大学生の鈴鳴には特別な存在がいる。 それは幼い頃から自分を守ってくれた、従兄弟の和巳。 和巳が留学したことで長らく抜け殻のように生活していた鈴鳴だったが、彼の突然の帰国により甘い同居生活が始まり───!?
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差し出された青いハンカチは良い香りがした。
それを優しく目元に当てられ、思わず瞼を伏せる。
「真っ赤になってるよ。強く擦っちゃダメだって」
小学生だった俺は毎日と言っていいほどよく泣いていた。そんな俺をいつも心配してくれたのは、四つ歳上の従兄弟。
親が共働きのため、夜になるまで家ではひとり。そんな俺を心配して、彼はしょっちゅう家まで様子を見に来てくれた。泣き虫で臆病で、何もできなかったあの頃……彼は親戚の誰から見ても、俺のお世話係だった。
「誰かに意地悪でもされた?」
彼の質問に、途切れ途切れだけどようやく答えることができた。
親に怒られたと。
理由は朝寝坊したこと、宿題をやらなかったこと、家の鍵をなくしてしまったこと、部屋の掃除をしなかったこと、それと……。
他にもたくさんあったけど、彼は手を突き出して首を横に振った。
「よーしよーし、よく分かった。大丈夫だよ、お前は人よりちょっと……天然なだけ」
彼は腕を組み、考えるようにして天井を見上げる。
「勉強だって手伝いだって、お前が頑張ってることは叔父さん達もちゃんと分かってるよ。だから心配しないで。……なにかあれば、俺がお前を守るから」
あたたかい掌が頬に触れる。気付けば涙は止まっていた。
自分じゃ何もできない俺を気にかけて、世話を焼いてくれる人。彼のことが本当に好きで、大切で。
ずっと一緒にいたいと思った。
この人の役に立ちたい。それだけを願っていたけど、彼は高校卒業と同時に留学生として海外へ行くことが決まる。
そして俺達の距離は八千キロ以上離れてしまった。
遠すぎる距離は感覚が麻痺する。まるで彼とはもう同じ世界にいないように思えた。
同じ時間を生きてるとは思えない。同じ空を見てるとは思えない。
でも、想い続けてる。これは一体、いつまで続くのか……。
何枚もカレンダーを捨てた。気付けば六年の歳月が流れ、俺は二十歳になった。
髪も乾いたところで、鈴鳴は和巳と客間に戻るために長い廊下を歩いた。「でも良かったよ、すっかり酔いも醒めたみたいだで。後は叔父さんの怒りを解くことを考えよう」「それなんですよね。はああぁぁ」「長いため息だなぁ」和巳は苦笑して鈴鳴の背中を叩く。「どっちにしても、今日はここに泊まるだろ? 時間も遅いし、運転できないし」そうだ。大事なことを忘れていた。ここは祖父の家で、和巳の実家からもまたちょっと離れている。ただ今日は彼の父も来てるから、車で送ってもらうという手もあるけど……そこまで迷惑はかけられない。「俺、本当に飲む気はなかったんです。でも、すすめられたからつい……」「すすめられた? 誰に?」和巳さんは歩みを止め、振り返った。えぇと。あの人だ、……あの、いつも優しい。「あれ……おかしいな、誰だっけ……」何故か思い出せない。思い出そうとすると、頭がガンガン痛んだ。「あれま、それじゃ言い訳は使えないな。素直に叔父さん達に謝ろう。誠意を見せれば大丈夫だよ。俺もフォローすっから!」「本当にすいません……」自分の不甲斐なさに泣ける。徐に頭を下げると、何故かデコピンされた。「鈴。理由は分からないけど、心配だからしばらくは禁酒。どうしても、って時も一杯が限度だよ?」「はい」ちょっと強く念押しされたから、素直に頷く。やっぱり六年で人は変わるようだ。こんなに整然とした顔つきで言われたら、例え納得がいかなくても頷いてしまいそう。いやいや、俺は和巳さんに惚れすぎ!自分で自分につっこむ。そして鳴り止まない頭痛を抱えながら大広間へ戻った。もう殆どの親戚が帰って、とてもがらんとしている。だけど、祖父と伯父と父のスリートップはしっかり着席していたので、真っ先に向かって謝罪した。祖父と伯父は笑って許してくれたけど、やはり父の怒りをとくのは容易じゃない。今にも殴られそうな怒声が返ってきた。「この恥さらしが! やはり、お前は今日ここに来るべきじゃなかった!」えぇ、ごもっとも!初めて彼と気が合った。俺も心の底からそう思う。シラフに戻った今、この家とは縁を切りたい。次この家の敷居を跨ぐ勇気がなかった。「お酒の失態なら俺も山ほどありますよ、叔父さん。鈴もすごい反省してますし……今回だけ、どうか許していただけませんか」「和巳君は甘過ぎるんだよ。この馬鹿は一
畳の匂いとぬれた掌と、転がって中身が零れているビール瓶。一点に集まる、動揺と軽蔑の眼差し。…………大人達の眼差し。「あ……」それに気付いた途端、息が苦しくなった。何故か手まで震え出す。「何の騒ぎだ?」「あっ父さん、これは……」父の狼狽えた言葉で顔をわずかに上げると、祖父と伯父が驚いた顔で佇んでいた。その後ろには、あの人の姿も。「何だ。何で鈴鳴はびしょぬれなんだ?」状況が分からない彼らは困り果てて顔を見合わせている。「申し訳ない、この馬鹿が酔って錯乱して……」「そうだったのか。まぁ仕方ないさ、ここは一旦片付けて……心配だから、鈴鳴君は別室で休んでもらおう」伯父さんがそう言うと、和巳さんはすぐ前に出て俺のことを抱き起こした。「じゃ、俺に任せてください。介抱は慣れてますから」「頼むよ、和巳」父の言葉に和巳は微笑み、鈴鳴を連れて部屋を出た。「今回は羽目を外し過ぎだな。他にもえらく酔ってる奴がいるよ」誰かの声が耳に入る。でも深く考えることもできず、ただ引き摺られた。やがて小さな部屋に連れられ、ドアが閉められる。何故か鍵をかける音も聞こえた。「こーら、ちゃんと立ちな」壁に手をつき、頭はグラグラするが何とか立位を保つ。ここは脱衣室みたいだ。隣は浴室。「一体どういうことかな、鈴」見ると、和巳さんは無表情で腕を組んでいた。怒ってるわけでも、笑ってるわけでもない。こういう時の彼は、本当に感情が読めない。「何があったの?」「さあ……気付いたら、花瓶の水をラッパ飲みしてました」正直に答えると、彼は困った顔で首を傾げた。「何でそんな泥酔してんのさ。飲んだら車で帰れないだろ。今日はここに泊まるつもりだったのか?」「いえとんでもない。俺は帰るつもりで、えー……飲まないつもりでした……」「しょうがないな。鈴、服脱いで」「えっ」頭は未だ停止しているけど、さすがにその言葉は違和感を覚えた。「ぬ、脱ぐ? 何で?」「そのままじゃ風邪ひくからだよ。ズボン、昨日の俺以上にぬれてるよ」和巳さんはテキパキとお風呂の準備に取り掛かり、自分の袖と裾を捲り上げる。そして俺のシャツのボタンを外し、脱がしにかかった。待て待て。やばいんじゃないか、これ!「和巳さん、それは俺、ひとりでできます……わ!」慌てて彼から離れようとしたけど、足がもつれて崩れ落ちそ
ただ親戚はともかく、俺達を一番比較していたのは……他でもない俺の父親だ。「さ、もうすぐ時間だ。和巳君は前の方で話を聴いてくれ」「はい。あ、鈴……」皆に引っ張られながら、和巳さんは思い出したように俺の方を見た。「大丈夫ですよ、俺は後ろで見てますから」「そっか……分かった、ごめんな。また後で」「はい、また後で」軽く手を振り返し、できるだけ目立たない端の席についた。既に俺の父も祖父も、和巳さんのお父さんも席についてる。俺も帰る前に挨拶しないと。そして始まった会議は、予想通りちんぷんかんぷんだった。だんだん眠くなってきて、ウトウトする。うーん。寝ちゃいけない。けど……。まぁバレないか。部外者みたいなもんだし、ちょっとぐらい寝たって。結局、会議が終わる一時間後まで爆睡した。「……皆さん、今日はお疲れ様でした。どうぞゆっくり寛いでください」さっきまでとは違う賑やかな人の声に、鈴鳴は自然と目を覚ました。「ふあぁ……」本当によく寝た。周りを見渡すと、慰労会のようなノリで皆好き好きに散らばり、運ばれてきた料理やお酒を楽しんでいる。重苦しいムードじゃなく大盛り上がりだ。気楽だけど、やはり人の多さに戸惑う。和巳さんや伯父さん達を見つけたいけど、どこにいるのかサッパリ分からない。しばらく和巳さんは引っ張りだこだろう。この中で彼らを見つけるのは骨が折れる。逆に父に見つかって、また小言を言われるのも嫌だし……庭の方でも行こうか。暇だから、池の鯉に餌あげたい。そう思って立ち上がったが、誰かが目の前にやってきて俺の肩を叩いた。「鈴鳴じゃないか! 久しぶりだな、元気かい?」「あれ……冨生叔父さん?」人の良さそうな笑顔を浮かべるひとりの男性。彼のことはよく知っている。最後に会ったのはいつだったか、正確には思い出せないが俺の母の弟だ。久しぶりに会ったからか、失礼だけど老けたように見える。「お久しぶりです。……でも叔父さん、どうしてここにいるんですか?」彼は母方の集まりの時しか会わない。俺の父方の集まりなんて来る義理も必要もないから不思議に思ってると、彼はこっそり事情を話してくれた。「いやそれがさ、前の会社退職して、ここの営業に入れてもらったんだよ。だから挨拶がてらここまで来たの」母が父に頼み、紹介で入社したということらしい。転職が難しいのは分かるけ
翌日の夕方、鈴鳴の運転で祖父の実家へ向かった。「和巳さん、寒かったら暖房強くしてくださいね」「ありがと。鈴、ポッキー食べる?」「うっ!」まだ何も言ってないのに、和巳さんは俺の口めがけてポッキーを突き刺した。信号待ちしてたから良かったけど、地味な痛みにハンドルから手を離し、唇を覆った。「鈴の運転は静かで安心するよ。俺は人や物にぶつかんなきゃいいって考えだからさ」「そ、それはまた……確かアメリカって大抵十六歳で免許とれるんですよね」「うん、場所によっちゃ十四でとれる。車なきゃ生活できないからね。鈴のこの車は自分で買ったの?」和巳さんはコンビニで買ったカフェオレを開けて飲んだ。「いやいやまさか、そんなお金ありません。これは父さんにもらったんです。一人暮らしをする代わりに」「代わり? って、何の?」「実家が遠いから、すぐに帰って来られるように、って。でも全然帰れてないし、維持費も勿体ないし。新幹線の方がずっと安上がりだから返しちゃおうかと思ってるんですけど」「そう……」和巳さんは小さく呟き、また俺の唇にポッキーを突き刺した。痛い。嫌がらせか。「……ふふ、お前も俺がいない間に色々あったみたいだな」「え」前を見つつ、彼の声に耳を傾ける。どんな時でも不思議と、彼の話は集中して聴いてしまう。「お前が一人暮らしなんて決意したのもびっくりだし。……何よりあの叔父さんが、よく許してくれたな?」「……」どんどん空は紫色に変わっている。ヘッドライトを点けて遠くの山々を見据えた。「和巳さんも知っての通り、俺は容量が悪いです。怒られ続けて、褒められた記憶なんて一度もない。あの家は……居づらくて」「大丈夫。そのうち見えてくるよ」見える?どういう意味なのか分からなかったけど、もう目的地は近かった。都心から高速を使っても二時間以上かかる山あいのこの場所は、車がないととても不便だ。ようやく到着し、だだっ広い駐車場に車を止めて、二人で降りる。和巳さんは大きく背伸びした。「あ~、長かったなぁ。鈴も運転おつかれ! 疲れただろ。俺が運転してやりたいけど、まだ免許証切り替えてないからごめんな」「大丈夫ですよ。たまには運転しないと忘れちゃいますからね」軽く笑い合い、少し距離のある正面玄関へ回った。立派な庭園は手入れが行き届いていて、景観は以前来た時と何も変
「災難でしたね、和巳さん」「あはは、これくらいどうってことないよ。よくあることじゃん?」よくあったらマズい気がする。あと一回女子トイレに入ろうとしたら、確実に裏に呼ばれていたと思う。和巳さんのズボンが無事に乾いた頃、店を出て駐車場へ向かった。彼には助手席に乗ってもらい、自宅へと車を走らせる。「鈴は本当に立派になったな。大人になっても揺るがない可愛さ、俺の自慢の弟だよ」「かわ……あ、ありがとうございます」運転中ということもあるし、隣はしっかり見られない。けど今の自分は変な顔をしてるだろうから、この位置で良かったと思った。弟か……。そう思われてるのなら、その方が都合がいい。“本当の自分”を隠さないときっと幻滅される。俺が同性愛者だと知ったら、さすがの彼も接し方が変わるだろう。この六年、彼から離れて自分という人間を直視した。成長する過程で変わったのではなく、成長したことで分かったのだ。同性愛者という、自分の特殊な一面を。ため息をつきたくなるのを堪え、何とか家に安着した。彼の荷物を下ろし、昨日掃除した部屋へと案内する。「和巳さん、長旅お疲れ様です。今日はもうゆっくり休んでください」「ありがとう! へぇ、ここが鈴の部屋か。綺麗に片付いてるし、やっぱ性格が出るよな」昨日までは散らかり放題だったんだけど、そこは黙っておいた。和巳さんは子どものように目を輝かせて、興味津々で部屋の内装を見ている。「鈴、エッチな本とか持ってないの?」「エッ……!? あ、ありません! 全て電子書籍で読んでるんで!」「電子書籍ではたくさん読んでんだ」「たくさんは読んでません! 読んでも、それは人生経験としてですね……」BLを読んでます。なんて言ったら、和巳さんはどう思うだろう。何て言うかな。この嘘つきキモ男と言われてしまうんだろうか。本当は大量のBL漫画をラックに隠してあることを知ったら……。「和巳さん、今日は俺の家に泊まって……明日は、実家に帰るんですか?」とりあえずゴニョニョ言って話を逸らす作戦でいこう。温かい紅茶を用意して、彼の元へ運んだ。「あぁ。帰らなきゃ、だよな」「えっ?」彼の反応に少し違和感があったから、俺は目の前の座椅子に腰を下ろした。「ど、どうかしました?」「いや……ごめん、何でもない。今夜はここに泊まらせてもらって、明日家に帰る
「ふぅ……っ」外は暗く肌寒い。駐車場に車を停めて歩くと、顔にあたる夜風に身震いした。一時間以上運転してやって来たのは首都圏の国際空港。とても急だったが、間に合って良かった。大学二年生の日永鈴鳴《ひながすずなり》はスマホで時間を確認して、ひとり目的の第一ターミナルへ向かった。ここに来たのは実に六年ぶりである。六年前、海外へ飛び立つ従兄弟を見送りに行った、あの日以来。あぁ……緊張する……。この感じ、あの時と似てるぞ。大学入試のときと同じ、あの胃液が上がってくる感覚に。十九時四十五分。もうすぐだ。電光掲示板を見て、彼が乗ってるであろう飛行機の到着時間を交互に見合わせる。ここへ来たのは、帰国する従兄弟を出迎えるためだ。到着ロビーでしばらく待っていると、大勢のフライト客がやって来た。ひとりひとり注視していたその時、ある青年に目が留まった。うっすらと、しかし確かに感じる、懐かしい雰囲気の青年。「か……和巳さん!」「……鈴?」鈴鳴は小走りで彼の元へ向かった。「うあぁぁ……やっぱり和巳さんだ……! お久しぶりです!」涙目で言うと、彼は掛けていた眼鏡を外して笑った。「本当に……久しぶりだな、鈴。すっかり大人になってるから見違えたよ。最初誰だか分からなかった」キャリーケースから手を離し、彼は強く鈴鳴を抱き締めた。「迎えに来てくれてありがと。すごい嬉しい」「……っ!」少しだけ、周りの視線を感じた。降りてきたのも待っていたのも日本人だし、男同士でこの熱い抱擁はちょっと目立つ。ドキドキしたし、気まずいから早くこの場から離れたい。それでも、まだ彼に会えた喜びの方が勝っていて動けない。逸る鼓動を抑えて、彼の両手を握った。「ずっと待ってました。……おかえりなさい、和巳さん。さぁ、俺の家に帰りましょう!」「おぉ。でも、本当にお前の家に泊まっちゃっていいの? 彼女とかいたら困らない?」「困りません。な生まれてこの方彼女できたことないんで」つい大声で言ってしまって、また視線を感じた気がした。やばい。一回落ち着こう、俺。これからは頑張って、和巳さんの役に立つぞ……!四つ歳上の従兄弟、日永和巳《ひながかずみ》に再会した鈴鳴は喜びの気持ちで一杯だった。「はあー、何かすごい安心する!」和巳は凝り固まった体をほぐすように、ぐっと背伸びをした。「親父
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