Masukアンロックンとひとしきり言い争いをしていたアデーレは、埠頭へ続く道を急いでいた。
長い髪を振り乱し、ロングスカートをなびかせながら。
目指す先は当然、雇い主であるエスティラの元だ。
(そういえば、キャップが戻ってない……)
変身解除と同時に服装が元に戻ると思っていたアデーレ。
しかし、キャップは瓦礫を避けた際に脱げてしまい、今頃は残骸の下敷きだろう。
変身を解いて戻るのはアデーレの直前の姿ということのようだ。
変身した際に被る帽子は、キャップが変化したものではなかったのか。
そんなどうでもいいことを考えながら、波音が強くなる方に向けて走る。
そして、目の前の角を右に曲がったところで、視界が一気に開ける。
「おおっとっ。大丈夫かい、メイドさん?」
出会い頭に、一人の兵士とぶつかりそうになる。
これをアデーレは、体をひねって器用に回避する。
転ぶような
そんな兵士と向き合うと、アデーレは謝罪のために深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。エスティラお嬢様はどちらにいらっしゃいますか?」
「いやいや、そんなかしこまらないで。お嬢様だったらほら、あそこだよ」
顔を上げるアデーレに愛想のいい笑みを見せる兵士。兵士の示す方に目を向けると、先ほど屋根で遭遇した時と変わらぬ場所で、エスティラは立ち尽くしていた。
その表情は恍惚とでもいうのだろうか。そんな感じだった。
「ありがとうございます」
改めて頭を下げ、エスティラの元へ駆け出すアデーレ。
アデーレといえばひいき目に見ても男性の目を引く容姿だ。
目の前を駆けてゆく使用人を、兵士たちは目で追う。
周囲の視線を集めながらも、アデーレはそれを気にすることなくエスティラの傍に駆け寄る。
「お、お嬢様、ロベルトさん、ご無事ですか?」
とは言うものの、既にエスティラ達が無事なのは確認済みである。
そんな社交辞令を交えつつ、アデーレはエスティラの様子を改めて確認する。
「おお、あなたこそ。よくぞご無事で」
アデーレの声に気付いたロベルトが、彼女の無事に胸を撫で下ろす。
「はぁ……素敵」
対するエスティラ。
アデーレの言葉をこれっぽっちも聞いていないようで、相変わらず上の空だ。
その視線は、先ほどまでアデーレがヴェスティリアとして立っていた場所に向けられている。
あの時の様子を思い出す。
まさかエスティラは、変身したアデーレの姿に魅了されてしまったのか。
そんなことを考えていると、傍にいたロベルトがエスティラに耳打ちをする。
その言葉ではっとしたエスティラが、わずかに頬を赤く染めながら勢いよくアデーレの方を向く。
「ちょっとあなた、どこ行ってたのよ! 心配かけないでよね!」
五体満足のアデーレを前にして、エスティラは子供のように怒りだす。
本心を隠しきれていないその様子からも、彼女が真剣にアデーレを心配していたことが
「申し訳ございません。あの後別の怪物に追いかけられて、お嬢様達とは別方向に逃げ出したもので」
「そ、そう。まあいいわ」
冷静さを装うアデーレを前にして、エスティラは咳ばらいをしながら落ち着きを取り戻す。
そんな彼女の視線が、今度はアデーレのつま先から頭の先端へと向けられる。
「……逃げていた割には、綺麗なモンね。というか」
エスティラが、アデーレの頭を注視する。
その眼差しは先ほどの心配した様子から、疑惑に満ちたものへと変貌している。
「キャップ脱いだ姿は初めて見たけど…………」
何かを考えこむエスティラ。
今のアデーレは、母親お墨付きの長い黒髪をそのまま下ろした状態だ。
使用人としては少々だらしない格好と思われかねないが、状況が状況だったために致し方ない。
だが、エスティラはそういうことを注意しようという様子ではない。
むしろ、今のアデーレの姿を見て、何かを思い出そうとしているようだった。
その時、アデーレの顔が青ざめる。
今、自分は大失態を犯してしまったのではないだろうか、と。
髪を下ろしている今の自分には、六年前の面影が多少なりとも残されているのではないか……。
「……思い出したわ」
アデーレの懸念は、間違いのないものだった。
見開かれるエスティラの目。
そこに浮かぶ驚愕と、沸々と湧き上がる怒りの表情。
いよいよ、アデーレは確信してしまった。
今の自分の容姿は、エスティラにとって忌まわしい過去を振り返るのに十分な情報を与えているのだ、と。
「あなた、昔気安く口を挟んできた小娘じゃないっ!!」
アデーレを指差し、高らかに叫ぶエスティラ。
雷に打たれたような衝撃が、アデーレの身体を襲う。
「お、お嬢様。急に大声を出されては……」
「ロベルトは黙って!」
今までにない鬼気迫る様子に、ロベルトも口をつぐむ。
アデーレの方と言えば、今すぐこの場から逃げ出したい気分だった。
エスティラが過去の因縁を思い出すという恐れていた事態が、とうとう現実のものになってしまったのだから。
――これは間違いなく使用人をクビになる。
確信を得たアデーレは、ただただ無表情で空を仰ぐ。
「まったく、どうして気付かなかったのかしら……というか、よくも私の前に姿を現せたものねっ!」
「いや、それは……その……」
「黙りなさいっ! アンタに弁明の余地があると思ってるの!?」
今にも噛みつかんという勢いでアデーレを睨むエスティラ。
そもそも、あの時の出来事に関してはエスティラの方に非がある。
何を弁明しろというのか聞き返したいところだったが、今のエスティラには何を言っても無駄だろう。
アデーレは口をつぐみ、ただこの嵐が過ぎるのを耐えるだけだ。
しかし嵐のようなエスティラの怒号が止み、二人の間に沈黙が流れる。
周囲の兵隊も、エスティラの怒鳴り声で閉口してしまっている。
今アデーレの耳に入るのは、凪を取り戻した波の音だけだ。
「あ、あの……」
意を決して、アデーレが口を開く。
「昔のことは、今ここで謝罪するので」
「やめなさいよ! 今更あの時の謝罪なんてさせたら、それこそ私が惨めじゃないっ!」
「え? ああ、それでは、えっと……」
エスティラの怒りに対し要領を得ることが出来ないアデーレ。
果たして自身に何をさせたいのか、エスティラの考えが読めないでいる。
謝罪させるつもりがないということは、彼女が過去の行いを恥じているということだろうか。
困惑の色を隠せず、言葉の浮かばないアデーレは冷や汗を垂らしつつ息を呑む。
やはりメリナの言う通り、エスティラは人間的に成長しているのかもしれない。
だが、現状をこのまま放置していても事態は悪化の一途を辿るばかりだ。
アデーレは短く深呼吸をすると、改めてエスティラに向け頭を下げ言葉を続ける。
「で、出来れば屋敷を追い出すのだけは、ご勘弁願えませんか?」
それは、
過去の因縁を覚えていたエスティラが、アデーレを傍に置こうなどとは考えないだろう。
しかしあの屋敷は今でも人手不足。
今後お付きの使用人になることはなくとも、雑務のための人手として置いてもらえるかもしれない。
使用人としてキャリアを積みたいわけではない。
不作の時期を過ぎれば、今までのように家業を手伝いながら暮らせばいい。
仕事のないこの期間だけでも、使用人を続けていられればそれでよかったのだ。
「はぁ?」
そんな言葉に対するエスティラの反応は、明らかに不機嫌なものだった。
アデーレが上目遣いで確認するエスティラは腕を組み、自分より身長が高いアデーレのことを見下ろすかのように睨んでいる。
「バカ言ってるんじゃないわよ」
やはりだめなのかと、アデーレは諦めを覚えてまぶたを閉じる。
「追い出す? この私が今更アンタを逃がすとでも思ってるわけ?」
一瞬の沈黙。
「……はい?」
顔を上げ、首をかしげるアデーレ。
エスティラが何を言っているのか、アデーレには理解できなかった。
屋敷を追い出されると考えていたのに、返ってきた言葉はそれとは真逆の内容だ。
恐る恐る頭を上げつつ、エスティラの方へと視線を送る。
そこにあったのは笑顔だ。
悪魔も閉口するような、邪悪な笑みだ。
しかしこれこそが、これまでアデーレがイメージしていたエスティラの姿である。
「まさかあの時の小生意気な町民が、うちのメイドに志願するなんてねぇ。フフフ……」
腕組みをしながら、値踏みをするようにエスティラがアデーレを見つめる。
(この人、猫被ってたんだ……ッ)
町の被害に対し真摯に向き合っていたのも、使用人に対し厳しくも理不尽を剥き出しにしていなかったのも、あくまでエスティラの外面だった。
その内には確かに、理不尽なお嬢様としてのエスティラ・エレ・バルダートが潜んでいたのだ。
多少でも油断していた自分を情けなく思いつつ、アデーレの口元が苦笑を浮かべる。
しかし目を合わせたエスティラが放つ威圧感に
そんなアデーレに対し、エスティラの方が二歩三歩と距離を詰めてくる。
ついには胸ぐらを捕まれ、アデーレの視界がエスティラの顔で遮られてしまう。
恐ろしい形相を浮かべていても容姿自体は端麗で、男なら魅了される者も多いだろう。
元男性であるアデーレも、そんな美しい顔が目の前に迫ってきたことで、ほんの少しだけ胸が高鳴ってしまうのだった。
「アンタ、名前は?」
「は……はい?」
「間抜けな顔してんじゃないわよ。名乗りなさいって言ってるの」
胸ぐらから手が離れたかと思うと、今度はアデーレの顎先にエスティラの右手人差し指が触れる。
ほんの僅かに、アデーレの肩が震える。
「あ、アデーレ……です」
「フルネーム」
「……アデーレ・サウダーテ、です」
名前を聞いて満足したのか、エスティラが背を向け離れていく。
ほっと胸を撫で下ろすアデーレ。
だが気を緩めたところに、エスティラがつま先を使い華麗に振り返る。
「アデーレ。今日からは私直々に、メイドの何たるかをアンタに仕込んであげるわっ」
アデーレを仰々しく指差しながら、高らかに宣言する。
「えっ?」
「二度とこの私に逆らえないよう、徹っっっっっ底的に躾けてやるんだから!」
白い歯を見せながら、エスティラがにやりと笑う。
だがその目は笑っていない。過去の因縁を内に秘めた、怒りが満ちる瞳だとアデーレは直感する。
「泣いても笑っても逃がさないわ。覚悟なさい!!」
今日一番の笑い声が、高らかに響き渡る。
周囲の人々は唖然とし、誰も口出しをすることは出来ない。
ただ一人、アデーレは目の前が真っ暗になるような感覚に襲われていた。
てっきりクビにされると思っていた彼女にとって、この展開は全く予想していなかったのだ。
むしろ、発言からしてクビになるよりも恐ろしい事になったとしか思えない。
ただでさえ過酷だった使用人の仕事が、文字通りの地獄に変わった瞬間だった。
アデーレは思う。勝ち誇るエスティラに言ってやりたいと。
ヴェスティリアの正体は、この私だと。
そしてもう一つ。逆らう気なんて元々ないことも……。
アデーレはただ、心の中で涙を流すことしかできなかった。
結晶魔獣との決戦から数日後。 名目上の休暇を終え仕事に戻ったアデーレは、貯蔵室で待つメリナと落ち合っていた。 だが、勝者であるはずの二人の顔に笑顔はなく、揃って眉をひそめ向かい合う。「やっぱりアデーレの懸念通りだったよ」「そうでしたか……」 大きな戦いを終えた後とは思えないほどに、アデーレは憂鬱なため息を漏らす。「海の底も調べたみたいだけど、あの入り江に停泊してたダニエレ教授の船は見つからなかったって」 メリナの話に対し、アデーレは驚くわけでもなく静かに相槌を打つ。 人気の少ない入り江に停泊していた、ダニエレがこの島に来るために用いた大型帆船。 大学の所有物であるこの船が、件の戦いの後から行方不明になっているのだ。 エヴァが船を悪事に利用していたことは、既にメリナから説明を受けている。 それ故に、あの戦いの直後に見た沖の船に強い懸念を抱いていた。「アデーレは、船を盗んだのはダニエレ教授の助手だって考えてるんだよね」「はい……。その場合、出港の準備を配下の眷属に進ませていたってことになるけど、眷属だけで船を動かしてるってことなのかな?」「それは少し難しいかもね。ムトゥラの眷属は指示に対し忠実な分、自発的に動くことはまずあり得ないから」 傍らに浮かぶアンロックンの言葉を受け、表情を曇らせるアデーレ。 彼女が最も懸念していたことは、銀のムトゥラと化したエヴァ・アソニティスが生存していることだ。 アデーレはあの丘の頂上での戦いで、エヴァに対し致命傷といえる傷を負わせることができた。 それでも倒したという確信が持てず、その不安は小さなトゲのようにアデーレの心で残り続けていた。「つまり、銀のムトゥラは自らが戦いに赴くことで囮になって、その間眷属には船を出港させるための準備を進めていた……かもしれないわけか」 俯き気味のメリナが腕を組み、重苦しいため息をつく。 アデーレは言葉を返すことなく、静かにうなずきながら彼女の様子をうかがう。「万が一、船の奪取こそがムトゥラの目的だとしたら、今回の戦い自体僕らの目を船から遠ざけるためのものだったかもね」 すっかり反省した様子のプルトも会話に加わり、それぞれが魔女の力を得たエヴァの動向に思考を巡らせる。 島に危害を加えることが主目的でなかったという事実は、アデーレにとって衝撃的なものだ。 そ
夜の闇が辺りを包み、三日月のわずかな光が荒野を照らす。 丘の麓にはかつて結晶魔獣だったものの破片が散らばり、破壊の寸前まで追い詰められていた最後の防壁が静かに佇む。 その上に立つアデーレが、静寂に包まれた戦場を見下ろす。 動く者は何もなく、二人の戦士が全ての魔獣を撃破したことを物語っている。 彼女が軽くため息を漏らしたところで、地上で戦っていたメリナが防壁に飛び乗ってくる。「お疲れ様」「あ、はい。終わりましたね」 二人で並び、自分たちの成果を改めて確認する。 前方には戦いによって荒れた土地。 後方には無傷の港町。 暗い町から人気は消えているが、港の方に目をやると何隻もの船が明かりを灯し、沖に出ているのが確認できる。 島民全員が脱出できたというわけではないだろうが、しばらくすれば魔獣が倒されたことに気づいた人々が戻ることだろう。 彼女たちは、島の人々を守るという大切な使命をやり遂げた。 群体で攻め入った魔獣を全て倒すという困難な戦いを乗り越え、この島の平穏を取り戻したのだ。 そんな達成感を噛みしめつつ、アデーレが赤い髪をなびかせつつ、わずかに紅潮したメリナの顔を見る。 わずかに目を潤ませ遠くの海を眺めている彼女もまた、自らの戦いの成果を実感していることだろう。 アデーレがもう一度町へと視線を戻そうとしたその時。「ありがとう」 消え入りそうな声で、メリナがつぶやく。「私なんかを信じてくれて、本当に……」 静かな町を見つめたまま、彼女は再び涙をこぼす。 涙はすぐに氷の粒へと変わり、吹き付ける風に流され荒野の方へと消えていく。「お礼を言うのは私の方ですよ」「そんなこと……」 それ以上言葉は続かず、はにかみながらも静かに見つめ合う二人。 しかしこういったやり取りに慣れていないせいか、ほぼ同時に笑い出してしまう。 もう二人の間に険悪な気配は微塵もない。 互いを友と認め、味方と信じあえる仲間がそこにいた。「まあ、【私】はまだ許していませんけどね」 その時、フラムアルクスに変形したアンロックンが低めの声でつぶやく。 普段とは違う、私という一人称。 その上で一切の陽気さを感じさせない威圧的なその声色。 突然のことにアデーレが目を丸くし、顔を上げたメリナは肩を震わせる。 これは相棒であるアンロックンではなく、聖火の女
巨大結晶魔獣の体から、白い光があふれ出す。 体内からは破砕音が轟き、直後に白い閃光が胴体の反対側から突き出す。 体を射抜かれた魔獣は悶絶するように二本の触手を震わせると、結晶同士がこすれ、ぶつかり合う断末魔のような騒音が轟く。 直後に落下するメリナ目掛け触手を振り下ろすも、彼女の背中を支えるアイギスが旋回し巨大な触手を容易く回避する。 触手はそのまま小型の魔獣が集まる地面に叩きつけられ、多くの魔獣を巻き添えにしつつ巨大魔獣が地面に倒れる。 立ち上る土煙の中から、砕けた結晶の破片が周囲へと飛び散る。 やがて倒れた巨大魔獣の体から白い炎が噴き出し、内側から巨大な爆発を引き起こす。 岩や結晶、氷片……無数の破片が空中へと散乱し、それらは地上に落ちる前に霧散していく。 巨大魔獣の撃破を空中で見届けると、メリナは自らの右手に再びグラギデンドを生み出す。 その後眼下に残る魔獣の群れに視線を移すと、彼女の視線に呼応するようにアイギスが地上の向け急降下。 目の前に迫る結晶魔獣が前方へと突き出された穂先で貫かれ、直後にアイギスの翼による突進を受け真っ二つに砕ける。 その後再び上空へと舞い上がったアイギスが、足に掴んでいたメリナを魔獣の群れへと投げ込む。 慣性により前方に向け落下していくメリナは、そのまま地面を滑るようにして着地。 その間もグラギデンドを縦横無尽に振り回し、周囲に集まる魔獣をなぎ倒していく。「ここからッ!」 穂先を地面に突き立て、ブレーキをかけて強引に停止するメリナ。 その直後、氷壁の方から彼女の周囲目掛け、白い炎の矢が降り注ぐ。 矢は次から次へと魔獣を貫いていき、地面に突き刺さると同時に周囲の空気を凍り付かせながら爆散する。 メリナが氷壁の方を見上げると、フラムアルクスを構えたアデーレが壁の下に向け大量の矢を放っていた。「なんとも壮観だね」 文字通り、矢継ぎ早に放たれる炎の矢を前に、プルトがやや困惑した様子でつぶやく。 負傷により前線へ出られないと弱り果てていたアデーレだが、断続的に矢を放つその光景はそれに反する勇ましいものだ。「それがアデーレ……ヴェスティリアなんだよ」「ロントゥーサ島の守護者、か」 メリナの脳裏に、かつてアデーレに救われたときの記憶が蘇る。 自分を使用人として育て上げ、人並みの生活を与えてくれた
ひとしきり涙を流した後、目元をぬぐい立ち上がるメリナ。「ごめん……ありがとう、アデーレ」 普段とは違う、どこか刃のような鋭さもうかがわせるベルシビュラの姿。 だがアデーレに向けたその笑顔は、アデーレがよく知るメリナ・バラッツィのそれと変わらない優しいものだった。 そんな彼女に向けうなずき、満足げにほほ笑むアデーレ。 そしてもう一度、今度はメリナと共に迫り来る魔獣たちの方を睨む。 和解を果たした今、この目の前に迫る危機を共に乗り越えなければならないのだ。 落ちた槍をメリナが手に取り、続いてアデーレが突き立てていたフラムアルクスを引き抜く。 だが、その反動で彼女の体が揺れ、メリナの肩に寄りかかる形になる。 アデーレの表情はわずかにこわばり、それを目の当たりにしたメリナが眉をひそめる。「すみません。実はちょっと本調子じゃなくて」「本調子じゃないって……そっか、そうだよね。たくさん傷ついたんだから」 格好つけた手前、自らが弱っていることを誤魔化すようにアデーレが苦笑を浮かべる。 だが、それを必要以上なまでに深刻にとらえてしまったのだろうか。 寄りかかるアデーレの肩を抱き、その場に座らせるようメリナが促してくる。 しかし、アデーレはもう一度フラムアルクスを杖にしつつ、座ることを拒否。 弱っていることを隠しきることはできていないが、それでも全ての苦痛を強引に押し込める。 そんな彼女の強がりに、それでもメリナは手を差し伸べる。「無理しないで。ここは私に任せてくれていいから」「いえ、目の前のアレを倒すまで、休むわけにはいかないんで」 笑ってみせながらも、魔獣の群れへと視線を外さないアデーレ。 ここまでの激闘の末、ある程度の侵攻は抑えられていたが、もはや一部の個体は最後の防壁に到達している。 このまま巨大魔獣までもがこの場に辿り着けば、結晶魔獣たちが港町になだれ込むのを防ぐのは難しいだろう。 文字通りの正念場。アデーレの言う通り、戦士に休む暇はない。 それはメリナも分かっていることで、姿勢を立て直すアデーレの無理する姿を、彼女はただ黙って見守るのだった。 二人の眼下では、既に結晶魔獣が防壁に攻撃を仕掛けている。 それを確認したアデーレは、右腕の炎を燃え上がらせながらフラムアルクスを構える。「まずはあの巨大魔獣を倒しましょう。こ
高速ですれ違うアデーレとエヴァ。 互いに背を向け、攻撃を振り切った体勢で立ち止まる。 全力を込めた一撃は、アデーレの体に大きな疲労をもたらす。 彼女の体が大きくよろめき、フラムアルクスを突き立て膝を付く。 肩には大きく切り裂かれた傷跡があり、血が吹き上がるように流れていく。 手応えを確信しているのか。 口元を吊り上げ、あざ笑うかのような顔を浮かべながらエヴァが振り返る。 そして、トドメと言わんばかりにもう一度背中の触手をもたげたその瞬間……。「ガはッ!?」 結晶で構成されたエヴァの左半身が、大きく粉砕される。 砕けた体が氷片のように宙を舞い、月明りを反射しながら美しく輝く。 その瞬間を驚愕の表情で眺めるエヴァは、一体何を思うのだろうか。 アデーレの放った一閃が、ついにその体を打ち砕いた。 痛みに耐えるように歯を食いしばり、アデーレが半身を失ったエヴァの方を見る。「と、届かなかっ……偉大な、魔女の……みとめ、ないッ」 敗北を受け入れていないであろうエヴァが、ろれつの回らない声で叫びながら顔を歪ませる。 残された右半身で必死にバランスを取り、残された触手を振り乱しながら跪くアデーレに迫ろうともがく。 しかしその足掻きもむなしく、彼女は一歩たりとも前進することなく崩れ落ちる。 歯を剥き出しにし、怒りを露わにしながらも右手をアデーレの方へと伸ばすエヴァ。 バランスを崩した体は、そのまま陥没穴の方へと転げ落ちていく。「認める、ものか――ッ!!」 半身のない体で、エヴァが裂けんばかりの絶叫を上げながら落ちていく。 もはや陶酔していた結晶の魔女の力も、アデーレの体に届くことはない。 その声も周囲の轟音にかき消され、彼女の気配は荒野の中に消えていった。「……倒せた、かな?」 フラムアルクスを支えに立ち上がり、アデーレが穴の方を覗く。 転げ落ちたエヴァの姿は確認できず、残された結晶魔獣が群れを成してアデーレを倒さんと上っている。 魔獣の群れに飲み込まれたエヴァを探すのは難しいだろう。 姿が確認できないことに一抹の不安を覚えつつも、最大の障害を退けたことには変わりない。 そして、アデーレには人々を守るという優先すべき大事な仕事が残されている。 しかし、渾身の一撃を放った彼女には、これ以上戦う力はほとんど残されていない。
白色の炎を纏い、新たな力を会得したアデーレ。 冷たい月明りによる手痛い攻撃を受けたためか、いよいよエヴァの顔から余裕というものが消え失せる。 彼女は無言のまま、その結晶で作られた鋭利な腕をアデーレへと向ける。 それに呼応するように、脚を止めていた周囲の魔獣たちが一斉に動き出す。 これまでと変わらない、数による一斉襲撃でアデーレを圧倒しようという魂胆だろう。 背中の触手を伸ばしたエヴァも、両腕を広げながら迫り来る。 魔獣たちがアデーレの間合いに入った瞬間、彼女はその場で回転しながら後方に移動する。 その間、柄の両端に刃が付くフラムアルクスが、手首の捻りによって波打つように中空を舞う。 揺らめく姿はそよ風。しかし敵を切り裂くその瞬間、刃は光の筋となって魔獣の体を一閃する。 しかし、エヴァは身を逸らすことで流れるような斬撃を回避。 回避する彼女をアデーレは深追いせず、一気に距離を離してから燃え盛る炎の矢をフラムアルクスにつがえる。「諦めの悪いことで」 吐き捨てるようなエヴァの言葉に続き、双方の間合いに結晶魔獣が割って入る。 直後、アデーレの手から炎の矢が放たれ、それは一直線に結晶魔獣の胴体を貫く。 抜けてきた矢をエヴァは紙一重で回避するも、今度は射抜かれた魔獣の爆発が彼女を後方へ押し返す。 刃の斬撃と矢の一撃を合わせたアデーレの動きは、舞いを奉納する巫女のそれを思わせる。 白いコートを大きくなびかせ、時折ずれる帽子の位置を直す姿は壮美にも映る。 そのトリッキーな戦闘スタイルは、魔獣たちを確実に翻弄していく。 普段の火竜の力とは正反対となる動きは、もはや別の戦士といっても過言ではない。「いいね……体が軽いっ」 その場で軽く跳躍し、眼下に目掛け弓を構えるアデーレ。 大きく燃え盛る右腕から多数の矢が一斉に生成され、魔獣目掛け放たれる。 炎の矢は白い光跡を残しながら地面へと降り注ぎ、群れとなった魔獣を無作為に貫いていく。 上空からの射掛けは止むことを知らず、白い流星雨が魔獣の群れを打倒していく。 対するエヴァも、降り注ぐ矢を瞬間移動の如き素早さで回避すると、背中の触手で地面を叩き飛び上がる。 結晶の刃となった腕がアデーレを捉え、彼女の心臓を貫かんと突き出される。 しかしフラムアルクスと研ぎ澄まされた腕がぶつかり合い、エヴァの
その日は一日、屋敷の掃除に明け暮れることとなった。 拭き掃除に掃き掃除、使われていなかった家具を磨き本家から運ばれた食器を磨き……。 幸いだったのは、夕暮れまでに帰宅することが許されたことだろうか。 「そう。そんなに急なお話だったの」 テーブルに突っ伏すアデーレを、食器を片付けるサンドラが心配そうに見つめる。
その日の夜……。「えっ、ドゥラン様のところへご奉公に行くの?」 ランプの明かりに照らされたダイニングで、家族と夕食を囲んでいたアデーレ。 向かい側に座る両親との話題は、昼間のメリナと交わしたやり取りだ。 真っ先に反応したのは母のサンドラ。 アデーレは母親似で、特に背中の辺りまで伸ばした青交じりの黒髪はサンドラ譲りだ。「やってみないかって誘われただけだから。確かに六年前のことはあるけど……」 六年前のことは、島の者なら誰でも知っている。 大貴族バルダート家の一人娘に楯突いた農家の娘。 そのことで忌諱されるなどといったことはなかったが、良くも悪くも度胸がある
良太の記憶を取り戻して、六年の歳月が過ぎた。 あれからアデーレの性格は、徐々に良太の人間性に引っ張られてしまった。 しかし彼女も元来おとなしい性格だったためか、周囲から違和感を抱かれたことは数えるほどしかない。 また、両親に恵まれなかった良太とは違い、アデーレの両親であるヴェネリオ、サンドラ夫妻は深い愛情を持っていた。 一人娘故の溺愛ともいえるが、農民なりに女性として満足のいく生活を送らせてあげようと、アデーレに着飾る機会などを与えてくれた。 今のアデーレは、良太が送った二十一年の人生と地続きになったような状態だ。 純粋なアデーレ・サウダーテとして育てられた十年の月日があったた
石灰の塗られた白い建物が並ぶ、石畳の大通り。 道の両側には店舗が並び、軒先に日よけを張り、野菜や日用雑貨が陳列されている。 路肩に積まれた木箱や樽。道行く人々。 日常の雑多な風景の中に、人々が取り巻く生活空間が生まれていた。 その中心にいるのは、眉を吊り上げ腕を組む、いかにも不機嫌そうな金髪の少女だ。 周囲の人々が着るくたびれた服とは違う、フリルをこしらえたピンク色のドレスは、彼女が高貴な家柄の人物であることを物語っている。







