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2話

مؤلف: Amy
last update تاريخ النشر: 2026-10-29 17:05:25

「芽里?」

広瀬グループの社長、凌司の声が変わった。

つい先ほどまで、数兆円規模の投資案件を巡って各国の経営者を震え上がらせていた男とは思えないほど、柔らかな声だった。

「凌司さん! 今、日本に着いたよ!」

電話の向こうから聞こえてきた明るい声に、凌司の口元がわずかに緩む。

「おかえり。長旅だったな。疲れていないか?」

「全然! 飛行機でもぐっすり寝ちゃった。ねえ、凌司さん、今忙しい?」

凌司は目の前に広げられた契約書を見た。

会議室には、各国の大企業を率いる経営者たちが10数人、彼の決断を待っている。

今回の交渉がまとまらなければ、すでに動き始めた巨額の投資計画が白紙に戻る可能性さえあった。

「いや。どうした?」

隣に座っていた慎吾が、思わず顔を上げた。

忙しくない?

今、世界中の財界人が、この男の一言を待っているというのに。

「よかった! あのね、凌司さんに会いたいなって思って」

凌司は手元のペンを置いた。

「……今、どこだ?」

「まだ空港。迎えの車は来てくれてるんだけど……」

芽里は少し言いにくそうに声を落とした。

「やっぱり、最初に凌司さんに会いたくなっちゃった。駄目?」

「駄目なわけがないだろう」

凌司は即答した。

「そこで待っていろ。俺が迎えに行く」

「えっ、本当に? でも、仕事は?」

「心配するな。すぐ行く」

通話を終えた凌司は、すでに立ち上がっていた。

「慎吾、車を回せ」

「社長……まさか、今から空港へ?」

「ああ」

「しかし、こちらの会議はまだ――」

「残りはお前に任せる」

慎吾は口を閉じた。

こうなると、凌司を止めることは不可能だった。

向かいに座っていた海外企業の会長が、慌てて立ち上がる。

「広瀬社長! お待ちください。この契約には、我が社の今後10年が懸かっているのです!」

凌司は足を止めた。

会長は安堵したように続ける。

「どうか、あと30分だけでもお時間をいただけませんか?」

凌司は相手を見た。

「条件はすでに提示した。受け入れるかどうかは、そちらで決めればいい」

「ですが……!」

「俺がここにいなければ決められないのなら、今回の取引は見送っても構わない」

その言葉に、会議室が静まり返った。

凌司はそれ以上説明することなく、扉へ向かった。

背後から会長の声が追いかけてくる。

「一体、何がそれほど重要なのですか!」

凌司は振り返らなかった。

「俺にとって、何より大切な用事だ」

そのまま会議室を出ていく。

残された経営者たちは、しばらく誰も口を開けなかった。

****

残る交渉を担当役員へ引き継ぐと、慎吾は凌司とエレベーターに乗り、手元の端末を確認した。

「社長、お嬢様のお車はすでに到着ロビーで待機しています。そちらでお待ちいただくよう手配しましょうか」

「そうしてくれ」

「それにしても……今回は、お嬢様ご自身が迎えは不要だとおっしゃっていたはずですが」

凌司は頷いた。

4年間の留学を終えて帰国する芽里は、数日前、電話で嬉しそうに話していた。

『もう子供じゃないんだから、空港から家までくらい、自分で帰れるよ』

凌司は迎えに行きたかった。

本当は、帰国便が決まったその日から、すべての予定を空けておくつもりだった。

だが芽里が自分で帰りたいと言うのなら、その意思を尊重したかった。

だから直接迎えには行かず、車だけを用意していたのだ。

その芽里が、今になって自分に会いたいと言った。

ならば、迷う理由などなかった。

「慎吾」

「はい」

「到着ロビーに人が多ければ、芽里を車の中で待たせろ。長旅で疲れているはずだ」

「承知しました」

「飲み物も用意しておけ」

「そちらも手配済みです」

凌司はようやく満足したように頷いた。

慎吾は、そんな彼の横顔をそっと見た。

1分で何百億円もの資金を動かし、世界中の経営者に頭を下げさせる男が、今は迎えの飲み物を気にしている。

慎吾はもう驚かなかった。芽里が風邪を引いたと聞いて、凌司が海外出張先から帰国したこともある。

ただ、今日の彼はエレベーターの階数表示から目を離さなかった。

『凌司さんに会いたい』

その一言を聞いてから、空港までの時間さえ惜しいらしい。

芽里を守るために築いた地位だ。彼女より優先する理由など、凌司にはなかった。

****

空港に着いた凌司は、車が完全に止まるのも待ちきれない様子で外へ出た。

慎吾の部下が案内しようとしたが、凌司は片手を上げて制した。

「場所は分かっている」

芽里は、到着ロビーに近いラウンジで待っていた。

大きな窓のそばに座り、手元の携帯を眺めている。

長い黒髪が肩から流れ落ち、淡いクリーム色のワンピースが、白い肌によく似合っていた。

凌司は、その姿を見た瞬間、足を止めた。

芽里。

18年前、片腕だけで抱き上げられるほど小さかった少女。

転べば泣き、眠くなれば彼の制服の裾を握りしめていた少女。

いつの間に、こんなに大きくなったのだろう。

画面から目を上げた芽里が、凌司に気づいた。

「凌司さん!」

花が咲いたような笑顔だった。

芽里は立ち上がると、まっすぐ彼のもとへ駆け寄ってきた。

凌司は反射的に両腕を広げかけた。

幼い頃から、芽里が駆け寄ってくれば、いつもそうして受け止めてきた。

ところが、あと数歩というところで、凌司の手が止まった。

目の前にいるのは、もう幼い少女ではなかった。

彼が知らない4年間を過ごし、自分の足で未来を選べるようになった、大人の女性だった。

そんな凌司の戸惑いなど知らず、芽里は勢いよく抱きついてきた。

「会いたかった!」

柔らかな髪が彼の胸元に触れた。

凌司は一瞬、呼吸を忘れた。

「……芽里」

「凌司さん、久しぶり!」

芽里は嬉しそうに顔を上げた。

凌司はようやく我に返り、彼女の肩をそっと支えた。

「おかえり。元気そうで安心した」

「うん! 凌司さんは?」

「変わらない」

「本当? ちょっと痩せたんじゃない?」

芽里は心配そうに彼の顔を覗き込んだ。

その仕草も、幼い頃と少しも変わっていなかった。

凌司は自然に微笑んだ。

「お前こそ、ちゃんと食べていたのか?」

「もう! 帰ってきたばかりなのに、お母さんみたいなこと言わないでよ」

「心配なんだ」

あまりにも当然のように答えるので、芽里は思わず笑ってしまった。

「凌司さんは、ずっと変わらないね」

凌司も笑った。

だが、その胸の奥には、言葉にできない感情が広がっていた。

芽里に笑っていてほしい。その願いは、18年間変わらなかった。

けれど、昔のように頭を撫でようとすると、手が止まる。

さっき抱きつかれた感触が、まだ胸元に残っていた。

その戸惑いを隠すように、凌司は芽里のスーツケースへ手を伸ばした。

「荷物を持とう」

「いいよ、自分で持てるから」

「分かっている」

凌司は静かに答えた。

「だが、俺に持たせてくれ」

芽里は少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。

「じゃあ、お願いしちゃおうかな」

凌司はスーツケースを受け取り、芽里の歩幅に合わせて歩き出した。

普段なら、何人もの秘書や警護員を従え、自分の荷物を持つことさえない男。

その彼が今、嬉しそうに笑う1人の女性のために、スーツケースを引いている。

周囲の視線など、まるで気にしていなかった。

****

車に乗ると、芽里は窓の外を眺めながら、楽しそうに留学先での出来事を話し始めた。

友人たちのこと。

卒業式のこと。

最後に訪れた小さなカフェのこと。

凌司はその1つ1つに耳を傾けた。

この4年間、芽里とは何度も電話で話していた。

それでも、直接会って聞く彼女の声は、まるで違って聞こえた。

「そうだ、凌司さん」

「何だ?」

「今日、本当に忙しくなかったの?」

凌司はわずかに目を細めた。

「どうしてそう思う?」

「慎吾さんから、すごく大事な会議があるって聞いてたから」

凌司は内心でため息をついた。

慎吾には、あとで少し話を聞く必要がありそうだ。

「問題ない。仕事はほかの人間にも任せられる」

「でも、わざわざ迎えに来てもらっちゃって……」

「芽里」

凌司は彼女の言葉を遮った。

「俺に会いたいときは、遠慮するな」

芽里が顔を上げる。

「いつでも?」

「ああ」

「夜中でも?」

「構わない」

「海外にいても?」

「迎えに行く」

あまりにも迷いのない返事に、芽里は声を上げて笑った。

「もう、凌司さんったら! 私がわがままになっちゃうよ」

「なればいい」

凌司は真顔で答えた。

「お前のわがままくらい、いくらでも聞いてやる」

芽里は笑いかけたまま、少しだけ黙った。

昔から、凌司は自分に甘かった。欲しいものを用意してくれて、どんなに忙しくても約束を守ってくれた。

けれど、今も尋ねるのは芽里の望みばかりだ。

彼自身はどうしたいのか。それだけは、いつも聞けずにいた。

芽里は少し考えてから、そっと尋ねた。

「ねえ、凌司さん」

「ん?」

「私が帰ってきて、嬉しい?」

凌司は一瞬、言葉を失った。

この4年間、どれほど帰国を待ちわびたか。

毎年、誕生日には直接会って祝いたかった。体調を崩したと聞けば、今すぐ飛んでいきたかった。

今朝も、到着の報告を受けるまで落ち着かなかったのだ。

だが、そのまま伝えたら、芽里はどんな顔をするだろう。

凌司はゆっくりと窓の外へ目を向けた。

「……嬉しくないわけがないだろう」

芽里は満足そうに笑った。

「よかった。私もね、凌司さんに会えるのが一番楽しみだったの」

その言葉に、凌司の胸が不意に強く脈打った。

彼は思わず芽里を見た。

しかし、彼女はすでに窓の外へ目を向けていた。

無邪気に景色を眺める横顔。

幼い頃から何度も見守ってきた、大切な少女の面影がそこにあった。

それなのに、今は何かが違う。

凌司は再び視線を逸らした。

18年間、彼女のそばにいることを迷ったことなど、1度もなかった。

その彼が初めて、芽里をまっすぐ見つめられなくなっていた。

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