳川の偽装うなぎの策略、弥蔵の襲撃が、彼の直感を刺激していた。彼の筆は、食文化を変える一方で、危険な敵を増やしていた。やがて、佃煮が運ばれてきた。昆布と小魚の佃煮は、黒く輝く昆布に小魚が絡み、醤油と味醂の光沢が食欲をそそる。貝の佃煮は、浅蜊の小さな身が甘辛く煮込まれ、ほのかな塩気が漂う。宗太郎はまず昆布と小魚の佃煮を箸でつまみ、口に運んだ。瞬間、舌が静かに喜んだ。昆布の旨味が、舌の上でじんわりと広がり、小魚のほのかな塩気がそれを引き立てる。醤油の鋭い塩気と味醂の甘みが調和し、煮汁の深みが味を締める。宗太郎の眉が上がり、つぶやく。「この佃煮は、江戸の海の遺産だ。昆布と小魚が、漁師の知恵を語る。」藤次は手を止め、宗太郎をじっと見た。客たちの視線も集まる。宗太郎は次に浅蜊の佃煮を味わった。貝の濃厚な

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  • 江戸の味、極めし者   第8話:豆腐の知恵、衝撃の夜

    本所の路地を抜け、隅田川の支流が静かに流れる一角、夜の帳が下りる頃、佐久間宗太郎は豆腐屋台「湊豆腐」の前に立っていた。享保年間の江戸で、豆腐は庶民の食卓に欠かせない存在だった。夏の暑さも落ち着き、秋の気配が漂う中、宗太郎は柳川のうなぎとその創作料理を評し、江戸中の話題となった今、豆腐の素朴な味わいを求めて舌を研ぎ澄ませていた。だが、松葉屋の藤兵衛と川柳の平蔵が企む偽装うなぎの策略、弥蔵の尾行が、彼の心に暗い影を落としていた。湊豆腐は、川辺にぽつんと佇む小さな屋台だ。粗末な木の台に、豆腐が水桶に浮かび、提灯の明かりがほのかに揺れる。店主の菊乃は、40歳ほどの小柄な女で、寡黙ながらも豆腐を切る手つきは繊細だ。彼女の目は、苦労を重ねた庶民の強さを宿していた。宗太郎は屋台の隅に腰を下ろし、菊乃の動きを観察した。豆腐の白さが、夜の闇に浮かび、昆布出汁の香りが鼻をくすぐる。「菊乃殿、冷や奴を一丁。それと、焼豆腐を一品頼む。」菊乃は静かに頷き、豆腐を切り始めた。包丁が水面を滑るように動き、豆腐は滑らかに切り分けられる。宗太郎は、屋台の簡素さと、菊乃の丁寧な仕事に、江戸庶民の知恵を感じていた。客は、近隣の職人や船頭、夜遅くまで働く女衆たちだ。皆が豆腐を頬張り、湯気の立つ出汁を啜りながら、ささやかな幸福を分かち合う。宗太郎は、そんな光景に心を温められた。だが、柳川での匿名の手紙、藤兵衛と平蔵の策略が、彼の直感を刺激していた。彼の筆は、食文化を変える一方で、危険な敵を増やしていた。やがて、冷や奴と焼豆腐が運ばれてきた。冷や奴は、豆腐の表面が水滴で輝き、薬味の葱と生姜が彩りを添える。昆布出汁の小さな椀が添えられ、醤油の香りが漂う。焼豆腐は、炭火で軽く焼き目がつき、表面が香ばしい。宗太郎はまず冷や奴に箸を伸ばし、豆腐を一口切り取った。醤油と出汁を軽く垂らし、口に運ぶ。瞬間、舌が静かに喜んだ。豆腐の滑らかな食感が、舌の上で溶ける。大豆のほのかな甘みが、昆布出汁の旨味と調和し、葱の辛味と生姜の清涼感がアクセントを添える。シンプルながら、味の層は深い。宗太郎の眉が上がり、つぶやく。「この冷や奴は、江戸の静けさそのものだ。大豆の甘みが、庶民の心を癒す。」

  • 江戸の味、極めし者   第7話:うなぎの魂、嫉妬の炎

    本所の裏通り、夏の名残が漂う夕暮れ。佐久間宗太郎は、うなぎ屋「柳川」の暖簾をくぐった。享保年間の江戸で、うなぎの蒲焼は庶民の贅沢として愛され、夏の暑さを乗り切る力の源だった。宗太郎は、両国の鮨清で握り寿司と創作の秋握りを評し、江戸中の話題となった今、うなぎの濃厚な味わいを求めて舌を研ぎ澄ませていた。だが、松葉屋の藤兵衛が流した偽の評や、弥蔵の尾行が、彼の心に暗い影を落としていた。柳川は、隅田川から少し離れた路地に佇む小さな店だ。木の看板には「蒲焼」の文字が墨で刻まれ、店内には炭火の煙とタレの甘い香りが漂う。店主の辰蔵は、50歳を過ぎた頑強な男で、額に汗を浮かべ、うなぎを串に刺す手つきは職人の誇りに満ちている。宗太郎はカウンターの隅に腰を下ろし、辰蔵の動きを観察した。炭火の赤い輝き、うなぎの脂が滴る音。それは、江戸の夏を凝縮した光景だった。「辰蔵殿、蒲焼を一串。それと、白焼きを一品頼む。」辰蔵は無言で頷き、炭火に串を置いた。うなぎがジュッと音を立て、脂が炎を高く上げる。宗太郎は、煙の香りを深く吸い込んだ。店の客は、職人や船頭たちが中心だ。皆が蒲焼を頬張り、酒を酌み交わしながら笑い合う。宗太郎は、そんな光景に江戸庶民のたくましさを感じていた。だが、鮨清での偽の評、松平忠勝の屋敷での味醂の偽装、藤兵衛の陰謀が、彼の直感を刺激していた。彼の筆は、食文化を変える一方で、危険な敵を増やしていた。やがて、蒲焼と白焼きが運ばれてきた。蒲焼は、タレの光沢が琥珀のように輝き、うなぎの身はふっくらと焼き上がっている。白焼きは、塩と炭火の香りだけが際立ち、シンプルながら存在感を放つ。宗太郎はまず蒲焼を手に取り、タレの香りを鼻に近づけた。醤油と味醂の甘みが、炭火の苦みと混じる。彼は一口噛み、目を閉じた。瞬間、舌が歓喜した。うなぎの脂の濃厚な旨味が、タレの甘みと絡み合い、舌の上で溶ける。身のふっくらとした食感は、まるで夏の川の流れを思わせた。タレは、辰蔵の秘伝の配合だ。醤油の塩気、味醂の甘み、酒の深みが絶妙に調和し、炭火の香りが味を締める。宗太郎の眉が上がり、つぶやく。「この蒲焼は、江戸の夏の魂だ。脂とタレが、命の炎を燃やす。」辰蔵は手を止

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    両国の川沿い、隅田川の水面が夕陽に赤く染まる頃、佐久間宗太郎は寿司屋「鮨清」の暖簾をくぐった。享保年間の江戸で、握り寿司はまだ新しい食として広まりつつあった。米と魚が掌で一つになるそのシンプルな一品は、屋台の喧騒や料亭の豪華さとは異なる、江戸庶民の新たな誇りだった。宗太郎は、深川の焼き鳥、神田の蕎麦、菊乃井の会席を評し、江戸中の話題となった今、寿司の新風を味わうべく、舌を研ぎ澄ませていた。鮨清は、川辺に佇む小さな店だ。木のカウンターが磨き上げられ、提灯の明かりがほのかに揺れる。店内には、胡麻油の残り香と酢飯の酸味が漂い、隅田川の水音が遠く響く。店主の清次は、30歳ほどの精悍な男だ。浅黒い肌に、魚をさばく手つきはまるで剣士のよう。宗太郎はカウンターの隅に腰を下ろし、清次の動きを観察した。米を握る指先、包丁の刃が魚を薄く切り分けるリズム。それは、職人の魂が宿る舞だった。「清次殿、握り寿司を五貫。マグロ、鯛、海老、穴子、玉子で頼む。」清次は無言で頷き、米を握り始めた。宗太郎は、酢飯の香りが立ち上るたびに、鼻を軽く動かした。店の客は、船頭、行商人、芝居小屋の役者たちが中心だ。皆が寿司を頬張り、酒を酌み交わしながら笑い合う。宗太郎は、そんな光景に江戸の活気を感じていた。だが、心のどこかで、松平忠勝の屋敷での偽装された椀物、藤兵衛の影、弥蔵の尾行が引っかかっていた。彼の評は、食文化を変える一方で、危険な敵を呼び寄せていた。やがて、五貫の握り寿司が並んだ。マグロは血のような赤で輝き、鯛は白く澄んでいる。海老は艶やかに茹で上がり、穴子はタレの甘い香りが漂う。玉子はふっくらと焼き上がり、黄金色に光る。宗太郎はまずマグロを手に取り、醤油を軽くつけて口に運んだ。瞬間、舌が歓喜した。マグロの濃厚な旨味が、酢飯の酸味と溶け合い、舌の上で消える。米粒は一つ一つがほぐれ、歯ごたえは軽やかだ。醤油の塩気が、味を鋭く引き締める。宗太郎の目が光り、つぶやく。「このマグロは、江戸前の海そのものだ。血と波が、米に抱かれてる。」清次は手を止め、宗太郎をじっと見た。客たちの視線も集まる。宗太郎は次に鯛を味わった。鯛の繊細な甘みが、酢飯の酸味に抱かれ、口の中

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