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第15話

Author: 清水雪代
智美はバッグを手に取り、すっと立ち上がった。「小川さん、もうこれ以上話す必要はないと思います。これ以上、私につきまとうのはやめてください」

そう言って自分のコーヒー代だけをレジで支払い、背を向けてその場を後にした。

海斗はこれまで女性に、ここまであっさり何度も拒絶された経験がなかった。顔を引きつらせながらも、怒りを押し殺しそのまま追いかけなかった。

一方、千尋は隣の席で祐介に向かって、驚いたように口を開いた。「智美さんって、そういうお仕事してたんだ……まあでも、無理もないわね。彼女、今まで一度も働いたことなかったんでしょう?それに三年間もあなたに甘やかされて、普通の生活なんてもう耐えられないだろうし。だからお金持ちの男に頼るしか」

祐介の顔色がみるみる暗くなったのを見て、千尋はそこで話を切り上げた。目には、してやったりという得意げな色が浮かんでいた。

その帰り道、智美はマンションの前で見慣れた一台のマイバッハを見つけた。

車の前に立っていたのは、他でもない祐介だった。

彼の足元には、吸い殻が何本も落ちていた。

智美は彼の姿を見なかったことにして、踵を返そうとした。

「智美!」

背後から声が飛ぶ。

振り返る間もなく、彼は智美の手首をつかんだ。

振り払おうとするが力では敵わず、あっという間に彼女は車の中へ押し込まれてしまった。

ドアを開けようとするが、祐介がすかさずロックをかけた。

「何のつもり?」智美は眉をひそめ、怒りを抑えながら尋ねた。

祐介は冷笑を浮かべた。「何のつもりって?君は自分を安売りしてでも俺と離婚したいってわけか?俺と別れて、まともな人生が送れると思ってるのか?」

智美は呆れたように吹き出した。

「祐介、自分を買いかぶりすぎじゃない?あなたと一緒にいて、私がまともな人生送れてたとでも?」

その言葉に、祐介は一瞬黙った。彼女に対してこれまでどれだけ冷たく接していたか、自覚はあった。

けれど次の瞬間には、他の男とは違うという自負が顔をよぎった。

他の男はただ彼女を愛人として囲おうとしているだけ。

だが自分は妻の身分を与えていたのだ。

「俺のところに戻ってこい。俺の妻として、今まで通り暮らせばいい」

彼は分かっている。智美が自分を愛していることを。

離婚だ何だと騒いでいるのは、ただの気を引くためだ。

それは効果
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