LOGIN白洲直人(しらす なおと)を十年間追い続けて、もう本当に飽き飽きしてしまった。 彼を諦めて、私を想ってくれる藤木一樹(ふじき かずき)と付き合うことにした。 一樹は街中で一晩中花火を打ち上げて、島を一つ買い取り、私にプロポーズしてくれた。 だけど、結婚式の前夜に彼は突然姿を消した。 彼を見つけた時、ほかの人にこんなふうに嘲笑っているのを聞いてしまった。「白洲直人を苛つかせたくて、わざと樋口清香(ひぐち さやか)を口説いたんだよ」 「手に入れたら、かえってつまらなくなった」 「でも引き下がるのも癪だから、結婚式から逃げて恥かかせるのって面白くない?」 だから私が先に逃げた。彼を街中の笑い者にしてやった。 その後、プライドの塊だった藤木家の御曹司が、西京中を探し回っても、行方不明の花嫁はついに見つからなかったらしい。
View More彼女は歩み寄ってきて、俺を抱きしめた。「彼女はもうあんなに年を取ってるのに、あなたの時間をずっと無駄にしてきた。なのに、どうして私を見てくれないの……?」「私は若いし、何よりあなたを愛してる。私は命をかけて十年間、ずっとあなた一人を想ってきたの。目の中にも、心の中にも、あなたしかいない。私は、あの人よりずっと清らかだよ」清らか?俺は彼女を力いっぱい突き飛ばした。そのくせ、目の奥がツンとして、滲んでくるものを止められなかった。まともに眠れた夜なんて、一度もなかった。目を閉じるたびに、脳裏に浮かぶのは清香の姿だった。彼女に仕返しすれば、少しは気が晴れるんじゃないかって。でも違った。胸が張り裂けそうで、息をするのも辛くなるだけだった。十二歳で出会い、二十八歳まで――十六年。俺はそんな彼女を、自分の手で失ったんだ。本当に、どうしようもなく後悔してる。心の奥から、しぼり出すような後悔。何の前触れもなく、俺は顔を覆って泣き崩れた。さくらがそっと近づこうとしたが、俺は顔を上げ、氷のような目で彼女を睨みつけた。「……さくら。西京市から消えたくなければ、今すぐ出ていけ」「それから、藤木家がしてきた支援は、今日で終わりだ」その夜、俺はまた、清香との新婚部屋へ戻った。書斎の床に横たわり、壊れたウェディングドレスを胸に抱きしめながら、体を小さく丸めて眠った。三年後、彼女が博士課程を卒業したという知らせを受けた。その知らせを受けて、俺は一秒も迷わず、 すぐに飛行機に乗った。彼女に会いたくて――たった一言、「ごめん」を言いたくて。しかし、彼女は俺に冷たく、どこかよそよそしかった。本当に俺のことを、もう何とも思っていないかのように。信じられなかった。あんなに長い間、愛し合っていたはずなのに。どうして、もう愛してないなんて、そんな簡単に言えるんだ?だから俺はその街に留まり、彼女を取り戻すために動き始めた。昔と同じように、もう一度、彼女の心に触れたかった。女は、しつこい男に弱い。なんて、都合のいい言い訳を自分に言い聞かせながら。しかし、彼女は、本当に、俺を見ようとしなかった。やがて、白洲もそこに現れた。けれど不思議と、俺は彼に対して何のわだかまりも感じなかった。時が流れ、ようやく俺は気づいたのだ。あの頃、直人に向けて
二十三歳の一樹は、二十八歳の自分を殺したいと思うだろうか?俺は、西京市中の笑い者になった。花嫁が盛大な結婚式の最中に逃げたという。彼女のために殴り合いをした二人の男。けれどそのどちらも、ろくでもないクズだったと。俺のようなろくでなしは彼女に近づくべきではなかったと言われた。俺はそれを無視してきて、ただ彼女に会いたかった。俺は西京市中を探し回ったが、彼女の姿は見つからなかった。以前、俺が失踪したとき――彼女が俺を探し回っていた、あの時の絶望。胸が裂けるようなあの想いを、今、初めて知った。彼女は、まるで自分という存在をこの世から消したかのように、完璧に、消息を絶っていた。誰に聞いても、誰ひとりとして行き先を知らなかった。調査を頼んだ相手も、こう答えるだけだった。「一樹さん、どうか……これ以上、私を困らせないでください」そうだ。彼女は、あの言葉を聞いたときから、もう準備していたのだ。すべてを終わらせるために。俺に、見つかるはずがなかった。すべて、俺のせいだ。本当のさよならっていうのは、怒鳴り合いでも、泣き叫びでもない。ただ静かに、音も立てずに、消えるように去っていく。清香は本当に俺のことを諦めたのだ。それに気づいた時、胸の奥にあった何かが、じわじわと酸っぱく腐っていくような感覚がして、俺は、自分の心が少しずつ、溶けていくのを感じていた。俺は新婚部屋に戻った。けれどそこには、彼女のいた痕跡など、ひとつも残っていなかった。彼女はわざと、そうしたのだ。俺に、ひとかけらの想い出すら残さないために。まるで断崖から一気に突き落とすような、決然と、そして冷酷なまでの手つきで、俺の人生から自分の存在を、きれいに、徹底的に剥がしていった。彼女は本当に容赦がなかった。俺は、家中のすべての部屋を隈なく探し回った。ついに書斎で彼女が残していったものを見つけた。それは俺が彼女に贈ったプレゼントで、すべてが壊れていた。彼女はこの方法で俺との線引きをしようとし、俺が贈ったものが彼女にとって嫌悪感を抱かせるものだと伝えたかったのだ。そして、俺たちがイタリアでオーダーしたウェディングドレスもあった。そこには長い傷がついていた。ウエストから裾まで広がっていた。半年前に俺たちがオーダーした時
俺は携帯の電源を切り、清香がウェディングドレスに身を包む姿を思い描いた。きっととても綺麗なんだろうな。ただ残念なのは、あのオーダーメイドのドレスが壊れてしまったこと。でもそんなことはどうでもよかった。彼女がどんな服を着ていようと、世界でいちばん美しい花嫁には違いないのだから。俺は思った。一樹、これからはくだらない意地も、未練も、ぜんぶ捨てて、彼女とまっすぐ向き合って、ちゃんと一緒に生きていこう。結婚式の会場は、何かがおかしかった。どう説明したらいいのかわからない。進行は滞りなく進んでいるはずだった。司会者がステージに立ち、次の段取りを話している。でも俺は心ここにあらずだった。清香の姿が、どこにも見えない。心臓がどくどくと早鐘のように鳴り出し、何かとんでもないことが起きる気がした。司会者が口を開いた。「それでは、新郎さんからひと言いただきましょうか」その瞬間、俺はゾクリとした。そんな段取り、打ち合わせにはなかった。しかし、会場のサラウンドスピーカーからすでに音が流れ始めていた。俺は立っていられなくなり、震えが止まらなかった。それはあの日、船の上で俺が言った、あの言葉だった。「俺は、わざと直人を苛つかせるために清香を追いかけたんだ」「手に入れたら、かえってつまらなくなった」「でも引き下がるのも癪だから、結婚式から逃げて恥かかせるのって面白くない?」会場は、一瞬で騒然となった。そして次の瞬間、大スクリーンに映像が映し出され始めた。あの女の子が俺にキスをしようとした。俺は確かにその時、身体を引いた。だが、シャッターはちょうどその瞬間を切り取っていた。彼女がSNSに投稿した、ホテルの部屋番号。その映像には、俺がその部屋へ入っていく姿まで映っていた。「死ぬ」なんて言い出した彼女に、俺はただ――「そんな馬鹿なことをするな」と止めた。心が折れてしまわないように、少しだけ慰めてしまった。同じように報われない想いを抱える者同士、彼女の辛さが、少しだけわかる気がしていた。それから、病院の前で彼女が泣きながら俺にしがみついてきたあの瞬間の写真。あれは、彼女が俺を諦めると決めたとき。俺はどうしても、突き放すことができなかった。……何も、なかったのだ。でも、どうしてだろう。俺の心は、その瞬間にま
「でも人生って時々、本当に予想がつかないものよね。あの言葉を聞いたあの日から、私はあなたの芝居に付き合って、あなたが私に復讐したいと思っていたその思いを、今度は私が利用して、全力であなたに返したの」「もうやめてくれ……清香」「十八年だよ。諦めろと言うが、どうやって諦められるんだ……」一樹は嗚咽まじりに泣きながら、言葉を絞り出した。「俺はどうすればお前に許してもらえる?頼む、教えてくれ」私は深くため息をついた。「私たち三人は、あまりにも長く絡まりすぎた。そんなふうにして、誰も幸せになれるはずがないのよ」「それにね……あのウェディングドレスみたいなもの。一度裂けてしまったら、もう綺麗には繕えない。作り直したって、身体に合わない」「それが私とあなたの結末」私は席を立った。「だから、もう私を追わないで。あなたたちの愛は、私には重すぎる」「私はもう、振り返らない」彼は苦しげに頭を抱え、髪をかきむしる。「こんなに長い未来があるのに……たった一度のチャンスすら、くれないのか?」私は彼を見つめて、ふっと笑った。「一樹、私が二十三歳のときに、あなたの好きな画家に頼んで描いてもらった絵……あれ、届いてた?」彼は一瞬、呆けたように固まって、それから目尻に静かに涙を落とした。「……これで、本当に終わりなんだな。俺たちはもう、何の関係もない」私は何も言わなかった。背を向けて、そのまま歩き出した。それが、私の答えだった。逃したものは、もう戻らない。たまに惜しいと思うことはあっても、後悔は、しない。ドアを閉めるその瞬間まで、一樹はただそこに立ち尽くしていた。でも、私はわかっていた。すべてが終わったのだと。止まない雨がないように。胸に残るわだかまりも、いつかは解ける。すべての出来事も、きっといつかは思い通りになる。だから私は願う。この果てしない人生の海の中で、心ゆくまで笑い、楽しんでいけますように。いつかこの世界に吹く優しい風が、私の夢をきっと満たしてくれるから。番外編・一樹の場合結婚式の前日、なぜかわからないが、胸がざわついて仕方がなかった。スマホのグループチャットに通知が浮かんだ。【一樹さん、明日の式、ほんとに挙げるんですか?俺たちにもちゃんとした返事をくださいよ】【そうそう、俺たちも見物に行くし、清香