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第29話

Auteur: 風待 栞
唇をきゅっと噛み、断りの言葉を口にしかけた、その時だった。紗音が、少し離れた場所に向かって嬉しそうに手を振ったのだ。「兄様!」

水琴が弾かれたように顔を上げる。視線の先で、男が車のドアを開け、こちらへ降りてくるところだった。いつもと違い、隙なく仕立てられたハンドメイドのスーツが、彼の纏う空気にどこか鋭利な光を与えている。けれど、その瞳は相変わらず、底の知れない深い闇を湛えていた。

その視線に射抜かれ、水琴はなぜか背筋がぞくりとするのを感じながら、男の方へと歩み寄った。

「高遠さん、奇遇ですね」

灼也はふと彼女に視線を向けると、唇の端を上げて微笑んだ。「奇遇じゃないさ」

その頃。

教務課から出てきた雅は、処分の通知書を握りしめ、歯噛みした。指先は苛立たしげにスマートフォンの画面を滑らせ、凄まじい勢いで盛り上がっている例の「称賛スレ」を睨みつける。胸に渦巻くのは、燃えるような怒りと屈辱。

静沢水琴が、本当にあの心理学部の伝説ですって……!?

あの女、そんな素性を、鷹司家の誰にも一言も……!

水琴がそんな重大な秘密を、鷹司家の誰にも長年ひた隠しにしてきたなんて。考えれば考え
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