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鍾愛王子のあいしらい
鍾愛王子のあいしらい
Author: 七賀ごふん

千華

last update Last Updated: 2025-09-09 20:45:39

天界の代表……の、付き添い。見習い。またの名をおまけ。居ても居なくてもいいという、とても絶妙な立ち位置に俺はいた。

「新たな国王陛下、また聖上に御健康と御多幸を。この時世に平和と幸福、繁栄を祈念致します」

今から十数年前。父に連れられ、若き道士、千華は人界に下っていた。

時の王の戴冠式に出席し、祝辞を述べる。千華の父は天界でその役目を担う重要な存在だった。人界へ来たことが初めてで右往左往する千華は、普段とは別人の父の姿に二重で戸惑った。

もしかすると、大きな責任と誇りを背負った背中に怯んでいたのかもしれない。いつか自分がこの大役を引き継ぐ可能性があると思うと、立ちくらみがしそうだった。自分としては今隣に佇んでいるだけで精一杯だ。

両脇に並ぶ赤い柱や美しい装飾は天界の神殿と似ていて親近感があるものの、やはり地上の空気はひりひりして、喋ってもいないのに喉が渇く。くわえて幕のような何かが肌に張り付いていた。新鮮で美しいが、長居する場所じゃないな、と密かに首を横に振った。

凛々しい顔立ちの国王は中央に置かれた王座に腰掛け、嬉しげに笑みを浮かべた。

「上界の者が訪れるのも、祝辞を受けるのも、私にとって初めてのことだ。地上のもてなしが気に入るか分からないが存分に楽しんでいってほしい」

「ありがとうございます」

もう一度だけ寿いだ後、父は後ろへ下がって揖礼した。

時間の経過と共に人がどんどん増えていく。周りの礼式を注視してる間に城中の者が集まり、大広間で盛大な宴が始まった。

「すごい」

これほど多くの人が王を祝っている。少し背伸びしながら群衆を眺め、千華は何度も頷いた。

「道士様、宜しければ……」

「あ。ありがとうございます」

給仕をしていた女性が近くに来て、酒が入った金杯をくれた。

修行中の身だが、今日だけは酒を飲むことが許されている。

「…………」

でも独りで飲んでも楽しくないなあ。

父は物珍しい上に運気目当ての人間達に取り合いにされ、とても近付ける雰囲気じゃない。

暇だ。初めて会う“ 人間”と打ち解けられるほど社交的じゃないし、終わるまで何をしよう。

自分が抜けても問題なさそうな雰囲気だったので、お祭り騒ぎの鹿台から離れ、城下町を探索することにした。

生まれて初めて来た場所なのにどこか懐かしい雰囲気が漂う。牛車で作物を運ぶ人や、道端でものを売る人。自分が暮らしている世界とは些か離れているが、誰もが必死に生きている。気付けば故郷のような親しみを抱いていた。

花と土と風と雲。誇り臭くて泥臭いのに、体を包み込む温かさがある。

気持ちいい……。

満足のいくまで見物して城へ戻った。上機嫌で歩いていたものの、腰より小さな何かが突如ぶつかってきた。

「いったい!」

後ろにころんと倒れ、大きな声を上げたのは人間の男の子。背丈が小さいから視野が狭いのだろう。

「ああ、ごめんな。ほら」

手を差し伸べると、子どもは躊躇うことなく自分の手を掴んで立ち上がった。と同時にあることに気付く。彼は街で見かけた子ども達とはまるで違い、絢爛な着物を着ている。

「怪我はないか?」

「うん。……お兄さん誰? どこの人?」

「おっと~。相手に尋ねる時は自分から先に名乗るのが礼儀だぞ」

「うん。でもお父さんに、自分から先に名乗っちゃいけないって言われてるから」

「なっ!」

何だと。この子どもの親はなんって高慢なんだ。

ま、まぁそういうこともあるよな。時には……。

納得しながら袖で顔を隠し、動揺してることが悟られないように告げた。

「じゃあ、お互い名乗らない。どうだ、名案だろう?」

「うんっ!」

実際、不必要に名乗るのは控えたかった。にしても酷い方法で解決しちゃったな。千華が反省していることなど知らず、少年は元気よく隣に並んだ。

「ん? 君ここに用があるの?」

「用っていうか、僕の家だもん。お兄ちゃんこそ何の用?」

彼は不思議そうに首を傾げる。

家、と言ってもひとりで自由に動き回っているということは、きっと国王の臣下の子どもだろう。皇子なら常に護衛を連れているし、そもそもひとりで城外に行くことは許されないはず。

構われると落ち着かないけど、貴重な刺激をもらった。できれば彼の純然とした心は、いつまでも続いてほしい。

ふと思いついて、袖の中中からある物を取り出した。

「いや、用は済んだ。俺はもう帰るから、名前を教えない代わりにこれをあげよう」

以前縁結びの滝へ修行……もとい遊びに行った時、龍からもらった碧の玉石を渡した。価値があるかどうか分からないが、人界には絶対存在しない鉱物だ。それなりに高値で売れるだろう。

「わぁ、綺麗! 本当にもらっていいの?」

「あぁ」

「ありがとう!」

少年は期待以上に大喜びし、可愛くはしゃいだ。しばしの間その様子を眺めて癒されていると、彼はなにか閃いたように手招きしてきた。彼の目線に合わせて下に屈む。てっきりなにか耳打ちしてくると思ったのだが、聞こえたのは頬にちゅっ、と当たる音だった。

小さな顔が離れていく。

「な……っ!」

「お兄さんもこれと同じぐらい綺麗だから、いつか僕のお姫様になって!」

頬でも唇でも、今思えばこれが初めての口付けだった。

子どもって怖い。子ども相手に真っ赤になってる自分はもっと怖い。

ていうかお兄さんって言ってるのに何でお姫様になるんだよ。色々意味分からなくてくらくらする。

「もっ、もうここに来る予定はないよ」

「えぇー!」

「えぇーじゃない。だから、その……達者でな」

足早に、逃げるようにしてその場を離れた。動悸みたいな速さで脈が打っている。

あああ、何だこれ……。

それからどこで父と合流したのか、どうやって天界に戻ったのか記憶がない。何も覚えていない。思い出せるのは最後の出逢いだけ。

俺の記念すべき初めての人界訪問は、名前も知らない小さな男の子に全て持っていかれてしまったのだ。

上界と下界。

世界はたったひとりの神によって、太古に切り離された。上界は神道と呼ばれる者達が統治し、下界では人間という生命が幾つもの国を創建した。彼らは互いに干渉することなく、長きに渡り平和な時代と文明を築いた。

千華は天上の中でも清浄とされる花山に生まれた。見た目こそ人間の若者と同じだが、齢百五になる。

神山に宮殿を持つ両親の元で花の世話をして育ち、成長後は神に心血を注ぐ道士となった。道士入りをするといずれは神山の頂で神官として仕える為、神術、道術の修行に日々明け暮れる。

飛翔する青鳥の鳴き声で目を覚まし、畑で育てた野菜や木の実を採り、神官の一人でもある師叔の部屋を塵ひとつ残さず掃除する。正午までは雑用が専らで、午後はひたすら神泉の前で元気(がんき)を養う。自由時間が持てるのは夜更けになってからだ。幸い人間と異なり睡眠を必要としないものの、残された時間の中でできることは限られている。

一日の行程は事細かに管理されていて、雑用も多いため常に倦怠感と闘っている。それも何とか飲み下してやってきたのだが、瞑想をしていたある日のこと、とてつもない危機感を覚えた。

まずい。このままでは……。

「死ぬ」

両手を合わせながら呟いた。周りに誰もいなかったから良かったものの、本来この時間は独語も禁じられている。

しかしそれどころではなかった。足早に御堂を抜け、道士服を脱ぎ捨て、神気に満ちた泉に飛び込んだ。

間一髪。もう少しで疲労のあまり卒倒するところだった。

これが千華の最近にして最大の悩みだ。実は彼は、同じ山で修行している道士達の中で最も体力がない。

千華自身修行を始めた時から薄々勘づいてはいたが、長年蓄積していた負荷が一気に溢れてきたようだった。

神力が尽きた。このままでは生命を維持する力まで搾り取られ、干からびて死んでしまう。

修行中に神力が枯渇して亡くなった者など聞いたことないが、下手をしたら自分がその第一人者になるかもしれない。そしたら自分の名が瞬く間に天界中に広がるだろう。

死後に辱めを受けるなんて絶対嫌だ……。

元はと言えばこの絶望的な体力を嘆いた父親が、息子の千華を修行に送り出した。一人前の神官になることを期待しているのだろう。その思いに報いたい気持ちはあるが、やはりできることとできないことがある。というか、体力がつくまえに命が尽きる。

何とか逃げ出したい。しかし一度神官に弟子入りした者が神山を出ることは許されない。ここから抜け出すには師叔より位の高い神官の許しを得るか、破門されるか。大方その二つしかない。

「千華、また何か暗いこと考えてるな。眉間に皺寄ってるぞー」

不調を隠す日々にほとほと疲れてきている。

ひとり項垂れていると同じ門弟の道士、夕禅(ゆうぜん)が心配そうに話しかけてきた。彼もこの同派の中では若い方で、一番気が合う存在だ。それでも身体のことを打ち明けることはできない。これが師に伝われば、最悪もっと厳しい修行を命じられるからだ。

「ううん……皺はいつも寄ってるよ」

「嘘つけ。お前っていつもヘラヘラしてるから、笑顔以外だとすぐに分かるんだよ」

「そうか……?」

「そう! 何だ、それとも恋してるのか?」

千華は首を横に振る。恋なんて、自分とは最も縁のないものだ。

夕禅もそれを分かっているのか、それ以上は追求してこなかった。代わりに最近の、いわゆる世間話を延々と話し始めた。もうすぐ東の神山で祭りがあるだの、下界で妖魔に襲われる人が増えただの、どれも関連性はなく連続しない。

申し訳ないと思ったが、相槌を打つので精一杯だ。重だるい身体のことばかり気を取られている。

桃の木の下に寝そべる自分を見下ろすと、夕禅は袖の中から酒を取り出した。

「わっ、お前それどこから持ってきたんだ! 酒は駄目だろ!」

「何言ってんだよ、問題児のくせに。これさぁ、この前の宴会に手伝いに行かされた時くすねたんだ。師叔だって本当は呑んだらいけない身なのにずるいだろ? 俺達もたまには呑もう! 最高の花酒だぜ」

杯を二つ取り出し、美しく透き通った酒を注ぐ。

まったくどうしようもない。師叔にばれたら破門……いや、殺される。

でもこんな素晴らしい酒を飲まないなんて、それはそれで天罰が下るんじゃないか?

我ながら呆れるほど欲望に弱い。促されるまま夕禅から杯を受け取り、一気に飲み干した。

「確かに美味い!」

「だろ? もう一杯いけよ」

一気に込み上げる熱を感じ、千華は酒をあおいだ。破門だけでは済まされない、禁断の宴はしばらく続いた。終わる頃には夕禅は泥酔し、寝息を立てて横になってしまっていた。

「夕禅。おーい、夕禅。大丈夫?」

何度呼びかけても起きる気配がなく、幸せそうな寝顔を浮かべている。それほど酒に強くないのかもしれない。

酒器にはまだだいぶ残っている。彼が起きるまでここで休んでいようと思ったが……。

そーだ! 良いこと思いついたぞ!

閃き、自身の良案に膝を打った。まだ眠る夕禅を残し、酒器を持ってそっと離れる。すまん夕禅。

「……お前は元気にやれよ」

嬉しいことも悲しいことも共に分かち合った大切な兄弟弟子。彼が立派な神官になることを心の底から祈ってる。俺はごめん、無理。絶対無理。この修行地獄から足を洗い、今後は自由気ままに暮らす。

本堂へ戻り、気配を殺して師叔の部屋を訪れた。桃の木からつくった特別な焼香が馥郁たる香りを届ける。

体力も神力も下手したら地上の人間と変わらない落ちこぼれ。そんな自分を引き取り大切に育ててくれた恩師を愛敬している。

だが修行をやめたいなんて言ってみろ。すんなり破門させてくれる方じゃないから、きっと何百回も鞭で打たれて表の大木に百年は吊るされる。

千華は今日、師が留守であることを知っていた。留守中に師の部屋に入るなど御法度で、現在着実に罪に罪を重ねているわけだが、この山を出る為にとにかく必死だった。ここで犬死する前に、もう一度下界を自由に歩いてみたい。

箪笥を開け、中のものを物色する。そして目的のものを手に入れ、袖の中に入れた。

「最低だ」

生き残る為とはいえ、こんな形で師を裏切るなんて……。

断腸の思いで向かったのは霊鳥が集められている鶏舎。師の箪笥からくすねた……入口の鍵を取り出し、中へ入って一番扱いやすい小さな霊鳥に跨った。

「いや違う、ちょっと人界に行くだけだよ。師叔にお使いを頼まれたんだ……そんな目で見るなって」

訊かれてもいないのに霊鳥に言い訳した。案の定、霊鳥は不思議そうに首を傾げている。

あとは必要な私物をいくつか袖に仕舞った。誰にも見つからないようこそっと庭を抜け、手綱を握って下山する。侵入者を拒む為の結界を解いた時、今まで真面目に修行していて良かった、と心底思った。むしろこの為に道術を学んできたのでは……いや…………違う。

人界へ下りるための最後の吊る橋には門番がいる。それが文字通り最後の関門である。

そういえば人界にも関所とかいう似たようなものがあった。けど上も下も一緒で、“通行料”を払えば通過できる。

霊鳥が風を巻き起こし、橋の上に着地する。千華も一度下りて、門番の道士に近付いた。

「千華様!」

彼はこちらに気付くと驚き、それから心配そうに駆け寄ってきた。

「一体どうされたんですか、こんなところまで下りてくるなんて。上でなにかあったんですか?」

「いや。父上に頼まれて、国王にお酒を持って行こうと思っ」

て。じゃない。駄目だ。父に頼まれたと話せば、その連絡が先にくるはずだ、と返される。門番と最も繋がりの強い父を使えば自分の首を絞める。

「思っ……?」

「思っ……たんだけど、それは良いから民に振舞ってやりなさい、って師叔から頼まれたんたんだった」

「すごく噛みましたね」

「いや本当に素晴らしい酒なんだよ。誰にも言わないからさ、ちょっと味見してごらん」

杯を取り出し、酒を注いだ。道士は初め困惑し、それはいけません!と拒否し続けたが、千華の凄まじいしつこさに負けてとうとうひと口だけ……と酒を呑んだ。

道士は飲まず食わずで生きられる。しかし酒は数年に一回、祝いの席で飲むことが許されていた。生き物でなければ肴になるものも口にする。全ての道士にとって、酒はまたとない魅力的なご馳走なのだ。

「はー……。いや、驚きました。本当に素晴らしいお酒ですね」

「だろう? これを皆に振舞ってあげようと思ったんだった」

「過去形ですか?」

「いや未来形にしてみせる。だから門の結界を解いてくれ」

自分は何ともなかったけど、思いの外この酒は強いのかもしれない。門番はひと口で頬が紅潮していた。そしてあっさり、神官が張った陣を崩した。嗚呼……。

心が引き裂かれそうだ。これで何個目の罪なのか、もう分からない。なんせ数えてない……。

「それじゃあ行ってくる。君も元気で」

「元気で?」

「元気で……挨拶してくれてありがとう」

いかん。これは誤魔化せないやつだと思い、振り向きざまに昏迷の術をかけた。

朦朧として崩れ落ちた彼を支え、木陰に寝かせる。恐らく数時間は寝てくれるだろう。

とは言え、この間に本当の侵入者が来たら困る。周りに目隠しの幻術をかけてから霊鳥に跨り門をくぐった。直後凄まじい烈風が駆け抜け、視界を奪う。天上で生まれ天上で育った自分が、再び世界を越えた瞬間だった。

天上にいた時から見上げていた山脈は瞬く間に消え去り、青い景色に放り出された。

「うわ……っ!」

十数年ぶりの空。でも以前父と来た時は一面鼠色だったと思う。

ずっと遠くに恐ろしく光ってる物体がある。恐らくあれが太陽だ。

天界は朝も夜もなく、一定して白い雲に覆われている。だから目に飛び込んできた光景全てが衝撃だ。

刹那の感動。

……が降下する最中、あまりの風圧に霊鳥がバランスを崩してしまった。もう少しで無事地上に下りるところだったのに、豪快に投げ出される。

「うはっ!」

木の上に落下したと思ったらまた大きく投げ出されて目が回った。次いで固い壁に激突し、擦り落ちるようにして地面に叩き付けられる。

「…………」

痛いなんてもんじゃない。即死してもおかしくない衝撃だった。

むしろ何故まだ生きてるのか。周りに飛び散っている大量の血飛沫を見て疑問に思った。

不老不死はちょっとのことじゃ死なない。だが今の痛みの度合いとしては、死んだ方が幸せな気もする。

よろけながら何とか立ち上がり、空を見上げた。霊鳥はどこかへ飛び去ってしまったが、焦りと不安は一瞬で彼方に追いやられてしまった。

「きれい……」

さっきまで自分がいたはずの天空が、鮮やかな青一色に染まっている。しばらくその美しさに見蕩れ、立ち尽くした。

やっぱり来て良かった……!

周りは人間のことを醜いとか、地上は汚いとか言ってるけど、見たこともないのにそんなこと言っちゃいけないって。

青い空に鮮やかな緑の山々。どこを切り取っても絵になりそうな、見事な絶景。

見れば自分が落下したのは大きな街の一角だった。人がいなかったことが幸いだ。もし誰かの上に落下していたら、到着早々人を殺めていたことになる。

「あああ! 最高ー!」

両手を広げて快哉を叫び、その場で駆け出した。

気持ちが晴れやかだ。満身創痍で死にそうだけど、下山する為に犯した罪の数々を思えば当然の報い。むしろ軽過ぎる。

父と母には申し訳ないけど、これからは地上で慎ましく、人として生きるぞ!

走りながら片手を強く握り締める。その瞬間、横から飛び出してきた人の首に強烈な一撃を入れてしまった。

「あっ!」

しかも最悪なことに、その後ろに長い階段があった。悲鳴をあげた人物は後方に倒れ、派手に転がり落ちてしまった。

慌てて駆け寄り、階段の下を見下ろす。地面に大の字になっているのはひとりの青年。……思わず放心して見ていると、彼の頭の周りからじわじわと血が広がり、あっという間に地面を赤く染めた。

なんてこった。……人を殺した!

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