Masuk空気が焼けたかのような熱気が、アデーレの全身にまとわりついていた。
呆然と自分が伸ばした手の先を見つめるアデーレ。
手からは白い蒸気が昇り、その先には倒れ込む怪鳥の姿があった。
子供は最初と変わらず、自身の身を抱きながらその場でうずくまっていた。
「……え?」
アデーレの目に入ったのは、震える少年の頭上に浮かぶ【それ】だった。
それは赤熱する、
怪鳥の頭があったであろう位置にそれは静止しているが、巨大な怪鳥をあのトマトほどの大きさの物体で弾き飛ばしたとでもいうのか。
だが事実、怪鳥は後方へ飛ばされ、ひとまず少年の無事は確保されている。
金属塊は今も蒸気を放ち、赤い光を放ち浮遊している。
それがどこから出現したのか。アデーレの頭には、一つの可能性が浮かんでいた。
先ほどの感覚。そして自分の体にまとわりつく熱。
あの金属は、自分が放ったものではないのか、と。
「ギエエェェ……ッ」
道の向こうでは、怪鳥がうめき声を上げながら、立ち上がろうと脚をばたつかせている。
そこで我に返ったアデーレは、急いで少年の元に駆け寄り、彼を脇から抱え立たせる。
「逃げるよ!」
呆然とする少年の手を握り、来た道を引き返す。
しかし、再び巨大な影が頭上を通り過ぎ、二人の行く先に着地する。
アデーレ達の前に、翼を広げた怪鳥が立ちふさがる。
感情のない目が、獲物である二人を見下ろしていた。
「あぁ……」
恐怖のせいか、少年の声は震えている。
少年を庇おうと前に踏み出したアデーレだったが、彼と繋いだ手は目の前の怪物に
ただの一般人の、ちっぽけな勇気だ。
いざ命の危機に直面したら、何もできずにただ恐怖するだけという事か。
先ほどと同じく、怪鳥が自らの頭を高く持ち上げ……。
――アデーレの真横を、強烈な熱が突き抜ける。
目にも止まらぬとはこのことか。文字通り一瞬のことだった。
怪鳥の右側頭部に赤熱する金属塊が衝突したのだ。
その様は、まるで怪鳥の頭を拳で殴りつけたようである。
金属塊の一撃は相当のものだったらしく、怪鳥は悲鳴を上げる間もなく再びその場で倒れ込む。
「何なの、一体?」
ただただアデーレは困惑していた。
目の前で起きているこの状況は何なのか、率直な言葉しか口にすることが出来ない。
この世界に来て、転生以外の魔法やら何やらといった未知の現象に対面したことはなかった。
それなのに、化け物が現れたかと思ったら、まるで自律兵器のように動く金属塊が自分たちを守ってくれている。
しかし、そんな異常な現象によって命の危機を脱することができるかも知れない。
ならば今は、現状を利用して逃げるが吉だ。
アデーレは体の震えを必死でこらえ、少年の手を強く握る。
……その刹那、自身の眼前に赤い光が迫る。
「――ッ!?」
声にならない声を上げ、自分の顔を守るように左手をかざすアデーレ。
同時に、その手に何かが握られる感触が走った。
「あっつ!く……ない?」
ほのかに熱を帯びるそれを見る。
手の中にあるのは先ほどまで飛び回っていた金属であり、今もなお赤く輝いている。
よく見るとそれは、竜の紋章が彫り込まれた
精巧に掘られた竜の手に、鍵穴と
その時、下で小さな金属の落ちる澄んだ音が響く。
アデーレが足元を見てみると、そこには炎の模様が浮かぶ鍵が落ちていた。
「これの、鍵?」
少年の手を放し、地面に落ちた鍵を拾うアデーレ。
右手に鍵、左手に錠。
全ての状況が、アデーレにこの錠前を開けろと言っているように感じられた。
「どうしろって……っ!」
アデーレの目の前で、再び怪鳥が動き出そうとする。
悩んでいる時間は残されていない。
早く次の行動を起こさなければ、少年もろとも突き殺される。
そんな絶体絶命の危機を、この鍵は打開してくれるのか。
今目の前で起きたありとあらゆる状況を思い出す。
(……どの道、逃げきれないんだったら)
右手に鍵、左手に錠を構える。
ここまで自分たちを助けようとしてきた謎の錠前だ。
文字通り、ワラにも
その瞬間、アデーレは文字通り後悔した。
「うっ!?」
鍵を差し込んだと同時に、錠前から噴き出した赤い炎がアデーレの手を覆う。
背後から様子を見ていた少年は、あまりにもショッキングな光景を目の当たりにし、腰を抜かしている。
しかし、燃え上がるその炎が、アデーレを焼き尽くすことはなかった。
まるで次の動作を待つかのように手の内で燃え続けているのだ。
炎はまるで脈動するかのように一定の感覚で吹き上がり、アデーレの肉体に呼応しているかのようにも見える。
「ま、回せってこと……?」
差し込まれた鍵を再びつまみ、回る方を探るように動かす。
どうやらこの錠前は時計回りで動くらしい。
アデーレは左手に力を込め、できるだけ自分の体から離して鍵を回す。
飛び散る火花。
その瞬間、先ほどまで手の中で燃えていた炎が、一気に全身を巡る。
「うわっ!?」
アデーレの視界が、一瞬にして赤熱する光に包まれる。
周囲の音は炎にかき消され、文字通り無音の空間になってしまったかのように感じた。
「ようやく覚悟が決まったようだね」 どこからともなく、少女のような声が響く。「アデーレ……いや、異世界からの来訪者」
周囲の光が、赤いオーラへと変質していく。
「【君たち】の魂、少し分けてもらうよ」
いつの間にか、アデーレの手から離れていた錠前。
それが彼女の目の前に浮遊し、そして……。
力が、解放される。 周囲を取り巻くオーラが消失し、アデーレの視界がクリアになる。目の前にいた怪鳥はアデーレから距離を取り、翼を広げて威嚇の態勢に入っていた。
(……なんだか、違和感が)
怪鳥は明らかに、アデーレに対し警戒心を剥き出しにしている。
更に、自分自身の体にも先程と違う感覚があった。
自分の手に視線を向けると、見覚えのない白い手袋を嵌めていた。
先ほどまでこんなものを身に着けていなかったはずだ。
「え……えぇッ?」
慌てて自身の身体を確認する。
案の定、変化は手袋だけではない。
服装は赤いコートを基調とした、まったく違うものに変わっていた。
つばの大きな帽子を被っているし、熱気で舞い上がる自身の髪はルビーのような赤色だ。
もう一度、ここに至るまでの状況を思い出す。
謎の光。誰かの声。そして何より力があふれ出すような感覚。
それらを鑑みて、今の自分は文字通り【変身】したとしか考えられなかった。
フィクションの中のヒーローに憧れた自分が、まごうことなき変身を果たしたのだ。
(でもこれじゃあ、アニメの方だよ)
生前、親戚の女児が見ていた少女が変身して戦うアニメを思い出す。
「誰か説明して欲しいんだけど……」
状況に対し、完全に置いてきぼりのアデーレがぼやく。
一切の説明なくこのような状況に陥るのは、物語の主人公にとってお約束ともいえる。
それが現在進行形で自分の身に降りかかっている。
命の危機や、未知の現象が一度に押し寄せ、現状を飲み込み切れていない。
「でも」
だが、転生者であるアデーレだからこそ、理解できることが一つある。
「こういうのは、戦えってことだよね」
不思議な感覚だった。
アデーレという生まれ変わった自身に、かつて良太が抱いた夢を重ねるような。
異世界の少女に、主人公としての命を吹き込むような。
今この瞬間、アデーレの脳裏でクランクインを示す乾いた音が響いていた。
置いてきた夢を叶えるチャンスが訪れたのかと、そんな予感を抱きながら。
混乱していた頭が、不自然なほどに落ち着いていく。
「よし」
――ほんの少しだけ、前に踏み出したつもりだった。
アデーレの身体がとてつもない速さで跳躍し、怪鳥の鼻先へと間合いを詰める。
目の前で見る怪鳥の目には、恐怖心が見え隠れしているように感じた。
そのまま右腕を振りかぶり、怪鳥の顎を殴りつけた。
「ギヤァッ!?」
短い悲鳴と共に、怪鳥の身体が宙に投げ出される。
その場に着地したアデーレは、すぐさまその巨体を追いかけるように跳躍。
跳躍の勢いを乗せた拳を、今度は怪鳥の腹部に叩き込んだ。
今度は悲鳴を上げることもなく、怪鳥は弧を描いて地面へと激突する。
舞い散る石畳の破片。そして土煙。
「嘘でしょ……」
落下しながら、倒れる怪鳥を見てつぶやく。
直前まで、アデーレは間違いなく普通の少女だった。
凡人程度の力しかなく、道具なしには獣への対応すらままならない。
それが今、自分より巨大な怪物を殴り飛ばすほどの力を与えられているのだ。
一体自分は、何を解放してしまったのか。
今になって、自分の行動に恐怖を覚えてしまっていた。
「ゲェ……」
怪鳥のうめき声は、致命傷に近いダメージを受けているようにも見える。
ここから自分はどうすればいいのか。
着地したアデーレは、困惑の表情を露にする。
この力があれば、あの怪物の命を奪うことは容易だろう。
しかし、今日まで生きるため以外の殺生とは無縁の一般人だ。
戦いの末に命を奪うという行為に、強い抵抗感を抱いてしまう。
だが、自分の後ろには力を持たない少年がいる。
ここで手心を加えてしまえば、彼の命が危うい。
「これが、力を持つ責任とでも?」
とある漫画の有名なセリフを思い出すアデーレ。
そんなことを考えていると、息も絶え絶えな怪鳥が立ち上がり、すぐさまアデーレに襲い掛かる。
「お姉ちゃん!」
背後から聞こえる、子供の声。
しかしアデーレは、至って冷静だった。
怪鳥の飛び掛かりを跳躍で回避し、目の前にあった巨大な翼を掴む。
そのまま怪鳥を振り回し、空中へと放り投げる。
いっそのこと全力で殴り飛ばして、海まで吹っ飛ばしてしまおうか。
そんなことを考えながら身構えるアデーレの目の前に、巨大な何かが落ちてくる。
衝突により地面が軽く揺れ、強烈な熱気がアデーレの肌を伝う。
「これ、剣?」
地面に突き立てられたそれは、巨大な剣だった。
まるで炎を湾曲の刃にしたかのような見た目の片刃。
「これって、あの錠前なの?」
突き立てられた剣を手に取り、引き抜くアデーレ。
不思議と重さは感じられない。
それが、アデーレの為に用意された得物だということは容易に想像できた。
両手で構えた大剣から、アデーレの体を包んだものと同じ炎が噴き出す。
「……やるしかない、か!」
これが必殺の剣だと、はっきり理解が出来た。
再び怪鳥を追うようにアデーレが跳躍。
大剣から放たれる光跡が、落下する怪鳥の上に迫る。
その巨体は、既に剣の間合いだ。
それを察知したかのように、峰の側からまるでジェットのように炎が噴き出す。
噴出する炎の推進力よってアデーレの身体は方向を変え、大剣を怪鳥めがけて振り下ろす姿勢に入る。
「はああぁぁっ!」
自分の行動を一部始終見逃さぬよう、目を見開いたアデーレ。
その後のことは、一瞬だった。
加速された大剣の一閃はあまりにも早く、アデーレの手に斬る感触が伝わったときには、剣を振り下ろした姿勢のまま着地していた。
大剣によって切り裂かれた怪鳥は、そのまま赤い光に包まれ……。
巨大な爆発音が、ロントゥーサ島の空に響く。
爆発によって怪鳥は完全に消滅し、残されたのは炎の残粒と白い煙だけだった。
それはまさに、特撮番組で怪人が爆散する光景のそれである。
「……ふぅ」
状況に流されるがまま、アデーレは自らに宿った力を振るい、命の危機を脱した。
だが、戦いによって命を奪うという初めての経験は、決して気持ちの良いものではなかった。
空を見上げるアデーレ。
爆炎は消え、そこにはまるで何事もなかったかのように、変わらぬ青空が広がっていた。
結晶魔獣との決戦から数日後。 名目上の休暇を終え仕事に戻ったアデーレは、貯蔵室で待つメリナと落ち合っていた。 だが、勝者であるはずの二人の顔に笑顔はなく、揃って眉をひそめ向かい合う。「やっぱりアデーレの懸念通りだったよ」「そうでしたか……」 大きな戦いを終えた後とは思えないほどに、アデーレは憂鬱なため息を漏らす。「海の底も調べたみたいだけど、あの入り江に停泊してたダニエレ教授の船は見つからなかったって」 メリナの話に対し、アデーレは驚くわけでもなく静かに相槌を打つ。 人気の少ない入り江に停泊していた、ダニエレがこの島に来るために用いた大型帆船。 大学の所有物であるこの船が、件の戦いの後から行方不明になっているのだ。 エヴァが船を悪事に利用していたことは、既にメリナから説明を受けている。 それ故に、あの戦いの直後に見た沖の船に強い懸念を抱いていた。「アデーレは、船を盗んだのはダニエレ教授の助手だって考えてるんだよね」「はい……。その場合、出港の準備を配下の眷属に進ませていたってことになるけど、眷属だけで船を動かしてるってことなのかな?」「それは少し難しいかもね。ムトゥラの眷属は指示に対し忠実な分、自発的に動くことはまずあり得ないから」 傍らに浮かぶアンロックンの言葉を受け、表情を曇らせるアデーレ。 彼女が最も懸念していたことは、銀のムトゥラと化したエヴァ・アソニティスが生存していることだ。 アデーレはあの丘の頂上での戦いで、エヴァに対し致命傷といえる傷を負わせることができた。 それでも倒したという確信が持てず、その不安は小さなトゲのようにアデーレの心で残り続けていた。「つまり、銀のムトゥラは自らが戦いに赴くことで囮になって、その間眷属には船を出港させるための準備を進めていた……かもしれないわけか」 俯き気味のメリナが腕を組み、重苦しいため息をつく。 アデーレは言葉を返すことなく、静かにうなずきながら彼女の様子をうかがう。「万が一、船の奪取こそがムトゥラの目的だとしたら、今回の戦い自体僕らの目を船から遠ざけるためのものだったかもね」 すっかり反省した様子のプルトも会話に加わり、それぞれが魔女の力を得たエヴァの動向に思考を巡らせる。 島に危害を加えることが主目的でなかったという事実は、アデーレにとって衝撃的なものだ。 そ
夜の闇が辺りを包み、三日月のわずかな光が荒野を照らす。 丘の麓にはかつて結晶魔獣だったものの破片が散らばり、破壊の寸前まで追い詰められていた最後の防壁が静かに佇む。 その上に立つアデーレが、静寂に包まれた戦場を見下ろす。 動く者は何もなく、二人の戦士が全ての魔獣を撃破したことを物語っている。 彼女が軽くため息を漏らしたところで、地上で戦っていたメリナが防壁に飛び乗ってくる。「お疲れ様」「あ、はい。終わりましたね」 二人で並び、自分たちの成果を改めて確認する。 前方には戦いによって荒れた土地。 後方には無傷の港町。 暗い町から人気は消えているが、港の方に目をやると何隻もの船が明かりを灯し、沖に出ているのが確認できる。 島民全員が脱出できたというわけではないだろうが、しばらくすれば魔獣が倒されたことに気づいた人々が戻ることだろう。 彼女たちは、島の人々を守るという大切な使命をやり遂げた。 群体で攻め入った魔獣を全て倒すという困難な戦いを乗り越え、この島の平穏を取り戻したのだ。 そんな達成感を噛みしめつつ、アデーレが赤い髪をなびかせつつ、わずかに紅潮したメリナの顔を見る。 わずかに目を潤ませ遠くの海を眺めている彼女もまた、自らの戦いの成果を実感していることだろう。 アデーレがもう一度町へと視線を戻そうとしたその時。「ありがとう」 消え入りそうな声で、メリナがつぶやく。「私なんかを信じてくれて、本当に……」 静かな町を見つめたまま、彼女は再び涙をこぼす。 涙はすぐに氷の粒へと変わり、吹き付ける風に流され荒野の方へと消えていく。「お礼を言うのは私の方ですよ」「そんなこと……」 それ以上言葉は続かず、はにかみながらも静かに見つめ合う二人。 しかしこういったやり取りに慣れていないせいか、ほぼ同時に笑い出してしまう。 もう二人の間に険悪な気配は微塵もない。 互いを友と認め、味方と信じあえる仲間がそこにいた。「まあ、【私】はまだ許していませんけどね」 その時、フラムアルクスに変形したアンロックンが低めの声でつぶやく。 普段とは違う、私という一人称。 その上で一切の陽気さを感じさせない威圧的なその声色。 突然のことにアデーレが目を丸くし、顔を上げたメリナは肩を震わせる。 これは相棒であるアンロックンではなく、聖火の女
巨大結晶魔獣の体から、白い光があふれ出す。 体内からは破砕音が轟き、直後に白い閃光が胴体の反対側から突き出す。 体を射抜かれた魔獣は悶絶するように二本の触手を震わせると、結晶同士がこすれ、ぶつかり合う断末魔のような騒音が轟く。 直後に落下するメリナ目掛け触手を振り下ろすも、彼女の背中を支えるアイギスが旋回し巨大な触手を容易く回避する。 触手はそのまま小型の魔獣が集まる地面に叩きつけられ、多くの魔獣を巻き添えにしつつ巨大魔獣が地面に倒れる。 立ち上る土煙の中から、砕けた結晶の破片が周囲へと飛び散る。 やがて倒れた巨大魔獣の体から白い炎が噴き出し、内側から巨大な爆発を引き起こす。 岩や結晶、氷片……無数の破片が空中へと散乱し、それらは地上に落ちる前に霧散していく。 巨大魔獣の撃破を空中で見届けると、メリナは自らの右手に再びグラギデンドを生み出す。 その後眼下に残る魔獣の群れに視線を移すと、彼女の視線に呼応するようにアイギスが地上の向け急降下。 目の前に迫る結晶魔獣が前方へと突き出された穂先で貫かれ、直後にアイギスの翼による突進を受け真っ二つに砕ける。 その後再び上空へと舞い上がったアイギスが、足に掴んでいたメリナを魔獣の群れへと投げ込む。 慣性により前方に向け落下していくメリナは、そのまま地面を滑るようにして着地。 その間もグラギデンドを縦横無尽に振り回し、周囲に集まる魔獣をなぎ倒していく。「ここからッ!」 穂先を地面に突き立て、ブレーキをかけて強引に停止するメリナ。 その直後、氷壁の方から彼女の周囲目掛け、白い炎の矢が降り注ぐ。 矢は次から次へと魔獣を貫いていき、地面に突き刺さると同時に周囲の空気を凍り付かせながら爆散する。 メリナが氷壁の方を見上げると、フラムアルクスを構えたアデーレが壁の下に向け大量の矢を放っていた。「なんとも壮観だね」 文字通り、矢継ぎ早に放たれる炎の矢を前に、プルトがやや困惑した様子でつぶやく。 負傷により前線へ出られないと弱り果てていたアデーレだが、断続的に矢を放つその光景はそれに反する勇ましいものだ。「それがアデーレ……ヴェスティリアなんだよ」「ロントゥーサ島の守護者、か」 メリナの脳裏に、かつてアデーレに救われたときの記憶が蘇る。 自分を使用人として育て上げ、人並みの生活を与えてくれた
ひとしきり涙を流した後、目元をぬぐい立ち上がるメリナ。「ごめん……ありがとう、アデーレ」 普段とは違う、どこか刃のような鋭さもうかがわせるベルシビュラの姿。 だがアデーレに向けたその笑顔は、アデーレがよく知るメリナ・バラッツィのそれと変わらない優しいものだった。 そんな彼女に向けうなずき、満足げにほほ笑むアデーレ。 そしてもう一度、今度はメリナと共に迫り来る魔獣たちの方を睨む。 和解を果たした今、この目の前に迫る危機を共に乗り越えなければならないのだ。 落ちた槍をメリナが手に取り、続いてアデーレが突き立てていたフラムアルクスを引き抜く。 だが、その反動で彼女の体が揺れ、メリナの肩に寄りかかる形になる。 アデーレの表情はわずかにこわばり、それを目の当たりにしたメリナが眉をひそめる。「すみません。実はちょっと本調子じゃなくて」「本調子じゃないって……そっか、そうだよね。たくさん傷ついたんだから」 格好つけた手前、自らが弱っていることを誤魔化すようにアデーレが苦笑を浮かべる。 だが、それを必要以上なまでに深刻にとらえてしまったのだろうか。 寄りかかるアデーレの肩を抱き、その場に座らせるようメリナが促してくる。 しかし、アデーレはもう一度フラムアルクスを杖にしつつ、座ることを拒否。 弱っていることを隠しきることはできていないが、それでも全ての苦痛を強引に押し込める。 そんな彼女の強がりに、それでもメリナは手を差し伸べる。「無理しないで。ここは私に任せてくれていいから」「いえ、目の前のアレを倒すまで、休むわけにはいかないんで」 笑ってみせながらも、魔獣の群れへと視線を外さないアデーレ。 ここまでの激闘の末、ある程度の侵攻は抑えられていたが、もはや一部の個体は最後の防壁に到達している。 このまま巨大魔獣までもがこの場に辿り着けば、結晶魔獣たちが港町になだれ込むのを防ぐのは難しいだろう。 文字通りの正念場。アデーレの言う通り、戦士に休む暇はない。 それはメリナも分かっていることで、姿勢を立て直すアデーレの無理する姿を、彼女はただ黙って見守るのだった。 二人の眼下では、既に結晶魔獣が防壁に攻撃を仕掛けている。 それを確認したアデーレは、右腕の炎を燃え上がらせながらフラムアルクスを構える。「まずはあの巨大魔獣を倒しましょう。こ
高速ですれ違うアデーレとエヴァ。 互いに背を向け、攻撃を振り切った体勢で立ち止まる。 全力を込めた一撃は、アデーレの体に大きな疲労をもたらす。 彼女の体が大きくよろめき、フラムアルクスを突き立て膝を付く。 肩には大きく切り裂かれた傷跡があり、血が吹き上がるように流れていく。 手応えを確信しているのか。 口元を吊り上げ、あざ笑うかのような顔を浮かべながらエヴァが振り返る。 そして、トドメと言わんばかりにもう一度背中の触手をもたげたその瞬間……。「ガはッ!?」 結晶で構成されたエヴァの左半身が、大きく粉砕される。 砕けた体が氷片のように宙を舞い、月明りを反射しながら美しく輝く。 その瞬間を驚愕の表情で眺めるエヴァは、一体何を思うのだろうか。 アデーレの放った一閃が、ついにその体を打ち砕いた。 痛みに耐えるように歯を食いしばり、アデーレが半身を失ったエヴァの方を見る。「と、届かなかっ……偉大な、魔女の……みとめ、ないッ」 敗北を受け入れていないであろうエヴァが、ろれつの回らない声で叫びながら顔を歪ませる。 残された右半身で必死にバランスを取り、残された触手を振り乱しながら跪くアデーレに迫ろうともがく。 しかしその足掻きもむなしく、彼女は一歩たりとも前進することなく崩れ落ちる。 歯を剥き出しにし、怒りを露わにしながらも右手をアデーレの方へと伸ばすエヴァ。 バランスを崩した体は、そのまま陥没穴の方へと転げ落ちていく。「認める、ものか――ッ!!」 半身のない体で、エヴァが裂けんばかりの絶叫を上げながら落ちていく。 もはや陶酔していた結晶の魔女の力も、アデーレの体に届くことはない。 その声も周囲の轟音にかき消され、彼女の気配は荒野の中に消えていった。「……倒せた、かな?」 フラムアルクスを支えに立ち上がり、アデーレが穴の方を覗く。 転げ落ちたエヴァの姿は確認できず、残された結晶魔獣が群れを成してアデーレを倒さんと上っている。 魔獣の群れに飲み込まれたエヴァを探すのは難しいだろう。 姿が確認できないことに一抹の不安を覚えつつも、最大の障害を退けたことには変わりない。 そして、アデーレには人々を守るという優先すべき大事な仕事が残されている。 しかし、渾身の一撃を放った彼女には、これ以上戦う力はほとんど残されていない。
白色の炎を纏い、新たな力を会得したアデーレ。 冷たい月明りによる手痛い攻撃を受けたためか、いよいよエヴァの顔から余裕というものが消え失せる。 彼女は無言のまま、その結晶で作られた鋭利な腕をアデーレへと向ける。 それに呼応するように、脚を止めていた周囲の魔獣たちが一斉に動き出す。 これまでと変わらない、数による一斉襲撃でアデーレを圧倒しようという魂胆だろう。 背中の触手を伸ばしたエヴァも、両腕を広げながら迫り来る。 魔獣たちがアデーレの間合いに入った瞬間、彼女はその場で回転しながら後方に移動する。 その間、柄の両端に刃が付くフラムアルクスが、手首の捻りによって波打つように中空を舞う。 揺らめく姿はそよ風。しかし敵を切り裂くその瞬間、刃は光の筋となって魔獣の体を一閃する。 しかし、エヴァは身を逸らすことで流れるような斬撃を回避。 回避する彼女をアデーレは深追いせず、一気に距離を離してから燃え盛る炎の矢をフラムアルクスにつがえる。「諦めの悪いことで」 吐き捨てるようなエヴァの言葉に続き、双方の間合いに結晶魔獣が割って入る。 直後、アデーレの手から炎の矢が放たれ、それは一直線に結晶魔獣の胴体を貫く。 抜けてきた矢をエヴァは紙一重で回避するも、今度は射抜かれた魔獣の爆発が彼女を後方へ押し返す。 刃の斬撃と矢の一撃を合わせたアデーレの動きは、舞いを奉納する巫女のそれを思わせる。 白いコートを大きくなびかせ、時折ずれる帽子の位置を直す姿は壮美にも映る。 そのトリッキーな戦闘スタイルは、魔獣たちを確実に翻弄していく。 普段の火竜の力とは正反対となる動きは、もはや別の戦士といっても過言ではない。「いいね……体が軽いっ」 その場で軽く跳躍し、眼下に目掛け弓を構えるアデーレ。 大きく燃え盛る右腕から多数の矢が一斉に生成され、魔獣目掛け放たれる。 炎の矢は白い光跡を残しながら地面へと降り注ぎ、群れとなった魔獣を無作為に貫いていく。 上空からの射掛けは止むことを知らず、白い流星雨が魔獣の群れを打倒していく。 対するエヴァも、降り注ぐ矢を瞬間移動の如き素早さで回避すると、背中の触手で地面を叩き飛び上がる。 結晶の刃となった腕がアデーレを捉え、彼女の心臓を貫かんと突き出される。 しかしフラムアルクスと研ぎ澄まされた腕がぶつかり合い、エヴァの
港での騒動から二日後。 アデーレとの因縁を思い出したエスティラは、実に活き活きとしていた。「お、お嬢様。そろそろ朝食に向かわれては……」「ダメよ。そんなこと言ったって逃がさないんだから」 天蓋付きのベッドや、白を基調とした二人掛けソファ。 それに合わせたテーブ
最初に感じたのは、吹き抜ける潮風だった。 鼻をくすぐる海の匂い。全身を包む柔らかな感触。 とても穏やかに、体が揺れる。 (……あれ?) それは、あまりにもおかしな感覚だった。 違和感が脳内を駆け巡り、急ぎ周囲を確認するため目を開けてみる。
第一章【紅蓮のメイドは夢を抱く】 ある日の日本。曇天の町並み。 家族葬向けの小さな斎場の入り口に、葬儀が執り行われる人物の名前が書かれた電子看板が置かれていた。 【故 佐伯 良太 儀 葬儀式場】 享年二十一歳。 佐伯
人々の悲鳴が町に響き渡る。 人を押しのけ、物を押しのけ逃げ惑う人々。 荷車に繋がれた馬は軛から解き放たれ、明後日の方向に走り去る。 文字通りの阿鼻叫喚。誰もが自らの命を守るため、必死なのだ。