──────エレンの視点──────「もう来てしまったのですか……。ですが、一足遅かったですね」ラムザスは、誰かをカプセルに押し込みながら、静かに、しかし確かな狂気を瞳に宿して、こちらを振り返った。なに……?「エレンさん。あなたの考えは、正しかった」「なんだと?」「研究者が、強者の記憶を持っても、それは紛い物に過ぎない……」「なら……逆は、どうでしょうねえ……?」「っ……!」「屈強な戦士の身体、経験を積んだその魂……。その上に、私という天才的頭脳の思考を加えれば……一体、どうなってしまうのでしょうか……」「ふふ……ふふふふふ……!」「あぁ……! 私の記憶の全てを……貴女に捧げましょう!!」そう言って、カプセルに付いていたレバーを、ラムザスが力強く引いた。その刹那、中央にある巨大な装置から、ラムザスへと向けて、眩いばかりの光が放たれる。「うっ……!!!うぉぉぉぉぉ!!!!!どうか!!!見ていてください!!!私の、研究の成果をぉぉぉぉ!!!!!」そして、強烈な光が、地下研究室の全てを、白一色に染め上げた。数秒後、ようやく、焼けるような痛みから解放され、視界が戻ってくる。「くそ……! 奴め……なにをした!?」私は、忌々しそうに吐き捨て、ラムザスがいた方へと目を向けた。だが、奴の姿は……どこにもない。まるで、光の中に溶けて消えてしまったかのようだ。奴が立っていた足元には、プスプスと、焦げ付いた跡だけが残っている。「……!!!まさか……! 自分の存在そのものを、記憶として……!?」ミストが、驚愕に目を見開いて、そう呟いた。そして……奴の傍にあったカプセルから、一人の女が、ゆっくりと起き上がる。衣服はボロボロで、もうずっとこの場所に囚われていたのだということが、その見た目からして、想像に難くない。黒く、長い髪の、その女が、虚ろな目でこちらを見た、その時だった。「アイナァ!!!!!」シオンの、魂からの絶叫が、白い空間に木霊した。「なに!?」「えっ……!!?」「マジ……かよ……!」仲間たちが、次々と驚きの声を上げる。……そういう事か。あの者が、シオンがずっと探し続けていたという……パーティの相棒。……シオンは、熟練の傭兵だ。その彼が、命を預け合った相棒もまた、かなりの強者であったことだろう。その、屈強な戦
──────エレンの視点──────記憶の塔を捜索していたのだが……おかしい。あれほどの激闘を繰り広げたというのに、ラムザスの気配を、まるで感じない。(どこに隠れている……?)私たちは、同じ階を手分けして探していた。そして私は、この階で最も重要な場所であろう、ラムザスの私室と思われる部屋の前に、たどり着いた。扉を開ける。部屋は、驚くほど整然としていた。だが、そこには人の生活の温かみというものが、一切感じられない。まるで、標本が並べられた、冷たい研究室のようだ。そして、机の下に、一冊の古びた手記が落ちていた。(焦って落として行ったのか?)私は、その日記を手に取り、ページをめくる。> ……ようやく、この計画を実現可能なラインにまで持ってくることができた。> あの国から追い出され、惨めな思いもしたが……これはかえって、幸運だったのかもしれませんね。> 記憶の抽出、及び注入装置が、ついに安定して起動した。> これにより、人は、どんな可能性をもその手にすることができる。> 叶えたい夢を、叶えることができる。> 私は、その手助けをすることができたのだ。> ……まあ、もちろん、それ相応の代償は払ってもらいますがね。> この装置を完成させるには、人体実験は必要不可欠なのですから。> 私は、一人の人間に、限界まで他者の記憶を流し込む実験を行った。> さらに、全ての記憶を抜いた上で、様々な人物の記憶を継ぎ接ぎのように入れてみた。> ツギハギの記憶は、人格に、どんな影響を与えるのか……。> 結果は、上々。> あまりに膨大な記憶を流し込まれた人間は、思考の海に溺れ、廃人と化す。> ツギハギの記憶を与えられた人間は、自我が崩壊し、まともな会話さえ成り立たない。> そこで私は、精鋭チームを立ち上げた。> そのチームは、被験者の廃人化を防ぐ、という重要な責務を担っている。> それは、**“拷問”**である。> 意識をこの現実に縛り付けるには、痛みこそが、最も有効な錨となる。> 彼らも、偉大な研究の礎となれるのであれば、本望でしょう。> 「…………イカれてるな」私は、奴の歪んだ思考の一端に触れ、思わずそう呟いていた。記憶の実験。これほどまでに、残酷なものだったとはな……。私は、さらにページを進める。> 私の研究に、興味
──────エレンの視点──────「それで……エレンさん、あなたがどうしてこのメモリスに?」シイナが、冷静な、しかし探るような目で、私にそう尋ねてくる。ふむ……どう答えたものか。そして、数秒の思考の末に、私は最も合理的な答えを口にした。「私も、エレナの護衛だ。君たちとは違って、影ながら……ではあるがな」「なるほど……」だが、シイナの瞳は、まだ完全には納得していない。「エレナは、次期聖女だ。そんな彼女の身に、万が一にも危険が迫らないように、私がいる」(そう言ったものの、私の判断ミスで、彼女をあの苦痛の中に置き、深い眠りにつかせてしまったのだが……)いかん。己の未熟さに、腹が立ってきてしまった。「なるほど、そうでしたか。確かに……エレナの安全を考えると、それが一番確実でしょうね」シイナが納得したように頷いた、その時だった。「なぁなぁ」グレンが、私とシイナへ、気の抜けた声を掛けてくる。「聖女って、そんなに重要なのか?」その言葉に、シオンはおろか、私を除く全員が、呆気に取られた顔で固まった。「…いいですか、グレン。聖女様というのは本来、ベルノ王国では国王と並ぶ…いえ、それ以上の権力を持つのですよ」「へぇ〜?」「あなたは、もう少し、ご自身の国の歴史について勉強してきなさい」シオンが、心底呆れたように、辛辣な言葉をグレンへ向けて言い放つ。「えーっとですね、グレンさん!」見かねたように、ミストが割って入った。「ベルノ王国において、聖女とは、幾度も国の危機を救ってくださった、偉大な存在なのです!」「お、おお?」「つまり! ベルノ王国において、聖女とは、国の“象徴”なんですよ! 騎士にとっての“剣”……みたいなものです!」その言葉に、なるほど!!と、グレンがようやく理解を示す。ミストも、随分と分かりやすい例えを引っ張り出したものだ。「めっちゃ重要じゃねぇか!???」「……ああ。だから、本来なら俺たちのようなパーティに加わる……というのは、例外中の例外な
──────エレンの視点──────「はぁっ!!」恐ろしく速い踏み込み。Sランク冒険者の記憶とやらが、ラムザスの身体能力を限界以上に引き上げている。だが、足りない。浅い。ラムザスは私の背後へと回り込み、必殺の間合いから剣を振り下ろす。私は、無駄な動きを一切せずに、ただ、一歩、横にずれた。それだけで、奴の攻撃は、空しく私の隣を通り過ぎていった。「なっ…!」振り下ろされた剣が、床に叩きつけられる、その一瞬。私は、その剣の腹を、踏みつけた。「ちぃ!!」獣のような唸り声を上げ、ラムザスは筋力に任せて、剣ごと私を振り上げようと試みる。床が砕け、重い剣が持ち上がる。だが、その程度で私の均衡を崩せるとでも?私は持ち上げられる力に逆らわず、むしろ利用する。踏みつけた脚を軸に、コマのように鋭く回転。宙に舞い上がった身体は、重力を感じさせないまま、しなやかに宙返りを描いた。そして、ラムザスが目を見開く先、数メートル離れた場所に、音もなく着地する。一滴の埃すら立てずに。「その、人を馬鹿にしたような目!! 気に入りませんね!!!」また、獣のように真っ直ぐ突っ込んでくる。私は身体を逸らし、肩を揺らし、首を傾けるだけで、ラムザスが振り下ろす剣の嵐を、その全てを回避してみせた。「な、なぜ当たらないのです!?」困惑したように、ラムザスが呟く。余程、不思議でならないのだろう。身体能力で劣るこの身に、なぜ自分が追い詰められているのか。私からすれば、そんなものは問題にさえならない。だが、戦士の記憶を持っただけで、本物の戦士と同等と思い込んでいるその傲慢さは、戦士という存在そのものへの、耐え難い侮辱だ。記憶はない。だが、私の魂と本能が、誰よりも戦士としての経験を覚えている。故に、こんな紛い物に負けることは、万が一にもありえない。「お前には、戦士の矜恃が、誇りが、本物の死線をくぐり抜けてきた経験が、存在しない」「くぅ!!! 馬鹿にして!!!」顔を真っ赤に染め上げたラムザスは、完全に冷静さを失っていた。Sランク冒険者の記憶を持つ、ただの男じゃない。その強大な知識と能力を持て余した、ただの愚か者だ。「おおおおぉ!!!!!」ラムザスの絶叫と共に、再び剣の嵐が私に襲いかかる。だが、その太刀筋は、相手の二手三手先を読んでいない。ただ、借り物の力を、がむ
──────エレンの視点──────「お、お姐さん……とんでもなく強いんだね……」背後から、ソウコの呆然とした声が聞こえる。「いやはや……本当にお強くて」ラムザスは、吹き飛んだ衝撃でついたであろう服の汚れを、優雅に払いながら立ち上がった。「骨が折れますよ」その言葉を合図に、私とラムザスは、一瞬で互いの間合いをゼロにした。「そらそらそらそらぁ!!!!!」「ふっ!はっ!せいっ!!!」激しい火花が、薄暗い通路を閃光のように照らし出す。互いの剣がぶつかり合う度に、金属の悲鳴が甲高く木霊する。振り下ろされる炎の斬撃を、二本の短剣で受け流し、弾き、いなす。何度も、何度も、私たちは剣を打ち合った。私は、この打ち合いに、純粋な興奮を覚え始めていた。(この男……まだ何かを隠しているな。攻撃のひと振りひと振りに、妙な余裕を感じる)だが、甘い。お前の剣筋、呼吸、重心の移動……その全てを、私の魂が記憶していく。ラムザスが、今までで一番の大振りで剣を振り下ろした、その瞬間。私は、二本の短剣をX字に交差させ、その一撃を正面から受け止めた。ギィンッ、と耳障りな音が響き、足元の石畳に亀裂が走る。「ぬぅ!?」「詰めが、甘い!!」私は、受け止めた力を利用し、奴の剣を勢い良く上へと弾き飛ばした。がら空きになった、その胴体。私は、その腹部と膝に、寸分の狂いもなく、短剣の柄を叩き込んだ。「がはっ……!!!」くの字に折れ曲がったラムザスの身体。私は、そのまま押し出すように、その腹に強烈な膝蹴りを叩き込む。きりもみ回転しながら吹き飛んだラムザスの身体は、私たちが目指していた出口の壁を、轟音と共にぶち抜いていった。「えぇ……。あの人が、まるで相手になってない……」誰かが、信じられないといった様子で呟く。「ソウコ。お前に頼みがある」「えっ? なに??」「お前は、動きが速い。その脚なら、容易くは捕まらないだろう。エレナの仲間を呼んでくるんだ」「あっ…! あの人たちだね……! わかった……!」「よし、行け!!」その言葉を受け、ソウコは身体に雷を纏って駆け出した。だが、その刹那。壁の瓦礫の中から、ラムザスが猛烈な速度で飛び出し、ソウコの前に立ちはだかる。妙だ。急に動きが変わった。さっきまでの、どこか芝居がかった大振りな動きじゃない。
──────エレンの視点──────「な、なんだ!!!この化け物はぁ!!!?」「こんな……!!こんな戦い方があるか……!!」通路の先で、研究員たちが恐怖に歪んだ顔で叫んでいる。化け物、か。そう見えるだろうな。「はぁっ!!!!」俺は、目の前でたじろぐ男の頭を掴むと、その顔面へと、容赦なく強烈な膝蹴りを叩き込んだ。ゴシャッ!!!鼻骨が砕け、前歯が弾け飛ぶ感触が、膝を通して伝わってくる。「がはぁ……っ……!」男の身体を、そのまま前方の集団へと蹴り飛ばす。それは、まるで肉の砲弾。「ぐわぁ!!!」蹴り飛ばされた男は、後方の研究員たちを巻き込み、もんどりうって弾け飛んだ。その一瞬の隙を突き、背後から俺の首を狙う、殺気の気配。振り下ろされる剣の軌道を、紙一重で見切り、その剣を持つ腕を内側から掴む。そして、そのまま、肘の関節を、くの字の反対側へとへし折った。ゴキャッ!!!!「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!お、俺の腕がァァ!!!」ありえない方向に曲がった腕から、剣が滑り落ちる。俺は、その落下位置を予測すると、こちらへ向かってくるもう一人の男目掛けて、つま先で蹴り上げた。「がっ……!!!」宙を舞った剣が、男の太ももに深々と突き刺さり、その場に縫い付ける。俺が歩いた道は……血と悲鳴で彩られた、地獄と化していた。もう、50人は軽く無力化しただろうか。あれほど耳障りだった無機質なアナウンスも、いつの間にか聞こえなくなっていた。***そして、俺ははたどり着いた。施設の最奥、ひときわ大きな鉄の扉の前へと。中から、微かな呻き声が聞こえる。躊躇なく、扉を蹴り破る。そこは、先程の牢屋よりもさらに広く、薄暗い空間だった。壁一面に並んだ檻の中には、虚ろな目をした、数多くの人間が捉えられている。その中に、見覚えのある小さな姿を、私は見つけた。「おい」一番近くの檻にいたソウコに、声をかける。「うわぁぁぁ!!!!!!!!」