七年後、夫が私と娘に泣き縋る
海外に出て七年、十二歳の娘は今や世界に名を轟かす天才ピアニストになっていた。
どんなに難しい曲でも、彼女の指先を通せば美しい音楽へと変わる。
けれど、ただ一曲の平凡な子守唄だけは、何度リクエストされても決して弾こうとしない。
もしそれを弾いてしまったら、あの男をまた許してしまいそうで怖かったから。
だからこそ、あの男が巨匠の手作りのピアノを抱えてやって来て、娘に子守唄を弾いてほしいと頼んだとき。
娘はただ静かに首を振る。
「おじさん、私、その曲は弾けないよ」
渡辺千明(わたなべ ちあき)は目が赤くなり、娘の手を無理やりピアノの鍵盤へ置いた。
「そんなはずないだろ、安珠(あんじゅ)は天才ピアニストなんだろ?ピアノが欲しいってずっと言ってただろ?パパが買ってやったんだ。これからは、何でも欲しいものはパパに言え。パパが全部叶えてやる」
安珠は冷たく右手を引っ込める。
「いらないよ、おじさん。もう自分で稼いでピアノぐらい買えるから。そのピアノはあなたの娘さんにあげて」