「悠真さん、こんな私でも、興味ありますか?」
阿左美の声が低く響く。帯を緩めたまま、身を寄せる。胸の谷間が深く、息が熱くなる。父親の企みか、それとも彼女自身の誘惑か? 頭が混乱する。感情の無い女だと思っていたのに、とんだトラップだ。 しかし長らく俺が手も出せず縮こまっているのを見て、阿左美はスッと身を引き、帯を直した。 「……なんて、冗談ですけど」 そして何事もなかったかのように、再びお茶をすする。 冗談? 俺は今、単におちょくられただけなのか? 思わずヘタり込んでしまう。これだから女は、何を考えているのかわからない。 一方で阿左美は、こんなセリフを口にする。 「まぁ、今のでハッキリしました。これだから男の方って、何を考えているのかわかりやすいですね。あなたは私に、興味を示そうとしない。つまり、私との縁談を断る気なんでしょう」 いきなり核心をつかれ、ますます言葉に詰まる。彼女の瞳は静かだ。 「別に気にしなくていいですよ。私もまだ、結婚する気なんてさらさらないし」 言われて、ようやく俺の心もほどけた。 「なんだ、そうなのか……俺はてっきり……」 「でも、あなたには興味がある」 俺のセリフにかぶせるように、彼女は言う。“俺はてっきり”……なんだ? 何を言おうとした? また言葉が出なくなる。完全に阿左美のペースだ。彼女は続けて、思いもよらぬことを口にし出した。 「あなたは、自分の運命がまだ見えていないようね。フラフラした性格のせいで、間違った方向に傾いている。せっかく私の誘惑も回避できたのに、もったいない」 馬鹿にしているのか。初めて会った人間に対してここまで失礼なセリフもないだろう。怒ってもよさそうだったが、できなかった。すべて彼女の言う通りに感じたからだ。 「俺の運命、だって?」 ただ、俺も言われっぱなしのままではいられない。男としてのプライドがある。言い返すべきことは言い返させてもらう。 「はは、他人の運命が君にはわかるのか。一体、どうやって「悠真さん、こんな私でも、興味ありますか?」 阿左美の声が低く響く。帯を緩めたまま、身を寄せる。胸の谷間が深く、息が熱くなる。父親の企みか、それとも彼女自身の誘惑か? 頭が混乱する。感情の無い女だと思っていたのに、とんだトラップだ。 しかし長らく俺が手も出せず縮こまっているのを見て、阿左美はスッと身を引き、帯を直した。 「……なんて、冗談ですけど」 そして何事もなかったかのように、再びお茶をすする。 冗談? 俺は今、単におちょくられただけなのか? 思わずヘタり込んでしまう。これだから女は、何を考えているのかわからない。 一方で阿左美は、こんなセリフを口にする。 「まぁ、今のでハッキリしました。これだから男の方って、何を考えているのかわかりやすいですね。あなたは私に、興味を示そうとしない。つまり、私との縁談を断る気なんでしょう」 いきなり核心をつかれ、ますます言葉に詰まる。彼女の瞳は静かだ。 「別に気にしなくていいですよ。私もまだ、結婚する気なんてさらさらないし」 言われて、ようやく俺の心もほどけた。 「なんだ、そうなのか……俺はてっきり……」 「でも、あなたには興味がある」 俺のセリフにかぶせるように、彼女は言う。“俺はてっきり”……なんだ? 何を言おうとした? また言葉が出なくなる。完全に阿左美のペースだ。彼女は続けて、思いもよらぬことを口にし出した。 「あなたは、自分の運命がまだ見えていないようね。フラフラした性格のせいで、間違った方向に傾いている。せっかく私の誘惑も回避できたのに、もったいない」 馬鹿にしているのか。初めて会った人間に対してここまで失礼なセリフもないだろう。怒ってもよさそうだったが、できなかった。すべて彼女の言う通りに感じたからだ。 「俺の運命、だって?」 ただ、俺も言われっぱなしのままではいられない。男としてのプライドがある。言い返すべきことは言い返させてもらう。 「はは、他人の運命が君にはわかるのか。一体、どうやって
【2015年11月】秋の深まりを感じさせる11月の東京・目黒。料亭の庭園に落ち葉が舞い、風が枯れ木を揺らす。老舗料亭「月見亭」の個室で、俺は父に強いられたお見合いの場にいた。向かいに座る末継阿左美は、着物を身に付け、写真通り日本人形のように美しい。長い黒髪、黒目がちな瞳は愛らしさも感じさせるが、口は真一文字に結ばれ感情が読めない。緊張していると言うより、元から感情を出さないような性格に思えた。その隣に座る末継信孝社長は、太った体躯をスーツに詰め込み、酒を煽りながら笑っている。俺の隣に座る人物に対し、「お父さん、えらい若かごたっばってん」と九州の訛りが強い口調で話しかけた。「いえ、私は悠真様の秘書をしております、佐伯敏夫と申します」話しかけられた人物が返す。末継社長はキョトンとしているが、無理もない。何で親父じゃなくて秘書のお前が同席してるんだと、俺自身も散々問い詰めた後だった。「本来であれば総帥……お父様もご出席される予定でしたが、お仕事がお忙しいとのことで。無礼をお詫び申し上げます」淡々と返す佐伯に、末継社長は酒を煽り、太い声で笑って返した。「まぁ、よかよか。太か会社ば動かしよんしゃっとやけん、こがん場所に顔出さんばらんとも、やぐらしか(※煩わしい)とやろ。そもそも、この縁談ば決むっかどうかは本人たちの意思やけん、そがん意味ではオイも邪魔もんかもしれんばってん。わっはっはっは!」太い笑いが個室を震わせる。仮に俺がこの縁談に乗り気だったとしても、こいつが義理の父親になるのは勘弁だ。自然に嫌悪感が湧く。「初めて目にする苗字でしたが、スエツグ様、で正しいでしょうか。大変珍しいですね」敏夫が社長に視線を向け、再び口を開く。社長は酒を傾け、こう返した。「そがんね? うちの両親は佐賀出身で、九州ではそがん珍しか苗字でんなかごたっけど。福岡にもどっさいおるごたっばってんね」「なるほど、勉強になりました」佐伯は淡々とうなずく。時候の挨拶のようなものだとしても、もう少し感情を乗せて言えるだろうに。人選ミスも甚だしい。親父は今回の縁談を何だと思ってるんだ、そっちが乗り気じゃなかったのか?「末継社長が経営なさるユナイトコーポレーションは、IT分野で急成長中です。ステアリンググループと提携できれば、両社に利益をもたらすでし
目を開けると、白い天井と消毒液の匂い。病院のベッドだ。記憶がぼやける。タクシーの中で鋭い陣痛がきて、意識が遠のいたのだ。今、体は重く、お腹にはズキズキとした痛みもあるが、子宮の中は軽くなっている感覚がある。もう胎動も感じない。双子……生まれたんだ。肩の荷が降りたような安堵と、無事に生まれたのかという不安、そして今までずっとそこにあると思っていたものがもう無いことへの妙な喪失感が一度に押し寄せ、生ぬるい涙が自然と一筋こぼれた。病室の窓からは朝日が差し込んでいた。あれから、何時間経ったのだろう。ふとベッドの隅に、香澄が眠っていた。その柔らかい栗色の髪を撫でると、「うぅん……」と頭を数回横に揺らしたあとで、彼女は顔を上げた。「あ……遥花、良かった……意識、戻ったんだね」その笑顔にホッとする。場所も状況もまったく違うが、それだけいつもの朝と変わらぬことに安心感が湧いた。「香澄、双子は?」声がかすれる。喉がカラカラだ。「ごめん、先に赤ちゃん見てきちゃった! ほら、遥花ジュニア1号・2号!」香澄がスマホを取り出し、動画を見せてくれる。画面には、NICUの保育器にいる小さな二人が映っていた。男の子と女の子、細い腕に点滴、チューブで呼吸を助けられている。小さいけれどしっかり手足を動かし、元気な様子に、今度は熱い涙がこぼれる。「良かった……ありがとう、香澄」震える声でそう告げた。「そうだ、ちゃんと産声も録音してあるの。先生からもらったよ」と、香澄は小さなカード状のレコーダーを取り出す。ボタンを押すと、二つ、競い合うようにほぎゃぁ、ほぎゃあと泣く声が聴こえた。「8ヶ月でよく育ったって。産声を上げたのも良い兆候だって言ってたよ。男の子1,535g、女の子1,465g、ピッタリ3,000g! めっちゃ強いヒーローだよ!」いつものまぶしい笑顔で香澄は言う。「ヒーローって、またそんな呼び方……」とツッコミを入れるけど、涙が止まらない。香澄が頭を撫でる。「遥花、めっちゃ頑張ったね。偉い、偉い!」「香澄、ありがとう……」互いに手を合わせ、指を絡め合う。彼女の手の温もりに、胸が熱くなってきた。「ありがとう、なんて言われる資格あるかなぁ……遥花、帝王切開、私が決めちゃった。ごめんね、遥花が意識なかったから……」香澄の声が少し震える。「でもね、先生に『ご家族で
秋の夕日が東京の街を照らす夕暮れ。会社の若い男性メンバーが仕上げてくれたソースコードをレビューしている最中にスマホが震えた。ディスプレイを見ると、遥花の通う産婦人科の名が表示されていて、心臓が跳ねる。「ごめん、急用……!」そう言って会社の廊下に出て電話を取ると、男性の声で、「遠藤香澄さんのお電話でよろしかったでしょうか?」と尋ねられた。「はい、私です! 遥花に何かあったんですか!?」「お、落ち着いて聞いてください。遥花さんが今日、タクシーで運ばれて来られまして、今日から入院となります」「入院!?」廊下に響き渡るように、思わず叫んでしまう。トイレから出てくる社員が何名か、チラッとこちらに視線を向けてきた。驚かせて申し訳ない気持ちで軽く会釈を返しながらも、スマホの向こうの様子に、とても気が気ではいられなかった。彼は、さらに続ける。「当院に着いた際には意識がなく……陣痛はすでに始まっています」「え、産まれるんですか!?」「はい。予定より早いですが、もともと子宮頚管の力が弱かったこともあり……しかも片方が逆子で、意識も戻られないままでは経膣分娩が難しい状態でして。帝王切開が必要です」不安を煽るような単語ばかりが出てくる。ひょっとしてこの電話の相手こそ、遥花がいつも愚痴っていた例の担当医だろうか。ただ、今そんなことは重要ではない。次の瞬間、彼は最も重要な話を告げた。「帝王切開にはご家族の同意が必要です。香澄さんは遥花さんとご家族ですか?」家族……と聞かれ、回答に詰まる。私と遥花は同棲相手で、恋人同士だ。けれどまだ付き合い始めて1ヶ月という間柄で、果たして家族と言えるのだろうか。私が、彼女のお腹を切る決断をしていいのだろうか?遥花からは、「いざというときには香澄が判断してね」とも言われていた。遥花は元夫の家を出た直後、一度、区役所で倒れて病院に運ばれたことがあったそうだ。だからこそ、そんな話も出てきたのだとわかる。しかし本当に“いざというとき”になってみて、急に責任の重大さを思い知らされる。沈黙が続いて、電話の相手も不審に思ったのだろうか。彼はこう続けた。「ご家族でないなら、ご両親などにお繋ぎいただけますか?」遥花の両親……と言えば、躾の厳しかった養父母しかいない。彼らは遥花が元夫と離婚した直後も、娘の心配より会社のことを優先し、「一千万用
10月の朝、窓から差し込む柔らかな光が、私と香澄の暮らすマンションの部屋を照らす。秋の涼しい風がカーテンを揺らし、街路樹の紅葉が遠くに見える。ベッドの隣で、香澄が穏やかに寝息を立てている。彼女の柔らかい栗色の髪が頬に触れ、温かい香りが漂う。先に目覚めた私は、そっと彼女の額に口づけする。「……ふにゃっ。んふっ、おはよう、遥花」彼女が目を細めて微笑む。その声が、優しく胸に響いた。「おはよう、香澄」と返す。毎朝のこんな時間が、とても優しくて温かい。香澄は起き上がると、キッチンへ向かう。「遥花、朝ごはん作るよ! 妊婦にいいスッキリ系、フルーツヨーグルトとトーストでどう?」彼女の明るい声が部屋を満たす。私は「わぁい、たのしみー!」と、子供みたいな反応をしてしまう。食卓には色とりどりのフルーツとヨーグルトが並ぶ。香澄はスプーンを手に、「双子のヒーローに栄養チャージ!」とアニメっぽい決めポーズを取る。私は「朝からテンション高っ!」とツッコミを入れ、互いに笑いがこぼれる。香澄が会社へ出かけると、静かな部屋に取り残される。私は皿を洗い、衣類を洗濯機へ放り込む。そういった簡単な家事なら、まだやれる。風呂掃除やゴミ捨ては、妊娠7ヶ月のお腹には重すぎる。双子の成長と共に、できないことが増えていく。親友だった香澄の告白を受け入れ、契約したばかりだったアパートも引き払い、二駅ほど離れた彼女のマンションで「恋人」として同棲を始めて数週間。香澄と暮らすのは、夫と離婚した私には恵まれすぎる幸せだ。彼女の笑顔、温かい手、冗談の数々。そうした一つひとつが私の孤独を溶かしてくれる。なのに胸の奥で不安が疼く。香澄は“お互い、Win-Winだね”と言ってくれた。でも、本当にそうだろうか?“遥花のことが好きなの。親友としてじゃなく、それ以上に”香澄の真剣な瞳、震える声。確かにそう告白された瞬間、嬉しくて心が温かくなった。私はこれまでの人生で、自身をレズビアンだと思ったことはなかったが、香澄だから受け入れられると感じた。ただそれは、私自身の望みと言うよりも、彼女の気持ちを優先しただけのようにも思えた。悠真とも、ルミナスの養父母に押し付けられた政略結婚だった。本当の愛なんてものを知らないまま離婚し、入れ替わる形で共同生活を送ることになった香澄を愛していると言えるのか?彼女に離れられたら困るか
「お取込み中でしたか?」重役室に入ってきた秘書の佐伯敏夫。慌てて体を離し、スーツのシワを直している俺と百合子を、ヤツはまるで感情の無い機械のような表情で見ている。俺と百合子の関係性も完全に把握しているだろうに、一切何も踏み込んでこない。それがヤツの良いところでもあり、同時にムカつくところでもある。「おい、誰が入ってきていいと言った? 許可してから入れといつも言ってるだろう!」「はい、それについてはお詫び申し上げます。しかし今回は総帥から直々のご用件でして、可及的速やかに伝えよとのお達しで」俺の苦言にも、そう淡々と返す。父から直々の……嫌な予感しかしない。「わかった、わかった。じゃあ要件だけ言え」早く佐伯に出て行ってもらいたくて言う。百合子も、ただ黙ってその場に突っ立っているしかない。いつまでもそんな居心地の悪い思いをさせているわけにはいかない。「それが、無関係の方にお話しするわけには。セキュリティ上の都合です」と、敏夫は百合子を見て言った。先に出ていくのは百合子だと、そう言いたいようだ。仕方なく、百合子に視線をやる。「すまない。また、今夜」と囁くと、彼女は少しだけ微笑んで部屋を出て行った。ドタンと、ドアの閉まる音が妙に重い。敏夫は手に持っていたステアリンググループのロゴ入りの封筒から、複数枚の写真を取り出す。写っていたのはどれも女性だ。皆、着物やドレスで着飾っている。これはまるで……。「お見合い写真です。この方はIT大手であるユナイトコーポレーションの社長令嬢、こちらは大日本放送局のアナウンサー、そしてこちらが民朝党の若手議員で……」思った通りで、不意に大きなため息が出る。何が“可及的速やかに伝えよ”だ、くだらない。しかも写真を見比べると、職種だけでなく、学生上がりの若い女性から俺より一回り年上の女性まで、年齢層もバラバラ。俺の好みなどそっちのけで、企業の利益しか考えてい