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第8話

Author: ドドポ
今夜のパーティーが始まって二時間近く経つが、洵は一滴も酒を口にしていなかった。

澪は洵の持病である胃痛が再発したのだと察した。

ここ数日、離婚騒動で、これまで欠かさず煎じていた漢方薬を作っていなかった。

洵も飲んでいないはずだ。配合も火加減も時間も、澪しか知らないからだ。

いっそ痛みで死ねばいい――そんな考えが澪の脳裏をよぎった。

だが、結局そこまで非情にはなれなかった。

澪はスマホを取り出し、洵の胃痛を治す漢方の生薬名から配合、煎じ方に至るまで、事細かに書き出した。

送信する前、何か挨拶や社交辞令、言い訳などを付け足すべきか迷ったが、何度も書いては消し、結局余計な言葉は一文字も書かずに送信ボタンを押した。

洵のスマホがラインを受信したが、それを開いたのは洵ではなかった。

千雪は背を向け、澪が送ってきた内容を暗記すると、そのメッセージを跡形もなく削除した。

洵の方は接待の真っ最中だった。

今夜は千雪の仲間とはいえ、知り合いも多く、付き合いは避けられない。

だが、胃の痛みが限界に達しており、酒には一切手を付けていなかった。

そのせいで彼の纏う空気は冷え切っており、まるで今夜のパーティーのすべてが気に入らないかのようだった。

「洵……」

パーティーが終わりに近づいた頃、千雪が湯気の立つ薬湯が入った椀を持ってきた。

その香りに覚えはあったが、千雪と付き合っていた頃、彼はまだ胃を患っていなかった。

「どうして俺が胃痛持ちだと知ってるんだ?それにこの薬……」

洵は澪の方をちらりと見た。

「あなたの体のことなら何でも知ってるわよ。この薬、漢方の名医に頼んで処方してもらったの。絶対効くから」

実は千雪が莉奈と洋子に頼んで、澪から送られてきた処方箋通りに買いに行かせたものだった。

煎じる時間がなく、簡易的に作ったものだが、多少は効果があるはずだ。

「私のせいね。あの頃、私がわがままを言わなければ、あなたがこんなになるまで体を壊すこともなかったのに……」

千雪は目を赤くした。

薬の匂いに気づいた澪が振り向くと、千雪が小鳥のように洵の肩に寄りかかっているのが見えた。

そして洵は千雪にレッドベルベットケーキを食べさせていた。

レッドベルベットケーキ。澪はかつて、洵のために何度も作ったことがあった。

洵は胃が悪く、辛いものも甘すぎるものも食べられない。

もともと甘いものは好まないが、レッドベルベットケーキだけは別だった。

澪は洵の好みに合う甘さに調整するために何度も練習したが、洵はいつも満足しなかった。

今なら分かる。

彼が満足しなかったのはケーキの味ではなく、作ったのが自分だったからだ。

帰路につきながら、澪はどうすれば洵と離婚できるかをずっと考えていた。

だが離婚どころか、少年院での仕事の方にも横槍が入った。

「そういうわけでして、ご主人から連絡があり、入職日を変更させていただきました。確認のお電話です」

澪がアパートの下まで来た時、少年院からそんな電話がかかってきた。

そこへ、視界に黒い高級車が入ってきた。洵の車だ。

電話を切ると、車の窓が下りた。運転していたのは佐々木ではなく、洵本人だった。

「どういうつもり?」

澪は問い詰めた。

「乗れ」

洵は言葉少なく、説明するつもりなどなさそうだった。

澪は洵の深い瞳を見つめ返したが、彼の考えが読めない。

彼女は車に乗らなかった。

「今日は実家の食事会だ」

洵の声が背後から聞こえた。冷淡で、自信に満ちた声だった。
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