登入
「今、なんと言ったのかね」
50歳を迎えたアルマン侯爵は、目の前に座る27歳になったばかりの青年実業家を睨みつけた。 ガラス越しとはいえ、夏の強い日差しに照らされたこの男は、侯爵である自分を前にしても憎らしいほど堂々としている。 「侯爵。私は鉄道事業への投資権が欲しいのです」 「それは先程も聞いた。その後だ。ヒュー・ベッカー」 アルマン侯爵は苛立たしげに、パイプに煙草の葉を詰めている。 その手元が怒りで震えているのを、ヒューは顔色も変えずに見つめていた。 「平民に鉄道事業への投資が解放されるのはずっと後のことです。以前の港の開発でも私は誰よりも多くの資金を投じましたが、その資金に見合う分配は受けられていません。それは侯爵もよくご存知のことでしょう」 ヒューは事もなげに言ったが、アルマン侯爵はヒューを見ようともせずにパイプに火をつけるとゆっくりと吸い込んだ。 「それで、私の娘と結婚して侯爵家に入り込みたい、そう言いたいのだな」 大きく煙を吐き出すと、アルマン侯爵はようやくヒューの顔を見つめた。 薄い琥珀のような瞳は、怒りと諦めの色が浮かんでいるのがよくわかる。 ヒューはわざとらしく微笑んで頷いた。 この交渉は初めからヒューの勝利で終わることはわかっていたのだ。 「わたくしが結婚——ですか」 食事を終えた食堂で、アルマン侯爵の話に、アデラインは驚いて手元のグラスを落としそうになった。 「昼間いらしたあの男性ですの?」 「セシルお姉さま、お父様とアデラインお姉さまがお話されているのよ。行儀が悪いわ」 セシルが身を乗り出すように尋ねたのを、末娘のコレットが眉間に皺を寄せて睨む。その様子を、アルマン侯爵はいつもの愛しさを滲ませた視線ではなく、深い絶望を浮かべた瞳で見つめた。 「お前も知っているだろう。最近飛躍的に事業を拡大しているベッカー商会のヒュー・ベッカーだ」 「ベッカー商会……平民ですわ」 アデラインは新聞で何度も見た名前を思い浮かべた。金貸しから成り上がり、現在では商会だけではなく銀行の設立など幅広く事業を展開する大富豪だ。 だが、大富豪とはいえ平民であることに変わりはない。アデラインは青ざめた顔で侯爵を見つめた。 「お姉さまが平民になるのですか?」 セシルが好奇心旺盛な瞳で侯爵に尋ねたが、侯爵は首を横に振った。 「ヒュー・ベッカーは侯爵家の後継者として、我が家に婿入りしてもらうことになる」 「後継者……でも、お父様、ベッカーは平民です」 アデラインはもう一度、念を押すようにゆっくりと力強く言った。 貴族と平民などありえない。それが彼女の常識だった。 近年では下級貴族が平民と結婚したり、貴族の籍を捨てて平民になることもあるが、アルマン侯爵家は由緒正しい貴族なのだ。 そんなことをしようものなら、社交界から締め出されてしまうどころか、爵位さえ怪しくなる。 「ベッカーには、私の叔父のテイラー子爵家に養子になってもらう。それなら問題はない」 アデラインは苦悩の表情を浮かべながら、淡々と話す侯爵を呆然と見つめた。 アルマン侯爵には自分を含め娘しかいない。だから長女であるアデラインが婿を取るか、家門から後継者を迎え入れなければならないのは当然だ。 「ベッカーは莫大な持参金を提示してきた。その上、侯爵領への投資を行うとも。……それに、お前ももう25歳だし——」 その言葉に、アデラインは納得した。 工業化の波に乗り遅れたアルマン侯爵領は、この10年の間に瞬く間に領民が田畑を手放して出て行き、収入は減り転落の一途を辿っていた。 周辺を山脈に囲まれ、水源を有するアルマン侯爵領は、工業化によってその環境が壊れることを恐れて慎重になりすぎたのだ。 後になって領地に工場を誘致しようとしても、その資金も人脈も失っていたのだ。 おかげで、侯爵家とは名ばかりの貧しい生活を余儀なくされていたことは、アデラインにもよくわかっている。 幸い、セシルには家庭教師をつけてやることができているが、末っ子のコレットに至っては、アカデミーに通わせる有様だ。 こんな状態では後継者探しはもちろん、アデラインの結婚さえ難しく、25歳の今までアデラインは独身のままだった。 「お姉さまがおいやなら、わたくしが結婚してもよろしくてよ」 アデラインが逡巡していると、セシルが勢いよく声を上げた。 車寄せのすぐ近くにある書斎の窓から垣間見た男、彼がヒュー・ベッカーなのだろう。 スラリと高い背に、上質な羊毛で作られたコートの上からでも、その鍛え上げられた肉体を思い浮かべることが容易だった。 姿勢が良く、所作も洗練されていたので平民と言われるまで気が付かなかったが、馬車に乗るときに見た精悍な顔つきは凛々しく、男らしい色気があった。 その上資産家ときているのであれば、問題ない。 セシルは本気でそう思っていた。 「だめよ。ベッカーさんとあなたでは9つも歳が離れているのよ」 「あら、お姉さま。9歳の差なんて貴族では当たり前と聞きますわ」 セシルの言葉にアデラインは、確かにそうだと思いながらも、かわいい妹が平民の妻になって社交界で嗤われると思うと耐えられなかった。 社交界など出たことがないアデラインだったが、5年前に亡くなった母から、社交界の厳しさを何度も聞かされていたことは忘れていない。 「セシル。ベッカー氏はアデラインとの結婚を望んでいるのだ」 咳払いを軽くして、アルマン侯爵はセシルを注意するように視線を向けた。 唇を尖らせて椅子に座り直すセシルを、コレットが揶揄うように笑うと、セシルはコレットを可愛らしく睨みつけた。 アデラインは可愛い妹たちを眺めながら、膝の上で小さく手を握りしめた。 自分なら既に婚期も逃しているから、焦って平民と結婚したのだと思われても問題はない。ベッカー氏もそれをわかってのことなのだろう。 それに、自分が承諾すれば妹たちにも十分な教育を受けさせることができるし、侯爵家の窮地も救えるのだ。 「お父様。わたくし、そのお話をお受けしますわ」 アデラインがそう言うと、侯爵は安堵の表情を浮かべたが、すぐにまた視線を落とした。 セシルはもう一度唇を尖らせたが、アデラインはそれに気付かず、膝の上で握りしめた手に視線を落とした。『侍女の手配をしていただき、ありがとうございます』 一文だけの小さなカードが添えられた籠には、砂糖菓子が入った瓶と温室で育てた|トルコ桔梗《リシアンサス》とアネモネの花が彩りよく飾られていた。 ヒューガードはカードに書かれた、女らしい美しい書体をそっと指でなぞってみた。 昨夜のうちに書かれたインクはとうに乾いていて、ヒューガードの指を汚すことはなかったが、不思議と彼女の香りがするような気がした。 ヒューガードは机の上のトレイから便箋を取り出そうと手を伸ばしたが、少しだけ考えて、引き出しからカードを取り出して、部屋の隅で立っている|侍従《ヴァレット》に声をかけた。「トビー」 アデラインの使いで籠を持ってきた侍従のトビーは、静かに頭を下げた。 夫からの返事を、と催促こそされていなかったが、旦那様はきっと何か返事か言葉をくださるに違いないと、待機していたのだ。「これを奥方に」「かしこまりました」 ヒューガードが無造作に差し出したカードを、トビーは大事そうにハンカチに包んでポケットにしまい込んだ。 トビーが一礼して部屋を出て行くと、ヒューガードはもう一度アデラインからのカードを眺めてから、砂糖菓子が入った瓶を手に取った。「相変わらずだな」 ヒューガードは無意識に微笑むと、アデラインからのカードをそっと机の引き出しにしまい込んだ。 ヒューの家は、貧しいレンガ職人だった。 父親は朝から晩まで黙って土を練り、レンガを焼き、時折塀や建物の修理をする——そんな平凡な男だった。 ヒューが14歳になった年の夏になる少し前。嵐でアルマン侯爵家の塀が崩れたため、修理に出かけた。 塀の損傷が思った以上に酷かったことと、年頃になったこともあって、父親はヒューを修行がてら手伝わせることにした。 ひと月近く修理にはかかると思われたが、アルマン侯爵は構わないと快く了承してくれた上、通常よりも多くの賃金を提示してくれた。 お屋敷はヒューの家がいくつ入るかもわからないくらい広かったが、ヒューたちが入ることを許されたのは、塀の周辺と庭の奥にある資材置場だけだった。 ヒューは初めて見るお屋敷に興奮していた。この中で働くにはどうしたらいいんだろう。この中ではどんな美味い飯が食えるんだろう。どんな仕事をしてるのか、本はどれだけあるのか……想像は尽きなかった。 そんな時、
重いカーテンが開かれ、一気に明るくなった部屋でアデラインは目を覚ました。 「おはようございます。奥様」 ナタリーは相変わらずの仏頂面で、アデラインに頭を下げた。 「おはよう。ナタリー」 アデラインはまだ眠気をひきずったまま、もそもそとベッドから這い出た。 サイドボードには花の絵が散りばめられた陶器のたらいが2つ並んでいて、1つからは心地よさそうな湯気が立ち昇っている。 アデラインはひとりで微笑むと、湯気が立っているほうのたらいで顔を洗った。程よい温度のお湯が、夜の冷気で引き攣った顔をゆっくりと解してくれるようだ。 続いて冷たい水でもう一度洗う。冷たい水は肌を引き締めて血行を良くしてくれるのだ。 顔を洗い終えるとナタリーの差し出したガーゼの手拭いで顔を拭き、鏡台の前に腰を下ろした。 鏡台の上には昨日はなかった薔薇の香りのする化粧水や、蜜蝋を練り込んだ良い香りのするクリームなどが並べられていた。 鏡越しにナタリーを盗み見ると、少しだけ気まずそうにブラシを持って立つ姿に、アデラインは気がついていないふりをしながら微笑んで、目の前に並べられた化粧水のボトルを手に取った。 食堂で軽い朝食を済ませたアデラインは、自室に戻るとトマスから預かった予算表を睨んでいた。 一見複雑な簿記の記述に見えたが、読み込んでみるととてもわかりやすくまとめられていることに、アデラインは感心した。 おかげで今年の予算の使い道と、残りの金額を把握することができた。 アデラインはひと息ついてナタリーを呼ぶと、トマスとポーラを自室に来るよう伝言を頼んだ。 「この屋敷に招いたゲストのリストも持って来るように伝えてね」 アデラインが付け加えると、ナタリーは頷いて部屋を出た。 10分とかからずにトマスとポーラが部屋を訪れると、アデラインは予算表と書き記したメモ書きをトマスに渡した。 「屋敷の模様替えをしたいと思うの。このお屋敷にはとても高価な装飾が多いから、それを活かした配置にしたいわ。旦那様に了解を取って下さる?」 「旦那様は屋敷のことは奥様のお好きなようにとおっしゃっておられました」 トマスが答えると、アデラインは少しだけ驚いて、ついポーラを見てしまった。 ポーラは真っ直ぐに立ったまま、アデラインの顔を見返して小さく頷いた。彼女も承
ベッカー邸の食堂で初めて摂る夕食は、アルマン侯爵家とは違い、ロシア式でサービスされるのだと、食堂に向かう途中でトマスが教えてくれた。 アルマン侯爵家では、フランス式——と言えば聞こえがいいが、質素な食事がいくつかテーブルに並べられただけのもので、一品ずつ提供されるロシア式は本や新聞でしか見たことがなかった。 「本日の給仕を務めさせていただきます、第一侍従のジーン・フィッシャーです」 トマスが紹介した従僕は、夫と同じとび色の瞳を細めて会釈をした。 瞳の色は同じでも、ジーンはフットマンらしく若々しく、彫刻のように美しい顔が華やかで、ヒューガードとは全く違うとアデラインは思った。 ジーンは、丁寧な所作でグラスにシェリー酒を注ぎ入れたが、左手でグラスの底を押さえていた。 アデラインは少しだけ眉をしかめたが、すぐにシェリー酒を口に運んだ。 癖のない舌触りのシェリー酒は、するすると喉を通り抜けた。アーモンドのような香りが鼻をくすぐり、爽やかな口当たりが食欲を増してくれるようだ。 こんなに上等なシェリー酒は口にしたことがない。 ほっと感嘆の溜息をつく間に、目の前にスープの皿が差し出された。 湯気の立った皿はそっと受け皿の上に運ばれたが、置かれる際に食器同士の重なる音が静かな食堂に小さく響いた。 アデラインは気付かないふりをして、食事を続けようとスープ皿を覗き込んで息を呑んだ。 スープは透明な琥珀色が美しい、初めて見るものだった。 「こちらはコンソメスープでございます」 トマスが伝えると、アデラインは驚きと興奮が入り混じった顔でトマスを見つめてから、もう一度スープを見つめた。 「これが……」 本で読んだコンソメスープは、大量の肉や野菜を使い捨てる上、大変な技量を要する、それはそれは贅沢なスープだった。 そんなものを一生口にすることなどないと思っていたのに、目の前で光り輝いているのだ。 アデラインはそっと、スープを掬うと一口目をゆっくりと味わった。 透明な液体の中に濃厚な牛肉の甘味が溶け込み、それを野菜たちのスパイシーな香りが包み込む。今までに味わったことの無い美味しさに、気が付くと皿はすぐに空っぽになっていた。 部屋に戻ったアデラインは、木綿の生
重いカーテンが開かれ、一気に明るくなった部屋でアデラインは目を覚ました。 「おはようございます。奥様」 ナタリーは相変わらずの仏頂面で、アデラインに頭を下げた。 「おはよう。ナタリー」 アデラインはまだ眠気をひきずったまま、もそもそとベッドから這い出た。 サイドボードには花の絵が散りばめられた陶器のたらいが2つ並んでいて、1つからは心地よさそうな湯気が立ち昇っている。 アデラインはひとりで微笑むと、湯気が立っているほうのたらいで顔を洗った。程よい温度のお湯が、夜の冷気で引き攣った顔をゆっくりと解してくれるようだ。 続いて冷たい水でもう一度洗う。冷たい水は肌を引き締めて血行を良くしてくれるのだ。 顔を洗い終えるとナタリーの差し出したガーゼの手拭いで顔を拭き、鏡台の前に腰を下ろした。 鏡台の上には昨日はなかった薔薇の香りのする化粧水や、蜜蝋を練り込んだ良い香りのするクリームなどが並べられていた。 鏡越しにナタリーを盗み見ると、少しだけ気まずそうにブラシを持って立つ姿に、アデラインは気がついていないふりをしながら微笑んで、目の前に並べられた化粧水のボトルを手に取った。 食堂で軽い朝食を済ませたアデラインは、自室に戻るとトマスから預かった予算表を睨んでいた。 一見複雑な簿記の記述に見えたが、読み込んでみるととてもわかりやすくまとめられていることに、アデラインは感心した。 おかげで今年の予算の使い道と、残りの金額を把握することができた。 アデラインはひと息ついてナタリーを呼ぶと、トマスとポーラを自室に来るよう伝言を頼んだ。 「この屋敷に招いたゲストのリストも持って来るように伝えてね」 アデラインが付け加えると、ナタリーは頷いて部屋を出た。 10分とかからずにトマスとポーラが部屋を訪れると、アデラインは予算表と書き記したメモ書きをトマスに渡した。 「屋敷の模様替えをしたいと思うの。このお屋敷にはとても高価な装飾が多いから、それを活かした配置にしたいわ。旦那様に了解を取って下さる?」 「旦那様は屋敷のことは奥様のお好きなようにとおっしゃっておられました」 トマスが答えると、アデラインは少しだけ驚いて、ついポーラを見てしまった。 ポーラは真っ直ぐに立ったまま、アデラインの顔を見返して小さく頷いた。彼女も承知
「わたくしは、朝は食堂で食事をします」 アデラインが言うと、トマスは「承知いたしました」と頷いた。 ヒューガードがどの程度の権限を認めたのかという問いには、トマスは明確には答えなかった。「奥様に不自由がないようにと仰せつかっております」との返事は、肯定的に受け止めると女主人の全権を認めるとなるし、否定的に受け止めると単なる客人の扱いだとなる。 アデラインはどちらなのかと問いただすことはしなかった。その代わり、確認すればよいのだ。「屋敷の誂えを整えたいわ。屋敷の維持費や改修費の予算を見せてもらえるかしら」 その要望にも、トマスは黙って頷いた。 アデラインはその動作を見て、満足そうに頷いた。 トマスの答えで、旦那様はそれなりに自分に裁量を任せてくれている——アデラインはそう確信することができた。「夕食前に使用人を集めてちょうだい。挨拶がしたいわ」「かしこまりました。全員、玄関ホールに集まるよう申し伝えます」「お願いね」 アデラインが言うと、トマスは目元で微笑んで見せた。目尻に皺が寄るのを見て、父のアルマン侯爵が懐かしくなったが、別れたのはつい昨日のことだ。 それなのに、これからここが自分の生活する場所なのだと思うと、もう数か月も会っていないかのような切なさが胸を締め付けた。 これが結婚というものなのだろうか。 これまで一緒に過ごした温かい家庭からでて、新しい環境で1人の大人の女性として生きていく。そこにはもう、愛しい父や妹たちの温もりはなく、代わりに得た新しい家族の手を取って歩く。それが結婚なのだと亡くなった母から教えられた。 だが、アデラインはすぐに否定した。 何故なら、結婚とは1人でするものではない。そして、自分の夫は手を取るどころか、初夜はもちろん、結婚したばかりの朝にすら顔を出さないのだ。 いくら世間知らずなアデラインにもわかる。こんなのは普通じゃない。 アデラインはトマスの目尻の皺から目を逸らして、小さく両手を重ねて握った。 それでも—— もう結婚生活は始まってしまったのだ。 それならば、少なくともこの屋敷の女主人として、そして、次期アルマン侯爵夫人として堂々と振舞わなければならない。 アデラインは深く息を吸い込むと、ぐっと胸を張った。「夕食のお召し替えはいかがいたしましょう。ミセスポーラを呼んでまいりましょう
「家政婦のポーラでございます。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」 ナタリーが部屋に連れてきた40半ばの初老の女性は、深々と頭を下げた。「いいのよ。わたくしも人前に出られる姿ではなかったし」 アデラインが言うと、ポーラは横目で半歩後ろで控えているナタリーを見た。「今後はお手伝いが必要な際はわたくしをお呼びくださいませ。以前はヘッセン伯爵家でメイドをしていた経験がございます」 この数少ない会話でポーラは全てを察したのだろう。 アデラインはポーラの存在を少しだけ頼もしく思った。「そうね。明日の朝はあなたにお願いします——と、言いたいのだけど、わたくし、このドレスがとても気に入ったの。明日もこれを着たいわ」「ですが、2日続けて同じご衣裳など——いいえ、畏まりました。では、針子に命じまして同じようなものをすぐに作らせますわ」 ポーラはアデラインの考えを察して、すぐににこやかに答えた。 アデラインはポーラの答えに満足して、「よろしくね」とだけ言うと、ナタリーは仏頂面を少しだけ気まずそうにしかめたが、アデラインは見ない振りをした。「家令のトマスは——」「外出しているとナタリーに教えてもらったわ。戻ったらまた挨拶をさせて頂戴。それまでナタリーに屋敷を案内してもらうわ」 アデラインが言うと、ポーラは頷いてナタリーに「頼みましたよ」とだけ言って、部屋を後にした。 ナタリーの先導で屋敷を見て回ったアデラインは、領地の侯爵邸に引けを取らない広さと、豪華な装飾、そしてそれらが埃ひとつなく丁寧に手入れされていることに感心していた。 窓にかけられたカーテンひとつとっても、丁寧にブラシをかけて手入れをされていることがわかる。木の床などは念入りにワックスをかけて磨かれているおかげで、艶やかに輝いている。「旦那様はとても厳しい方なのかしら」「いいえ。旦那様はお忙しくい方ですのでお屋敷にはほとんどいらっしゃいません。屋敷にいらっしゃる時も執務室から出られることは滅多とありません」「お客様は頻繁にいらっしゃるの?」「滅多といらっしゃいません。年に数回、お食事をご一緒されることはありますが、滞在される方は見たことがありませんね」 ナタリーの答えに、アデラインは「そう」と残念そうに答えた。 せっかくこれだけ素晴らしい家を、ヒューガードという人は気にかけもしないのだ。