カリナは産んだばかりの子を奪われ、逃げた先で帝国のアイリー公爵家のレベッカに救われる。程なくして、カリナの子はロバート国王とエミリアーナ王妃の子として発表された。カリナに執着するロバート国王から彼女をを守る為、ランスロット・アイリーは契約婚を持ちかける。
View Moreスペンサー王国の王妃エミリアーナが亡くなったらしい。
エミリアーナが隣国サマルディーから嫁いできて、まだ2年だ。エミリアーナは慣れない土地にメイドも護衛騎士も連れずにやってきた。
サマルディー王国と我がスペンサー王国はいつ戦争になってもおかしくないくらいの緊張状態。 15年前も2カ国は大きく衝突し、その戦火の最中に流行した感染症ペストでカリナは両親を失っている。両国の友好関係の証というより、人質同然で連れてこられたのがエミリアーナだった。
カリナはいつものように王妃の寝室をベッドメーキングする。 片付けたシーツにはまだほのかに温もりと、エミリアーナから常に香っていたラベンダーの匂いが染み付いていた。昨晩までこの部屋でカリナはエミリアーナを世話していた。
彼女の月の光を閉じ込めたような光沢のある銀髪を、鼈甲の櫛で梳かした感覚がまだカリナの手に残っている。亡くなる兆候など全くなかったのに、カリナが朝いつものように洗顔用のぬるま湯を入れた桶を持って部屋に来ると彼女の姿はなかった。
カリナは程なくして部屋の近くにいた騎士から、彼女が未明に亡くなったことを告げられた。
嫁いでまもないのに彼女が亡くなったのが明らかになると、サマルディー王国との関係が悪くなるから彼女の死はしばらく伏せられるらしい。カリナは不意に窓を開けた。
乾いた朝の気持ち良い風が入ってくる。そっと手をあわせる。
自分に優しくしてくれたエミリアーナが無事に天国に行けるようにと願った。 その時に目に入った登ってくる朝日に、カリナはなぜだか恐怖を感じた。ノックもせずに誰かが部屋に入ってきた気配がした。
金髪に美しいブルーサファイアのような瞳を持つ若き王ロバート・スペンサーだ。 27歳という若さで国王に即位したと同時に結婚した彼の人生は順風満帆だったはずだった。 誰が、エミリアーナ様の死を予見できただろう。「カリナ、エミリアーナが亡くなった⋯⋯」
突然、名前を呼ばれ後ろから抱きつかれてカリナは慌てふためいた。 彼女にはロバートとエミリアーナは政略結婚でドライな関係に見えていた。 しかし、それは2人がとても高貴な方で公式な場で感情を見せてなかったからかもしれない。ロバート国王とカリナはほとんど面識がなかった。
彼の前で名乗った記憶さえない。 カリナは彼は自分の名前をエミリアーナから聞いたのだと結論付けた。彼女は両親を早くに亡くした貧しい男爵令嬢で、王宮で下女として働いていた。
エミリアーナは、彼女を見かけるなり自分と似ていると言って姉妹のように過ごしたいと侍女に取り立てた。王妃の侍女になれた幸運をカリナは噛み締めながら必死にエミリアーナに尽くした。
カリナはエミリアーナと同じ銀髪にアメシスト色の瞳を持っている。
ロバート国王陛下は死んだ妻が恋しいのだろう。
サマルディー王国との緊迫した状況があるから、表立って悲しむことも葬式をあげてエミリアーナを悼む事さえできない。「慰めてくれ⋯⋯カリナ⋯⋯」
何が起こったのか一瞬理解できなかったが、カリナは気がつけばベッドに押し倒されていた。 ♢♢♢エミリアーナ様が亡くなってから2ヶ月。私は懐妊した事が分かった。
エミリアーナ様が亡くなった日から、私は王妃の寝室から出してもらっていない。 王妃の寝室には外から掛けられる鍵がいつの間にか付けられていて、私は部屋に閉じ込められていた。 今日もいつもと同じ夕陽が沈みそうになる時間にロバート国王が部屋に来る。 「陛下、別に病気ではないので、部屋から出ても大丈夫だと思うのですが」 「大切な僕たちの子を育てているのだ。万全を期さねば⋯⋯」 寝室のベッドに横たわる私を、ロバート国王が愛おしそうに見つめて来て髪を撫でてくれる。その恋人のような仕草とは裏腹に彼の目がとても冷たく見えて不安になった。「あ、あの、国王陛下⋯⋯この子はどうなるのでしょうか?」
「もちろん、ゆくゆくはこの国の王になるのだろうな」ロバート国王の言葉に、私は胸を撫で下ろした。
エミリアーナ様の死を公表次第、陛下は私を後妻に迎えるつもりなのだろう。 ロバート国王の手を握り、自分のお腹の上にのせた。 私たちの子を愛おしいと思って欲しいと願いを込めた。「では、よく眠るのだぞ。愛しているカリナ」
ロバート国王は私の額に軽く口付けをして部屋を去っていった。(大丈夫、愛されている⋯⋯きっと、これが愛)
その後も、ロバート国王は夕刻の決まった時間に私を訪れた。彼以外の人間とはほとんど接触できない生活が続き、私は彼が来るのを待つだけの毎日が続いた。
毎日のようにガチャリと鍵を解錠する音と共に重い扉が開くのを待った。
そして、臨月になった。
今日も空が赤く染まる夕刻になり、ギィと音をたて重い扉が開く。 私は遠慮も忘れて、ロバート国王に抱きついた。「ロバート国王陛下! 子が生まれたら、王宮の薔薇園を親子3人で散歩がしたいです」
「散歩? 子が歩けるようになるのは、まだずっと先だろ」 「1歳くらいではないですか? 薔薇は棘があるから中庭の散歩くらいに留めた方が良いですかね?」 「そのような心配をする必要はない⋯⋯」 ロバート国王の表情を見ようとするが、私から目を逸らしているように感じた。 お腹が大きくて不恰好に思われただろうか⋯⋯でもこのお腹の中に彼との赤ちゃんがいる。「ロバートと呼んでも良いのだぞ? いつまで、僕たちの仲で敬称を使うのだ?」
思ってもない申し出に私の心は喜びで満ちた。「ロバート⋯⋯ロバート⋯⋯ロバート!」
丁寧に一音一音噛み締めながら彼の名前を呟く。
もうすぐ私と彼の子が生まれる。 きっとお腹の子は幸せになれる。私がお腹を撫でていると、ロバートは私の手を引きベッドに寝そべるよう促した。
「陣痛が来たら、呼び鈴を鳴らすのだぞ」
彼はそう言い残すと、まるでこれで終いというように呼び鈴を手に握らせてきた。「は、はい⋯⋯あの、もう少し側にいてくださいませんか?」
勇気を出して発した我儘は額への口付けで返された。
これはロバートが私にするサヨナラの合図だ。「では、健康な子を産むのだぞ。愛しているカリナ⋯⋯」
扉の閉まる重い音と共に部屋に残され、私は酷く寂しい気持ちになった。妊娠して心が不安定になっているのだろう。
彼の「愛している」がまるで何でもない挨拶のように聞こえた。(強くならなきゃ、私は母親になりスペンサー王国の王妃になるのだから⋯⋯)
真夜中、馬車で腹を轢かれたような痛みに襲われる。
私はロバートから握らされたままになっていた呼び鈴を鳴らした。 王宮医の制服を着た女性が扉から入ってくるのが分かった。 もう引退してそうな白髪混じりの初老の女性で、初めて見る方だ。「苦しい⋯⋯息が上手くできない⋯⋯」
まるで深い海に落とされたようだ。 痛みに襲われているのに、逃げ方が分からない。「まず深呼吸をして、呼吸を整えてください」
淡々とした対応をされて気持ちが落ち着くのが分かった。「オギャー」
どれくらいの時が経ったのか、赤子の産声と共に幾分苦しさが和らいだ。「男の子? 女の子?」
彼女は私の質問に全く答えず、横に置いたぬるま湯の入った桶で取り憑かれたように赤子を洗う。 その手は不自然な程に小刻みに震えていた。「お逃げください⋯⋯一刻も早く! カリナ様は用済みで殺されます⋯⋯」
振り向いて真っ青な顔で告げてくる産婆の灰色の瞳には涙が滲んでいた。 私は彼女が自分も死を覚悟しながら、私を逃がそうとしていると確信した。 (このような必死な顔で冗談を言う人間はいないわ⋯⋯)何とか立ち上がると、内ももに多量の血が伝うのを感じた。
本棚の3段目、左から5番目の赤い分厚い本をとる。 ギィィと低い音と共に本棚が動いて、隠し通路の扉が出現した。エミリアーナ様が1度この扉を開けているのを見た。
(どうしよう、この先まで行ったところで出口に刺客がいるんじゃ)「早くしてください! とにかく遠くまで逃げて!」
部屋には私が先ほど産んだばかりの赤子の泣き声が響き渡っていた。 (一緒に逃げたい⋯⋯抱きしめたい⋯⋯少しだけでも顔を見たい) 赤子の顔は産婆の影になって見えなかった。思いとどまっていると背中を強く押された。
振り向くと隠し扉は閉まっていて、赤子の泣き声は聞こえなく静寂だけが広がっていた。 (あの子はきっと必要な子⋯⋯大切にされる⋯⋯いらないのは私!)足がガクガクして、心臓が割れるように早く強い鼓動を打っている。
ロバートの愛? そのようなもの本当は最初からないと気がついていた。 ただ、「愛している」と言われた事も愛の結晶のような子を孕ったことも初めてだった。 自分の良いようにしか、不自然な状況を解釈しようとしなかった。涙で行先が歪む。
足がまっすぐ走れない程、グラグラする。 真っ暗闇の中、少し差し込んだ光を頼りに私はひたすらに走った。クリスティーナ王妃はカリナを蔑むと同時にエミリアーナ王女の血筋も貶している。 (側室の子だから? なんて嫌味ったらしいの!) 私はカリナを騙したエミリアーナ王女を憎んでいるが、少し同情した。 私が口を開こくより先に、カリナは天使のような微笑みを浮かべながら口を開いた。「私は亡くなった母譲りのこの髪色を気に入ってます。エミリアーナ様は私よりも光沢のあるパールグレーの髪色で、私はいつも月の女神様の髪を梳かしている気持ちでした」 カリナは自分を騙した悪女を女神と言ったのだろうか。 クリスティーナ王妃はカリナの事情を知っていそうだ。 明らかに彼女の返しに驚き過ぎて絶句している。 確かに自分を陥れた相手を嬉しそうに褒めちぎっている彼女の感覚は私も理解できない。 「クリスティーナ王妃殿下のライラック色の髪は艶やかで美しいですね。春の女神様のようです。そのピンクルビーの髪飾りも素敵ですわ」 カリナは優しく微笑みながら彼女を褒めた。(あの髪飾りについている石はピンクサファイアじゃないの?) サマルディー王国にはサファイア鉱山が沢山あり、有名なサファイア産出国だ。「ふっ、この髪飾りは夫からのプレゼントなの」「クリスティーナ王妃殿下の誕生石ですものね。素敵な夫婦関係ですね」 どうやら、本当にピンクルビーだったらしい。 私は傷ついた天使のようなカリナを守らなければならないか弱い存在だと決めつけていた。実際の彼女はとても強い子だったみたいだ。(カリナ⋯⋯宝石鑑定士の過去もあるのかしら⋯⋯) 私はクリスティーナ王妃が離れたのを見計らってから、カリナに話し掛けた。「カリナ、私は何の女神かしら」「レベッカ様は私を救ってくれた太陽の女神様です。改めてご結婚おめでとうございます」 真っ直ぐに私を見つめる澄んだ彼女の瞳を見ていると心が洗われるようだった。 貴族同士の足の引っ張り合いが嫌いで、距離を置いて人と付き合ってきたがカリナには私の近くにいて欲しい。 主催者の私
ヘンゼル・オリタリアと私レベッカ・アイリーは10年も婚約をしていた。 そして、今日私たちは結ばれる。 オリタリア帝国中が沸き立っていた。 国婚は国を挙げたお祭りだ。 花嫁の控え室にヘンゼルが入って来る。皆が気を遣って私たちを2人きりしようと部屋を出て行った。「レベッカ、女神のように綺麗だ」「ありがとうございます。殿下」 鏡を見て自分が全く幸せそうな顔をしていないのに気がついた。 慌てて口角をあげ花嫁の顔を作る。 扉をノックする音がして振り向くと、意外な来客が立っていた。 私が殺してやりたい相手、ロバート・スペンサーだ。冷や汗を掻き動揺を隠しきれない顔をしている。「このようなプライベートな場所に、不躾に入り申し訳ございません。国に急ぎ戻らなければならなくなりました。せめて、ヘンゼル皇太子殿下にご結婚のお祝いをと思いお探ししておりました」「事情は分かっています。国の有事ですから当然の判断です。慌てずお気をつけてお帰りください」 ヘンゼルが無表情で淡々と対応する。 軽くお辞儀をして、ロバート国王は足早に去って行った。「スペンサー王国で何があったのですか?」「クーデターが起きた事になってるが、実際は何もない。でも、留守を預けられる信用できる臣下がいないのだろう」 ヘンゼルが楽しそうに笑いながら説明してくれた。「もしかして、お兄様が?」 私の質問にヘンゼルは深く頷いた。彼は皇太子だからカリナの事情も当然知ってるのだろう。恐らく多くの協力者を使って兄はフェイクニュースを流した。「公爵にも愛する人ができたのだな」 ヘンゼルが微笑ましそうに呟いた。「えっ? お兄様はカリナを愛しているのですか?」「かなりのリスクを負って結婚までするのだぞ。当たり前じゃないか」 私は兄ランスロットが女性に恋をしたり、愛を語るのが全く想像できなかった。 ♢♢♢ 長い1日はまだ続き、夜には夫となったヘンゼルを寝室で待つ。 私は赤ワインを浴びるように
皇宮に到着して会談の議場に向かう途中の廊下で、カリナに迫るロバート国王を発見した。人の執念とは恐ろしいもののようだ。(もう、見つけられた!?)「ヘンゼル皇太子の結婚式が終わったら、共にスペンサー王国に帰ろう。そなたの部屋も用意してある」 当たり前のようにカリナを自分の所有物のように語るロバート国王に吐き気がした。 カリナはただ真っ青になり小刻みに震えている。 彼女に起こった悲劇を考えれば当然だ。 私は国際会談でカリナとの結婚式を挙げることを発表した。 皇宮の執務室にいる私をレベッカが尋ねてきた。 カリナは彼女に自分の正体を明かしたのだろう。「お兄様! カリナがロバート・スペンサーに部屋で襲われかけていたのですよ。しかも、悪びれもせずに去っていきました。あの男は何なのですか?」「襲われかけていた?」 部屋の場所がバレていたとしたら、私がつけられていたという事だ。慌てていたとはいえ、迂闊だった。 倒れたばかりのカリナを1人にしてしまったのは私の致命的ミスだ。 それにしても、そこまでロバート国王がなりふり構っていないのなら、こちらも強行手段に出たほうが良いだろう。(もう、彼には国にお帰り頂くか⋯⋯)「それに、どうしてアルベルトにカリナの護衛をさせるのですか? お兄様はアルベルトの気持ちをご存知ですよね」「私はアルベルトを信用している」 アルベルトは人の気持ちの分かる人間だ。 だからこそ、彼は周囲に優しくできて人に好かれる。 今、初めての恋で自分を見失っている部分もあるが、愛する人を傷つけたりはしない。「はぁ⋯⋯確かにロバート・スペンサーのようにカリナを無理に自分のものにしようとはしないと思います。お兄様もアルベルトのようにカリナを愛しているのですか?」「そう見えるか?」 カリナを自分がどう思っているかは、あまり考えた事がなかった。 彼女はレベッカが守って欲しいとお願いしてきた子で、アルベルトが大切にしている子だ。 当然、
ランスロット・アイリーは、父が母レイリアを失ってから毎日のように彼女にもっと尽くしてあげたかったと嘆いたことを知っていた。 そのような父を見て、自分は妻を娶ったら後悔のないようにしようと誓った。 妻の望みを全て叶える夫になる。 それが父を反面教師にして学んだ彼の出した答えだった。 幼い頃から神童のように扱われてきた彼は何でもできてしまって後悔した事がなかった。 多くの事を先読みし行動でき、周囲は彼を称賛してきた。 彼の父は周囲から見て理想の公爵だったが、家の中では酷い体たらくだった。 彼が6歳の時に弟アルベルトの出産が原因で母レイリアが亡くなった。 その時、妹のレベッカはまだ2歳で母を失った事も理解できていなかった。 彼には父と母が非常に仲睦まじい夫婦だった記憶があった。 貴族には珍しい恋愛結婚をした2人だから当然かもしれない。 父は母を失うまでは家では子煩悩な上に穏やかな男だった気がする。 しかし、愛し合った片割れを失った父は変貌した。 毎晩のように酒を浴びるように飲み、母の喪失を嘆いた。 彼はそのような父を情けなく思い領地に追いやった。 大雑把で突拍子もないことをして目が離せないレベッカと、傷つけられてきて自分を卑下しながら生きる哀れなアルベルト。2人の繊細な心を守るのが自分の役目だと思った。♢♢♢ レベッカはとっても手がかかる妹だ。 ある日、彼女は銀髪の気を失った女性を連れて来た。 スペンサー王国とサマルディー王国の戦争の引き金になりかねない、国際問題を抱えた女性カリナ・ブロワ男爵令嬢だ。「お兄様、早馬で知らせた通りです。この子を助けてください」 レベッカは兄である私を何でも解決してくれる何でも屋だと勘違いしている節がある。 彼女は思いつきで行動することも多く、完璧な令嬢と評判だが実は仕事のミスも多い。 そのフォローをしている内に、彼女の中で問題を家に持ち込んでも私が何とかするという数式が出来上がってしまった。 今回もヘンゼル皇太
私は必死に目に力をいれ涙を堪えながら、ランスロット様に語り掛けた。「セシリア様を助けてくださるのですね。心から感謝申し上げます。それと、もしかしてランスロット様は魔法使い様ですか?」 ランスロット様は不思議な方だ。 無口で無愛想で何を考えているか分からない。 でも、彼が深い優しさを持っているという事だけは伝わってくる。 そして、彼が大丈夫だと言えば、本当にな大丈夫な気がしてくる。「すまない。どうして私が魔法使いということになるのかが全く分からない」 ランスロット様が笑いを堪えている。 彼の笑いのツボは分からないが、私は普段無表情な彼の目がほにゃっとなり笑ったような顔になると嬉しくなる。「ランスロット様が指で指輪の石を撫でると、石からエミリアンの声がするので⋯⋯」「君が撫でても声が拾えるはずだが?」 彼に言われて、私も必死に指輪の石を撫でてみた。 耳に石を当ててみても、全く声が聞こえない。 彼は私の人差し指を軽く握ってきた。「体温が低いな。この石はエミリアン王子の部屋に設置してある盗聴器の音を拾えるようにしている。体温に反応するようにできているのだが、君の体温では低過ぎるらしい」 私は彼が触れてくれている自分の人差し指をじっと見つめていた。 指先を触れられているだけなのに、心臓が小動物のように早くなる。 彼は体温が高いのか暖かくて気持ちが良くて、ずっと握っていて欲しいと思った。「すまない。不躾に触れてしまった。エミリアン王子の安全に関しては最優先事項として確保している。また、声が聞きたくなったら言ってくれ」 彼に慌てて手を離されて、名残惜しい気持ちになった。「あの⋯⋯エミリアンはいつも泣いているようなのですが、何を嘆いているのでしょうか?」「な、何を嘆いている? 赤子は泣くのが仕事だ。自分の要求を泣くことで伝えているのだ」 周囲に赤ちゃんがいた事がないから、的外れな事を聞いてしまったようだ。 なぜだかまた彼は口を押さえて笑いに堪えている。 指輪か
アイリー公爵邸に向かう馬車の中でアルベルト様と2人きりになる。 アルベルト様は向かいではなく、私の隣に座って来た。 気まずい空気が流れるが当然だ。 私はずっと心から私を心配してくれている彼を騙していた。「アルベルト様、申し訳ございませんでした。私は嘘をついていました⋯⋯」 「カリナ⋯⋯嘘というのは人を騙す為に吐くものだ⋯⋯君は俺たちを巻き込みたくなくて偽名を使っていたんだよね。それは嘘じゃない⋯⋯」 アルベルト様が真っ直ぐに私の目を見ながら話してくる。 「私を軽蔑しますよね」 「軽蔑? あぁ、してるよ」 当然、紡がれた彼の言葉に私は目を瞑った。 彼はいつも私を優しく気遣ってくれた。 それなのに、全てが嘘だったと聞かされた彼の苦悩は計り知れない。 その時、ふわりと暖かい温もりに包まれる。 私は気がつけば彼に抱きしめられていた。「俺はロバート・スペンサーを軽蔑しているどころか、殺したいよ。どうして君を軽蔑できるの? 地位も体格も違う彼を、こんなか弱い君がどうやって拒絶できるのだ!」 アルベルト様が震える体から怒りや悲しみを感じた。 私のことで怒ってくれる彼に喜びのような感情が生まれてくる。「でも、私は子を見捨てて逃げたのですよ」 「たらればの話をするのは好きじゃないけれど、もし君がエミリアン王子を連れて逃げてたら、彼は死んでたよ。姉上が発見した時、君は気を失っていたのだから⋯⋯君は結果的に子を守っている。結果が全てだ」 結果が全て⋯⋯冷たく聞こえるかもしれないその言葉は私の心をなぜか癒した。 アルベルト様はいつも欲しい言葉をくれる方だ。「私、アイリー公爵家の皆様のお役に立てるよう頑張ります。ダメなところがあったら言ってください。アルベルト様はいつも優しいけれど、私には気を遣わないでください。自分がまだまだだって自覚してますから」 「君は俺にとっては完璧だよ。理想の女の子だ」 抱きしめられていて、彼の表情が見えない。 「理想の女の子」だなんて初めて言われた。
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