ログイン遥side
リビングに入ると、奏多が小さい頃から憧れていた星野麗華がソファで鼻をすすりながら泣いていて、その隣で奏多が優しく彼女の肩を抱き慰めている。
パッチリした二重の大きな瞳から流れる涙が、ゆるくまかれた髪にかかり濡らしている。奏多は私の存在に気づくと、麗華に向けていた愛しさ溢れるやさしい顔とは打って変わって憎しみを持った鋭い視線を送ってくる。
「お前、麗華になんてことをしたんだ」
「……なんのこと?何をそんなに怒っているの?」
「お前、麗華の子供の命を奪おうとしただろ。」
「麗華の子ども?そもそも麗華が妊娠していることすら知らないのに、何を言っているの?」
奏多は、私の態度が気にくわなかったようで更に鋭く睨みつけてくる。
「一昨日、お前が出したお茶のせいで、麗華は体調を崩して病院に運ばれて危うく流産するところだったんだ。どうせお前のことだから、麗華の飲み物に薬でも入れたんだろ」
流産と聞いて先程の森本医師の言葉を思い出して恐怖が再び私を襲ったが、身に覚えのない話に私は必死で反論をした。しかし、奏多は一切耳を傾ける気はないらしい。
「……私がそんなことするはずないじゃない!」
「それならなんで麗華は体調を崩したんだ。それに今なんですぐに否定しなかった!」
「何であなたがそんなに怒っているの?もしかして流産しかけたのは、あなたたちの子どもだったの?」
私が問い詰めると、麗華は大粒の涙を流しながらに奏多の腕を掴んで訴えるように言った。
「もうやめて。これ以上、責めたりしないで。……私がもっと注意していればこんなことにはならなかったの。何の疑いもせずにお茶を飲んだ私が悪いの。私が、私がもっと注意していれば……。」
言い終わる前に麗華は再び顔を両手で隠して声を出して号泣し始めた。あたかも私が薬をいれた前提で自分の不注意だと泣く麗華に、奏多は彼女の頭を撫でて自分の胸元へと引き寄せて慰めている。
「だから私はやっていない!こっちの話を聞こうともしないで、ふざけたこと言わないでよ。あなたたちと同じ空気なんて吸いたくないわ」
「うるさい!今すぐ出ていけ!!」
奏多の言葉に、胸を抉られたような鋭い痛みが私を襲う。精一杯の強がりで捨て台詞を言った後、震える身体で寝室へと逃げ込んだ。
――――――数か月前、奏多の憧れの女性の星野麗華が海外から戻ってきた。
それからというもの、麗華はこの家に頻繁に顔を出して、自分が奏多の妻だとでも主張するかのように使用人に食事の準備をさせたり送迎を言いつけていた。使用人たちも嫌がるそぶりを見せず、むしろ麗華が来るのを歓迎しているようで私の居場所は今まで以上になくなっていったのだった。
数分後、寝室の扉が激しい音を立て、怒り狂った奏多が部屋に入ってきて、私の顎を強く掴むと自分と視線が合うように顔をくいっと持ち上げた。
「さっきの態度は何だ。俺は麗華に謝れと言ったはずだが意味が分からなかったのか?まさか結婚したからといって、俺の奥様気取りか?勘違いするなよ、お前は俺を騙してこの立場を手に入れただけで妻でも何でもないんだ。全くいいかげんにしろ、お前とはもう離婚する」
『離婚』その言葉を聞いて、とっさにお腹に手を当てた。
(今、お腹には私と奏多の子どもがいる。私一人の身体でも人生でもない……)
「……離婚って本気で言っているの?でも私、妊娠しているの。今、離婚したらこの子の父親がいなくなってしまうわ」
その言葉に奏多はピクリと眉を動かして一瞬だけ動揺した。しかし、すぐにいつもの冷酷な表情に戻ると、突き刺すような鋭い視線を私に向けて来た。
「――――そんな見え透いた嘘で俺を繋ぎとめようとするつもりか。俺は毎回避妊している。子どもなんか出来るわけないだろう」
「避妊って言ったって完璧にしているわけじゃないでしょ。今日、病院で検査してもらったの」
「仮に子供ができたとしてもお前みたいな汚い女の子供など住吉の血を汚すだけだ。俺は絶対に認めないからな」
私たち二人のもとに舞い降りた小さな命。しかし、奏多にとっては離婚を踏みとどまるには取るに足りないとでも言うのだろうか。
――この二年間、奏多に献身的に尽くしてきた日々を思い出す。どんなに奏多に認めてもらおうと頑張っても、隣に奏多の姿はなく、妻としても、女としても愛情を注がれることはなかった。
「私は、今まであなたのために尽くしてきたつもりよ。でもあなたは、いつまで経ってもスキャンダルのことを恨んで、私を見ようとしなかった。私のことを一度でも愛したことがあった?」
奏多はしばらくの沈黙の後に小さく口を開いた。
「…………ないな」
「お義父様の命令だったから結婚しただけで、今後もこの関係が変わることはないの?」
「―――当たり前だ」
大粒の涙がとめどなく流れて何も言えなくなった私を見て、奏多は私の肩を抱くどころか触れることなく冷たい視線を向けてからその場を去って行った。
遥side穏やかな日曜日の昼下がり。東宮家の庭園には、初夏の訪れを告げる柔らかな光が満ち溢れていた。花壇から少し離れたところで、花蓮が直人を捕まえようと一生懸命走って追いかけている。「直たん、絶対捕まえるからね」そう意気込む花蓮に直人も追いつけるようなスピードでわざとゆっくり走り、タッチされると「花蓮ちゃん、走るの早いね」と大げさに驚いている。そのまま花蓮が抱き着いて、じゃれあって楽しそうな笑い声が響いてくる。その光景を私はテラスから眺めていた。隣に座っていた俊もにこにこしながら静かに見守っている。まったりとした時間が流れていたが、不意に俊が私の方に顔を向けて声を落として尋ねてきた。「遥。……言いたくなければ、無理に話さなくていい。ただ、どうしても気になっていたことがあるんだ」俊の横顔はいつになく真剣で、私をじっと見つめたまま言葉を選ぶように続ける。「……どうして住吉奏多と結婚したんだ?」「えっ……急にどうしたの?」心臓がドクリと跳ねた。あまりに唐突な問いに、持っていたカップがカチリと音を立て
遥side私と兄の俊、そして直人の三人は、息つく暇もないほどの喧騒の中にいた。今夜のパーティーは、私たちが開発した新しいシステムに興味を持つ経営者たちに説明をする「商談会場」と化していた。私は新会社の社長として、そしてシステムの責任者の一人として、次々と訪れるゲストに説明を重ねていた。「貴重なご意見をありがとうございます。詳細は改めて担当からお送りいたしますね」最後の一組を笑顔で見送り、私は小さく息をついた。ふと背後を振り返ると、俊と直人はまだ熱心に別の経営者と話し込んでいた。私の担当分はすべて終わった。少しだけ、一人でこの高揚感を味わおうとした、その時だった。「少し話を……いいだろうか」声を掛けられて笑顔で振り返ると、目の前に立つ人物を認識した瞬間、顔が強張った。「何の用かしら。今、取り込んでいて忙しいの」奏多は以前のような傲慢なオーラを削ぎ落としたかのように、どこかやつれ、神妙な顔つきで私を見つめていた。「君はもう話が終わったんじゃないのか?邪魔したら悪いと思ってしばらく観察をしていたが、さきほどからもう話はしていないじゃないか」「……ずっと見ていたの? あなただって経営者の一人として、交流を深めるためにここに来たはずでしょう。私を『観察』するなんて、そんな時間が
麗華side「……ご忠告、痛み入ります。ですが、その話の真偽を判断するのは僕自身だ。あなたの話を、そのまま鵜呑みにするほど僕は愚かではない」「ええ、それでいいの。今は信じられなくても、いずれ分かる日が来ます。でも、後悔してからでは遅いのです。……私は、いつだってあなたの味方ですからそれだけは覚えていてください」俊はそれ以上何も答えず、苛立った様子で背を向け会場の奥へと消えていった。その背中を見送りながら、ドレスの裾を優雅に整えた。最初から信じてもらえるとは思っていない。けれど、今持った毒が時間が経つにつれ、じわじわと広がり、疑念となればいい。私が「奏多の婚約者」だったというのは、真っ赤な嘘。けれど、この嘘によって、私は「奪われた被害者」という悲劇のヒロインになり、話の信憑性は飛躍的に高まるはず。(ふふ……。あの女は奏多を騙して地位を手に入れた。世間も、そして奏多自身もそう思っている。私はただ、少しだけ事実を彩って伝えただけよ。私は嘘はついていないわ。そのことを知れば、東宮家内でもあの女の信用は落ちる。そして、危険を冒してまで忠告して守りたいと言った私の株もあがるはずだわ)奏多の過去のスキャンダル記事なんて、ネットを探せばいくらでも出てくる。そして、俊は必ず調べるはずだ。その時、記事に踊るいかがわしい文字を見た時、結婚するしかなかった状況を理解し、わざわざ忠告をした私の存在が大きな意味を持ち始める。疑いがじわじわと広がり真っ黒に染まった時、彼はあ
麗華side「あなたは、東宮家の後継者として産まれた時から様々な教育を受けて、それは、愛情や期待であると同時に大きなプレッシャーでもあったはずです。でも、あなたは、そんな環境の中でも確実に実績を残してきて、若くして東宮グループの社長の座にまで昇り詰めました。親族と言う理由だけでなく、あなたの努力の賜物だと私は思っています」「……それが遥とどんな関係があるというのですか」即答で反論するように答えてくる俊に対して、私は含み笑いをしてからゆっくりと言い返した。「あなたは今後の東宮家を引っ張っていき、ゆくゆくは全てを支配するトップに君臨するはずだった。それが、急にどこの馬の骨かも分からない”妹”と名乗る人物が出てきて、本心はどう思っているのかしら……面白くないという気持ちが湧いても致し方ないことだと」「馬鹿馬鹿しい。私はあなたとは違う。二度とそんなことを口にしないでいただきたい。お引き取りください」俊は私の言葉を一蹴し、今度こそ立ち去ろうとした。まだ話のインパクトが足りない。「あなたは……妹さんが『結婚』した本当の理由をご存知なのですか?」俊の足が、氷に閉ざされたようにピタリと止まった。
麗華side「あの……」俊とハリーが二人で話をしているタイミングを見計らって再び話しかけにいった。私が声を掛けると、殺気だった目で俊が睨みつけてくる。一方のハリーは、少し驚いたように目を丸くして口をすぼめていた。「ハリー様、先ほどは大変失礼な態度を取ってしまい、申し訳ございませんでした。……実は、仕事で少々看過できないトラブルの報告が入った直後でして、お恥ずかしいことに、感情を制御できず取り乱してしまったのです」私は、さも「責任感ゆえの失態」であるかのような言い訳を、潤んだ瞳と共に添えた。 ハリーは温厚な性格なのだろう。「大丈夫、気にしないで。誰にでも悪い日はあるよ」と、再び独特の片言の日本語で返してくれた。その様子を見ていた俊の、氷の彫刻のような険しい表情がほんの少しだけ和らいでいる。(……手応えあり。やっぱろ男は『しおらしい健気な女』に弱いのよ)今の謝罪は、ハリーに対してではない。俊が持った『礼節に欠けた女』という私のイメージを払拭し、『自分の誤った態度はしっかりと謝罪することのできる賢明な女性』という印章に変えたかった。だからこそ、二人が話をしているタイミングで声を掛けたのだ。さあ、外堀は埋めた。次は、この目障りな世界的大富豪をこの場から排除し、俊と二人きりになる番だ。その時だった。
奏多side都内最高級ホテルの大広間。天井から降り注ぐ煌びやかなシャンデリアの光は、日本経済の頂点に立つ者たちの欲望と野心を、これ以上ないほど照らし出していた。本来なら、住吉商事の代表として、多くの経営者たちと交流を深めるべき場面だ。だが今の俺は、会場の隅にそびえ立つ巨大な大理石の柱の影で、指先まで冷え切ったシャンパングラスを握りしめていた。視線の先には、透き通るような純白のシルクドレスを纏い、優雅に周囲と談笑する遥の姿があった。(……遥、お前もここに来ていたのか)胸を締め付けるような苦しさを覚えながら見つめていると、彼女と談笑していた相手が、親しげに手を振ってその場を離れた。遥も穏やかな会釈で見送っていたが、遠くにいる俺に気がつくと一瞬で笑顔が固くなった。その様子に、遥の隣にいた月島直人が即座に気が付いて反応した。彼は俺の視線を遮るように遥の前に立ち、鋭い刃のような眼差しで俺を睨みつけてくる。以前、俺に対して正々堂々と「遥は僕の恋人」だと宣言をしてきた。いつの間にか遥も彼のことを「月島さん」から「直人」と呼び捨てにしている。二人が付き合っていることは疑いようのない事実となっていた。心配して遥の肩に手を置く姿をみると、今も二人は付き合っているのだろう。それどころか、『花蓮』という子どもまで連れて三人で歩いていたのを見ると月島とは事実婚の可能性さえある。
遥sideパステルブルーのドレスに着替えたあと鏡の前で唇に最後の色を乗せてから、私は深く息を吸い込み重厚な扉を開けて玄関へと向かった。支度を終えたタキシード姿の俊と娘の花蓮が私を待っていた。「遥、素敵なドレスだね。とってもよく似合ってい
奏多side土曜日、朝食を終えて着替えを済ませてからクローゼットの中を見渡すと、一昨日届いたばかりの新品のスーツと鞄だけが美しく並んでいた。ゆとりの感じられる風通しのいいクローゼットは、見ていてとても清々しい。「さて、神山に移動させた荷物の場所を聞いて確認するか……」階段を降りて執事の神山を探すと、電話をしている最中だった。受話器を両手で持ち、時折深く頭を下げながら対応していてまだ時間がかかりそうだ。「奏多様、いかがなさいましたか?」神山の様子を伺っていた俺に、古くからこの屋敷に仕えている家政婦の一人が声をかけてきた。「ああ。一昨日からクローゼットの整理を頼んでいたが、出した荷物が
奏多side「奏多! 聞いたわよ。月島銀行が監査に来るんですって? 面倒なことになったわね。私のパパから月島銀行の役員に話を通してもらうようにしましょうか?」秘書の制止を振り切って入ってきた麗華は、俺にねだって手に入れたばかりの限定モデルのブランドバッグを乱雑にデスクに置いた。
奏多side「……会長! 子会社の代表を、五十嵐から星野麗華に決定したとはどういうことですか」週明けの月曜、午前九時。 住吉ホールディングスの会長である父に呼び出され、部屋に入ると、麗華の社長就任の話を言い渡された。「な