เข้าสู่ระบบ空気が焼けたかのような熱気が、アデーレの全身にまとわりついていた。
呆然と自分が伸ばした手の先を見つめるアデーレ。
手からは白い蒸気が昇り、その先には倒れ込む怪鳥の姿があった。
子供は最初と変わらず、自身の身を抱きながらその場でうずくまっていた。
「……え?」
アデーレの目に入ったのは、震える少年の頭上に浮かぶ【それ】だった。
それは赤熱する、
怪鳥の頭があったであろう位置にそれは静止しているが、巨大な怪鳥をあのトマトほどの大きさの物体で弾き飛ばしたとでもいうのか。
だが事実、怪鳥は後方へ飛ばされ、ひとまず少年の無事は確保されている。
金属塊は今も蒸気を放ち、赤い光を放ち浮遊している。
それがどこから出現したのか。アデーレの頭には、一つの可能性が浮かんでいた。
先ほどの感覚。そして自分の体にまとわりつく熱。
あの金属は、自分が放ったものではないのか、と。
「ギエエェェ……ッ」
道の向こうでは、怪鳥がうめき声を上げながら、立ち上がろうと脚をばたつかせている。
そこで我に返ったアデーレは、急いで少年の元に駆け寄り、彼を脇から抱え立たせる。
「逃げるよ!」
呆然とする少年の手を握り、来た道を引き返す。
しかし、再び巨大な影が頭上を通り過ぎ、二人の行く先に着地する。
アデーレ達の前に、翼を広げた怪鳥が立ちふさがる。
感情のない目が、獲物である二人を見下ろしていた。
「あぁ……」
恐怖のせいか、少年の声は震えている。
少年を庇おうと前に踏み出したアデーレだったが、彼と繋いだ手は目の前の怪物に
ただの一般人の、ちっぽけな勇気だ。
いざ命の危機に直面したら、何もできずにただ恐怖するだけという事か。
先ほどと同じく、怪鳥が自らの頭を高く持ち上げ……。
――アデーレの真横を、強烈な熱が突き抜ける。
目にも止まらぬとはこのことか。文字通り一瞬のことだった。
怪鳥の右側頭部に赤熱する金属塊が衝突したのだ。
その様は、まるで怪鳥の頭を拳で殴りつけたようである。
金属塊の一撃は相当のものだったらしく、怪鳥は悲鳴を上げる間もなく再びその場で倒れ込む。
「何なの、一体?」
ただただアデーレは困惑していた。
目の前で起きているこの状況は何なのか、率直な言葉しか口にすることが出来ない。
この世界に来て、転生以外の魔法やら何やらといった未知の現象に対面したことはなかった。
それなのに、化け物が現れたかと思ったら、まるで自律兵器のように動く金属塊が自分たちを守ってくれている。
しかし、そんな異常な現象によって命の危機を脱することができるかも知れない。
ならば今は、現状を利用して逃げるが吉だ。
アデーレは体の震えを必死でこらえ、少年の手を強く握る。
……その刹那、自身の眼前に赤い光が迫る。
「――ッ!?」
声にならない声を上げ、自分の顔を守るように左手をかざすアデーレ。
同時に、その手に何かが握られる感触が走った。
「あっつ!く……ない?」
ほのかに熱を帯びるそれを見る。
手の中にあるのは先ほどまで飛び回っていた金属であり、今もなお赤く輝いている。
よく見るとそれは、竜の紋章が彫り込まれた
精巧に掘られた竜の手に、鍵穴と
その時、下で小さな金属の落ちる澄んだ音が響く。
アデーレが足元を見てみると、そこには炎の模様が浮かぶ鍵が落ちていた。
「これの、鍵?」
少年の手を放し、地面に落ちた鍵を拾うアデーレ。
右手に鍵、左手に錠。
全ての状況が、アデーレにこの錠前を開けろと言っているように感じられた。
「どうしろって……っ!」
アデーレの目の前で、再び怪鳥が動き出そうとする。
悩んでいる時間は残されていない。
早く次の行動を起こさなければ、少年もろとも突き殺される。
そんな絶体絶命の危機を、この鍵は打開してくれるのか。
今目の前で起きたありとあらゆる状況を思い出す。
(……どの道、逃げきれないんだったら)
右手に鍵、左手に錠を構える。
ここまで自分たちを助けようとしてきた謎の錠前だ。
文字通り、ワラにも
その瞬間、アデーレは文字通り後悔した。
「うっ!?」
鍵を差し込んだと同時に、錠前から噴き出した赤い炎がアデーレの手を覆う。
背後から様子を見ていた少年は、あまりにもショッキングな光景を目の当たりにし、腰を抜かしている。
しかし、燃え上がるその炎が、アデーレを焼き尽くすことはなかった。
まるで次の動作を待つかのように手の内で燃え続けているのだ。
炎はまるで脈動するかのように一定の感覚で吹き上がり、アデーレの肉体に呼応しているかのようにも見える。
「ま、回せってこと……?」
差し込まれた鍵を再びつまみ、回る方を探るように動かす。
どうやらこの錠前は時計回りで動くらしい。
アデーレは左手に力を込め、できるだけ自分の体から離して鍵を回す。
飛び散る火花。
その瞬間、先ほどまで手の中で燃えていた炎が、一気に全身を巡る。
「うわっ!?」
アデーレの視界が、一瞬にして赤熱する光に包まれる。
周囲の音は炎にかき消され、文字通り無音の空間になってしまったかのように感じた。
「ようやく覚悟が決まったようだね」 どこからともなく、少女のような声が響く。「アデーレ……いや、異世界からの来訪者」
周囲の光が、赤いオーラへと変質していく。
「【君たち】の魂、少し分けてもらうよ」
いつの間にか、アデーレの手から離れていた錠前。
それが彼女の目の前に浮遊し、そして……。
力が、解放される。 周囲を取り巻くオーラが消失し、アデーレの視界がクリアになる。目の前にいた怪鳥はアデーレから距離を取り、翼を広げて威嚇の態勢に入っていた。
(……なんだか、違和感が)
怪鳥は明らかに、アデーレに対し警戒心を剥き出しにしている。
更に、自分自身の体にも先程と違う感覚があった。
自分の手に視線を向けると、見覚えのない白い手袋を嵌めていた。
先ほどまでこんなものを身に着けていなかったはずだ。
「え……えぇッ?」
慌てて自身の身体を確認する。
案の定、変化は手袋だけではない。
服装は赤いコートを基調とした、まったく違うものに変わっていた。
つばの大きな帽子を被っているし、熱気で舞い上がる自身の髪はルビーのような赤色だ。
もう一度、ここに至るまでの状況を思い出す。
謎の光。誰かの声。そして何より力があふれ出すような感覚。
それらを鑑みて、今の自分は文字通り【変身】したとしか考えられなかった。
フィクションの中のヒーローに憧れた自分が、まごうことなき変身を果たしたのだ。
(でもこれじゃあ、アニメの方だよ)
生前、親戚の女児が見ていた少女が変身して戦うアニメを思い出す。
「誰か説明して欲しいんだけど……」
状況に対し、完全に置いてきぼりのアデーレがぼやく。
一切の説明なくこのような状況に陥るのは、物語の主人公にとってお約束ともいえる。
それが現在進行形で自分の身に降りかかっている。
命の危機や、未知の現象が一度に押し寄せ、現状を飲み込み切れていない。
「でも」
だが、転生者であるアデーレだからこそ、理解できることが一つある。
「こういうのは、戦えってことだよね」
不思議な感覚だった。
アデーレという生まれ変わった自身に、かつて良太が抱いた夢を重ねるような。
異世界の少女に、主人公としての命を吹き込むような。
今この瞬間、アデーレの脳裏でクランクインを示す乾いた音が響いていた。
置いてきた夢を叶えるチャンスが訪れたのかと、そんな予感を抱きながら。
混乱していた頭が、不自然なほどに落ち着いていく。
「よし」
――ほんの少しだけ、前に踏み出したつもりだった。
アデーレの身体がとてつもない速さで跳躍し、怪鳥の鼻先へと間合いを詰める。
目の前で見る怪鳥の目には、恐怖心が見え隠れしているように感じた。
そのまま右腕を振りかぶり、怪鳥の顎を殴りつけた。
「ギヤァッ!?」
短い悲鳴と共に、怪鳥の身体が宙に投げ出される。
その場に着地したアデーレは、すぐさまその巨体を追いかけるように跳躍。
跳躍の勢いを乗せた拳を、今度は怪鳥の腹部に叩き込んだ。
今度は悲鳴を上げることもなく、怪鳥は弧を描いて地面へと激突する。
舞い散る石畳の破片。そして土煙。
「嘘でしょ……」
落下しながら、倒れる怪鳥を見てつぶやく。
直前まで、アデーレは間違いなく普通の少女だった。
凡人程度の力しかなく、道具なしには獣への対応すらままならない。
それが今、自分より巨大な怪物を殴り飛ばすほどの力を与えられているのだ。
一体自分は、何を解放してしまったのか。
今になって、自分の行動に恐怖を覚えてしまっていた。
「ゲェ……」
怪鳥のうめき声は、致命傷に近いダメージを受けているようにも見える。
ここから自分はどうすればいいのか。
着地したアデーレは、困惑の表情を露にする。
この力があれば、あの怪物の命を奪うことは容易だろう。
しかし、今日まで生きるため以外の殺生とは無縁の一般人だ。
戦いの末に命を奪うという行為に、強い抵抗感を抱いてしまう。
だが、自分の後ろには力を持たない少年がいる。
ここで手心を加えてしまえば、彼の命が危うい。
「これが、力を持つ責任とでも?」
とある漫画の有名なセリフを思い出すアデーレ。
そんなことを考えていると、息も絶え絶えな怪鳥が立ち上がり、すぐさまアデーレに襲い掛かる。
「お姉ちゃん!」
背後から聞こえる、子供の声。
しかしアデーレは、至って冷静だった。
怪鳥の飛び掛かりを跳躍で回避し、目の前にあった巨大な翼を掴む。
そのまま怪鳥を振り回し、空中へと放り投げる。
いっそのこと全力で殴り飛ばして、海まで吹っ飛ばしてしまおうか。
そんなことを考えながら身構えるアデーレの目の前に、巨大な何かが落ちてくる。
衝突により地面が軽く揺れ、強烈な熱気がアデーレの肌を伝う。
「これ、剣?」
地面に突き立てられたそれは、巨大な剣だった。
まるで炎を湾曲の刃にしたかのような見た目の片刃。
「これって、あの錠前なの?」
突き立てられた剣を手に取り、引き抜くアデーレ。
不思議と重さは感じられない。
それが、アデーレの為に用意された得物だということは容易に想像できた。
両手で構えた大剣から、アデーレの体を包んだものと同じ炎が噴き出す。
「……やるしかない、か!」
これが必殺の剣だと、はっきり理解が出来た。
再び怪鳥を追うようにアデーレが跳躍。
大剣から放たれる光跡が、落下する怪鳥の上に迫る。
その巨体は、既に剣の間合いだ。
それを察知したかのように、峰の側からまるでジェットのように炎が噴き出す。
噴出する炎の推進力よってアデーレの身体は方向を変え、大剣を怪鳥めがけて振り下ろす姿勢に入る。
「はああぁぁっ!」
自分の行動を一部始終見逃さぬよう、目を見開いたアデーレ。
その後のことは、一瞬だった。
加速された大剣の一閃はあまりにも早く、アデーレの手に斬る感触が伝わったときには、剣を振り下ろした姿勢のまま着地していた。
大剣によって切り裂かれた怪鳥は、そのまま赤い光に包まれ……。
巨大な爆発音が、ロントゥーサ島の空に響く。
爆発によって怪鳥は完全に消滅し、残されたのは炎の残粒と白い煙だけだった。
それはまさに、特撮番組で怪人が爆散する光景のそれである。
「……ふぅ」
状況に流されるがまま、アデーレは自らに宿った力を振るい、命の危機を脱した。
だが、戦いによって命を奪うという初めての経験は、決して気持ちの良いものではなかった。
空を見上げるアデーレ。
爆炎は消え、そこにはまるで何事もなかったかのように、変わらぬ青空が広がっていた。
延々と地下へと続く長い階段を、人間の集団が降りていく。 ランタンの灯りは彼らの周辺しか照らすことができず、進む先には光の届かない暗闇が広がる。 先を見通すことができない彼らには、この階段が地の底まで続いているのではないかと不安を抱くことだろう。 ただ一人、異なる世界の前世を記憶するアデーレは違った。 踏み入れた地下遺跡の階段を一歩ずつ踏みしめる度、前世で見た洋画のワンシーンを思い出す。 どこかに感圧式のトラップスイッチがあり、踏み込んだ瞬間壁や天井から槍が飛び出すような。 そんなシチュエーションを思い浮かべつつ、彼女は足元を警戒しながら階段を下りていく。 とはいえアデーレは集団の中ほどを歩いているため、真っ先にトラップを踏むことになるのは最前列を進む作業員だ。 トラップは考えすぎかもしれないが、万が一の事故は起こり得る。 今この瞬間は、全員の無事を祈るばかりだ。「だいぶ進みましたね。十分ほど下っているでしょうか」「分からん。だが私はひしひしと感じているぞ。この先に偉大なる先人の造り上げた地下都市が存在すると」 何だその感覚は、と呆れつつ、エヴァとダニエレの会話に耳を傾けるアデーレ。 ほとんどの者が恐怖の表情を浮かべているというのに、随分と余裕があるようだ。 そんなことを考えていた次の瞬間、前を歩く作業員が突然その場で立ち止まる。 慌てて足を止めたアデーレだったが、間に合わず前の人の背中と接触してし
相談を受けたロベルトの手引きにより、アデーレはエスティラから数日の休みを与えられた。 外出制限がかかっていたこともあり、休養の許可は比較的簡単に取れたという。 これを好機と見たアデーレは実家に帰宅し、両親と軽く顔を合わせた後に目的地の発掘現場へと単身赴いたのだった。 アデーレの来訪を知ったダニエレは、特に何の警戒を見せることなく自身専用のテントへと彼女を招いた。「ほぉほぉ、個人的に興味があって現場を見てみたいと」「はい。故郷に関わる知識を学ぶことで、お嬢様の助力になると思いまして」 彫刻を施された柱で建てられたテントは、さながら絢爛たる高級ホテルの一室を思わせるものだった。 チェストや執務用の机と椅子、ソファやベッドは重量感のある木材が用いられ、地面には目が回るほどに細やかな模様の絨毯が敷かれている。 ちなみに内部は土足厳禁であり、ダニエレもテント内では靴を脱ぎ、執務用の机で報告書を読みながらアデーレを出迎えた。 本来ならば、ダニエレほどの貴族がアデーレのような一般人を自らのプライベート空間に招くようなことはしない。 それが常識なのだが、結局のところ予想通りダニエレは性欲の方を優先したと見ていいだろう。 その証拠に、先程からダニエレは書類に目を通す仕草をしているだけで、実際の目線はアデーレの体に向いているのが一目瞭然だ。 あのような接触を受けてもなお自らに接触してきたアデーレを、ダニエレはどう思うだろうか。 少なくとも、都合のいい女などと思われているとみて間違いないか。「まずは座りたまえよ。私が発掘状況について詳しく教えてあげるからね」 そう言ってダニエレが指差したのは、ソファではなくベッド。 卸したてのシーツが掛けられた天蓋付きのダブルベッドは、明らかに【そういう目的】を考えて置かれたものだろう。 覚悟をもってこの場に赴いたとはいえ、アデーレがダニエレに体を許そうなどという考えは微塵もない。 だがここで下手な抵抗を見せれば、作業現場に送られた島民や本島などから来た作業員を守ることができない。 さすがに戸惑い隠すことができず、愛嬌のつもりでアデーレは首をかしげる。 そんな彼女の様子が逆に扇情的に思えたのか、下劣な笑みを浮かべたダニエレが席を立つ。「緊張しているのかな? なぁに、私は紳士だからね、安心しなさい」 どの口で
悪意ある来訪を乗り越え、一応の解散を迎えた会合。 だがダニエレの言葉に対する懸念をぬぐい切ることはできず、アデーレは不安を抱えながら日々を過ごす。 そして、大きな動きもないまま五日の月日が経った頃……。 エスティラの使いで町に出ていたアデーレ。 用件を終え大通りを歩いていると、目の前に馴染み深い後ろ姿があることに気づく。 ちょうどその人物も背後を振り返り、互いに顔を合わせたところでアデーレに対し笑顔を見せる。 それは彼女の父、ヴェネリオだった。 実に二週間ぶりに顔を合わせたこともあってか、彼は嬉々とした様子でアデーレの方へ駆け寄る。「やあ、アデーレ。お嬢様の使いかい?」「うん。お父さんは買い物?」 「そうだよ」と言いながら、小脇に抱えた紙袋をアデーレに見せるヴェネリオ。 中には日用雑貨が入っており、母にお使いを頼まれたのだろうとアデーレは察する。「しかし元気そうでよかったよ。お嬢様も事件に巻き込まれたりと色々大変なんだろう?」「まあ、うん。あまり大きな声で言わないでね」「ああごめんごめん。でも正直父さん心配だよ」 ヴェネリオは子煩悩を絵に描いたような父親だ。 がっくりとうなだれるその様子からも、聞き知ったあらゆる噂話に胸を痛めてきたであろうことが伝わってくる。 たとえアデーレが一言大丈夫と告げたとしても、この不安を解消することはできないだろう。 だが、それでもヴェネリオは仕事を辞めるようアデーレに言いつけることはしなかった。 サウダーテ家の家計もあるし、彼女が今の仕事に対し真剣に向き合っていることを、言葉を交わさなくても理解しているからだろう。 とはいえ露骨に落ち込まれると、人々の往来がある中ではどうしても目立ってしまう。「お父さん、とりあえず顔上げて。ね?」 アデーレに慰められ、ようやく顔を上げるヴェネリオ。 まるでお預けを食らった子犬のような顔をした父親に対し、アデーレはただただ苦笑を返す。 それよりも、二週間ぶりになる親子の再会だ。 もっと場を和ませる明るい話題はないかと、アデーレは思案を巡らせる。 母のことや家のこと。畑の様子や友人の話題。いくらでも語り合うことができる。「そういえば、最近何か変わったこととかあった?」 アデーレに問われたヴェネリオが、首をかしげながら考え込む。 うんうんとしばらく
「ほほ、随分と微笑ましいことですなぁ」 前触れもなく向けられた言葉を聞き、立ち上がったエスティラが声の主の方を見る。 彼女の動きに合わせ、アデーレを含めた周囲の人々もそちらを振り向いた。 そこに立っていたのは、従者を従えて微笑みを浮かべるダニエレだった。 突如現れた見知らぬ老人を目の当たりにし、少女は再び母親の後ろに隠れてしまう。 対するエスティラは、気品あるお辞儀で彼を迎える。「ごきげんよう、ダニエレ教授。本日は突然どのようなご用件で?」「はは。少々急ぎの用事がありましてなぁ。門前の者に無理を言って通してもらったよ」 『突然』と付け加えたのは、エスティラなりの嫌味だろう。 なぜなら今回の会合にダニエレは招かれていない。 外部の人間かつ上流階級がこの場に現れれば、この場に集まっている者全員が委縮してしまい彼女の目的が意味を成さない。 しかしダニエレがそのようなことを気にする人物でないことくらい、アデーレでも察しがついている。 更に言えば、このような現れ方をしたのもダニエレなりの嫌がらせという可能性がある。 どちらにせよ、この場において彼はお呼びでない相手だ。 それでもこうして屋敷に入ってこれたのも、上流階級であり厚顔無恥な老人ゆえか。 こうなると、周囲の人々も彼に対しては怪訝そうに眉をひそめるばかりだ。「さてさて、どうやら島の有力者の方々が集まっているようで。これは逆に都合がいい」 周りの冷ややかな視線など気にすることなく、ダニエレは笑顔のまま辺りを見渡す。 それに反し、無表情を貫くエヴァを含む従者の面々とのギャップに、アデーレは背筋に冷たいものを感じてしまう。 考えが顔に出ると小言を言われるアデーレとしては、従者たちの態度は使用人として見習うべきところかもしれない。 しかしこんな無礼な男に仕えて、普通の人間なら反感を抱くものだ。 極めて優秀な使用人ならば、主人がこれほどまで礼儀を欠いた行為を見せようとも、嫌悪を抱かないものなのか。 これがプロフェッショナルというのならば、アデーレには一生辿り着けない境地だろう。「ふむ。我々に対し何か提案があるということですか?」「その通り。さすが若い者は話が早いねぇ」 ダニエレが先程エスティラと話していた若い跡取りに近寄り、彼の肩を軽く叩く。 そのまま跡取りの横を通り過ぎていく
手紙の一件から二日後。 久々の晴天に恵まれたこの日、屋敷前庭の一角に人だかりができていた。 その人だかりに囲まれるようにして、装飾の施された一本足が特徴の白い金属製丸テーブルがいくつか並べられている。 テーブルの上には、手に取って食べることのできる軽食が何品か用意されている。 前庭に集まった人々はこの島で有力者に位置する者やその家族。 他にも教会関係者が数名混じっており、全員が雑談に花を咲かせているところだった。「あーっ、アデーレ姉ちゃんだ!」「お姉ちゃんのお洋服、きれいだねーっ」 来客に飲み物を運ぶアデーレの周りで、小さな子供たちがせわしなく駆け回る。 島民同士が大体顔見知りであるロントゥーサ島において、アデーレは若い女性というだけで否応なく子供たちの注目を集めてしまうものだ。 しかし今は仕事の真っ最中。 基本的に雑談を許されない使用人という立場上、アデーレは子供たちに対し苦笑を向けることしかできなかった。 それでも構ってほしい子供たちは彼女の周囲を離れず、スカートに触れたり足元で飛び回ったりとやりたい放題だ。 当然このような状況では仕事も捗らない。 代わりに同僚がそつなく仕事をこなせていることを考えれば、子供たちの相手をすることがアデーレの仕事といえなくもない。 さて、このような状況下で苦言を呈することもあるエスティラだが、彼女は来客者との応対に勤しんでいる最中だった。「本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」 彼女に頭を下げる優男。彼はこの島で海運業を営む家の跡取りだ。 アデーレにとっては二つ年上の顔見知りであり、若い者同士ということでそれなりの付き合いはある。 農家の娘と運送屋の息子。身分の違いはあれども狭い島。 立場による隔たりなど、ほとんど存在しないのが実情なのだ。 そんな友人も、今では跡取りとしての所作が身についているらしい。 幼少の頃よりも礼節をわきまえるようになった友人を、エスティラは温和な笑顔で応対する。「こちらこそ、本来は招かれた立場なのにこのような形になってしまって」「いえ、現状を鑑みればそれも致し方ないことです」 そう。この会合は先日の話題にあった、教会での集まりの代わりである。 本来は教会側がエスティラを招いて懇親会を開く予定だったのだが、魔獣の一件が災いしたことで予定は取り
『人の話くらい聞く度量は持たないねとね』 ティーセットを乗せたトレイを運びつつ、先程の話を思い出すアデーレ。 今頃エスティラは教会から届いた手紙を読んでいることだろう。 彼女が島民と積極的に関わろうとすることは、地元民であるアデーレとしても歓迎だ。 しかし現在、島を取り巻く状況はひっ迫している。 活発な魔獣の襲撃や、それを召喚する魔女の行方。 そして王党派に属する者が主導する遺跡の発掘作業と、ベルシビュラの存在を差し引いても問題は山積している。 せめて魔獣の問題を解決する手立てだけでも、アデーレは見つけ出さなければならない。 それには沈黙を続けるアンロックン……ヴェスタの帰還を待たなければならないだろう。 錠前が入るポケットへ、アデーレが視線を落とす。 今はただ、これまでと変わらず金属音を鳴らしながら明るく語り掛けてくる日々が戻るのを願うばかりだ。「……あれ?」 アデーレが顔を上げたその時、使用人用の廊下へと向かう人物の後ろ姿が目に映る。 一般の使用人よりも上質な制服を纏うその人物の方へ、アデーレは小走りで向かっていく。「メリナさん、お疲れ様です」「えっ!?」 前を歩く人物……メリナへと声をかけるアデーレ。 それに対しメリナは、不必要なまでに肩をびくつかせてアデーレの方を振り返った。 仕事中は隙を見せることが少ないメリナが、狼狽するような姿を見せるのは珍しい。 目を丸くし、驚きの表情を隠すことなくアデーレの方を見つめる。「あっ、すみません。驚かせてしまって」「驚かせ……ああううん、全然平気っ。ちょっとボーっとしてたからさっ」 両手を振りながら、メリナは慌てた様子で笑顔を繕う。 その様子から、何かを誤魔化しているように感じてしまうのは必然というものだ。 とはいえ、それを指摘する必要もないだろう。 アデーレはそれ以上追及することをやめ、「そうですか」とうなずく。 納得してもらえたと考えたのか、メリナも胸に手を当て小さくため息をついた。 その後すぐに気を取り直した様子で、アデーレが持つトレイに視線を向ける。「これから片付け?」「はい、これを済ませたらまたお嬢様の部屋に戻りますけど」「そっかー。私は今から部屋に戻るところだよ」 会話を続けつつ、どちらが言うでもなく使用人用の廊下へと歩き出す二人。 メリナが言う