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#51:弾む川辺の一幕

Author: 渡瀬藍兵
last update publish date: 2025-08-06 12:36:30

 夜の街を出て数時間。

 一行は、のどかな川辺の道を進んでいた。陽はすでに高く、緩やかに流れる水面が光を細かく砕いている。夜の街の冷えた空気とは違う。草の匂いと土の温度が、旅路に穏やかな色を差していた。

「シイナさん」

 エレナが隣を歩くシイナに声をかける。

「どうしました?」

「私たちが向かっている場所は、記憶都市メモリスという場所でしたよね?」

「そうですよ。エレナ様は、あまり首都の外へ出たことがなかったのでしたね」

「オレも近くまでは行ったことあるんだけどよ、メモリスってどんな所なんだ?」

 グレンの問いに、シイナが口を開くより先に、シオンがわずかに視線を伏せた。

 風に揺れる黒髪の隙間から覗く横顔に、薄い影が落ちる。表情が崩れたわけではない。ただ、メモリスという名が出た瞬間、その端正な面差しにひと筋、静かな陰りが差した。すぐにいつもの無表情へ戻ったものの、その沈黙だけで十分だった。

「メモリスはですねー! もはや国と呼んでもいいくらいの都市ですよ!」

 空気を跳ね飛ばすように、ミストが勢いよく割って入る。

「国……ですか? でも、夜の街も大きい街でしたけど……」

「夜の街は確かに大きい街でしたね。ですが、メモリスは比較にならないというか……」

 シイナが言葉を継ぎ、ミストが待ってましたとばかりに身を乗り出した。

「そうですねぇ……! 夜の街は『街』の範疇ですが、メモリスはまさに『都市』なんですよ。独自の組織があって、独自の考え方があって。独自の秩序があります」

「故に、メモリスはベルノ王国の端に位置しながら、そのあり方はまるで一つの国のようなのです」

 エレナは二人の説明を聞きながら、小さく瞬きをした。首都の外をほとんど知らない彼女にとって、街が国のようだという言葉は、それだけで遠い異国の話のように響いた。

「メモリスは我々科学者にとって非常に縁のある街でしてね。私たちもよく訪れる都市なんです。着いたら案内しますよ!」

「げ……」

 グレンが露骨に顔をしかめる。

 その声に、シオンが半眼になった。

「……なんですか、その反応は」

「シイナやミストが訪れる場所なんて、どうせ難しい単語ばっか並んでる場所じゃねぇか……」

 シイナとミストが顔を見合わせ、そろって苦笑する。

「まぁ、確かにあなたには何より縁のない場所ですね」

 さらりと言い切るシオンに、グレンの眉が跳ね上がった。

「それ、馬鹿にしてねぇか?」

「馬鹿とは言っていませんよ。脳筋だとは思っていますが」

「テメェ……」

 グレンが噛みつくように身を乗り出しかけた、その間へ、エレナが慌てて割って入る。

「け、喧嘩はダメですよ!」

 両手を広げるようにして立つその姿に、険悪になりかけた空気がわずかに緩む。

「大丈夫だぜ。何も本気で言ってるわけじゃねぇってことくらいは、わかってる――だろ? シオン」

 グレンが、肩越しに振り返る。視線の先には、変わらず涼しい顔のシオン。

「そう……ですね」

 返ってきた相槌には、明らかな間があった。

 肯定の言葉と、肯定の温度が、噛み合っていない。一拍ぶん遅れ、一段ぶん低い。

「おい……」

 グレンが、呆れ半分のため息を吐く。肩がだらりと落ちた。

「まぁまぁ! そんな無駄なことにエネルギーを使っても、いいことなんて何一つありませんよ!」

 ミストが、二人の間にぽんと割り込む。両手を軽く打ち鳴らして、勢いだけで場を攫っていった。

「もし、エネルギーが溢れてしょうがないというお話でしたら――是非、この私にお申し付けください! 少々、実験したいことが……えへへへ……」

 語尾の笑い声が、ねっとりと尾を引いた。

「それは遠慮させていただきます」

 シオンが、即答する。

「そうだな。ミストの実験に付き合うなんて、絶対ろくな事にならねぇ」

 グレンが、続けて頷いた。

 ついさっき睨み合っていた二人が、こと「ミスト案件」となると、寸分の狂いもなく足並みを揃える。

「それ、酷くないですかぁ!?」

 ミストの抗議は、誰にも拾われずに川辺の空気に吸い込まれた。

 ――と。

「っと、止まってくれ」

 シイナが、不意に片手を上げた。

 一行の足が同時に止まる。エレナも、シイナの視線を追って前方へ目を向けると──橋が、折れていた。

 川幅は、それなりにある。中ほどから先で板が崩れ、橋脚の一本がぐにゃりと斜めに沈み込み、向こう岸との間に、一足では届かない空白が口を開けていた。崩落は最近のことらしく、断面の木目がまだ生々しい。

「橋が……」

 エレナの声が、思わず零れる。

「飛び越えるか?」

 グレンが、距離を目算するように顎を引いた。

「我々はともかく、エレナ様には少々……」

 シオンが、控えめに首を振る。

「そ、そうですね。この距離は、私には……」

 エレナも、おずおずと頷いた。両足を揃えて立ったまま、爪先で対岸までの距離をなんとなく測ってみる。届かない、と直感が告げていた。

「なんで飛び越える話になってるんだ? 俺が鉄で橋を掛ければいいだろう」

 シイナが、呆れたように肩をすくめた。片膝を軽く曲げて屈み込もうとする。

「私がエレナ様を抱えて飛ぶことも、可能ですが」

「いいって……。皆で渡ろう」

 シイナが軽く手を振って、提案を流す。

 そうして、片手を地面につけた。指先が、土に触れる。鉄属性の魔力が手のひらの下で起き上がりかけ――

「ちょっと待ってください!」

 その手の上から、小さな影がかぶさるように声を投げてきた。

「なんだ?」

「この距離は、さすがにシイナ君も疲れてしまうでしょう! でしたら――この私が、試したい薬があるのです!」

 ミストが胸を張った瞬間。

 一同は、見事なまでの統率をもって、一斉に半歩、ミストから距離を取った。

「ちょ、ちょっとちょっとぉ! さすがに皆さん、失礼すぎやしませんかね!? ミスト、ちょっと泣きそうです!」

「だってよ……。薬って……」

 グレンが頬を引きつらせる。

「あぁ、薬と言っても、人に飲ませるような代物ではありませんよ!」

 ミストはぱっと懐に手を突っ込み、小ぶりのフラスコを引き抜いた。中で淡い青の液体がたぷりと揺れる。

「それは?」

 シイナの片眉が上がった。研究者の目に、わずかな興味の色が差す。

「出立の前に実験して、完成させたものです!」

 ミストは栓をきゅぽんと抜くと、迷いのない手つきで川面に向けて、その液体を一筋、垂らした。

 雫が水面に落ちる。

「少々、お待ちくださいね」

 そう言って、ミストはぺたりとその場に膝をつき、川面に向けて手を伸ばす。指先が水を撫でる。掌で円を描くように、ゆっくりと、しかし迷いなく。

 研究者の顔が、ほんの一瞬だけ、表に出た。

「ふむ、これならもう大丈夫そうですね!!」

 そう言うが早いか――

 ミストは、勢いよく川に飛び込んだ。

「えっ、えぇ!?」

 エレナの素っ頓狂な声が、川辺の空に跳ねた。

「……なるほど。今の薬は、水そのものの密度を高め、流動性を落としてゼリー状に変える薬剤か。さすが、水を扱うことに関しては優秀だな」

 シイナは川辺に膝をつき、水面へ指を伸ばした。

 つつく。

 水は波紋を広げず、ぷるりと震えた。さらに指先で摘まむように持ち上げると、透明な膜が餅のように伸び、すぐに元の形へ戻っていく。シイナの目つきが、橋を見るものから実験材料を見るものへ変わった。

「えへへ。その通りです! さぁ、皆さん! 渡りますよぉ!!」

 ミストが胸を張る。

 続いて、グレンが勢いよく川へ飛び乗った。

「うはー!! なんだこれ! 体が跳ねる!! おもしれぇ!!」

 水面だったものが、足裏を受け止めて弾む。グレンは一歩踏むたびにわざと大きく跳ね、川の真ん中で子供のように声を上げた。

 その横を、シオンがため息まじりに通り過ぎる。

「暴れないでください。こちらにも振動が来て、非常に歩きづらくなります」

「お、おう。悪い」

 注意されたグレンは、それでも足元の感触が気になるのか、少しだけ余計に弾みながら歩いていた。

(こんな手段もあるんだ……。そっか、すっかり麻痺しちゃってたけど、ベルノ王国の研究所って──総本山なんだよね)

 王立マギア研究所。

 属性と接続者を研究する、ベルノ王国随一の知の中枢。そこに所属する者たちが、ただ珍しい知識を持っているだけのはずがない。シイナも、ミストも、旅路の中では癖の強さばかりが目立つ。だがその癖の奥には、王国最高峰と呼ぶに足るだけの技術と発想が確かにあった。

 エレナは、恐る恐る片足を水面へ下ろす。

 靴底が、ぶにょ、と沈んだ。

 水の上に立っているのに、沈みきらない。冷たさだけが薄く伝わり、けれど靴も裾も濡れてはいなかった。

「わぁ……! すごい……!」

『水濡れもしないのか?』

『うん! そもそも、水がかかるって感じじゃないの! 深く沈むけど、冷たいだけかな?』

 弾んだ声が、内側で転がる。

 それに応じるエレンの気配も、どこか柔らかかった。

「エレナ様ー。行きますよー!」

 対岸から、シイナの声が届く。

 見れば、四人はすでに渡りきっていた。エレナは慌てて顔を上げ、少し沈む足元に気をつけながら、仲間たちの元へ急いだ。

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