All Chapters of 夫と子を捨てた妻が、世界を魅了するデザイナーになった: Chapter 211 - Chapter 220

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第211話

青山は苦笑した。「会う勇気がなかったんだ」小夜はひどく意外に思い、胸が締め付けられるようだった。「……私の方が、あなたに謝らなきゃいけないのに」会う勇気がないのは、小夜の方のはずだ。青山は静かに首を振った。「ささよ、もう過去のことだ」小夜がまだ躊躇っているのを見て、青山は不意に提案した。「君は今、大変な状況だろう。落ち着いたら、僕が手配して海外へ行かせてあげる。それでいいかい?」……海外へ。小夜の心は、その言葉に揺れた。小夜の状況は確かに良くない。圭介が目を覚ますかどうか、目を覚ましたらどうなるか分からない。身分証も、すべて取り上げられてしまった。小夜には、これらのしがらみから逃れられる安全な場所が必要だった。あの日、芽衣も言っていた。青山のチームは天野家と提携しており、国家規模のプロジェクトを手掛けるほどの実力がある、と。青山なら、圭介側を牽制し、離婚を成立させて海外へ発つ機会を作ってくれるかもしれない。小夜は尋ねた。「どれくらい、かかるの?」「はっきりとは言えない。でも、そう長くはかからないはずだ」小夜は、この機会を掴むことに決めた。「それなら、お願い。いくつか、取りに行きたいものがあるの」小夜は自身の邸宅「徒花」へ向かった。珠季から任されたデザインの仕事が、この間の監禁のせいで、ずっと滞っていた。六、七月の国際ファッションウィークまで、もう三ヶ月もない。国際的な舞台で作品を発表できる、またとない機会だ。時間は差し迫っており、これ以上遅らせるわけにはいかない。スーツケースはまだ押さえられていて、原稿は手元にない。しかし幸い、クラウドにバックアップを取る習慣があった。邸宅にはパソコンや機材、多くの材料があり、完全に一からやり直せる。徒花に入り、部屋中に溢れる絵やデザイン画、サンプルを見て、青山は思わず感慨深げに言った。「ささよの好みは、やはり変わらないな」青山は、小夜の情熱をずっと知っていたのだ。小夜は、淡く微笑んだ。小夜は二階へ上がってパソコン、ペンタブ、画材などを手に取り、予備のスマホも見つけ出すと、青山と共に、向かいの邸宅へと向かった。……青山の家の内装は、彼自身の人柄を表すかのように、温かみのある暖色系で統一されており、そこに
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第212話

悪夢にうなされた。夜が明けるまで、小夜は再び眠りにつくことができず、部屋の明かりは一晩中ついたままだった。早朝。小夜は目の下に隈を作り、元気のない様子で一階へ下りてきた。ちょうどキッチンから出てきた青山は、小夜を見て一瞬動きを止め、その目の周りの淡い隈に気づいたようだが、あえて何も聞かなかった。「ささよ、もう少し寝ていなくてよかったのかい?」青山は出来立ての朝食を並べ、優しく小夜に声をかけた。「ちょうど朝食ができたところだ。家にじゃがいもがなくて、君の好きな芋餅は作れなかったから、代わりに黒糖餅を作ったんだ」小夜の朝食の好みは、甘くてもちもちとした食感の揚げ物で、特に比較的さっぱりとした芋餅が大好物だった。まさか、これだけの時が経っても、青山がまだ覚えているとは。この七年間を思い返す。圭介と樹は辛いものが好きで、佳乃を除けば、家では大なり小なり小夜の好みは蔑ろにされてきた。小夜の心境は、少し複雑だった。青山はキッチンから温めた甘い豆乳を取り出して小夜に差し出し、エプロンを外すと、自分はコーヒーとサンドイッチの皿を手に、小夜の向かいに腰を下ろした。二人は向かい合って座り、朝食を口に運ぶ。あまりに懐かしいその光景は、一瞬にして小夜を数年前の大学時代へと引き戻した。あの頃、青山は三つ上の先輩で、帝都大学の一貫制博士課程に在籍していた。小夜が大学に入学したその年、青山はすでに情報科学研究科の天才と謳われる有名人だった。一方の小夜は、故郷から帝都へ逃げるようにして大学に入学したばかりの、平凡な一年生に過ぎなかった。雲泥の差がある二人。本来なら接点などあるはずもなかったが、ある偶然の出来事をきっかけに知り合った。その後、専攻が近かったこともあり、小夜が青山に質問することも多く、青山も丁寧に教えてくれた。そうして、いつしか親しくなり、一緒に研究プロジェクトを手掛けることさえあった。プロジェクトを共に進める間、二人はよく一緒に過ごし、食事を共にした回数など、数え切れないほどだった。光景が重なり合い、今の小夜は、まるでまだ大学にいるかのような錯覚に陥る。まだ、あの出来事が起こる前のこと。二人の関係は良好で、一緒に食事をし、色々な場所へ行き、多くのことを共にした。すべてが、まだ順調だった。しかし
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第213話

ふと、小夜は星文の母、つまり翔の姉のことを思い出した。夫を殺害し、六年間服役した女だ。以前、芽衣とこの話をした時、自分は絶対にそんなことはしないと言ったはずだ。割に合わない。たかが男一人のために、自分の大切な人生を台無しにするなんて、と。それなのに、それから間もない今、自分の夫を殴って病院送りにし、生死も分からない状態にしてしまった。一体、何というざまだろう。しかし、小夜は自分が悪いとは思わなかった。圭介が追い詰めなければ、こんなことにはならなかった。小夜は、ただ穏便に離婚の話をしたかっただけなのだ。まだ若い。刑務所になんて入りたくないし、人の命を奪うなんて、まっぴらごめんだ。そんな重荷は、背負いきれない。そんな厄介事を思うと、目の前の朝食がいくら美味しそうでも、食欲は湧かなかった。……テーブルの向かいで、青山の視線は終始、小夜から離れなかった。青山は小夜をあまりにもよく理解している。その顔に、その瞳に浮かぶ憂いを読み取り、小夜が何を考え、何を心配しているのか、おおよその見当はついた。手にしていたコーヒーカップを置くと、青山は優しい声で口を開いた。「市内の病院に、知り合いの医師がいるんだ。長谷川の容態を聞いてみるよ。大丈夫、心配いらない」小夜ははっと顔を上げ、感謝の気持ちでいっぱいになった。「あ、ありがとう」礼を言った後、それだけでは足りないような、申し訳ないような気持ちになり、思わず苦笑した。「昔も今も、私、いつも青山に迷惑ばかりかけているわね」いつも、青山が自分を気遣ってくれることの方が多い気がする。「僕が、そうしたいんだ」青山は淡く笑った。小夜は一瞬、言葉を失ったが、結局、それ以上は何も言わなかった。天野家の件もまだ片付いておらず、他にも仕事上の用事があるため、朝食を終えると青山は家を出た。去り際に、青山は言い残した。「何か用事があったり、出かけたりする時は、神崎に声をかけて。彼が一緒なら安全だから。夜は、早めに帰って夕食を作るよ」……青山が出て行って間もなく、小夜も出かけることにした。身分を証明する書類は、一枚残らず圭介の手に渡ってしまっている。取り返しに行く勇気はない。行って、二度と戻れなくなったらどうするというのか。せっかく逃げ出せたというのに
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第214話

「あなたが戸籍の筆頭者ではないのですか?」 職員は眉をさらにきつく寄せ、あからさまに困惑した様子を見せた。 「それだと、少々厄介ですね……では、先に同僚から詳しい説明を受けてから、また来てください。一から説明していると時間がかかりますし、後ろにも大勢並んでいますから」 窓口は混み合っており、小夜の後ろには確かに長い列ができていた。 再発行を希望する書類も多すぎ、初めての状況で知識が足りないのも事実だ。小夜は、まず詳しい説明を受けるために、別の職員の元へ向かうしかなかった。 「こちらの方、身分証明書の紛失による再発行なんですが、筆頭者ではなく、郵便での確認もできないそうで……」 今度の職員は説明専門なのか、随分と辛抱強い口調だった。 「通常は顔写真付きの身分証明書がない場合、筆頭者であるご主人様の身分証明書か、委任状が必要になります。 それが難しいとなると……警察署で遺失届、あるいは盗難の被害届を出していただき、その受理番号があれば、特例として手続きを進められる場合があります」 長々と説明を聞き、小夜はようやく理解した。この状況を打破するには、どうやっても圭介を避けては通れないのだ。 小夜は少し考え、状況を変えて尋ねた。 「では、もし私が紛失したのではなく、夫が私の身分証明書や印鑑を取り上げ、返してくれない場合はどうなりますか?」 「取り上げられました?」 職員は眉をひそめ、少し考えてから言った。 「それは……一種のDV、あるいは横領の疑いも出てきますね。警察にご相談されれば、警察からご主人様に返還を求める連絡が行き、通常は十五日以内に応じるよう求められます。 もしご主人が返還を拒み、なおかつ『知らない』『失くした』と主張された場合は、警察で紛失扱いとして受理されます。そうすれば、ここですぐに再発行の手続きに入れます」 それなら、いける。 小夜は安堵のため息をつき、即座に言った。「警察に行きます」 警察の介入があっても、圭介がなおも返還を拒むとしたら、理由は一つしかない。「失くした」と言い張ることだ。 そうなれば、小夜は堂々と新しい証書を手に入れられる。その方が、より確実だ。 警察からの照会期間として十五日ほどはかかるかもしれないが、そのくらいなら待てる。 「では、とりあえず今日は
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第215話

「あいつに自由も、俺の信頼も、受ける資格などない!」彰はまだ何か言いたかったが、圭介が怒りのあまり、どんな言葉も聞き入れないであろうことを察し、口を噤んだ。ましてや、小夜が青山と逃げたなどとは、口が裂けても言えなかった。彰は、圭介が頭の傷も癒えぬうちに、殴り込みに行きかねないと本気で危惧していたのだ。せめて、もう少し容態が安定してからにしてほしい。そう考えていると、サイドテーブルに置かれた圭介のスマホが突然鳴った。圭介が不自由なため、彰が代わりに電話に出た。警察からだった。相手の話を聞き終えても、彰は表情を変えず、まずは圭介に一言断った。「仕事の電話ですので、外で話して参ります」圭介は頭に怪我を負い、体調も優れないため、最近の仕事はすべて彰に任せており、異論はなかった。彰は病室を出て、廊下に立つと、無表情で答えた。「申し訳ありませんが、身分証明書は紛失しており、手元にございません」警察が何度か尋ねても、彰の答えはそれだけだった。電話を切った後、彰はわずかに眉を寄せた。まさか、小夜がこれほど早く手を打ってくるとは。自分たちから書類を取り返すのを諦め、直接警察に届け出るとは。しかし、それもいい。これで十五日は小夜を足止めできる。十分だ。病室に戻り、仕事について二言三言報告すると、圭介が険しい顔で言った。「あの小林について、いつ戻ってきたのか、この数年どこで何をしていたのか、そして今回の目的を洗え」彰は頷いた。「すでに調査中です」圭介の色気を帯びた切れ長の目に、凶暴な光が宿る。「七年前は見逃してやったが、のこのこ戻ってきたからには、もうあんな幸運はないと思え」……彰が何か言おうとした、その時。病室のドアが不意に開いた。若葉がたくさん物を提げて、笑顔で入ってくる。「圭介、体にいい食事を作ってきたわ。栄養満点よ。早く良くなってね」若葉の姿を見て、圭介は笑って礼を言った。彰が高低クランクハンドルを回して、ゆっくりと圭介の背もたれを起こす。若葉は美しく設えられた弁当箱を取り出すと、言った。「私たちの仲じゃない。お礼なんて水臭いわ。手術したばかりで、まだ弱っているでしょう。私が食べさせてあげる」圭介がためらうのを見て、若葉は笑って言った。「昔、あなたが病気
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第216話

母の手前、圭介もこのろくでなしの従弟をすぐには追い出せなかった。「今は養生中で相手をしてる暇はない。治ったらまた来い」航は「へえ」とだけ返した。圭介の言葉の裏にある「帰れ」という意図など聞こえないふりをして、圭介と若葉をじろじろと見つめるその笑みは、ひどく無遠慮で不遜なものだった。圭介の顔が険しくなり、何か言おうとしたその時、航が先に口を開いた。「兄貴、親父に言われてんだよ。週末はきっかりお前のところへ顔を出さないと、俺を締め上げるってな。それに、お前は病人だろ。弟として見舞いにも来ないなんて、人でなしだろ?」圭介は冷ややかに笑った。「つまみ出せ」その言葉が終わるや否や、彰がすぐさま前に進み出た。自分とさほど変わらない背丈の航の襟首を掴むと、航が驚きに呆然とする中、片手で軽々と病室の外へつまみ出した。病室から放り出されてしばらくして、航はようやく我に返った。くそっ、なんだあの馬鹿力は!どうせ抵抗できないし、喧嘩しても勝てるはずがないと分かっている航は、病室のドアを叩いて大声で叫ぶしかなかった。「兄貴、照れるなって。明日、また見舞いに来てやるからさ」言い終わるや否や、中の人間が怒り出す前に、航はさっさとその場をずらかった。賢い男は引き際を心得るということだ。一気に階下まで駆け下りると、航はにやにやしながら口笛を吹き、デニムジャケットのボタンの一つをいじった。やがてそれを引きちぎると、中からピンホールカメラを取り出した。スマホを取り出し、クラウドのアルバムを開くと、そこには先ほど自分が部屋に入った時の、若葉が圭介に食事を食べさせている親密な動画がくっきりと保存されていた。「まあ、無駄足ではなかったな。だが、まだ足りない」航は、圭介のさらに過激な不倫現場を撮って、両親に突きつけてやろうと決めていた。そうなれば、あの両親がどんな顔をするか、見ものだ。今後、自分の前であいつを褒めちぎることなどできなくなるだろう。聞いているだけで、うんざりする。しかし、動画の中の若葉を見つめ、航も認めざるを得なかった。この女、確かに上玉だ。スタイルもいいし、色気があってそそられる。兄貴は、こういうタイプが好みだったのか?そう考えると、義姉の小夜は、確かに美人だが、すましている時はどこか浮世離れしてい
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第217話

小夜が断ろうとするのを遮るように、青山は続けた。「僕たちは、まだ友達だろう?」小夜は、言葉に詰まった。二人は食卓を囲み、青山が海外で見聞きした風景や面白い出来事について話した。食事が終わる頃、小夜はやはり堪えきれずに病院のことを尋ねた。青山も、確かに手を回して調べてくれていた。病院の友人は、こう言っていたそうだ。「あいつ、化け物みたいに頑丈な体をしてるから、頭を割られても翌日にはもうピンピンしてたよ。数日で退院できるんじゃないかな」今、小夜に尋ねられ、青山は軽く眼鏡を押し上げ、微笑んで口を開いた。「もう救急室は出たそうだ。でも、容態はあまり良くないらしい。友人に引き続き様子を見てもらうように頼んであるから、何かあればまた知らせてくれるはずだよ」小夜は不安を募らせ、食事を終えると心ここにあらずといった様子で部屋へ戻った。……夜、書斎。青山がデスクで仕事をしていると、ほどなくして、ドアをノックする音が響いた。「入れ」泰史がドアを開け、何枚かの書類と、小夜の写真数枚を差し出した。「高宮様が本日立ち寄られた場所、行動のすべてをこちらに」「ああ」青山はそれを受け取ると、書類の内容と、小夜の横顔や後ろ姿が写った数枚の写真を愛おしげに眺めた。その顔には、温かく穏やかな笑みが浮かんでいる。泰史はそんな主人の様子を見て、思わず口を開いた。「旦那様がそれほど高宮様を想っていらっしゃるのなら、直接ご本人にお伝えになり、分かっていただく方がよろしいのではないでしょうか」青山は眼鏡を押し上げ、書類に書かれた内容に目を落とす。その表情はとても優しいが、口から出た言葉に、感情はあまり乗っていなかった。「神崎には分からないよ。七年前、彼女は僕を選ばなかった。今回だって、もし長谷川が暴走して追い詰めなければ、彼女は僕と一緒には来なかった。ましてや、この家に身を寄せることなどなかったはずだ」そんな賭けはできない。泰史は心の中でため息をつき、それ以上は何も言わずに部屋を辞した。……寝室。小夜は再発行したSIMカードを予備のスマホに入れ、未読の着信やメッセージは後回しにして、まず芽衣に電話をかけた。自分の状況を説明し、芽衣の様子を尋ねた。芽衣の声は、相変わらず元気いっぱいだった。「…
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第218話

「悪夢でも見たのかい?」青山の声は優しかった。「階下へ水を取りに行く途中、君の叫び声が聞こえたから、心配になってノックしたんだ」自分は、叫んだのだろうか。悪夢のせいで、こんな状態にまでなってしまったというのか。おそらく無意識の行動だろう。小夜は疲弊した様子で頷いた。「よく眠れないの」今の小夜は、目を閉じれば頭から血を流す圭介の姿と、薄暗く狭い鉄格子の牢獄に閉じ込められる光景が浮かび、神経がすり減る思いだった。少し考えてから、小夜は尋ねた。「睡眠薬を持ってる?」これ以上、こんな状態を続けるわけにはいかない。よく眠れなければ体調も戻らず、悪化すればデザインの仕事もまともに進められなくなる。青山は首を振り、あまり賛成しない様子だ。「睡眠薬は、飲みすぎると体に良くない」小夜が落胆したのを見て、青山は少し躊躇ってから提案した。「それなら、もし僕を信じてくれるなら、君が眠るまでベッドのそばに座っていようか。眠ったら、部屋を出るから」小夜は、わずかに表情を強張らせた。大学時代、プロジェクトのデータが気になって不安で、何日も眠れない夜が続いたことがあった。そんな時、青山はオフィスに簡易ベッドを用意して、小夜が眠りにつくまでそばに座っていてくれたのだ。しかし、今はもう過去ではない。二人の状況は、とっくに変わってしまった。こんなことは、すべきではない。小夜は首を振り、断った。「青山を信用していないわけじゃないの。ただ、慣れていないだけ」青山は微笑んだ。「分かってる。この数日のうちに、その方面に詳しい友人に、副作用のない安眠方法がないか聞いてみるよ」「ええ、ありがとう。私も、何か方法を考えてみるわ」小夜はそう言うとドアを閉め、内側から鍵をかけた。廊下の暖色の薄暗い照明の中、青山はドアの前に立ち、内側から鍵がかかる音を聞いて、そっと笑った。青山はドアの枠に半ば寄りかかると、眼鏡を外してすっと通った鼻筋を軽くつまみ、静かにため息をつく。壁際にしばらく佇んだ後、青山は主寝室へは戻らず、小夜の隣の部屋のドアを開け、そこで眠りについた。……その夜。小夜はやはり、なかなか寝付けずに少し微睡んだだけで、目の下の隈をさらに濃くしてダイニングへ下りてきた。朝食を終え、青山が出かけ
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第219話

弁護団の代表はそれを聞いて、ひとまず安心したようだったが、彼らが協議した末の結論は、やはり変わらなかった。海外へ渡り、二年間の別居期間を設けるのが最善だ、と。「我々が現在手元に持っている材料では、再び訴訟を起こすには六ヶ月待つ必要があります。新たな決定的な情報、例えば、相手方の不貞行為の証拠となる、ホテルへの出入りや肉体関係を裏付ける写真や動画でも手に入らない限りは、いつでも訴訟を起こすというわけにはいきません。我々も長らく尽力してきましたが、長谷川さんはあまりに用心深く、なかなか尻尾を掴ませないのです。そこで、我々の提案は、二段構えで進める、というものです。まず、高宮さんはもう長谷川家側には近づかない方がいいでしょう。可能であれば海外へ渡り、別居という既成事実を作ってしまうのです。そうすれば、離婚成立まで時間はかかりますが、成功率は格段に上がります。そして、我々も引き続き、長谷川さんの不貞の確固たる証拠を手に入れるべく、再度の訴訟の機会を窺います」二つの策を並行して進める。確かに、その方が勝率は高いだろう。しかも、この二つの方法は同時に進行でき、互いに干渉することもない。小夜の心労も減り、効率も上がるはずだ。小夜は、この提案に同意した。弁護士との電話を切ると、小夜は最新の着信履歴を遡り、記者の友人へと電話をかけた。……昨年末、小夜はこの友人に頼み事をしていた。弟である隼人の彼女、つまり相沢家の隠し子である立花遥香のことを調べてほしい、と。あの女が、頻繁に隼人を唆して小夜に金の無心をさせ、嫌がらせをしてくるのが、若葉の差し金で、自分を陥れるためのものなのかどうか、知りたかったのだ。そのせいで、小夜は入院までして、もう少しで失明するところだったのだから。しかし、調査の進捗は芳しくなく、その上、年が明けてから多くのことが起こり、小夜も監禁されて連絡が取れなくなってしまった。調査結果がどうなったのか、まだ知らない。向こうは忙しいのか、しばらくしてようやく電話に出た。「小夜さん、どうしたんですか。最近、全然連絡つかなくて。何かあったんですか?」「大丈夫よ。調査はどう?」小夜は、相手の青年と世間話をする気はなく、単刀直入に切り出した。「おやおや、今になって焦り始めましたか。最近連絡がつかないか
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第220話

「小夜さん?もしもし、小夜さん?」小夜が物思いに耽っていると、電話の向こうで青年が待ちきれない様子で呼びかけた。「スクープしますか?これを流せば、真偽のほどはともかく、大騒ぎになりますよ。相沢家が潰れることはないでしょうけど、しばらくは火消しに追われることになるでしょうね」芸能記者である青年は、騒ぎが大きくなるのを面白がるタイプだ。記事にできさえすれば、相手が誰であろうと構わない。それどころか、真相や証拠など、彼にとってはさほど重要ではないのだ。小夜は眉をきつく寄せた。小夜はこの情報の重みも、それがもたらす結果も分かっていた。しかし、もしこれが虚偽の情報なら、同意するわけにはいかない。少なくとも、事実を確認してからでなければ。少し考えてから、小夜は尋ねた。「あなたに調べてほしかったのは、立花さんが相沢若葉さんと連絡を取っていたか、相沢若葉さんの指示で何かをしていたか、ということよ。それは、はっきりしたの?」青年はすぐに答えた。「いえ、僕が調べた限りでは、二人は同じ父親を持つという血縁関係以外、生活上の接点は一切なく、連絡も取っていません」連絡がない?ということは、遥香が隼人を唆して二億円もの結納金を要求させ、小夜を入院させ、もう少しで失明させるところまで追い込んだのは、若葉の差し金である可能性は低いということか。黒幕が若葉でないなら、一体誰だというのか。何より、遥香たちの現れるタイミングがあまりに良すぎた。多くの情報をすぐに入手し、まるで小夜がどこにいても見つけ出せるかのようだった。帝都に知り合いもいないはずの二人にとって、それは並大抵のことではない。間違いなく、誰かの手引きがある。一体、誰が?ふと、小夜の脳裏に一人の名が浮かんだ。圭介か?あの男が過去に自分にしてきたことを考えれば、やりかねない。これまでは疑いたくなかったが、よく考えてみれば、圭介は以前から実家のことで小夜を脅していた。あり得ない話ではない。小夜はスマホを握る手に、ゆっくりと力を込めた。電話の向こうで青年がまだ小夜を呼び、スクープの件を催促している。小夜は渦巻く思考を振り払い、口を開いた。「少し、考えさせて」……小夜は電話を切ると、スマホを数回タップし、プログラミングのコンソール画面を呼び出した。
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