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結婚指輪にバツを刻まれた日、私はすべてを手放した

結婚指輪にバツを刻まれた日、私はすべてを手放した

By:  ミライCompleted
Language: Japanese
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結婚して六年目、周防慎二(すおう しんじ)は「街中を揺るがすほど盛大な結婚式を改めて挙げよう」と言い出した。 そのために、彼はわざわざイギリスまで行き、目も眩むような価値のダイヤの指輪をオーダーメイドした。 胸を躍らせながら指輪を受け取り、指先が内側に触れた瞬間、身体が強張る。 そこには、「蘇原若音(そはら わかね)」という私の名前が、歪んだ文字で刻まれていた。しかも、その上から、荒々しく深いバツ印が無残に引かれている。 デザイナーの江崎清花(えざき さやか)が「きゃっ」と小さく声を上げ、口元を押さえた。その目には、無垢な驚きだけが満ちている。 「若音、そのバツ……刻字の練習してたときに、つい入っちゃったの。慎二の指輪と同じくらい、きれいに仕上げたかったんだけど……」 彼女はおずおずと慎二を見上げる。 「慎二、言ってたよね。本当の芸術には、『偶然の美』があるって。この、たまたま残ったバツも……ちょうど、古いものが終わるって意味なんじゃないかな」 頭の中で、「理性」という名の糸が、ぷつりと切れた。 私は指輪を掴み、力任せに彼女へ投げつける。 硬いダイヤの面が彼女の頬をかすめ、赤い血筋が走った。 清花は顔を押さえて悲鳴を上げ、よろめきながら後ずさる。 慎二は即座に彼女の前に立ち、私を見る目を氷のように冷やした。 「たかが指輪一つだろ。何を発狂してる」 私は彼の左手を掴み、無理やり彼の指輪を外す。 内側には、丁寧に彫られた文字――「慎&清」。 清花は慎二の腕の陰に寄り添い、見上げながら、悔しそうに涙を滲ませる。 「慎二……『慎』の字を彫ってるとき、どうしても刃先が横にずれちゃって。まるで……勝手に、あるべき場所を見つけたみたい」

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Chapter 1

第1話

結婚して六年目、周防慎二(すおう しんじ)は「街中を揺るがすほど盛大な結婚式を改めて挙げよう」と言い出した。

そのために、彼はわざわざイギリスまで行き、目も眩むような価値のダイヤの指輪をオーダーメイドした。

胸を躍らせながら指輪を受け取り、指先が内側に触れた瞬間、身体が強張る。

そこには、「蘇原若音(そはら わかね)」という私の名前が、歪んだ文字で刻まれていた。しかも、その上から、荒々しく深いバツ印が無残に引かれている。

デザイナーの江崎清花(えざき さやか)が「きゃっ」と小さく声を上げ、口元を押さえた。その目には、無垢な驚きだけが満ちている。

「若音、そのバツ……刻字の練習してたときに、つい入っちゃったの。慎二の指輪と同じくらい、きれいに仕上げたかったんだけど……」

彼女はおずおずと慎二を見上げる。

「慎二、言ってたよね。本当の芸術には、『偶然の美』があるって。この、たまたま残ったバツも……ちょうど、古いものが終わるって意味なんじゃないかな」

頭の中で、「理性」という名の糸が、ぷつりと切れた。

私は指輪を掴み、力任せに彼女へ投げつける。

硬いダイヤの面が彼女の頬をかすめ、赤い血筋が走った。

清花は顔を押さえて悲鳴を上げ、よろめきながら後ずさる。

慎二は即座に彼女の前に立ち、私を見る目を氷のように冷やした。

「たかが指輪一つだろ。何を発狂してる」

私は彼の左手を掴み、無理やり彼の指輪を外す。

内側には、丁寧に彫られた文字――「慎&清」。

清花は慎二の腕の陰に寄り添い、見上げながら、悔しそうに涙を滲ませる。

「慎二……『慎』の字を彫ってるとき、どうしても刃先が横にずれちゃって。まるで……勝手に、あるべき場所を見つけたみたい」

慎二は私の指輪を拾い、私の手元に置いた。表情は冴えないが、声だけは抑えている。

「若音、指輪はしまっておけ。帰ってから話そう」

黙って彼を見る。吐き気がして、言葉が出ない。

しばらくして、入口の風鈴がけたたましく鳴った。

「周防社長、奥さま、いらっしゃいましたか!」

声が先に飛び込んできて、会社のパートナー、高橋が笑顔で店に入ってくる。

「今日は指輪の受け取りだと聞いてね。お祝いに来たんですよ!」鈴木も朗らかに続いた。「この遅れてきた結婚式、業界じゃ、相当な美談ですよ」

高橋が豪快に笑い、慎二を指差した。

「昔、現場で食パンかじってた頃から言ってましたよ。『俺の稼ぎは全部、若音のもんだ。将来も全部な』ってね。この気持ち、何年経っても変わっていません。本当に立派ですよ!」

二人は、私の強張った手元を見る。

「指輪は?早く見せてくださいよ」

指が動かない。

店内が、一瞬で静まり返った。

清花が半歩前に出て、少し申し訳なさそうな笑みを浮かべ、柔らかく説明する。

「社長方、どうかお気を悪くなさらず。周防社長は今回のデザインに特別こだわっていて、イギリスにいた三か月間、ほぼ毎晩、私と修正を重ねていて……」

その瞬間、高橋と鈴木の笑顔が固まった。三人の間を視線が行き来し、ようやく異変に気づく。

慎二は眉を強く寄せ、即座に遮る。

「清花!」

そして私に向き直る。顔にはいつもの余裕が戻っているが、声には苛立ちが滲む。

「若音、清花はプロのデザイナーだ。芸術には、少し前衛的な表現もある。お前には、まだ分からないだけだ。

素人が細かく突っ込むな。俺の顔を立てて、ここで騒ぐのはやめてくれ」

この、苛立ちに満ちた顔を見て、ふと七年前の夜を思い出す。

雨漏りする仮設小屋で、彼は同じ目で私を見て、こう言った。

「若音、俺は絶対に、お前に一切の苦労をさせない」

――本当に、滑稽だ。

私はごく軽く、口角を引いた。

そして、指の力を抜く。

慎二の指輪が指先から滑り落ち、「カラン」と乾いた音を立てて床に落ち、彼の足元まで転がった。

私は拾わない。

代わりに、バッグからウェットティッシュを取り出し、指輪に触れた指を、一本一本、丁寧に拭く。

拭き終えたティッシュを、ゴミ箱に捨てる。

顔を上げ、慎二の険しい表情、清花の呆然とした視線を越え、最後に完全に固まった高橋と鈴木へ、軽く会釈する。

「失礼します」

踵を返し、振り返らずに店を出た。

背後で扉が閉まり、中から、途切れ途切れの人声が微かに聞こえてくる。

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ノンスケ
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自分の結婚指輪の名前に...️をつけられ、夫の結婚指輪には愛人との名前。それだけでもう終わりでしょ。しかも2人でイギリス旅行?妻の指輪のためと言いながらの不倫旅行ね。クズだね。キッパリ縁を切ったのは見事だった。女も自立してないとダメだね。
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妻の力で得た栄光を自分から投げ捨てて落ちぶれる男の話 指輪を傷つけたり自分の名前彫る浮気女がササッと逃げたのが悔しい でもクズ男の惨めな姿は毎度溜飲が下がる
2026-02-06 09:44:51
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10 Chapters
第1話
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第2話
高橋が乾いた笑いを浮かべる。「周防社長、奥さまが……」それに続いて、慎二が淡々と口を開く。「放っておけ。あいつが、どこまで行けるっていうんだ」閉まった店の扉と、床に落ちた指輪を交互に見やり、鈴木が言葉を選びながら切り出す。「周防社長、この指輪は、いったい……」言い終わる前に、清花の声が重なる。軽く、怯えたようで、後悔が滲む声。「全部、私のせい……慎二の気持ちを、完璧に形にしたくて、誤解させちゃった……慎二、私、若音に謝りに行ったほうがいいかな?」「必要ない」慎二は、迷いなく言い切る。「謝る理由がどこにある。あいつは、楽な暮らしに慣れすぎて、自分の分際を忘れてるだけだ」そう言いながらも、手に負えない相手を前にしたように声を落とし、労わる。「清花、お前は優しすぎる。世の中の人間が、みんな分別をわきまえてるわけじゃない。俺が守らなきゃ、お前はどうする」……店の外、青白い照明の下で、私は俯く。胸の奥に残っていた、最後の温度が、静かに引いていく。車に乗り込んだ直後、ウェディングプランナーから電話が入った。慎重に言葉を選ぶ声。「蘇原さん……お二人の結婚式の招待状デザインなんですが、江崎デザイナーから新しい提案が出て……全部、差し替えになるかもしれません」送られてきたデザインを開く。もともと選んでいたのは、二人のイニシャルをあしらった特注の透かし模様。それが、わざと古びさせ、縁は擦り切れ、汚れや折り目までつけたカードに差し替えられている。下には、歪んだ文字。【物を最大限に活用し、リサイクルに感謝を込めて】「江崎デザイナーは、こちらのほうが……より『個性的』だと。周防社長も、了承されたそうで……」声が、どんどん小さくなる。「もういい」自分の声が、ひどく落ち着いて聞こえた。「結婚式は中止。損失はすべて、契約どおりで」通話を切る。すぐにスマホの画面が点灯する。ラインだ。反射的に、慎二とのトーク画面を開く。最後のメッセージは、今朝送ったもの。【もう店に着いた?夜、何食べたい?】既読も、返信もない。インスタに赤い通知が出ている。普段はほとんど見ないのに、今日はなぜか、指が勝手に動いた。一番上に表示されたのは、清花。キャプションなし。写真が一
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第3話
かつて、彼女に嫌われ、突き返されたあの古い指輪を、慎二は七年間、ずっと大切にしまい続けていた。今は磨き上げられ、再び、二人の手に戻っている。私は目を閉じた。泣きもしない。騒ぎもしない。胸の奥が、急にすっぽり空いた。無理やり、何かをえぐり取られたみたいに。――私、蘇原若音の人生は、誰かの笑い話になるためのものじゃない。スマホを取り出し、長年連絡していなかった番号の上で、指が止まる。長い沈黙のあと、私は通話ボタンを押した。……つながった。受話口の向こうは、静かな呼吸音だけ。私は一度息を吸い、低く、声を出した。「……お父さん」……家に戻るころには、外はすっかり暗くなっていた。扉を開けると、室内は明るいのに、異様なほど静かだ。甘ったるい、知らない香水の匂いが漂っている。ウォークインクローゼットの隅で埃をかぶっていた古いスーツケースが、部屋の中央まで引きずり出され、蓋が開いたままになっていた。中身は、すべて荒らされている。一番上にあったのは、私たちの最初の事業計画書。黄ばんだ紙は真ん中から引き裂かれ、裂け目は、並んで書いた二人の署名を、ちょうど貫いていた。「……蘇原さん」家政婦の声が、ためらいがちに響いた。私は振り返らなかった。「誰がやったの?」「旦那さまが、午後に一度お戻りになって……」家政婦は言葉を選びながら続けた。「江崎様が、結婚式のデザインの参考に古い物が必要だとおっしゃって。旦那様ご自身で、いくつか選んでお持ちになりました」指が、無意識に強く握られる。掌が、痛い。ポケットの中で、スマホが震えた。創業当初から一緒だった、古参のエンジニア、孫山泰央(まごやま たお)からだ。メッセージは短い。【奥さん、これ……一度見てください】添付されていたのは、会社設立七周年記念イベントのポスター初稿。中央には、慎二と清花が並んで立つシルエット。光の処理は芸術的で、輪郭はぼやけ、どこか艶めいている。下に、小さな文字。【初心は変わらず、インスピレーションは永遠に続く。私たちのすべての原点に敬意を込めて】その一文を見つめて、ふと、思い出す。七年前。慎二が最初の試作品を掲げ、目を輝かせて言った。「若音、俺の始まりはお前だ」泰央から、少し間
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第4話
あの血のように赤い目が、最後に私を睨みつけたとき、そこに残っていたのは、骨の髄まで刻み込まれた憎しみだけだった。私は玄関のドアを閉め、泣き叫ぶ声と混乱を、完全に遮断した。……慎二が清花を抱きかかえて飛び出してから、数日間、何の連絡もなかった。私はいつも通り、会社へ向かった。財務部長がノックして入ってきた。気まずそうな表情で、支出申請書を一枚差し出す。「副社長、周防社長から特別決裁が出ています。『特別プロジェクト』扱いで……江崎さんの新シリーズの開発とプロモーション用だそうです」一瞬言葉を切り、続けた。「金額が……かなり大きいです」私は金額に目を走らせた。それは、今の会社規模で、社員全員の一年分の給与総額に匹敵する数字だった。「彼は社長よ」私は淡々と言った。「別建てで帳簿を作って。証憑の管理だけは徹底して」「それから……」財務部長は声を落とした。「七周年記念の進行が確定しました。周防社長の判断で……主催者と来賓リストに、あなたのお名前が入っていません」私は小さく頷いた。「分かった」午後、会社は七周年記念イベント――『新生』シリーズ発表会を公式に告知した。ポスターには、慎二と清花のシルエットが、肩を並べて映っている。そこに、私の名前はなかった。まるで、最初から存在しなかったかのように。業界内は、水面下で一気にざわついた。「見たか?本命が外されて、あっちが表に出たな」「周防慎二、やることがえげつない。当時一緒に苦労した仲だろ……」「蘇原若音、結婚式まで中止になったって聞いたぞ。あれだけ金かけて準備してたのに。完全に笑いものだな」夜八時。記念式典はアートセンターで幕を開けた。私はスマホでライブ配信を眺めていた。レッドカーペットの上。慎二は黒のオートクチュールに身を包み、清花は銀白色のドレスを纏っている。手の包帯は、装飾のように巧妙に結ばれていた。清花は彼の腕に絡み、カメラに向かって伏し目がちに微笑む。慎二はわずかに身を寄せ、腕で彼女の背後を包み込むように立っていた。まるで、失っていた至宝を抱き戻したかのように。コメント欄は熱狂していた。【お似合いすぎる!末永くお幸せに!】【この守り方……甘すぎ!】画面を見つめながら、私はふと、会社で最初に開いた
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第5話
会場は、完全な沈黙に包まれた。慎二の顔に浮かんだ青ざめた表情は、一瞬だけ固まり、すぐに場違いな嘲笑へと変わった。彼はマイクを取り、わずかに首を振る。声には露骨な苛立ちが押し殺されていた。「若音、今日はもう帰れ。感情的になってる。会社の話は、明日にしよう」そう言って手を振り、警備員に合図を送る。警備員は戸惑い、誰も動かなかった。私は動かない。ただ、腕時計に目を落とした。「あと二分」彼の口元に貼りついていた作り笑いが、ついに崩れた。「……もういい」疲れたように眉間を揉み、マイク越しに言う。それは配慮のようでいて、最後通牒でもあった。「若音、体調が悪いなら、先に休め。ここは、俺が引き受ける」――返事はしない。再び腕を上げ、秒針が最後の目盛りを越えるのを、静かに見つめた。「時間切れ」私の言葉とほぼ同時に、宴会場の大扉が勢いよく押し開けられた。スーツに身を包んだ一団が、堂々と足を踏み入れてくる。先頭に立つ男の顔を認識した瞬間、慎二の瞳孔が、鋭く収縮した。――彼は分かってしまったのだ。自分と私に次ぐ、第三位の大株主。長年、表舞台に姿を現さなかった、真の資本側代表。A市の大富豪、蘇原敬一(そはら けいいち)。財界の取材すら断り続けてきたその人物が、今、この場に自ら姿を現した。慎二は弾かれたように立ち上がり、顔に浮かんでいた疲労は、即座に拙い恭順へと塗り替えられた。ほとんど反射的に笑顔を作り、ステージを降りて、彼に手を差し出す。「蘇原会長!どうしてご本人が……こんな会社の内輪事、わざわざお手を煩わせるほどの――」だが、蘇原敬一は、差し出された手を見もしなかった。その視線は、静かに彼を通り越し、まっすぐに私へと向けられる。先ほどまで宿っていた冷ややかな査定の色は、私に向けられた瞬間、すべて和らいだ。慎二の手が、宙に取り残される。私は書類を手に、まっすぐ演壇へ向かった。蘇原敬一の背後にいたボディガードが、前に出ようとする慎二を制する。不安と驚愕が入り混じる無数の視線の中、私はマイクを手に取った。「蘇原会長のご臨席を機に、一つ重要な人事異動を発表する」声ははっきりと、冷えたまま響く。「即時をもって、周防慎二を、当社におけるすべての経営・執行職務から解任する」「若音!
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第6話
「それから――周防さん」父は、そこで初めて、棒立ちになっているその男へと視線を移した。声音は、どこまでも淡々としている。「君と、私の娘との『勘定』だが……」彼は、わずかに口元を緩めた。その笑みは、骨の髄まで冷え切っていた。「弁護士団を通して、一つ一つ、きっちり精算させてもらう」慎二は、思わずよろめき、演壇の縁に手をついて、かろうじて倒れずに済んだ。顔を上げて私を見る。その瞳に残っていた最後の体面は、完全に砕け散り、露わになったのは、みっともなく狼狽した慌てと、哀願だった。「若音……」喉は壊れたふいごのように掠れ、一言一言が、血の泡を含んで絞り出される。「七年だ……七年の情だけでも……」私は、何も答えなかった。会場のフラッシュが狂ったように焚かれ、滅多に見られない「ゴシップの瞬間」を記録すると同時に、彼の人生で初めての、これ以上ないほどの惨めな姿を焼き付けていく。清花が歯を食いしばり、一歩前に出て、彼の腕を強く掴んだ。黙ったまま、涙をこぼしながら。「慎二!行こう!こんな人に、私たちは何も求めない!」慎二は、操り人形のように引きずられながらも、視線だけは、最後まで私に縫い止められていた。その目には、砕け散った信仰のあとの虚無があり、すべてを失ったことへの遅すぎる恐怖があり、そして――今にも崩れ落ちそうな、悔しさに震える祈りが残っていた。ボディガードの手が彼の腕に触れた瞬間、彼はびくりと震えたが、抵抗はしなかった。抵抗しようとしたのは、清花のほうだった。だが、より強く拘束される。二人は、左右からほとんど引きずられるようにして、無数の瞬くレンズの下、宴会場から『退場』させられた。扉が閉まる、その瞬間。私は、清花の甲高い叫びを耳にした。「慎二!あなた、私の味方でいるって言ったじゃない!」――異様な静寂の中。私はマイクを取り上げた。「発表会を続行します」声は、驚くほど落ち着いていた。まるで、何事も起きなかったかのように。……その夜、ネットは即座に炎上した。動画は、あっという間に拡散された。血の気を失った慎二の顔。額を伝う冷や汗、震える唇。すべてが、高精細な映像で克明に切り取られている。添えられた文言は、どれも辛辣だった。【リアル社長小説!成り上がり男、正体を晒す!
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第7話
無実?慎二が、無実だって?じゃあ、この七年間、私が無駄にした感情の代償は、いったい誰が払うの?ほどなくして、慎二から電話がかかってきた。静まり返った部屋の中で、着信音だけがやけに耳障りだ。画面に点滅する名前を見つめたまま、私は出なかった。一度。二度。三度。窓の外では、夜の闇が濃く、溶ける気配もない。私は立ち上がり、窓辺へ歩いた。ガラスに映る自分の顔には、何の感情もない。慎二。あなたの言い訳も、後悔も、無実の主張も……もう、一文字たりとも聞きたくない。【消えろ】送信。ブロック。世界が静かになったのは、十分も経たないうちだった。今度は、見知らぬ番号からの着信。その数字の並びを見ただけで、電話の向こうで彼が、目を赤くして、何度も何度も発信を繰り返している姿が、容易に想像できた。私は口角をわずかに引き、通話ボタンを押した――何も言わずに。受話口から、荒い呼吸音が伝わってくる。「若音……?」声はひどく掠れていて、探るような、縋るような響きだった。「やっと……出てくれた」「うん」私は、どうでもよさそうに応じた。「俺……清花が、あんなものを送るとは本当に知らなかった」一拍置いて、聞き慣れた、あの独りよがりな「なだめ口調」が混じる。ただし、そこには以前より濃い動揺があった。「清花は子どもみたいなところがあるだろ。俺が落ち込んでるのを見て、代わりに怒ってくれただけなんだ……お前、あいつと本気で張り合うなよ」「へえ」「若音、俺たち、一度会えないか?」声が次第に早まる。「お前が怒ってるのは分かってる。でも、事実はお前が思ってるようなものじゃない。俺と清花は……ただ……」「慎二」私は、淡々と遮った。「今の私が、あなたと彼女の『ラブストーリー』を聞きたいと思ってると、本気で思う?」彼は、言葉に詰まった。私は続ける。「弁護士からの通知は、明日届く。ちゃんと受け取りなさい」「若音!」彼の声が裏返る。「そこまで冷たくする必要があるのか?俺が悪かったのは認める。でも、七年だぞ。七年のよしみを、少しも考えないのか?」「よしみ?」私は、笑った。「あなたが、私たちの結婚指輪に、彼女の名前を刻ませた時点で、そんなものは、とっくに終わってる」「あれ
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第8話
メール画面を閉じて、スマホを置いたその瞬間、また画面が点いた。高級ブランド店で顔なじみの販売員からのメッセージだった。文面には、いつもの噂好きな調子がにじんでいる。【蘇原さん、ちょっと聞いてください。今夜、江崎さんが来店して、どうしてもあなた名義のサブカードで決済したいって言い張ったんです。百万円の旧作バッグでした。でも決済が通らなくて……その場で顔色が真っ青になってました。「ご主人の周防さんが約束した」って。こちらは規定どおり対応しましたので、ご安心ください】続けて、慌てて店を出ていく彼女の盗撮写真が添えられていた。私は、カウンターの前で期待から逆上へと変わっていく清花の表情を、ありありと想像できた。私は短く返信した。【了解。そのカードは失効で。今後、彼女本人は関連ブランドすべて出入り禁止にして】【承知しました】周防慎二。あなたが「若音を愛している」と言ったとき、私はあなたを支えた。あなたが「清花を愛している」と言ったとき、彼女の目の前にいたのは「周防社長」という玉の輿だけ。今、あなたの背後には何もない。彼女の愛は、どれほど残っているのだろう。……弁護士の通知と資産凍結の書類が届いてから一週間後、秘書が一本の音声データを送ってきた。「蘇原社長、周防さんが住んでいるマンションの管理会社からです。……お役に立つかもしれません」再生すると、最初に鈍い衝撃音が響いた。何かを床に叩きつけた音だ。続いて、清花の声が甲高く、泣き叫ぶ。「慎二!このメッセージ見てよ、カード全部凍結されてる!」慎二は怒りを押し殺しながらも、ひどく疲れた、不機嫌な声で返した。「何度言わせるんだ。今はそんなことに構ってる暇はない。少しは大人しくできないのか?」「大人しく?どうやってよ!」清花はしゃくり上げながら叫ぶ。「バッグは?車は?あの時、なんて言ったの!今じゃ、このボロ部屋の家賃すら払えそうにない!慎二、これが『これからは俺が養う』って言った未来なの!?」「黙れ!」慎二も限界だったのか、声を荒げた。「こっちはイライラしてるのが分からないのか?お前は物をねだることしかできないのか!」「物をねだる?」彼女の声は、露骨なまでに刺々しくなった。薄っぺらな情なんて、もう欠片も残っていない。「胸に
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第9話
彼は警備員に入口で止められていたが、どうしても立ち去ろうとせず、しゃがれた声が広い廊下に虚しく反響していた。「若音……若音!一度でいい、会わせてくれ!一度だけでいいんだ、どうしても話さなきゃいけないことがある!」ちょうど会議を終えたところだった私は、物音に気づき、警備員に手で合図をして下がらせた。彼は私を見るなり、目が一瞬で見開かれた。ほんの数日会わなかっただけなのに、十歳は老け込んだように見えた。スーツは皺だらけ、ネクタイは歪み、顔色は灰色に沈んでいる。ただ、血走ったその目だけが、執念深く私を捉えていた。「若音……」声が激しく震え、近づこうとして、また警備員に遮られる。数歩離れた距離のまま、彼は支離滅裂に言葉を吐き出した。「今さら何を言っても言い訳に聞こえるのは分かってる……でも、イギリスに行ったのは、本当にお前のためだったんだ。お前に一番いいものを与えたくて……清花は、どうやってか俺の行程を嗅ぎつけて、いつもホテルの前に現れて……」彼は苦しそうに髪を掴んだ。「……あの日、デザインが上手くいかなくて、酒を飲みすぎた。彼女が部屋まで送ってきて……酔ってて、お前だと勘違いしたんだ……一度だけだ!本当に、あの一度だけなんだ!」必死に顔を上げ、私の表情に揺らぎを探す。「その後、彼女が泣きながら妊娠したって言ってきて、子どもを盾にしてきた……俺も、あの時は正気じゃなかった!お前はずっと子どもはいらないって言ってただろ。親からは急かされるし……俺だって男だ、跡取りを残したい気持ちもあった……だから、子どもが生まれたら金を渡して別れて、またお前と昔みたいにやり直せると思ったんだ……若音、俺は取り返しのつかないことをした!最低だ!人間じゃない!」彼は膝が崩れ、今にも跪きそうになるのを警備員に支えられ、前屈みのまま、鼻水と涙を流した。「でも、あいつは俺を愛してなんかいない!金目当てだっただけだ!今、俺が何も持っていなくなった途端、すぐ本性を現した!若音……俺が悪かった、本当に悪かった……俺に一番よくしてくれたのはお前だけだ。七年だぞ?七年の関係が、こんな簡単に終わるわけない……子どもは……処理する。だから、もう一度やり直そう。頼む……もう一度だけ、俺を信じてくれ……」私は黙って、最後まで聞いた。周囲では、社員た
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第10話
「慎二、私たちの間は……あなたがイギリスへ、彼女を追って行ったあの瞬間に――もう、とっくに終わっていたの」弁護士が一通の書類を、魂の抜けたような慎二の前に差し出した。「周防様。こちらは離婚協議書および財産分与一覧です。三営業日以内にご署名ください。期限内に応じていただけない場合、当方は法に基づき強制手続を申請します」そのとき、父が数名に付き添われて姿を現した。彼は蒼白な顔で立ち尽くす慎二を一瞥しただけで、まっすぐ私の元へ歩み寄る。「片付いたか?」「ええ」父は軽く頷き、私と並んで歩き出した。周囲の畏敬の視線を背に受けながら、私たちはその場を後にした。……離婚の成立は、思っていたよりも早かった。慎二に、選択肢はなかった。蘇原家の巨大な法務チームと、動かしようのない証拠の前で、彼の抵抗はすべて、空虚な悪あがきに過ぎなかった。彼は完全な無一文で家を出た。身につけている服以外、何一つ持ち出せず、そして、何一つ持ち出す資格もなかった。清花の消息を耳にしたのは、それから一か月後のことだった。噂好きの仲介役を通じて、断片的に聞いた話だ。慎二が離婚に署名し、最後の利用価値を失った翌日、彼女は仮住まいのマンションから、金目のものをすべて持ち去ったという。そして、どこからか手に入れた金を持って、一人で私立病院に入った。子どもは、残らなかった。慎二に知らせることもなく、彼女は冷静かつ手際よく、世の中から姿を消した。一方の慎二は、すべてを失い、A市の最果てで、必死に生き延びていた。かつての仕事に戻ろうと、数人を集め、昔住んでいた賃貸よりも劣る地下室を借りたらしい。だが、評判は地に落ち、信用は崩れ、手元には動かせる資金すらなかった。たまに舞い込む小さな仕事も、搾取の末の残り滓で、生活を支えるには到底足りなかった。かつての知人が、老朽化したスーパーで彼を見かけたことがあるという。色あせたシャツを着て、冷蔵ケースの前で、割引の牛乳二本を見比べていた。その背中は丸まり、かつての「周防社長」の面影は、微塵もなかった。その後、彼は半狂乱になって清花を探したとも聞いた。問い詰めたかったのか、取り戻したかったのか、それとも、ただこの底なしの絶望を分かち合う相手が欲しかったのか。だが、電話は常に使われておらず、
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