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約束はあの世まで

約束はあの世まで

By:  任くんCompleted
Language: Japanese
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恋人の浦上創太(うらがみ そうた)の命を救うため、黒石寧々(くろいし ねね)は、彼を刑務所へと送り込み、その上、寧々自身が、創太が最も憎む兄浦上拓巳(うらがみ たくみ)に身を委ねた。 その裏切りを、創太は決して許せない。 三年後、出所して権力を掌握した創太が最初に手をかけたのは、寧々への復讐だった。 創太は寧々の義妹黒石遥(くろいし はるか)と関係を持ち、寧々に土下座を強要し、二人が情事を終えた部屋の後片付けを命じた。そうして、寧々の誇りを徹底的に踏み砕いたのだ。 しかし、創太は知らなかった。寧々が胃がんに侵され、余命幾ばくもないことを。 彼女はとっくに自分の墓地を手配済みで、死ぬ覚悟を決めていたのだが……

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Chapter 1

第1話

「黒石寧々(くろいし ねね)さん、本当に辺境の地の戦場医師に行く気なのか?

今回の派遣は、これまでのような交流じゃない。あちらの情勢は不安定だ。二ヶ月前に派遣された医師たちの状況から推測すると、生きて帰れる望みはほとんどゼロ……」

院長はリスクをはっきりと説明した。それでも寧々は、しっかりと頷いた。

紛争地帯の医師になる――彼女はもう、あの硝煙の立ち込める地で死ぬ覚悟はできていた。少なくとも病に倒れるよりはましだ。それに、少しは役に立てるだろう。

病院での夜勤を終えたばかりの寧々に、浦上創太(うらがみ そうた)から電話がかかってきた。

「天上人間クラブ、十分で来い」

寧々はすぐにタクシーを呼び、胃のあたりを刺すような痛みをこらえながら、個室へと急いだ。

ドアの向こうから、女の甘えた声と挑発的な言葉が聞こえてくる。

「んっ……そこ、触らないで……創太、本当に意地悪な人なんだから……」

寧々にはもう慣れた光景だった。ほぼ毎日、違う女を使って、彼女の目の前でこういう芝居を繰り広げるのだ。

創太は若い体を抱き寄せ、彼女たちの若さと美しさを思うままに楽しんでいた。しかし、心のどこかで苛立ちを感じていた。

……寧々がドアを開けて入ってくるまで。

寧々は心の準備を整えた。ドアを開けると、創太の膝の上にまたがる女の姿が目に入った。背中は大きくはだけ、白い肌を露わにしている。寧々には背中しか見えず、顔はわからなかった。

だが、おそらくまた大学生だろう。二人が再会してこの一年、創太の好みはわかっていた。無垢で、誰にも汚されていない、若くて瑞々しい女が好きなのだ。

創太は不機嫌そうに言った。

「遅いぞ」

「場所が遠くて、間に合わなかった」

「なら、いつものルールだな」

いつものルール――それは、一分遅れるごとに酒を一杯空けるというものだった。

個室内のカラフルな照明が、寧々の青ざめた顔色を隠してくれた。

寧々はバッグを置き、近づいた。グラスを手に取ろうとした時、初めて創太の膝の上の女が振り向いた。その顔を見て、寧々は息をのんだ。

「……あなた、女に困ってるわけじゃないのに、どうして彼女を?」

親しい者ほど、どこを刺せば一番痛いかを知っている。

創太はよく知っていた。彼女がこの世で一番嫌っているのが、義母の連れ子の妹、黒石遥(くろいし はるか)だということを。

表向きは無垢で可憐に見せながら、子どもの頃から寧々の牛乳に塩を混ぜたり、こっそり髪をボウズ同然に切ったり、大学受験の志願書を改ざんしようとしたり……小さい頃からずっと、寧々をいじめ続けてきた妹。

創太はグラスを揺らしながら、微かに顔を上げた。鋭い目つきが寧々を射抜く。

声は低く、冷たく、地獄底からのような憎しみに満ちていた。

「お前は昔、俺を捨てて、俺の兄さんとくっついて、その上二人で俺を罠にはめて刑務所送りにしたんだぜ?なんで俺がお前の妹と一緒にいてはいけないんだ?」

寧々は一瞬、硬直した。あの記憶が一気に押し寄せ、身体が微かに震えた。

彼女と創太は高校で知り合った。彼は浦上家の表に出せない隠し子。彼女は再婚家庭で愛されない娘。

暗く寂しい中で育った二人は、約束通り同じ大学に合格し、生まれ育った家を離れた。互いが、長い夜の唯一の光となったのだ。

二度と離れることはないと思っていた二人だが、寧々は、創太が腎不全と診断されると、決然と彼の元を去ってしまった。

彼が地にひざまずき、助けを求めるように、せめて最後の時だけでも一緒にいてくれと懇願しても、彼女の心は氷のように冷たかった。

彼と苦労を共にしたくなかった――創太はそう理解した。

しかし、彼が腎臓提供者を見つけ、一命をとりとめた後、彼女に戻ってきてほしいと願った時、寧々はとっくに創太の異母兄弟、浦上拓巳(うらがみ たくみ)の腕の中に飛び込んでいた。

創太が最も憎んだのは、再会の場が法廷だったことだ。拓巳が創太を飲酒運転という嘘の証言で陥れ、寧々がその重要な証人となって、創太を三年の刑務所暮らしに追いやったのだ。

出所後、創太はこの世で最も憎む男――実の父親の元へ戻った。

一年間身を潜めて機会をうかがい、浦上家のすべての財産と権力を掌握した。自分を刑務所に送った異母兄の拓巳さえも、その冷酷な手口で国外に追いやった。

一年の間に、浦上家はまさに主が代わったと言っていいほどの変貌を遂げた。

権力を握ると、彼はすぐに医師となっていた寧々を見つけ出し、彼女に過去の行いの代償を払わせようとした。

しかし、寧々だけが知っていた。彼女には言えない事情があったのだ。

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第1話
「黒石寧々(くろいし ねね)さん、本当に辺境の地の戦場医師に行く気なのか?今回の派遣は、これまでのような交流じゃない。あちらの情勢は不安定だ。二ヶ月前に派遣された医師たちの状況から推測すると、生きて帰れる望みはほとんどゼロ……」院長はリスクをはっきりと説明した。それでも寧々は、しっかりと頷いた。紛争地帯の医師になる――彼女はもう、あの硝煙の立ち込める地で死ぬ覚悟はできていた。少なくとも病に倒れるよりはましだ。それに、少しは役に立てるだろう。病院での夜勤を終えたばかりの寧々に、浦上創太(うらがみ そうた)から電話がかかってきた。「天上人間クラブ、十分で来い」寧々はすぐにタクシーを呼び、胃のあたりを刺すような痛みをこらえながら、個室へと急いだ。ドアの向こうから、女の甘えた声と挑発的な言葉が聞こえてくる。「んっ……そこ、触らないで……創太、本当に意地悪な人なんだから……」寧々にはもう慣れた光景だった。ほぼ毎日、違う女を使って、彼女の目の前でこういう芝居を繰り広げるのだ。創太は若い体を抱き寄せ、彼女たちの若さと美しさを思うままに楽しんでいた。しかし、心のどこかで苛立ちを感じていた。……寧々がドアを開けて入ってくるまで。寧々は心の準備を整えた。ドアを開けると、創太の膝の上にまたがる女の姿が目に入った。背中は大きくはだけ、白い肌を露わにしている。寧々には背中しか見えず、顔はわからなかった。だが、おそらくまた大学生だろう。二人が再会してこの一年、創太の好みはわかっていた。無垢で、誰にも汚されていない、若くて瑞々しい女が好きなのだ。創太は不機嫌そうに言った。「遅いぞ」「場所が遠くて、間に合わなかった」「なら、いつものルールだな」いつものルール――それは、一分遅れるごとに酒を一杯空けるというものだった。個室内のカラフルな照明が、寧々の青ざめた顔色を隠してくれた。寧々はバッグを置き、近づいた。グラスを手に取ろうとした時、初めて創太の膝の上の女が振り向いた。その顔を見て、寧々は息をのんだ。「……あなた、女に困ってるわけじゃないのに、どうして彼女を?」親しい者ほど、どこを刺せば一番痛いかを知っている。創太はよく知っていた。彼女がこの世で一番嫌っているのが、義母の連れ子の妹、黒石遥(くろいし はるか)
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第2話
寧々は、苦労を厭うような人間ではなかった。あの時、創太が腎不全を患い、唯一適合した腎臓の提供者が、彼の異母兄弟である拓巳だった。彼女はその兄に、創太の命を救うために懇願せざるを得なかった。しかし拓巳は、家庭を壊した創太という私生児の弟を憎んでいた。腎臓を一つやるなんて、到底ありえなかった。寧々は創太を救うため、拓巳に腎臓を提供してほしいと頼んだ。吹雪の中、三日三晩も跪き続けた。その時の冷えが骨身にしみ、今でも後遺症が残っている。それでもようやく手に入れたのは、拓巳との対面だけだった。「あいつと、あいつの忌々しい母が俺の家庭を壊した。あいつは生まれながらの罪人だ!今さら天罰だろうが」しかし拓巳は、成人したばかりのこの頑なな少女を見て、ある企てを思いついた。「創太を救ってやってもいい。ただし条件がある」その言葉を聞いた寧々は、創太に生きる望みがあるなら、自分が死んでもいいと思った。「半月前、俺は車で人を轢いた。腎臓を創太にやる代わりに、彼の手術が成功したら、お前が法廷で証言しろ。あいつが飲酒運転をしたってな。俺の代わりに刑務所に入ってもらうんだ」寧々はその条件に荒唐無稽さを感じた。だが、拓巳の次の一言で、彼女は妥協せざるを得なかった。「小娘さんよ、刑務所暮らしか、それともあいつをまっすぐ死なせるか。選べ」寧々は万策尽きて、この取引を受け入れた。かつて彼女が創太を飲酒運転の罪で陥れたあの出来事が、今、鮮明に蘇る。思わず目尻が熱くなった。創太の腕が遥の腰に回っている。それでも彼の視線の端は、寧々の瞳に浮かんだ涙を確かに捉えていた。「自分がどんなひどい目にあったみたいな顔をするなよ。拓巳と一緒になって、俺を葬りやがって、随分いい思いもしたんだろうがな」跳ねるような電子音が、彼の声の震えをかすかに隠していた。平静を装う外見の下で、心の奥底にある期待を必死に抑えていることが、それで漏れていた。寧々は口を少し開けたが、結局、何も言わなかった。言ったところで、どうなる?偽証をしたのは事実だ。彼に三年もの刑務所暮らしをさせた。それに……ついこの間、胃がんの診断書を受け取ったばかりだ。彼女にはもう、長くない。せめて、静かに、未練なく、この世を去らせてほしい。「……ひどい目にあったなんて、思ってないわ。だって、私が
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第3話
その言葉を聞いた遥は少し不満げに、むにゃむにゃと声を漏らした。「創太……私が妊娠するの、嫌なの?」「遥、付き合って、婚約して、結婚して、それから子供だ。お前とは一歩ずつ踏みしめながら進みたいんだ」そう言い終えると、創太はルームミラー越しに寧々の表情をうかがおうとした。ところが彼女はとっくにドアを開け、薬局の方へ歩き出していた。緊急避妊薬を見つけた寧々は、次に痛み止めを探し始めた。しかし、目の前のすべてがぼやけていく。痛み止めを探すどころか、彼女は激しい痛みに襲われ、その場にへたり込んだ。薬局の店員が彼女の青ざめた顔色に気づき、駆け寄って支え起こした。「痛み止め……早く効くものなら、何でもいい……」店員が急いで痛み止めを探し出した。寧々はそれを奪い取るように手にし、水なしで飲み込むと、息を切らしながら大きく息を吸った。数分後、寧々は会計を済ませて店員に礼を言うと、すぐに走って戻った。ドアを開けた彼女は固まった。またあの絡み合う喘ぎ声が聞こえてくる。二人は再び情事に没頭しており、まるで疲れを知らないようだった。さっきの会話も、はっきり聞こえていた。一語一語が鋭い刃のように、彼女の心臓を貫き、骨の髄までしみるような痛みが全身に広がった。胃の痛みなど、もはや取るに足らないものに思えた。今まで彼がどんな女と関係を持っても、結婚の約束までしたことはなかった。なのに今回は、彼が約束を交わした相手が、最も嫌悪する義妹だったのだ。寧々は車のドアに寄りかかった。冷たい風が吹いてきたが、彼女は車に乗り込もうとはしなかった。中が再び静まり返るまで待って、ようやくドアを開け、避妊薬を遥に渡した。降りようとした時、さっき買った痛み止めを誤って地面に落としてしまった。寧々は創太に気づかれる前に素早く拾い上げると、その瓶をぎゅっと握りしめた。避妊薬はさっき遥に渡す時に創太も見ていた。明らかに違う瓶だ。「何の薬を飲んでる?」「べ……別に。ビタミンCよ」創太の視線が、彼女が固く握りしめた手の上に落ちた。ちょうどその時、遥が場違いなくしゃみをしたおかげで、創太は詮索するのをやめた。「そうか。悪いものほど長生きするって言うし、お前に病気もないよな」屋敷の外で、創太は着崩れた遥の肩に自分のコートをかけた。「風邪ひくな」
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第4話
創太は遥のために、チャリティー・オークション・パーティーを用意した。彼は彼女を側に連れ出し、挨拶する人ごとに「彼女が俺の恋人だ」と告げた。寧々は、創太の遥に対する態度が、今までとは本当に少し違うように感じた。今までは遊びで、本気になったことは一度もなかった。今回は、どうやら本当に結婚を考えているらしい。こうした場に、創太は彼女を欠席させるはずがない。彼は、自分が輝いている姿を寧々に見せつけ、かつて自分を捨てた決断を後悔させようと企んでいた。だからこそ、遥には最大限の面子を立て、数々の高価な宝石を競り落として彼女に与え、会場のすべての女性が羨む存在に仕立て上げた。一方の寧々は、創太から清掃スタッフの制服を着るよう命じられ、会場内で掃除をしていた。シャンペンタワーのそばで、遥は寧々を見つけると、手に入れた戦利品をひらつかせて言った。「悔しいでしょ?あなたが何年も彼と一緒にいて、一番貧しい時期を支えたのに、今は私と結婚したいって言うのよ。どうしてだか知りたくない?」寧々は黙ったまま掃除を続け、何も言わなかった。「小さい頃から、あなたってこうよね。私がどんな意地悪をしても、表向きは平気なふりをして、実は心底私のこと恨んでるんでしょ!」寧々は幼い頃の記憶に浸った。「あなたは小さい頃からそうだった。私が好きなものを全部奪おうとして」遥が言葉を受け継いだ。「それに、全部成功したのよ。今回だって!どうしてだか分かる?実は彼も最初は私を、今までの女たちと同じように扱うつもりだったの。でも、私は創太に言ったの。高校の時から彼に片思いしてたって、手術代は私が何件もアルバイトを掛け持ちして工面したって、腎臓は、私が拓巳に跪いてお願いして見つけたんだって!私は彼のために、こっそりとそんなにたくさんのことをしてきたのよ。それなのにあなたは、彼が一番辛い時に彼を見捨てた!おかげで彼は刑務所に入れられて、もっとあなたを恨んでるんだからね」寧々は驚愕の表情を浮かべた。それは、遥が自分の功績を横取りしたことだけではなく、当時の自分の行動を彼女が詳細に知っていることへの衝撃だった。「なぜ知ってるの……」彼女は大学に入ってからは実家とは絶縁状態で、ましてや遥にそんな話をするはずがなかった。遥は彼女の耳元に口を寄せた。「だってさ、こっそりあなた
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第5話
寧々はやっと口を開いて言い訳した。「本当に私じゃないの」しかし、創太は彼女の弁解を全く聞き入れず、遥を腕に抱き寄せて言った。「怖がらなくていい。俺が守ってやる。お前に手を出した奴には、代償を払わせるからな」寧々の目尻が一瞬で赤くなり、唇が微かに震えた。両手は無意識に裾をぎゅっと握りしめ、必死に平静を装おうとした。「……そこまで、私にしろって言うの?」彼の目の中に、ほんの少しでも信頼の色を見出そうとした。創太は険しい表情で冷たく言い放った。「お前の犯した過ちは償わせる。昔も今もな」寧々の目尻が熱くなった。目を閉じて誤魔化す。創太の信じない態度が、心を凍らせた。もはや諦めた。彼女は靴を脱ぎ、白くほっそりとした足首を露わにした。そして、そのまま裸足で、ガラスの破片の上に跪いた。ガラスの破片が瞬時に彼女の肌を刺し、血が地面ににじみ出た。どれほどの時間が経っただろう。跪いたままの寧々の足は感覚を失い、流れ出た血は冷たい床の上で固まっていた。ベッドの上では、遥が創太の肩にもたれかかり、痛いと甘えていた。彼女が甘いものが食べたいと言えば、創太は手下に町中の店を回らせた。「食べない。創太が歌って、食べさせてくれないとダメ」創太は一瞬躊躇した。視界の隅で、なおも頑なな姿勢の寧々を捉えると、瞳を暗くして、それでも口を開いた。「あんただけの記憶でありたい、心の奥底にしまっておくんだ……」それは『独り占めの記憶』という歌だった。高校時代、創太が寧々に告白した時に歌った曲だ。あの時、彼は私生児という立場に引け目を感じ、臆病だった。それでも寧々のためなら、学園祭の舞台に立つことができた。彼は言った。それはお前だけのための歌で、お前だけに歌うんだ、と。なのに今、その歌を聴くのは、もう別の誰かのためだった。頑なだった寧々が、ついに謝罪の言葉を口にした。「……ごめんなさい。私が悪かったです」創太の瞳にかすかな動揺が走ったが、それは一瞬のことだった。遥は創太の胸に寄りかかりながら言った。「もういいよ、創太。お姉さんも謝ったんだから、責めないであげて。お姉さんのために医者を呼んで、傷の手当てをしてあげてよ。化膿しちゃうから」彼女の思いやりのある様子に、創太は胸を痛めた。「構うな。彼女自身が医者だ。自分で何とかするさ。お前
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第6話
「婚約」という言葉を聞いた瞬間、寧々はその場に釘付けになった。目を見開き、信じられないという驚きに満ち、唇が微かに震えている。心臓が締め付けられるように痛み、息もできないのに、顔には何も感じていないふりを装い、口をしばらく開けたままにしていたが、ようやくこぼれたのはたった一言だった。「……お二人のご結婚、おめでとうございます」創太が去った後、彼女は胸を押さえた。まるでそうすれば、心をえぐるような痛みが和らぐかのように。寧々はもうすぐいなくなるのだから、創太と遥が何をしようと、平然と受け入れられると考えていた。だが、それは間違いだった。彼女の心は、死ぬほど苦しかった。かつて自分と永遠を誓ったあの人が、今は自分の義妹と婚約し、一歩一歩、結婚式の壇上へと歩みを進めようとしているのだ。彼女は自分を慰め、言い聞かせ続けた。もう時間はあまりない。たとえ真実を話したとしても、彼が過去を水に流してくれたとしても、それは彼に余計な苦労をかけるだけだ。今こうしている方がいい。自分が死んでも、彼は悲しまないだろう。過去二十年、彼は十分な苦しみを味わってきた。少なくとも妻を娶り、子供をもうけ、平穏に余生を送れるように。自分も残された時間で、命の幅を広げ、医学の専門知識を活かして、何か貢献できることをしようと。「黒石寧々、海鮮粥が食べたい。作って」遥は二階から、指図するようにあれこれ彼女を使い、創太がそれを止めようとしないため、彼女はますます図に乗った。居間では、遥がチューリップの色が気に入らないと言い、寧々に取り替えさせた。台所では、遥がわざと料理がしょっぱいと文句をつけ、寧々に作り直させた。寝室では、二人が一夜を過ごした後に散らかったティッシュとランジェリーを、寧々が片付けさせられた。以前なら少しは反論したものだが、今では、ありとあらゆることを、寧々は全て受け入れた。創太は、寧々が抵抗もせずに従う様子を、歯がゆく思いながら見ていた。書斎で、寧々は創太が筆を手に、一画一画、丁寧に彼らの婚約式の招待客の名前をしたためるのを見つめていた。大学生の頃、初めて一緒に暮らし始めた二人が、未来に希望を抱きながら、これからの新しい生活を思い描いていた日々を思い出した。「俺たちが結婚する時は、機械で印刷した招待状は絶対に使わないよ。冷
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第7話
創太は手にした招待状を彼女に差し出した。「彼らを招待するのも、お前に任せる」寧々がそれを開くと、そこには彼女の父と遥の母の名前が記されていた。父は気弱で、婿として妻の実家に入った身。義母は気が強くて口やかましく、寧々が大学に入るとすぐに自ら学生ローンを組んで学費を工面し、さらにアルバイトをしながら生活費を稼いだ。大学を卒業してからは、ほとんどその二人とは縁を切っていた。遥の両親なのに、わざわざ寧々が招待しろとは。寧々にはわかっていた。創太が、彼女に屈服を迫り、恥をかかせようとしているのだと。だが、寧々はただ微笑み、引き受け、ドアを開けて立ち去るという動作を一気に行った。しかし、彼女は突然、引き返してきた。「創太、あなたは長い間、私を苦しめてきたけど、婚約式が終われば、私があなたへの借りも返せるはず。結婚という道を選んだのなら、どうか幸せに生きてください」創太に対し、彼がこれほど自分を傷つけたことを恨んではいた。けれど今、寧々は心から、彼が幸せになってほしいと願っていた。寧々が書斎を出た後、創太は彼女の後ろ姿を見つめながら、寧々ほど無情な人間はいないと思った。彼は苛立ちを爆発させるように、机の上のものをすべて床にたたきつけた。言いようのない敗北感も、そこにはあった。歯を食いしばり、猛然と腕を振るって、机の上の全てを一気に床に払い落とした。茶碗が床に激しく叩きつけられ、高く硬い音を立てて割れ、破片が辺りに飛び散った。……寧々は長年デザインから離れていたが、基礎は残っていた。手を動かせば、かつての感覚はまだ生きているようだった。花をメインの要素に据えた。両サイドに大きく花束を配置し、舞台には巨大な花の壁。かつて、彼女は自分の結婚式の光景をこんな風に想像していた。当時は、花は普通のひまわりでいいと思っていた。安上がりだから。まだ裕福ではなかった創太の負担を減らせると思った。今はそんな必要はない。花は遥の好きなシベリアンローズに変える。創太は遥を溺愛しているのだから、そんな小銭は気にも留めないだろう。この会場のデザインは、かつて自分が夢見たものそのままだ。そう思うと、自分の夢を叶えたような気がした。両親を招待するのは、確かに彼女にとっては難しいことだった。だが、できないことではなかった。せいぜい、
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第8話
会場で、創太は形だけの態度で指輪を取り出した。彼にとって、この婚約はただ寧々への復讐の手段に過ぎなかったのだ。遥の指にはめようとしたその瞬間、リングの内側に刻まれた見覚えのある文字が、陽光に反射して彼の目を捉えた。「はい」という言葉を聞いた後も、なかなか指輪をはめてもらえない遥は、焦って指を前に差し出した。しかし創太の動きは止まったまま。彼は女性用の指輪を手に、じっと観察している。司会者さえも困惑した表情を浮かべ、気まずそうに場をつくろっていた。「創太、どうしたの?」遥が声をかける。創太は指輪を握った指をわずかに震わせていた。これがかつて自分が寧々にプロポーズした時に使ったあの指輪だと確信すると、彼は激しく遥の手首を掴み、冷たく鋭い眼差しを向けた。「言え、この指輪はどこから手に入れたんだ!」彼は式場内を一瞥し、寧々の姿を探した。式が始まる前まで自分のネクタイを直してくれていた彼女の姿が、今は消えていることに気づいた。怒りで額に青筋が立ち、胸を激しく震わせている。抑えきれない怒りが、今にも周囲のすべてを飲み込みそうな勢いだった。その迫力に寧々は思わず半歩後ずさった。顔を上げると、創太のまるで人を喰らうような眼がまっすぐに向けられている。今まで感じたことのない恐怖がこみ上げてくる。「言え!」創太は繰り返した。その視線はまるで鋭い刃のようで、彼女の心の内を切り裂き、絶対的な威圧感をもって迫ってきた。創太の気迫に押された遥は動揺し、慌てて言い訳した。「お姉さんがくれたんだ。どうしてこんな古い指輪を使うのか、私もわからないんだ。これ、前にお姉さんにプロポーズした時の指輪なのか?私の大事な場面に、お姉さんが使ったものをわざわざ持ってくるなんて、どういうつもりなのか……」遥は泣きべそをかき、涙を浮かべた。だが、その涙は創太の心には届かなかった。彼は嘘をついた遥を片手で持ち上げ、控えのソファに放り投げた。遥の両親が駆け寄ろうとしたが、警備員に阻まれた。創太は上着を脱ぎ、ネクタイを遥の手に縛りつけた。「俺はこの指輪の由来なんて一言も言ってない。お前、自ら白状したな。本当のことを言わないなら、裏山に放り込んで狼の餌にしてやる」寧々はその言葉に全身が凍りつく思いだった。「わ、わかった。言うから……私がこっそりお姉さん
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第9話
悪い予感が、創太の心の中で膨らみ、一気に広がっていった。玄関に入るとすぐ目に入ったのは、墓地の購入契約書と、胃がんの診断書、そして様々な薬の瓶が、机の上に並んでいる光景だった。書類の当事者名欄には、どちらもこう記されていた。黒石寧々。「ど……どういうことだ?胃がん?彼女は確かに……」創太は目の前の現実を信じられず、書類に記されていた住所を頼りに、すぐに車を走らせ霊園へと向かった。エンジンの唸りを轟かせ、車は猛烈なスピードで車線を縫うように疾走する。創太はアクセルを床まで踏み込み、荒々しくハンドルを切った。『何の薬を飲んでる?』『べ……別に。ビタミンCよ』『婚約式が終われば、私があなたへの借りも返せるはず』『結婚という道を選んだのなら、どうか幸せに生きてください』……ここ最近の二人の会話が、創太の脳裏を次々とよぎっていく。「ご来園誠にありがとうございます。こちら霊園でございます。どのようなご用件でしょうか?」職員の問いかけに、創太は感情を抑えて答えた。「黒石寧々さんが、ここに墓地を購入されたと聞きましたが」「はい、そうでございます」「そ、その墓地は……」創太の声が詰まる。「……もう使われているのですか?」「はい。黒石様より本日、埋葬品がお届けになりまして、当方で埋葬の手配を承っております」「その品は?品はどこにある?」職員は困惑した表情を浮かべた。「お客様のプライバシーに関わることですので、お見せする権限はございません」「彼女は胃がんなんだ!これが診断書だ!俺は……」創太の声が震えた。「……彼女の夫だ。最近、ちょっとした行き違いがあって……彼女が、自ら命を絶つんじゃないかと心配で……頼む、助けてくれ……」スーツ姿の創太が手にした契約書を確認し、職員はようやくうなずいた。そして、寧々が送ってきた品を取り出した。職員がそ保管庫から取り出し、机の上に置いたのは、小さな骨壺だった。創太の目がそれに釘付けになる。目尻が熱くなり、涙があふれそうだった。骨壺を見つめた創太の息が止まった。近づく足取りはふらつき、一歩進むごとに全身の力を振り絞らなければならないかのようだった。長いためらいの後、震える手で壺の蓋を開け始める。その動きの一つ一つに、限りない躊躇と恐怖がにじんでいた。
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第10話
別荘の中で、遥は不安で胸を締めつけられていた。創太が突然、婚約パーティーを取りやめた理由がわからない。あの指輪のせいだ。自分が提示したあの書類さえあれば、創太の愛がなくとも、彼の罪悪感につけ込んで浦上家の奥様の座に居座れると思っていたのに。彼が寧々のもとへ行って、寧々が全てを話してしまったのではないかと心配だった。自分が証拠がないと主張し続ければいいとはいえ、もし本気で調査されれば、功績を横取りしたことが必ず暴かれてしまう。しかも数日前、彼女をガラスの破片の上に跪かせて陥れた。そわそわと落ち着かないでいると、創太が足早に帰ってきた。遥は彼の様子をうかがったが、特に変わったところは見て取れなかった。慌てて近づき、取りすがるように創太の上着を脱がせた。「創太、今日は驚かせてごめんなさい。あの金の指輪のこと、私が悪かったの。でも……私、創太とお姉さんのことが少し気になってしまって……創太は以前、あんなにお姉さんと愛し合っていたのに、私はただ後ろで長年、片思いしていただけ。創太が病気だと聞いて、やっと少しでもお役に立てるチャンスができたのに。ただ……創太に捨てられるんじゃないかって、怖くて」創太は終始、険しい表情を崩さず、遥のしつこい言葉にも応じなかった。彼は立ち上がり、寝室へ向かうと、何かを探しているようだった。寝室には、半分ほど燃え尽きた芳香剤の匂いが創太の全身を包んだ。遥は自分のパジャマを床に落とし、透けるような下着姿をさらけ出した。細く白い腕が後ろから創太を抱きしめ、柔らかな胸が彼の広い背中に押し当てられる。しかし、創太の反応は遥の予想を裏切った。待っていたのは甘い抱擁ではなく、彼女の自尊心を顧みない、容赦ない拒絶だった。創太は抱きしめていた遥をぐいと押しのけた。美しい体に、美女の誘惑に、彼は異常なほど冷静だった。彼は頬を赤らめた遥を片手で掴み、浴室へ引っ張っていく。浴槽に冷たい水を溜め、家政婦に冷蔵庫の氷を全てそこへ入れるよう命じた。「創太……どうするつもりなの?」創太は彼女に向かって笑った。「すぐにわかるさ」その笑みは目に届いておらず、遥にはむしろ陰気にさえ見えた。間もなく、浴槽は氷水で満たされ、浴室の温度さえもがくんと下がった。創太は、訝しげに後をついてきた遥を見て
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