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風は時を違えず、花は疑わず咲く

風は時を違えず、花は疑わず咲く

By:  白団子Completed
Language: Japanese
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白石晴夏(しらいし はるか)の婚約者は、よく彼女に宝石を贈っていた。誰もが羨むほど、高価で美しいものばかりだった。 後になって彼女は知る。婚約者は浮気のたびに、償いのように宝石を贈っていたのだということを。

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第1話
白石晴夏(しらいし はるか)の婚約者は、よく彼女に宝石を贈っていた。誰もが羨むほど、高価で美しいものばかりだった。後になって彼女は知る。婚約者は浮気のたびに、償いのように宝石を贈っていたのだということを。最初の浮気の時、婚約者・黒川修司(くろかわ しゅうじ)は言った。「晴夏……俺、皮膚接触依存症なんだ、時に人の肌を触れないと落ち着かない病気で、あの時も発作が起きて……どうしても止められなかったんだ」晴夏は一晩中泣き続け、別れを切り出した。だが修司は、自ら命を絶つ勢いで彼女を引き止めた。「俺は浮気するようなクズじゃない!病気なんだよ!俺は死ねばお前が満足か!?……なら死ぬよ!」そして、本当に喉元に刃を当てた。晴夏は泣き崩れ、結局許してしまった。二度目の浮気は、修司とその幼なじみ・藤原月乃(ふじわら つきの)がベッドに並んでいるところを目撃した時だった。「違うんだ、晴夏!月乃は女として見てない。今回はたまたま発作が起きて……彼女を使っただけなんだ」月乃も続けて言った。「誤解しないで、晴夏さん。私たちは親友だから。男女の仲なんて絶対ないよ」それでも、晴夏は耐えきれず、また別れを告げた。その結果、修司は自分の体に爆薬を巻きつけ、晴夏の首を掴んで叫んだ。「晴夏、俺はな……お前から離されるくらいなら、死んだ方がマシだ。俺のそばにいてくれ、死ぬ時も一緒だ。一緒に死のう!死んだら俺も皮膚接触依存症に苦しまないし、お前だけのものになれる!」彼は起爆スイッチに手をかけた。涙で目が見えなくなるほど泣きながら、晴夏はまたしても修司を許すしかなかった。それからは、月乃が修司の「専属の治療薬」となり、どこへ行くにも一緒だった。「晴夏、あの子とは幼なじみだ。もし恋愛感情があるなら、とっくに付き合ってるさ。月乃がいるのはお前を守るため。汚れた場所にはお前を連れて行きたくないんだ。俺が愛してるのは、お前だけ」そう言いながら、修司は次々と宝石を贈り続けた。ジュエリーボックスはもういっぱいになり、しまう場所もない。そんなある日、月乃の妊娠が発覚した。涙が止まらない中、晴夏は七年間一度も連絡を取らなかった番号に電話をかけた。「桐野時生(きりの ときお)……私たちの許嫁、今でも覚えてる?」「覚えてるさ!やっと俺を思い
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第2話
六時間歩き続けて、晴夏はようやく結婚式のリハーサル会場にたどり着いた。白いスニーカーは血に染まり、歩くたびに地面に赤い跡を残すほど、足はひどく擦りむけていた。けれど、それでも到着が遅すぎた。すでに深夜一時を過ぎていて、リハーサルの参加者は皆帰ってしまっていた。修司は先に月乃を連れて現場に来ており、今は祭壇の前で不機嫌そうに腕を組んでいる。「晴夏、どこ行ってたんだよ!」彼女を見た瞬間、怒鳴りつけるようにして言った。「俺、何回も電話したんだぞ!なんで出なかったんだ?どれだけ心配したと思ってるんだ!」夜の暗さもあってか、修司は晴夏の血まみれの左足に気づいていない。喉はカラカラだった。晴夏は「スマホの電源が切れてた」と説明したかったが、その前に月乃の声が後ろから飛んできた。「なに怒鳴ってんのよ、修くん!」月乃は軽やかに歩み寄ってきて、いきなり修司に蹴りを入れた。「ったく、晴夏さんにそんな言い方して、出世したもんね~!途中で晴夏さん放り出して私のとこ来といて、ちょっと拗ねたくらいで文句言うとか、焦らしプレイ?」一見、晴夏の肩を持っているようで、その実、月乃の言葉は晴夏を「嫉妬深くて面倒くさい女」のように印象づけている。修司は眉をひそめ、明らかに苛立った表情を見せるが、それでも謝罪の言葉を口にした。「悪かったよ、晴夏。ちゃんと送ってから行くべきだった。でも、怒ってるならその場で言ってくれよ。あとから黙って拗ねられるのは困る」その理不尽さに、晴夏は思わず乾いた笑いが出そうになった。彼女は今まで何度も、月乃のことで傷ついていると伝えてきた。泣いて訴えたこともある。けれど修司はそれを「女性特有のわがまま」として片づけ、宝石ひとつで済ませてきた。「晴夏さんは小さなプリンセスだから、甘やかさなきゃダメなんだよね〜」月乃は茶化しながら言った。「私は雑に育てられてるから、甘やかされなくても平気。さっ、修くんは早く部屋戻って、土下座してな」そんな軽口を叩きながら二人は部屋へ戻っていった。誰も気づかない──後ろをついていく晴夏の足が、また不自然に引きずられていたことに。翌日は結婚式のリハーサル本番だった。痛む足を押して階下に降りた晴夏が見たのは、自分のウェディングドレスを着た月乃の姿だった。
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第3話
「月乃、こんな冗談で済ませていい話じゃないんだぞ!」修司は怒りで声を荒げた。「さっき、どれだけ心配したと思ってるんだ!」「ごめんなさ~い」いつものサバサバした雰囲気を消し、月乃は甘えるように修司の手をぎゅっと掴んだ。「もう怒らないで。今度から気をつけるから」そう言いながら、月乃は修司の手を自分のドレスの奥へと導く。修司の呼吸が荒くなり、冷たい笑みを浮かべた。「ほんと、困ったやつだな。だったら俺がしっかり治してやるよ」──その後の光景は、目を背けたくなるものだった。頬に何かが伝った。晴夏は反射的に手を当て、ようやく自分が泣いていることに気づいた。修司はいつも言っている。自分は「皮膚接触依存症」という病気だから、やむを得ず月乃と関係を持っているのだと。けれど今日、発作なんて起きていない。それでも彼は、月乃とやった。しかも月乃が着ていたのは──晴夏のウェディングドレスだった。その日の夕方、ようやく修司が帰ってきた。「晴夏、月乃が気分悪そうだったから、病院に連れて行ってたんだ」彼は続けた。「ドレスのこと、怒らないでくれよ。あれは、俺の友達がふざけて着せたんだ。お前が潔癖なのは分かってる。他人が着たウェディングドレスなんて、絶対に着たくないだろう?安心しろ。新しいドレス、もう手配した。明日には宅急便で届くから」晴夏は何も言わなかった。たしかに彼女は潔癖だった。他人が着た服は、たとえ洗っても二度と着たくない。そして──他人が抱いた男も、もういらなかった。修司は彼女の表情に気づいたのか、優しくキスを落とすと、言った。「せっかくだから、指輪も新しくしよう。南アフリカで、世界に一つしかないピジョンブラッドルビーが見つかったらしい。今夜、オークションがあるんだ。俺がそれをお前の婚約指輪にする」そう言って、彼は晴夏の返事も聞かずに手を引いて、外へ連れ出した。オークション会場に入ると、晴夏の目に飛び込んできたのは──月乃の姿だった。修司は気まずそうに笑った。「今日、月乃はお腹の具合が悪かっただろ?だから慰めに、何かプレゼントを買ってやろうと思って」晴夏は表に微笑むが、思った。「慰め?違うでしょ。昼間、さんざん楽しんだお礼に、今夜はご褒美ってわけね」ほどなくしてオークションが始まり、ピジョンブラッ
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第4話
月乃は今、純白のウェディングドレスに身を包み、左手薬指には修司から贈られた指輪が光っている。そして彼女のお腹の中には、彼の子どもが宿っている。修司の隣に立つその姿は、晴夏よりもはるかに「新婦らしい」ものだった。修司は月乃を連れて、その場を堂々と去っていった。残された晴夏は、静かに涙を流しながら、自分の薬指にあった婚約指輪を外した。──あの時のことを思い出す。修司が月乃と裏で関係を持っていると知った日、晴夏は激怒し、十年間大切にしてきたペアリングを海に投げ捨てた。修司はためらうことなく、真冬の海に飛び込み、指輪を探し続けた。薄着のまま、凍てつく海の中で丸一日──そしてようやく、彼はその指輪を見つけて、笑顔で言ったのだ。「晴夏、指輪見つけたよ!こぼれた水も、集めれば戻る。割れた鏡も、繋ぎ合わせれば元通りになる。頼むから、俺のそばにいてくれ……お前を失いたくないんだ」けれど今、その彼は、あのルビーの指輪を月乃に渡した。静かに帰宅した晴夏は、無言のまま荷造りを始めた。修司にまつわるものすべてを集め、一つ残らず燃やした。一緒に見たオーラルの写真。彼が極地の研究者に頼んで届けてくれた、溶けない氷の結晶。二人で使った矯正器具。そして、宝石でいっぱいのジュエリーボックス。宝石は燃えない。だからすべて寄付した。婚約指輪も、その中に入れて。寄付を終えた直後、修司が月乃を連れて帰ってきた。彼は意味ありげな視線で晴夏を見つめ、口を開いた。「晴夏、月乃が最近、つわりが酷くて何も食べられないんだ。だけどな、お前のトマト牛肉煮込みがどうしても食べたいって言ってる。作ってくれないか?」その声は意図的に低く抑えられている。まるで、服従を試すかのような言い方だった。もしかすると月乃は、別に食べたくなどなかったのかもしれない。だが修司は、晴夏がまだ自分の言うことを聞くか試したかったのだ。──もうすぐこの家を出る。だから晴夏は、無感情に立ち上がった。「……分かった、作るわ」その答えに、修司の険しい表情は少しだけ和らぎ、月乃に向かって笑った。「な?言っただろ、晴夏はそんなに心が狭い人じゃないって」やがて料理はできあがり、晴夏は黙ってそれを運んだ。月乃はにこやかに晴夏を褒め、嬉しそうに食べ始めた。だが、数口食べたところで突然、
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第5話
晴夏は、黒川家の部下によって病院の外へと連れ出された。怠けることがないようにと、修司の祖母は二人の使用人を晴夏につけた。W寺まで一歩一歩ひざまずきながら向かわせるためだった。「ひざまずくときは、心を込めて祈りなさい」そう言い放った修司の祖母は続けた。「月乃とそのお腹の子のために、無事を祈って。仏様に加護を願うのよ」晴夏は笑みを浮かべ、修司の祖母の見守るなか、静かにひざまずいた。「仏様、どうかお願いします。私がこの先、二度と修司と関わることがありませんように。永遠に、死ぬまで会いませんように」晴夏は一度ひざまずくたびに、心の中でそう祈り続けた。すべてを差し出しても構わない。仏様の加護を得て、修司から永遠に解放されるのなら──W寺までは車で丸一日かかる距離だった。それでも晴夏は、障がいのある左足を引きずりながら、血まみれになっても、ひたすらひざまずき続けた。膝はとうに裂け、白いワンピースの裾は血で赤く染まり、足元には血の跡が点々と残っていく。終盤には痛みさえ感じなくなり、意識は朦朧としながらも、彼女はただひたすら前に進んだ。もう少し、あと少しで着く──心を込めれば、仏様はきっと願いを叶えてくれる。その一心で、晴夏は最後まで倒れずに耐え抜いた。そして、巨大な仏像が視界に入ったその瞬間──晴夏は安堵の笑みを浮かべた。汗と血にまみれた体で、最後にもう一度ひざまずき、祈る暇もなく、そのまま意識を失った。……次に目を覚ましたとき、晴夏は病院のベッドにいる。ベッドのそばには、修司が座っている。彼は晴夏の手を握り、不安げな表情を浮かべている。「晴夏……やっと目を覚ましたね」彼は優しく声をかけた。「願いが通じたよ。月乃と赤ちゃん、無事だった。お前にはつらい思いをさせたけど、あの場には藤原家の人間もいた。あの時、お前を守ったら彼らの怒りをさらに買ってしまった。だから、仕方なかったんだ。晴夏は賢いから、きっとわかってくれるよね?」晴夏は、穏やかに微笑んで言った。「……うん、わかってる」もちろん、よくわかっている。あのとき、修司の目に浮かんでいた冷たい光。彼は「守れなかった」のではなく、「守るつもりがなかった」。今さらの言い訳など、ただの後付けだ。だが、修司は彼女の言葉の裏にある棘に気づく
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第6話
花火が終わったその夜、月乃が突然、晴夏の病室に現れた。「修くんは急な仕事で会社に戻ったわ。代わりに私が様子を見に来たの」そう言いながら、彼女は可愛らしいピンク色の弁当箱を差し出した。「これ、修くんが自分で作ったのよ。あなたのためにって」晴夏は弁当箱を一瞥したが、手を伸ばさなかった。「修司がいないのに、演技なんてしなくていい。言いたいことがあるなら、さっさと話しなさい」月乃はふっと冷笑し、目を細めた。「じゃあ、はっきり言わせてもらうわ。あなた、この数日でわかったでしょう?修くんが私にどれだけ本気か。黒川家と藤原家は代々の付き合い。私たちは子どもの頃から一緒に育ってきた。私と修くんこそが運命のカップルなのよ。それに比べて、あんたはどう?矯正器具も買えない足の悪い女に、修くんと結婚する資格なんてあると思ってるの?潔く身を引いたほうがいいわよ。少なくとも、体面だけは保てる。でも、私を本気で怒らせたら……容赦しないから」晴夏は、本当はとっくに身を引く覚悟をしていた。でも、それを許さなかったのは──修司だった。「私が去るかどうかは、自分で決められないの。修司がいいと言ったら、すぐにでも出て行くわ」その一言が、月乃の怒りに火をつけた。「……白石晴夏、あんたみたいな猫をかぶった女、大嫌いなのよ!出て行きたくないなら、そう言えばいいじゃない!修くんのせいにしないでよ!」言い合いの最中、突然大地が激しく揺れた。外から誰かの叫び声が聞こえる──「地震だ!早く逃げろ!外の広場に行け!」驚いた晴夏はよろよろとベッドを降り、出口に向かおうとする。だが、月乃が突然彼女の腕をつかんだ。その顔には狂気と悪意が浮かんでいる。「もし私たちが同時に危険にさらされたら……修くんは、どっちを助けると思う?」晴夏は目を見開き、信じられないという表情で彼女を見た。「……あなた、正気じゃないの?これは、遊びじゃないのよ!」「そうよ、私はもう正気なんかじゃない!」月乃は叫ぶように言った。「修くんのためなら、命なんて惜しくない!あんたはどうなの?!」そう言うや否や、月乃は晴夏をがっちりと押さえ込んだ。彼女は女性らしくない力を出して、逃げようとする晴夏を、片手で完璧に抑えつけた。晴夏はまだ足を怪我している。逃げるには、あま
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第7話
消毒液の匂いが鼻をつき、晴夏はうっすらと目を開けた。そして最初に目に入ったのは、真っ赤に充血した修司の瞳だった。「晴夏……やっと目を覚ましてくれたんだな」修司は興奮を隠せずに言った。「もしお前に何かあったら、俺ももう生きていけなかった……」その顔は青ざめ、目の下にはくっきりとクマが浮かび、髪もぼさぼさで、いつもの冷静で上品な姿とはまるで別人だった。だが、どれほど心配されようと、晴夏の心はもう動かなかった。彼女は修司の手をそっと引き抜き、顔を背けて何も言わなかった。修司の目にはまた涙が滲み、かすれた声で言った。「晴夏、そんな態度取らないでくれ……最初、お前がいないのに気づかなくて、月乃だけを先に助けた。でも、すぐに気づいてお前を助けに戻ったんだ」それでも晴夏は黙ったままだった。修司は焦り始め、必死に言葉を重ねる。「俺、ずっと言ってなかったけど、この一年間、医者と協力して皮膚接触依存症の治療に真剣に取り組んでたんだ。もうすぐ完治する。もう月乃を治療薬として頼る必要もなくなるんだ。月乃が子どもを産んだら、きっぱり縁を切る。もう彼女とは会わないって約束する。だから……な?」晴夏は苦笑しながら言った。「できない約束なんて、しないで」「できる!絶対にできる!」修司が慌てて言った。「俺が本当に愛しているのはお前だ。誰もお前の代わりにはなれない。絶対に元の関係に戻れる。約束する」そして彼は、まるで二度と手放したくないかのように晴夏を強く抱きしめた。「ずっと愛してる。だから、お前も昔みたいに俺を愛してくれ……」だが、晴夏の胸は、締めつけられるように痛んでいる。失くした指輪は拾い直せる。割れた鏡も貼り直せる。でも、砕けた心はどうすれば元に戻る?──修司、私たちはもう、元には戻れない。その後数日間、修司は晴夏のそばを片時も離れなかった。まるで何かを予感しているかのように、彼の様子はどこか不安定で、晴夏がどこに行こうとしてもついてきた。そして何度も同じ質問を繰り返した。「晴夏、お前はまだ俺を愛してるよな?」けれど、晴夏は一度たりとも答えなかった。それが修司をますます不安にさせた。晴夏の足のケガもまだ癒えていないのに、修司は焦ったように言い出した。「晴夏、もう我慢できない……結
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第8話
修司が目を覚ましたのは、翌日の昼だった。友人たちは皆、床に無様に転がっており、二日酔いしている。そして、ついさっきまで隣で裸で寝ていたはずの月乃の姿が消えていた。頭が割れそうに痛む中、修司は手探りでスマホを探した。今が何時か確認したかったのだ。しかし──「……誰だ、俺のスマホを氷水に突っ込んだのは!」見つけたスマホは、バケツに浮かぶ氷の中で沈黙している。電源は入らず、画面は真っ黒。「クソッ……」怒りに任せて、修司は隣に寝ている友人のひとりを蹴飛ばした。「おい、今何時だ!」「ん……十時半……くらい……」その言葉を聞いた瞬間、修司の酔いは半分吹き飛んだ。「なんだと?十時半だと!?」彼の結婚式は、十一時から始まる。「お前らのせいで、俺の結婚式がぶち壊しだ!!」怒りに任せて修司は次々と友人たちを蹴飛ばしたが、誰も反応がない。それほど深く酔っているのだ。修司は近くのテーブルから氷の入ったバケツを掴むと、無情にも中の氷水をすべて彼らの頭にぶちまけた。「うおっ!さ、寒っ……!」「な、なんだよ急に……」ようやく目を覚ました友人たちに、修司は怒鳴った。「のんびりしてる場合か!すぐに車を出して式場へ戻るぞ!もし遅れたら……お前ら全員、覚悟しとけよ!」混乱の中で男たちは慌てて服を掴み、乱れた姿のまま車へと走った。時間がない。着替えは車の中で済ませるしかない。だがどれだけ急いでも、式場に着いたのは十一時半。すでに予定の時間を大幅に過ぎていた。「くそっ、昨夜のバチェラーパーティーなんて行かなきゃよかった……」晴夏はすでに彼に怒っているのに、今度は結婚式に遅刻──最悪の状況だった。「晴夏……まさか、もう帰っちまったんじゃ……」修司は考えれば考えるほど、自分自身にイラついてきた。「でも、晴夏だけは絶対に手放さねえ……もし結婚を反故にされりゃあ、また爆薬を体に巻きつけてやる!どう転んでも、彼女を嫁にすることだけは揺るがないんだ」不安に駆られながらも、修司は式場へと足を踏み入れた。幸運にも、ゲストたちはまだそこにおり、そして──新婦もまだ立っている。式場の一番奥、白無垢の背中が静かに彼を待っている。胸を撫で下ろす修司。彼女はまだ帰っていなかった。「やっぱり、晴夏は俺のこと……」彼の唇に
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第9話
修司の体がビクリと硬直した。「月乃……どうしてお前がここにいるんだ?」月乃は眉をひそめ、涙をこらえるような表情で言った。「修くん、怒らないで……私だって、こんなことしたくなかった。でも、昨夜の深夜にあなたのお母さんから突然電話があったの。晴夏さんが、結婚式の直前に姿を消したって……この結婚式は、あなたの希望で盛大に準備されたものよ。全国から名の知れた人たちが集まってる中で、新婦がいなくなるなんて、黒川家の名誉に関わる。だから、あなたのお母さんが私に頼んできたの。代わりに新婦として式に出てほしいって」そう言いながら、月乃は修司を切なげに見つめた。「修くん、私と結婚してくれるか?」「そんなわけないだろう!」修司は即座に否定した。「俺が結婚したいのは晴夏だけだ!」その言葉は、月乃の心を容赦なく引き裂いた。涙を浮かべたまま、彼女は訴えた。「そんなに残酷なこと、どうして言えるの?あなたが晴夏を愛しているのは分かってる。でも、彼女は本当にあなたの愛に応える価値があるの?あなたはあんなに優しくしているのに、彼女はどうした?逃げたのよ!あなたも黒川家も、世間の笑い者にしようとしてるのよ!でも私は違う。私はずっと、子供の頃からあなたのそばにいる。あなたが発作を起こした時、私は喜んで『薬』になったし、あなたが傷ついていた時、一緒に酔っ払った……誰よりもあなたを理解して、誰よりも愛してる。どうして私を見てくれないの?」彼女の涙ながらの告白に、修司の胸には複雑な感情が渦巻いた。大きくため息をついた後、静かに口を開いた。「月乃……お前が俺にそんな感情を抱いていたなんて、思いもしなかったよ。だから晴夏は、いつも不安がっていたのか。彼女は敏感な子だから、俺とお前の間に何かあるんじゃないかと、気づいてしまったのかもしれない。きっと彼女は誤解して逃げたんだ。俺がお前に気があるって……でも違う。俺はお前のことを親友としか思ってなかった。俺たちの間に、恋愛感情なんてなかったんだ」その言葉を聞いた月乃は、完全に崩れ落ちた。「信じない……修くん、私、信じないから!親友だったなら、なんで私を抱いたの?それも一度や二度じゃない、数えきれないくらい……私、お腹に子どもまで……」その瞬間、修司の端正な顔に、はっきりとした苦悶の色が浮かんだ。「や
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第10話
修司の顔は次第に険しさを増していった。彼は声を押し殺すようにして、冷ややかに月乃を脅した。「もう一言でも口を開いたら……お前の腹の子、俺が消してやる」その一言で、月乃は顔面蒼白となり、唇を震わせながら黙り込んだ。修司は一度咳払いをし、表情を切り替えて大声で言った。「藤原さんは最近、精神的に不安定で錯乱しているようです。皆さん、どうか真に受けないでください」その言葉とともに、彼は部下に目配せし、メディア関係者のカメラや録音設備をすべて没収するよう指示を出した。会場が騒然とする中、修司は淡々と宣言を続けた。「予期せぬ事態により、式は一時中止とさせて頂きます。皆さまには屋敷にて一日ごゆっくりお過ごしください。本日はリハーサルということで、正式な式は明日執り行います」言い終えると、彼は顔を険しくしたまま、大股でその場を立ち去った。今は月乃と揉めている暇などない。彼の頭の中は晴夏でいっぱいだった。一刻も早く晴夏を見つけて、すべてを説明しなければならない。あれは月乃の一方的な思い込みで、彼は一度も彼女を愛したことなどないのだと。スマホは水没して使い物にならなかったため、修司は近くにいる部下からスマホを奪い、晴夏の番号を急いで押した。だが、返ってきたのは無情な通話中の音だった。何度かけても繋がらない。怒りがまだ冷めていないのだと感じた修司は、次に晴夏の親友──小林昭子(こばやし あきこ)に電話をかけようと思った。晴夏が落ち込んだときは、いつも昭子の家に身を寄せていた。今回もそうだと踏んで、修司はあらかじめ二つの贈り物を用意していた。一つは晴夏へ、もう一つは昭子への賄賂代わりだ。準備を終えると、修司は車を走らせながら昭子の番号を押した。だが、まさかそのとき、昭子がまさに晴夏と時生の結婚式に出席しているとは、夢にも思っていなかった。すぐに電話は繋がった。冷えた声がスマホ越しに響く。「黒川さん、何の用?」「ちょっとした贈り物を用意したんだ。晴夏、今お前の家にいるんだろう?今すぐ迎えに行く」しばしの沈黙のあと、昭子がくすっと笑った。「確かに一緒にいるけど、家じゃないよ」「じゃあ、どこにいる?」修司が焦り気味に尋ねると、昭子は笑いを堪えながら言った。「今から場所を送るから、早く来なよ。たぶん、人
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