Masuk「そんなことだろうと思った」
「迷惑かけついでに、すみませんが、俺を慰めてくれませんか」 本気で言っているのだろうかと、和彦は隣に座った中嶋の顔をまじまじと見つめる。中嶋は、ヤクザらしくふてぶてしい笑みを浮かべていた。もしかしてからかわれているのだろうかと思ったぐらいだが、気弱な表情を見せられるよりはいいかもしれない。 和彦はもう一口お茶を飲んでから、ふっと息を吐き出す。「――彼なりに、君を気づかっているんじゃないか。自分は集団で襲われて、そのトラブル処理のために、長嶺組に後ろ盾になってもらった。多分、長嶺組長に何か弱みを握られたんだろ。一方で、君は総和会の中で確かな地位を築き始めた。……自分の事情に巻き込んで、元後輩の足を引っ張りたくないのかもしれない、と甘いぼくは考えてしまう」「本当に先生は甘いですよ。ヤクザの世界なんて、そう甘くもないし、綺麗事は大抵通じない」「ぼくだって、無理してこの理屈を捻り出してやったんだ。黙って頷いておいてくれ」 ヤクザの体面を取り繕ってやる**** 袖を通した長襦袢の前を合わせると、すかさず背後から回された手が衿端を持ち、たるみを調整してくれる。「さすがに、千尋が高校生のときにあつらえたものだから、先生には少し寸足らずか。が、思っていたより不恰好じゃない」 ぴったりと背後に立っている賢吾の言葉に、耳元をくすぐられる。和彦は反射的に首をすくめ、その拍子に、姿見に映る自分と目が合った。 先月足を運んだ呉服屋でも体験したが、着物を身につける自分の姿を鏡で見るというのは、なんとも照れくさくて、気恥ずかしい。 そんな和彦を、賢吾が妙にまじめな顔で見つめていた。こちらはすでに端然とした着物姿で、さきほどから熱心に着付けを指導してくれている。だから和彦も、逃げ出したい気持ちを堪えられた。 クリニックからの帰りに呼びつけられて本宅に寄り、一緒に夕食をとったあと、和室に連れ込まれた。そのときにはすでに、着付けの練習用の着物が一揃い用意されており、ようやく和彦は、自分が本宅に呼ばれた理由を理解したのだ。「今日は長襦袢の下はTシャツだが、外出するときは、きちんと肌襦袢を身につけるんだ。それに、裾よけも。いかにも品のいい先生が、きちんと着物を着こなしていたら、今以上に色男っぷりが上がるぞ」 そんなことを言いながら、賢吾は腰紐を差し出してくる。受け取った和彦は、いつも賢吾がしているように結んでみる。「上手いもんだ、先生」「……紐を結ぶぐらい、初心者のぼくでもできる」「俺は、褒めて伸ばす男なんだ」 和彦が顔をしかめるのとは対照的に、賢吾はニヤニヤと笑いながら、今度は長着を肩にかけてきた。袖に手を通すと、賢吾が肩をてのひらで撫でたあと、袖先を軽く引っ張り、たるみが出ないよう整えてくれる。 長襦袢の衿に重ねるように、長着の衿を合わせる。すかさず賢吾が身幅の余りを丁寧に始末して、不恰好にならないよう上前で隠す方法を説明してくれた。「なんだか、複雑だ。あんたはいつも簡単に着付けているから、そういうものなのかと思っていた」 思わず和彦がぼやくと、前触れもなく賢吾の手が、上前の下
中嶋から聞いた内容を、秦は艶然とした笑みを浮かべながら賢吾に報告しただろう。いや、それ以前に、すでに中嶋から賢吾へと報告済みかもしれない。 和彦が関係を持つ男たちは、和彦の情報を当然のように共有するのだ。情も利害も絡んだ、妖しいネットワークだ。「……ぼくは、彼に感謝しないとな。気分が塞ぎ込みそうになっていたところを、助けてもらった」「セックスして先生に感謝されるなんて、羨ましい立場だ」 秦が楽しげに洩らした言葉に素早く和彦は反応し、慌てて周囲を見回した。「それで……、ぼくに渡したいものってなんだ」 ああ、と声を洩らした秦は、隣のイスに置いた小さな紙袋を差し出してきた。「出張のお土産で、香水です。なんとなく先生に合いそうだと思って。嫌な香りでなかったら、仕事が休みの日にでも使ってください」「ありがとう……」 紙袋を受け取った和彦は、香水の香り以上に、秦がどんな仕事で、どこに出かけていたのかが気になる。ちらりと視線を向けると、秦は秘密をたっぷり含んだ艶やかな笑みを返してくる。その表情を見ただけで、和彦が何を尋ねても、『出張』について答える気がないとわかった。 ランチが運ばれてきたところで、腕時計で時間を確認する。秦とのおしゃべりを楽しみながら、優雅に食事ができるほどの余裕はあまりない。「――お土産を渡すためだけに、わざわざ来てくれたのか?」 食事をしつつ和彦が率直に疑問をぶつけると、秦は首を横に振った。「中嶋と話していて、なんとなく決まったことなんですが、せっかくなので先生も誘おうという話になったんです」「何を……」 つい反射的に警戒してみせると、楽しそうに秦は口元を緩める。「三人で、花見をしませんか。とはいっても、人ごみの中でにぎやかに飲むわけではなくて、ビルから夜桜を見下ろしながら、という形になりますが」「花見、か」 昨夜千尋から聞かされた、総和会の花見会のことが頭に浮かぶ。暖かくなってきて、物騒な男たちが精力的に動き始めたような気がし
**** 和彦の顔を一目見るなり、端麗な容貌の男は表情をわずかに曇らせる。 それが芝居がかって見えるのは、この男の美貌ゆえか、それとも胡散臭い存在のせいか――。 頭の片隅でちらりとそんなことを考えた和彦は、唇をへの字に曲げてテーブルにつく。「……ぼくの顔に何かついているか?」 あえてぶっきらぼうな口調で問いかけると、今日の昼食の相手である秦は肩をすくめた。ごく一般的なレストランなのだが、この男が正面に座っているというだけで、とてつもない贅沢をしているような気がしてくる。 平日ということもあり、周囲のテーブルを占めるのは、ビジネスマンやOLたちだ。ノーネクタイのやや砕けた格好の和彦と、きちんとスーツを着てはいても、見るからに普通の勤め人ではない秦の組み合わせは目立って仕方ない。「少し居心地が悪いかもしれないが、我慢してくれ。午後一番に予約が入っているから、あまりクリニックから離れるわけにもいかないんだ」 ランチを頼んでから和彦がぼそぼそと言うと、秦は穏やかに微笑む。「気にしないでください。わたしの都合で、先生につき合ってもらっているんですから」 午前中、秦から連絡が入り、渡したいものがあるので昼食を一緒に、と言われたのだ。断る理由もないため和彦は誘いに乗ったが、何を渡されるのか、いまだに教えられていない。 おしぼりで手を拭く和彦の顔を、秦がじっと見つめてくる。最初は気づかないふりをしていたが、次第に苦痛になってきて、仕方なく和彦は口を開いた。「……なんだ」「先生もしかして、少しお疲れですか?」 鋭いなと思いつつ頷く。「昨夜はあまり……寝てないんだ」 酔っ払った千尋がやってきて、そのまま深夜まで体を重ねていたのだ。そこに、キッチンの片付けという労働も加わった。 十歳も年下の青年相手の痴態が生々しく蘇り、知らず知らずのうちに頬が熱くなってくる。そこに、さらに羞恥を煽るようなことを秦が言った。「――わたしが出張している間、
「お前は子供かっ」 和彦が抗議する間にも千尋の手は油断なく動く。腰を掴まれて、尻を突き出すような扇情的な姿勢を取らされていた。さんざん擦られて広げられた内奥の入り口は、濡れて蕩けたままだ。千尋は悠々と、高ぶりを押し当ててくる。「――こんなに甘やかしてくれるんだから、俺は先生の前では、子供のままでいたい」 口ではそんなことを言いながら、内奥に押し入ってくる千尋のものは充実した硬さと逞しさを持ち、立派な大人だ。「あうっ……」「甘えられるうちに、たっぷり先生に甘えておかないと。――明日には、どの男の腕の中にいるかわからないからね」 ドキリとするようなことを呟いた千尋が、乱暴に腰を打ち付けてくる。熱いものを内奥深くまでねじ込まれ、和彦は声を上げながら締め付ける。素直な欲望が一際大きくなり、脆くなっている襞と粘膜を強く擦り上げてくる。「うあっ、あっ、千尋っ……、千尋っ」「いいよ、先生。中、ビクン、ビクンって痙攣してる。感じてる、よね?」 律動の激しさに、足元から崩れ込みそうになる。和彦は必死にカウンターにすがりつき、その拍子に水がまだ入っているボトルを倒してしまう。こぼれた水が床へと滴り落ち、足元を濡らす。それに気づいた千尋が、ふっと律動を止めた。「あー、床が濡れちゃった」 そう洩らした千尋が、背後から和彦の耳に唇を押し当ててくる。同時に片手が、開いた両足の間に入り込み、興奮で震える和彦のものを握り締めてきた。 次の瞬間和彦は、賢吾と千尋がいかによく似ているか強く実感した。「先生、あとで俺が床を拭くから――漏らして見せて」 耳元に注ぎ込まれた言葉に、頭の芯が揺れる。強い羞恥と興奮のせいだ。「……嫌、だ……。そんな、はしたないこと……」「言っただろ。先生にいっぱいいやらしいことをして、辱めたいって。これは、頼みじゃない。俺から、オンナへの命令」 千尋が緩く腰を動かし、和彦のものを扱き始める。和彦は呻き声を洩らして腰を揺らした。
残念だ、という言葉を呑み込んだ和彦は無意識のうちに、千尋の左腕に巻かれた包帯に指先を這わせる。それに気づいた千尋が、笑いながら教えてくれた。「次の治療で、タトゥーの残りの部分全部にレーザー当てるらしいんだ。あとは様子を見て、という感じ。カサブタが剥がれたところから、けっこう消えていってるしさ。傷跡も、思っていたより醜くないし、けっこう順調だよ」「苦労して消して、次は、本格的に刺青を入れるのか……」「そう。時間をかけて、一生ものの本気なのを」「――……こんなにきれいな体と肌をしているのに、な」 千尋の剥き出しの肩を撫で、ぽつりと和彦は洩らす。引き止めたい気持ちがある一方で、千尋の父親である賢吾の、艶かしくて生々しい大蛇の刺青が脳裏に蘇り、胸の奥で妖しい衝動が蠢く。どんな図柄を入れるつもりなのか知らないが、千尋のきれいな体に彫られる刺青は、さぞかし映えるだろうとも思ってしまう。 和彦のわずかな変化を感じ取ったのか、千尋が熱い吐息を洩らして唇を吸ってくる。「考えるだけでゾクゾクする。俺の体に入った刺青を、先生が撫で回してくれるのかと思ったら」 千尋の熱に刺激されたのか、身震いしたくなるような欲情が急速に和彦の中で大きくなる。そんな自分自身に戸惑い、慌てて千尋を押しのけてベッドから出ていた。「先生……?」 イスにかけてあるバスローブを取り上げて、和彦は上擦った声で応じる。「喉が渇いたから、水を飲んでくる。お前にも持ってきてやるから、待っていろ」 バスローブを羽織り、半ば逃げるように寝室を出る。キッチンに入った和彦は、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを二本取り出す。一本を開けて、さっそく口をつける。 喉を通る水の冷たさのおかげで、自分の体がどれほど熱くなっているのか実感できた。ほっと安堵の吐息を洩らしたところで、前触れもなく背後から抱き締められる。驚いて振り返ると、裸の千尋がにんまりと笑いかけてきた。気配も感じさせずに、和彦のあとを追いかけてきたのだ。「……待っていろと言っただろ」
** 汗に濡れた茶色の髪に指を絡めていると、何かを思い出したように千尋が顔を上げる。和彦の腕の付け根辺りに顔を埋めておとなしくしていたため、とっくに眠ったのかと思ったが、こちらを見上げてくる千尋の目は、まだ爛々と輝いている。 行為のあとの気だるさを持て余している和彦とは、大違いだ。 「どうした?」 「今晩、じいちゃんと飲んだときさ――」 この状況での守光の話題に、和彦は微妙な表情となる。いくら千尋に知られたとはいっても、取り澄ました顔ができるほど、図太い神経はしていないのだ。正直、守光との関係に対して、まだ戸惑っている最中だ。 「花見会の話題が出たんだ」 「……先日会長と旅行に行ったとき、少し説明してもらった。警察からは、総会と呼ばれていると……」 「そうだよ。警察にとっては、春の訪れを感じる行事らしいよ。なんといっても、大物ヤクザが勢揃いだから、対応が大変だ」 腕枕をしている和彦の腕が痺れるとでも思ったのか、ごそごそと身じろいだ千尋が頭を上げる。 「新年会は、あくまで身内のための会なんだ。総和会に名を連ねる十一の組の人間しか参加が許されない。だけど花見会は、それ以外の組や団体からも人が集まる。この世界の人間は注目してるんだよ。今年はどこに、総和会会長からの招待状が届くか、って。総和会からの覚えがめでたいと、けっこう美味しい思いはできるし、揉め事にも利用できるから」 「ぼくの理解している花見とは、ずいぶん規模が違いそうだな」 「すごいよー。でかい屋敷を貸し切ってさ。そこの庭で花見するんだけど、右を見ても、左を見てもヤクザばかり。俺は高校生の頃、オヤジに連れられて一度だけ行った。別に楽しくはなかったけど、気前のいいおっさんたちが、やたら小遣いくれるんだ」 「お前は変なところで大物というか、無邪気というか……」 いまさらながら、千尋がどれだけすごい環境で過ごしてきたのか痛感する。何よりすごいのは、そんな環境で揉まれてきながら、千尋が底なしの甘ったれだということだ。 和彦が髪を撫でてやると、千尋は心地よさそうに目を細め、顔を寄せてくる。唇を触れ合わせるだけのキスを繰り返しながら、話を続け
「お前に行動を予測されるなんて、自分が単純だと言われてるようで、軽くショックだ……」「ひでーよ、先生。俺こそ、どれだけ先生に単純だと思われてるんだよ」 たまらず声を洩らして笑った和彦は、並んでいるマフラーを指さす。「お前の予測だと、ぼくのマフラーを一緒に選ぶ、というのも入ってるのか?」 もちろん、と返事をした千尋が、率先してマフラーを取り上げ、和彦の首元に持ってくる。その状態で、側に置かれた鏡を覗き込んだ和彦は、今度こそ本気で驚いて目を見開く。反射的に振り返ると、そこには、さきほど別れたばかりの澤村が立っていた。
** 軽く咳き込んだ和彦は、モゾリと身じろいで寝返りを打つ。うつ伏せとなって、布団から手を出してみると、肌に触れる空気はふんわりと温かい。 誰かが気を利かせて、客間のエアコンを入れてくれたようだ。おかげで、朝の身震いするような寒さは感じなくて済むが、その代わり、ひどく空気が乾燥している。 もう一度咳き込んだ和彦は、ようやく薄く目を開く。障子を通して、朝の柔らかな陽射しが室内に満ちていた。 緩慢にまばたきを繰り返しながら、どうして今朝は、体が心地いい充足感に満たされているのだろうかと考えてすぐに、小さく声を洩らす。布団に包
あっという間に鷹津もバスタブに入ってきて、和彦は腕を掴まれ引き寄せられる。鷹津も頭から湯を被り、オールバックの髪型は見る間に崩れた。 思わず手を伸ばした和彦は、鷹津の濡れた髪を掻き上げてやる。次の瞬間、鷹津の両腕が体に巻き付いてきて、顔が間近に寄せられた。鷹津の目は、相変わらずドロドロとした感情で澱んでいる。そこに狂おしい欲情が加わり、この嫌な男をひどく人間らしく見せていた。 つい鷹津の目に見入っていると、唇が重なってきた。「あっ……」 唇が擦れ合った瞬間、和彦の背筋にゾクゾクと強烈な疼きが駆け抜ける。体は、こ
携帯電話は持っていくが、念のため、外出することを長嶺組に報告しておく。組員からは、すぐに護衛の人間を向かわせると言われたが、中嶋が同行することを告げると、渋々引き下がってくれた。 総和会の中で出世した中嶋への信頼感の表れか、何かしらの思惑があるのか――と考えるのは、穿ちすぎかもしれない。 身支度を整えた和彦がエントランスに降りたとき、約束した時間には五分ほど早かったが、マンション前まで出ると、すでにタクシーが一台停まっていた。中から中嶋が手を振っている。「――それで、どこまで行くんだ」 タクシーが走り始めてから、首に巻いたマフラーの端を弄