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さよなら、私を救った嘘つきなあなた

さよなら、私を救った嘘つきなあなた

By:  音羽奏Completed
Language: Japanese
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親友が大富豪になって自分を養ってくれる。そんな夢を毎日見ていた。 ところが、彼女が株で本当に4000万円もの大金を稼ぎ出した。 欲望の渦巻く歓楽街。その中心にあるクラブで、彼女は湯水のように金を使い、極上のホストたちを横一列にはべらせてみせた。 カーテンが開くと、入ってきた男たちは誰もが息を呑むような美男子ばかり。 柳原瑞希(やなぎわら みずき)は興奮して私の腰をつついた。「どう、最高にイケてるでしょう?」 望月拓海(もちづき たくみ)の平然とした視線が私に止まった。その冷たさに、私は体が震える。 最高に決まっている。 だって、彼は私、浅井琴音(あさい ことね)の彼氏なのだから。

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Chapter 1

第1話

親友が大富豪になって自分を養ってくれる。そんな夢を毎日見ていた。

ところが、彼女が株で本当に4000万円もの大金を稼ぎ出した。

欲望の渦巻く歓楽街。その中心にあるクラブで、彼女は湯水のように金を使い、極上のホストたちを横一列にはべらせてみせた。

カーテンが開くと、入ってきた男たちは誰もが息を呑むような美男子ばかり。

柳原瑞希(やなぎわら みずき)は興奮して私の腰をつついた。「どう、最高にイケてるでしょう?」

望月拓海(もちづき たくみ)の平然とした視線が私に止まった。その冷たさに、私は体が震える。

最高に決まっている。

だって、彼は私、浅井琴音(あさい ことね)の彼氏なのだから。

……

彼氏である拓海とほとんど連絡が取れなくなって一年。私は彼が「絶対に入るな」と言っていたクラブに足を踏み入れた。

瑞希は水を得た魚のように生き生きとしている。

彼女は私の手を引いてボックス席に押し込み、慣れた手つきでお酒を注文した。

「待ってて」

瑞希は私の耳元に顔を寄せ、声を潜めながらも、隠しきれない興奮を滲ませた。

「サプライズはもうすぐよ」

彼女の囁きに、胸の奥がざわつき、心臓がドクンと大きく跳ねた。

その時、安っぽいスパンコールが散りばめられたカーテンが動いた。

カーテンの隙間から、まず片手が差し出された。すらりと伸びた指、節の張った男らしい骨格。

突き出た手首の骨のそばには、三日月のような形をした古傷が刻まれていた。

キーン。

頭の中が真っ白になる。

あの傷跡は私が噛みついた痕だ。

付き合い始めたばかりの頃、拓海と喧嘩をした。

カッとなった私は、彼の手を掴んで思い切り噛みついた。

彼はうめき声を漏らしたが、手を引こうとはせず、そのまま私に噛ませていた。

口の中に血の味が広がるまで。

口を離すと、血の滲んだ歯型の跡を見て、私は怖くなって大泣きした。

拓海はもう片方の手で私の涙を指先で掬い取ると、掠れた声で囁いた。「印をつけたんだ。僕が君のものだって、一生忘れられないようにね」

後に傷は癒えたが、この薄い痕が残った。

それは焼き印のようでもあり、小さな三日月のようでもあった。

カーテンが完全に開けられた。

拓海は他のホストたちと一緒に部屋に入ってきた。

彼の視線が静かにこちらに向けられ、私の顔で止まる。

底知れぬ静寂を湛えたその瞳には、一片の波紋さえ浮かんでいなかった。

まるで私など、どうでもいい赤の他人であるかのように。

拓海はなぜ、こんな場所で働いているのか。

瑞希は興奮して歓声を上げた。「来た来た!琴音、見て。私が選んだのは絶品よ!あの人があなたにぴったりだわ!」

彼女は私の腕を揺さぶり、爪が肌に食い込む。

私は滅多なことでは動じない人間だ。

家庭から逃げ出した後、ずっと拓海と一緒に暮らしてきた。

衣食住のすべてを彼が整えてくれた。

歯磨き粉を絞り出す長さから、銀行口座の残高の変動まで。

毎月使う生理用品でさえ、心配する必要はなかった。

「籠の鳥を飼っているみたい」と、私はたまに彼を茶化した。

すると拓海は笑ってこう答えた。「鳥でもいい。そうすれば、永遠に僕のそばを離れないだろう?」

拓海の至れり尽くせりの庇護のもとで過ごしたこの七年間。雨風を知らない温室の花のように守られてきたせいで、私は狼狽するという感覚をほとんど忘れていた。

だが今は、一歩ずつ近づいてくる拓海をただ見つめることしかできない。

逃げ出す勇気さえ、今の私にはなかった。

「どうしてここにいるの?」私は空気を変えようと声を絞り出した。

拓海はその時、すでに私の隣に座っていた。

私の言葉を聞くと、彼は口角を上げた。「お客様、どのようなサービスをご希望でしょうか?」

パリン。

手のひらに鋭い痛みが走る。

いつの間にか、手に持っていたグラスに亀裂が入っていた。

紅色の液体が私の手を伝って流れ落ちる。

痛くはなかった。

ただ、冷たかった。

拓海の視線が血に染まった私の手に落ち、瞳の奥がわずかに暗んだ。

「琴音、大丈夫?」

瑞希は隣の男を突き放し、急いで私を見た。

私は無理に笑ってみせた。「大丈夫、グラスの質があまり良くなかったみたい」

拓海はそっと私の手を掴み、口元に運んでその血を舐めた。

指先から心臓へと伝わる熱い湿り気に、しびれるような感覚を覚える。

同棲を始めたばかりの頃、拓海は私を働きに出さなかった。

「外界はあまりに毒に満ちている。だから僕が君に当たるすべての雨風を引き受ける盾になる」と、彼は口癖のように説いていた。

金銭も、時間も、彼はすべてを私に捧げてくれた。

だから家にいる間、私は料理を覚えて時間を潰していた。

包丁さばきに慣れず、よく手を切った。

その時も拓海は舌で血を舐めとり、絆創膏を貼ってくれた。

「この止血方法、すごく恥ずかしいわ」と私が言うと、彼は気にする様子もなかった。

「君の体は僕のものだ。だから、こうして血を止められるのも僕だけなんだよ」

私は目の前の拓海を見つめた。

微かに震える睫毛が、今の彼をどうしようもなく脆く、壊れもののように見せている。

けれど、どれほど彼が弱さを晒そうとも、私の心に同情が生まれることはなかった。

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第2話
大学一年生から付き合い始めて、拓海とはもう七年の月日が流れた。世間でいう「倦怠期」というやつだろうか。その言葉を裏付けるように、この一年、彼が家に帰ることは稀だった。彼がどこで、誰と、何をしているのか、私にはさっぱり分からなかった。以前なら、拓海は根気強く私をなだめ、余計な心配をしないようにと言ってくれた。 けれど今は、電話をかけてもつながらないことばかり。まさか、こんなことをしていたなんて。彼の身の安全を心配していた自分が馬鹿みたいだ。私の瞳に冷たい色が宿り、力任せに拓海の手を振り払った。「ずいぶんと手慣れたテクニックね。でも、そんなの不快なだけだわ」拓海の動きが止まった。彼は傷ついたような表情を浮かべ、静かに私を見つめた。「どこか、痛くしてしまいましたか?」私は鼻で笑った。「可哀想なふりをするのも、客を喜ばせる手段の一つなの?」拓海は突然私を抱きしめた。その声には疲れが混じっている。「これは誤解だ。家に帰ったら、ちゃんと説明するから」家?拓海のいないあの場所を、まだ家と呼べるのだろうか。人生で最も暗い時期、私は母に寮の前で待ち伏せされ、借金の取り立てにあった。 「この穀潰し!散々親の脛をかじって育ったくせに、弟の悠真(ゆうま)のピアノのレッスン代くらいで金がないだなんて。皆さん見てちょうだい、この恩知らずな恥晒しを!」「お母さん、お願い。バイト代は自分の生活を維持するだけで精一杯なの。今さら出せって言われても、本当に一銭も残ってないのよ」野次馬たちの好奇に満ちた視線と、遠巻きに聞こえる心ない嘲笑。その重圧に押し潰されそうで、私はただ俯くことしかできなかった。そんな人混みをかき分けて私を守り、涙を拭ってくれたのが拓海だった。「おばさん、そのお金は僕が琴音の代わりに払います。だからもう二度と、人前で彼女を困らせないでください。彼女は一人じゃありません。彼女を愛している人間が、ここにいるんです」それは拓海が手にした奨学金のすべてだったが、彼は迷うことなく差し出した。拓海こそが、私の唯一の居場所なのだと信じて疑わなかった。彼さえいれば、そこが私の帰るべき家なのだと。それなのに、今は。「自分がどれくらい家に帰っていないか分かってるの?」私は顔を背け、拓海の接触に微か
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第3話
拓海と付き合い始めた当初から、彼の独占欲が強いことは知っていた。彼が私に禁じていることを並べれば、地球を一周するほどだった。拓海のあの異常なまでの独占欲をわざと煽ってやろうと、あるゲームを仕掛けたことがある。題して、「彼女が異性と接するのをどこまで許容できるかテスト」だ。「拓海、あなたならきっと、第一関門さえ突破できないわ」拓海は私を抱き寄せ、顔を近づけて口角に優しくキスをした。「第一関門くらいはまだ簡単な方だと思うけど。そんなに僕を甘く見るなんて……ん?」キスをされて私はくすくすと声を上げて笑った。そんな彼をさらにもてあそんでやりたいという悪戯心に火がつく。「もしあなたが負けたら、一度だけクラブに行くのを許してね」拓海は私の胸に顔を埋め、こもった声で言った。「じゃあ、聞かせて」「第一関門。私と異性の友達との間に子供がいること」私の胸元にうずめていた拓海の頭が、ぴたりと動きを止めた。彼は駄々をこねるように言った。「琴音、それはあんまりだよ。最初からそれなんて。君が産むのは僕との子供だけだ」その後、私たちは夜が明けるまで幾度も肌を重ね、睦み合った。終わった後、拓海は私の手を握った。「琴音、僕は負けてない。僕たちが別れない限り、君がクラブに行くのは禁止だ」「私は……」追憶が唐突に途切れる。私は後ろめたさを隠すように弁解した。「瑞希が喜んじゃって、どうしてもって言うから……」「彼女に行けと言われたら行くのか?」拓海は私の言葉を遮った。口調は相変わらず平淡だ。「あそこがどんな場所か知っているだろう。僕が嫌がることも分かっていたはずだ」語気が強まったことに、私は少し呆然とした。堰を切ったように、心の底に溜まっていた悲しみが溢れ出した。「でも、あなたはどうなの?私に隠れてホストに身を落としていた時、私のことなんて少しでも頭にあったの?拓海!私の服も、会う友達も、行く場所さえも……あなたは全部を縛り付けてきた!私を何だと思っているの?籠の鳥とでも思っているわけ?もう限界よ。こんなの、もうたくさん!」涙が溢れ出し、視界を遮る。私は逆上した狂人のように、この一年間の不安をすべて拓海にぶちまけた。彼はただ私が泣くのを見つめているだけで、以前のようにすぐになだめてはくれなかった。「
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第4話
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第5話
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第6話
瑞希が顔を上げると、私と目が合った。私は大股で歩み寄り、彼女が反応する前にその頬を思い切り叩いた。「一番の親友だと思っていたのに、私にこんなことをするなんて!」瑞希は私の行動が予想外だったのか、呆然としていた。私は彼女の髪を掴み、ベッドから引きずり下ろそうとした。すると拓海が私を突き放し、彼女をかばうように抱きしめた。「不満があるなら僕に言え!瑞希に手を出すのはやめろ!」彼の声は怒りに満ちていた。これまで一度も聞いたことのない責めるような口調。その一言一言が、凍てつく霜を纏った針となって、私の心臓を情け容赦なく貫いていく。付き合い始めたばかりの頃、私は細々と暮らせる程度の仕事をしていた。だがある日、残業の帰りにストーカーに遭った。男に路地へと引きずり込まれ、何度もビンタを食らった。抵抗する術もなかった。その時、拓海が突如として現れ、男と取っ組み合いになった。揉み合う中で、拓海は私を庇って刃物で刺され、鮮血が溢れ出した。結局、男は警察によって連行され、その場には血の気が引いて真っ青な顔をした拓海だけが残された。「琴音、泣かないで。何があっても僕が君の前に立ちはだかる。誰にも君を傷つけさせないよ」それ以来、拓海は私を養うと言い出し、私を「籠の鳥」にしたのだ。「琴音、君を一人にするのは心配でたまらないんだ。これからは僕が君を養うよ」私は頬杖をついて笑いながら言った。「じゃあ、しっかり私を守ってね」それなのに今、拓海は瑞希を庇うようにして、私に牙を剥いている。なんて皮肉な結末。「彼女に何をしたかって?私は誰よりも彼女を大切にしてきたわ!なのに彼女は恩を仇で返して、私の男を寝取ったのよ!拓海、あなたの約束なんて紙屑同然よ。一途な男を演じるのはやめて。吐き気がするわ!」私は心臓を抉られるような痛みに耐えながら、拓海をじっと見つめた。だが拓海は、まるで正気を失った人間でも見るかのような、冷ややかで静かな視線を私に投げかけるだけだった。瑞希は拓海の傍らへ寄り添い、その袖をぎゅっと掴んで、守ってあげたくなるような弱々しい女を演じている。「見ての通りよ。もう隠すつもりもないわ。私と拓海は愛し合っているの。これは真実の愛なのよ」私は鼻で笑った。「真実の愛?平気で裏切るような男が
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第7話
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第8話
母の目には涙が浮かび、その顔に深く刻まれたシワが過酷な歳月を物語っていた。父はいたたまれなさに耐えかねるように、深く項垂れている。私は母親の手を握り、必死に答えを求めた。「『愛している』と一言言ってくれたら、悠真のマンション代を出すわ」だが母は、私の視線を拒むように、静かに顔を背けた。母はカラカラに乾いた喉を鳴らし、ようやく一言を絞り出した。「あなたがお腹の中にいた時くらいかしら。それより、悠真のマンション代は必ず出しなさいよ。数日以内に振り込みなさい」私は力なく手を下ろした。顔は絶望に染まり、土気色に沈んでいる。二人は私の様子など気にかけることもなく、逃げるようにその場を後にした。私はついにすべての現実を受け入れ、過去に別れを告げる決心をした。両親が去った後、私は市内でも指折りの敏腕弁護士を雇い、長年にわたって両親や悠真がありとあらゆる名目で私を揺すり、搾取し続けてきた証拠をすべて整理した。彼らは私の名義を盗用して、借金まで重ねようとしていた。弁護士の仕事ぶりは迅速かつ的確だった。提訴から受理まで、信じられないほどの速さで手続きが進んでいった。裁判所からの召喚状がいわゆる「実家」に届いたその日、私は彼らをブロックし、あらゆる繋がりを断絶した。二十数年続いた悪夢に、ようやく自分の手で終止符を打った。惜しむような未練など微塵もなかった。瑞希と拓海も、私の生活から完全に姿を消した。噂では、彼らはこの街を離れたという。それでいい。目に触れなければ、心も乱れない。4000万円を手にしてから、私の人生はゴールが見えてしまったような感覚になった。だから、私は世界一周旅行に出ることにした。これからは大自然に身を委ね、奪われた歳月をこの手に取り戻して謳歌するつもりだ。一人旅はいつだって自分との戦いだ。拓海の庇護の下で、私はすっかり牙を抜かれ、独り立ちする術を忘れてしまっていた。けれど幸い、生活を立て直すのは難しくなかった。ただ時間が必要なだけだった。だから旅の間、私は一株の花を大切に連れ歩いている。その花を過去の自分だと思い、私は拓海の代わりになってその花を守る責任を負った。この「責任」という使命感が、私を支え続けてくれた。昔の拓海が私の一人旅を知ったら、間違いなく無
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第9話
けれど、どうして危篤なんて書かれているの?私はその診断書を握りしめ、目玉が飛び出しそうになるほどそれを見つめた。拓海。彼は、死にかけていた。そこへ瑞希が戻ってきて、私がそれを見ていることに気づくと、深いため息をついた。「やっぱりあなたたちの縁は切れないのね」私は抑えきれず彼女に向かって叫んだ。「拓海に何があったの?」「彼は亡くなったわ」瑞希の声はとても静かだったが、それでも私の耳にははっきりと届いた。私は凍りついたように動けなくなり、血の巡りが止まったような感覚に陥った。どれほど彼を恨んでも、落ちぶれて惨めな思いをすればいいと願う程度だった。本当に死んでほしいなんて願ったことは一度もなかった。私はかつての彼との日々を思い出した。大学を卒業して間もない頃、私たち二人とも一文無しだった。私がアルバイトで稼いだお金さえ、母親に脅し取られていた。拓海は就職先を探しながら、フードデリバリーの配達員として働き、私の生活を支えてくれた。私は彼のモーターバイクの後ろに座り、気軽に冗談を言っていた。「まさかずっとこのモーターバイクの後ろに乗せるつもりじゃないでしょうね?私たちは、本当に貧乏ねえ」彼は答えず、黙々とモーターバイクを走らせていた。けれど私は、彼が奥歯を噛み締め、唇が白くなるほど耐えているのを私は知っていた。空気を変えようと、私は「気にしないで」という意味を込めて笑い飛ばした。「でも、これでいいと思ってるのよ。私たちにはお金はなくても、大切なものはあるんだから。ねえ、あなたの愛があるし、今はモーターバイクもある。なんて幸せなのかしら!」私は拓海の広い背中にそっと顔をうずめ、彼から漂う清潔感のある爽やかな香りを胸いっぱいに吸い込んだ。夜風が優しく頬を撫で、この上なく心地よい充足感に包まれる。拓海の声が不意に耳元で響いた。その言葉は体を通って、私の心に深く刻まれた。「琴音、たとえ僕がどんな無惨な最期を遂げようと、君にこんな生活を一生させるような真似は絶対にしない」私は慌てて彼の口を押さえ、珍しく眉をひそめた。「そんなこと言っちゃダメ。あなたは病気も怪我もなく生きなきゃダメなのよ」彼は微かに笑った。私の手のひらがくすぐったくなる。「僕の琴音は生まれつきのお姫様なんだから、絶
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第10話
瑞希は私の背中を優しく叩いた。「拓海はあなたに自分のことを忘れてほしかったのよ。私も、あなたに『ごめんなさい』と言わなきゃいけないわね」私は瑞希を強く抱きしめ、唇を噛み締めた。成長すると決めたのなら、脆いところを見せてはいけない。そういうことだったのね。でも拓海、どうして私に「それでいいか」って聞いてくれなかったの?どうして勝手に決めてしまったの。私は、あなたの愛に気づけないほど愚かだった。「これだけ追いかけているのに、僕が君のことを好きだって気づかないのかい?」アルバイト帰りの私を彼が引き止める。私は困ったように彼を見た。「本当に分からないわ」彼はにっこりと笑って説明した。「実はさ、あのお店、まかないなんて出ないんだ。毎日、僕がせっせと君のために買いに走ってたんだよ」「全部あなたが?バカね、そんなの言われなきゃ気づくわけないじゃない」街灯の下で、彼の瞳はキラキラと輝いていた。彼は言った。「いつか絶対に気づくよ。白状するのは今回だけ。これからは自分で僕の良さを見つけてね」けれど、私は見つけられなかった。あなたは、私を責めているかしら。「彼はどこに眠っているの?」瑞希に連れられて、市郊外の墓園に向かった。とても静かな一角。新しく立てられた墓石には、ただ簡素な名前と生没年月日が刻まれていた。写真は、どこか真面目くさった顔をしていた。甘えん坊だった拓海とは、全然似ていない。生きていくのは辛いことばかりだけど、せめてあの世では、あなたには笑顔でいてほしいの。私は白い百合の花束を抱え、そっと墓前に供えた。春の風が吹き抜け、青草と土の柔らかな香りを運んでくる。穏やかな陽光が、私の全身を優しく包み込んでいた。私はしゃがみ込み、写真の顔を見つめた。「拓海。あなたを見つけたわ」言葉が詰まり、喉が激しく震える。「でも拓海。また、あなたを失ってしまった」私は連れてきた花を彼に見せた。「私、花を育て始めたの。あなたはいつも『すぐ枯らす』なんてバカにしてたけど、見て、ちゃんと育てられたわよ。私を騙した代償は大きいのよ。少なくとも二年間は、もう会いに来ないから」私はすでに二年の旅行計画を立てている。しばらくはこの街に戻るつもりはない。一度決めたことを変えるつも
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