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5.古い部屋と光るアイコン

ผู้เขียน: 中岡 始
last update ปรับปรุงล่าสุด: 2025-11-30 10:14:07

新宿の夜は、仕事が終わっても終わらない。

高層ビルの谷間を抜けるビル風が、熱の残ったスーツの布をわずかに冷やしていく。外に出たばかりの人間には、それがむしろ心地よかった。蛍光灯に晒され続けた目には、ネオンの光さえ一種の癒やしに見える。

村上遥人は、会社の入っているビルを振り返らなかった。背後で自動ドアが閉まる音がしても、足はそのまま交差点に向かって進んでいく。背広の内ポケットに入れたスマホが、歩くたびにわずかに腿に当たった。

信号待ちの人だかりに紛れながら、遥人は何とはなしに空を見上げる。ビルとビルの隙間から、細い夜空が覗いていた。星は見えない。代わりに、他社ビルのロゴや広告の巨大なスクリーンが、色とりどりの光を撒き散らしている。

今日も一日、よく働いた。そう思うと、肩の力が少し抜ける。管理部のフロアから見下ろす営業部の案件の山も、月末前の経費精算の波も、とりあえず今は自分の手の届かない場所へ置いてきた。

横断歩道の青信号が点滅し始め、人の流れが一斉に動き出す。革靴がアスファルトを打つ音、ヒールの高い靴が軽く鳴る音、遠くから聞こえるタクシーのクラクション。街の音が重なり合い、夜の新宿を満たしていた。

会社から最寄り駅までは徒歩数分。その間にコンビニが三軒、居酒屋が五軒、チェーン店のカフェが二軒ある。そのどれにも寄らず、遥人はいつもの道を選んだ。駅に直結している地下通路に入ると、外の風とは違う、空調で均された空気が肌にまとわりつく。

改札の前で、スーツ姿の人間がスマホをかざしながら流れを作っている。その一部として、自分も自然と動く。ピッという電子音とともに、ゲートのバーが開く。何百回と繰り返してきた動きだが、完全に無意識になったことはない。

ホームに降りると、電車が滑り込んでくるところだった。車体の銀色に照明が反射し、車窓には自分と同じような顔がいくつも映っている。無表情な、少し疲れた大人の顔。

乗り込んだ車内は、思ったほどの混雑ではなかった。吊り革はほとんど埋まっているが、押し合いになるほどではない。扉のすぐそばの位置に立ち、遥人は手すりに軽く指を添えた。

電車が動き出すと、バランスを崩しかけた若いサラリーマンが、隣で小さく「すみません」と呟いた。顔を向けると、どこか見覚えのあるような髪型とスーツ姿…だが、よく見れば別人だった。さっきまで一緒に働いていた高橋翔希を、一瞬だけ連想してしまった自分に気づき、遥人は内心で苦笑する。

ああいう素直な後輩、嫌いじゃない。

今日の午前中、管理部の打ち合わせスペースで、彼が必死に説明していた顔が脳裏に浮かぶ。見積りと資料の数字が食い違っている、と、言葉を選びながらもどこか焦った目でこちらを見ていた。説明は決してうまくなかったが、誤魔化そうとしていないことだけは伝わってきた。

営業の若手にしては、変に格好つけていない。自分のわからないところや不安なところを「どうにかしてほしい」と言葉にできるのは、案外難しいことだ。それをできる人間は、伸びる。

一方で、あまりこっちに慣れられすぎると面倒だな、とも思う。

困ったらまず管理部、の窓口にされてしまうと、その分だけ他の仕事が圧迫される。何より、仕事以外の領域に踏み込まれるのはごめんだった。休日にどこで何をしているのか、何を食べているのか、そういうことを誰かに見られたり、知られたりする必要はない。

彼はきっと、まっすぐに人を見てしまうタイプだ。質問するときも、感謝を伝えるときも、正面からの視線を避けない。その目がふと、仕事以外の自分のほうを向くことがあれば、余計なことまで見透かされそうで、少し厄介だ。

電車の揺れに身体を預けながら、遥人は視線を窓に向ける。暗いトンネルの中、時折現れる蛍光灯の光が車内を白く照らし、またすぐ闇に返していく。自分の顔も、他人の顔も、その一瞬ごとに違う陰影を纏う。

ふと、彼が自販機の前で言った言葉を思い出す。

「村上さんみたいになりたいんです」

困ったように笑うしかなかった。そんなことを言われても、実際の自分はただの「便利な裏方」にすぎない。誰からも注目されることなく、書類と数字の整合性を保つために動き回る歯車。

それを「すげえ」と言われても、何かの冗談かと思ってしまう。照れ臭さと、ほんの少しの嬉しさと、そのどちらも隠したい面倒臭さ。感情の扱いは、仕事の数字ほど単純ではない。

電車が最寄り駅に着くと、ホームの空気が少し変わった。新宿ほどの密度ではないが、それでも人は多い。改札を抜けると、駅前のロータリーに小さなスーパーとコンビニ、チェーンのラーメン屋が並んでいる。街灯の下で、タクシーが数台待機し、エンジン音を低く響かせていた。

マンションまでは、歩いて十分ほど。途中でコンビニに入り、適当に弁当とサラダ、それからビールを一本手に取る。レジの若いアルバイトが、流れるような手つきでバーコードを読み取り、合計金額を告げた。

プラスチックの袋が指に食い込み、カサカサと擦れる音が夜の静けさの中に溶けていく。住宅街に入るにつれて、ネオンの光は減り、代わりにマンションの窓から漏れる黄色い明かりが点々と散らばっている。

遥人が住んでいるマンションは、築二十年を超えた五階建ての建物だ。外壁の塗装はところどころ色あせているが、致命的に古びてはいない。エントランスのオートロックに鍵をかざし、中に入ると、少しこもった空気と古いカーペットの匂いが迎えてくれた。

階段を上り、三階の奥から二番目の部屋の前に立つ。鍵を回すと、金属の擦れる音がして、ドアが開いた。

「ただいま」

声に出してみても、返事はない。分かりきったことだが、口にしないと、一日中誰とも会話しなかったような気分になる。

玄関で靴を脱ぎ、狭い廊下を抜けて部屋に入る。ワンルームとはいえ、六畳よりは少し広い。床には薄いラグマットが敷かれ、壁際には低い棚と、簡素なテーブルと椅子。ベッドは窓側に寄せてあり、その横に観葉植物が一つ置かれている。

部屋の匂いは、洗剤と柔軟剤と、ほのかなコーヒーの残り香。窓は閉め切られていて、厚手のカーテンが外界を遮断している。街のざわめきはほとんど聞こえない。代わりに、冷蔵庫の小さなモーター音が、一定のリズムで鳴っていた。

スーツジャケットを脱ぎ、ハンガーに掛ける。肩のラインを整え、シワにならないように軽く引っ張る。その動きは、ほとんど儀式のように身体に染み付いている。

次にネクタイを外す。結び目を指で緩め、するりと抜いて、丸めずに伸ばしたまま引き出しにしまう。襟元がふっと軽くなる。

シャツの第一ボタンを外し、袖をまくり上げると、皮膚に当たる空気の感触が変わった。会社の空気よりも、少しだけ柔らかいような気がする。実際の温度はそれほど変わらないのに、印象だけが違う。

コンビニの袋から弁当とサラダとビールを取り出し、テーブルの上に並べる。テレビのリモコンを手に取って、適当に電源を入れると、バラエティ番組の笑い声が部屋に流れ込んできた。誰かが派手にリアクションを取り、スタジオの観客が大袈裟に笑う。その声は、壁に当たって少しだけくぐもる。

箸で弁当のビニールを破りながら、遥人は画面を見ているようで見ていなかった。出演者の名前も、何の企画なのかも、頭には入ってこない。テロップの派手な色だけが視界の端を行ったり来たりする。

今日の仕事のことを、自然と振り返る。

A社の見積りと資料の数字の違い。営業から持ち込まれた相談。時間のない中で、どこまで整合性を取るかの判断。経理と契約担当への連絡。チャットでのやり取り。修正版の資料を作り、共有フォルダに置き、石田からの確認を受ける。

その一連の流れは、管理部にいる人間なら誰でもある程度はできる。ただ、速度と順番と、巻き込む相手の選び方で差がつく。自分はたまたま、その組み立てが得意なだけだ。

誇るほどのことでもないし、卑下するほどのことでもない。そう自分に言い聞かせるのは、長い時間をかけて身につけた習慣みたいなものだ。

箸を動かす手は止まらない。口に運んだ弁当は、味がしないわけではないが、特別美味しいとも感じない。腹を満たすための燃料として、それで十分だった。

ビールを一口飲むと、炭酸が舌の上で弾け、喉の奥を軽く刺激する。昼間の会議で浴びた蛍光灯とは違う、部屋のオレンジがかった照明が缶の表面に丸いハイライトを作っている。

高橋翔希の顔が、ふと頭に浮かんだ。

打ち合わせスペースでの真剣な表情。自販機の前での、ぎこちない感謝の言葉。「村上さんみたいになりたいんです」と言ったときの、少し赤くなった耳。

ああいう素直さは、見ていて悪くない。管理部には、彼みたいなタイプはあまりいない。どちらかというと、合理的で、感情を隠すことに慣れた人間が多い。自分も、その一人だ。

嫌いじゃないけど、近づきすぎるのも嫌だ。

感謝されるのは、仕事として当然の範囲内なら受け取れる。けれど、それ以上のもの…「尊敬」とか、「憧れ」とか、そういう感情を向けられることには、少し身構えてしまう。期待されるほどの人間ではないと分かっているからこそ、その期待を裏切りたくないという厄介な感情が生まれる。

自分を大きく見せようとは思わない。けれど、勝手に大きく見られて、それで勝手に失望されるのは、もっと面倒だ。

弁当を食べ終え、空になった容器をまとめてゴミ袋に入れる。テレビでは、別のコーナーが始まっていた。芸人が変装して街に出て、一般人の反応を見ている。笑い声が続く画面から、視線をそらす。

食器をシンクに運び、軽く水で流す。洗剤をつけてスポンジで擦ると、油汚れが落ち、指先にギシギシとした感触が戻ってくる。片付けを終えたあとは、バスルームに入り、シャワーを浴びた。

熱めの湯が頭から肩、背中を伝って流れ落ちる。仕事中についた汗と、外の空気を浴びてまとわりついた埃を洗い流す。目を閉じると、水の音だけが世界を満たす。肩の筋肉が少しずつほぐれていく感覚に、安堵と、どこか虚しさのようなものが混ざっている。

シャワーを止めると、急に静かになった。水滴の落ちる音が、タイルの床で小さく弾ける。タオルで髪と身体を拭き、部屋に戻ると、湿った空気が冷房の風と混ざって、肌にひやりとまとわりついた。

ソファ代わりのベッドに腰を下ろし、ローテーブルの上に置いていたスマホに目をやる。画面は消えているが、通知ランプが小さく点滅していた。

指先で画面をタップすると、ロック画面が立ち上がる。時刻は二十三時を少し回ったところ。ロックを解除すると、ホーム画面に整然と並んだアプリのアイコンが表示される。電話、メッセージ、メール、カレンダー。その中に、ひとつだけ色のトーンが違うアイコンが紛れていた。

虹色とも、グラデーションともつかない、小さな四角。そのアイコンを見るとき、自分の表情がどうなっているのか、遥人はあまり意識しないようにしていた。

迷いはなかった。

指先が自然とそのアイコンに伸びる。軽くタップすると、画面が切り替わり、ログイン画面を経て、見慣れたトップ画面が現れる。

ゲイ向けマッチングアプリ。そこには、いくつもの顔写真と、体の写真と、ハンドルネームと、簡単なプロフィールが並んでいる。

「近くにいる人」の欄には、今この瞬間、位置情報をオンにしている誰かが表示されていた。自分と同じように、あるいはまったく違う理由で、ここに来ている人たち。

右上の自分のアイコンをタップし、プロフィール画面を開く。

そこに表示されている文字列は、もう何度も目にしているものだ。

[平日夜/短時間]

[感情なしの関係希望]

[名前聞かないで]

簡素な、しかしはっきりとした線引き。顔写真の欄には、切り取られた身体の一部…鎖骨から下の胸元あたりまでが写った画像が一枚だけ登録されている。首から上は、きれいにフレームアウトしている。

筋肉質というほどではないが、細く締まった胸と腹筋。余計なものは何もない、匿名の身体。

ここには「村上遥人」はいない。いるのは、記号化されたプロフィールと、その向こう側にいる無数の誰かのうちの一人だ。

新着メッセージのタブを開くと、いくつかの通知が溜まっていた。

[今夜、新宿あたりで会えませんか?]

[写真、タイプです。よかったらチャットからでも]

[平日の短時間希望って、どのくらいの感じですか]

画面をスクロールしながら、それぞれのアイコンと一言プロフィールをざっと眺める。年齢、身長、体重、体型、好きなタイプ。顔写真があるものもあれば、風景や食べ物の写真をアイコンにしているものもある。

心は動かない。

だけど、まったく動かないわけでもない。これらのメッセージの中から一人を選べば、数時間後にはどこかのホテルのベッドの上にいる自分の姿が、容易に想像できる。肌と肌の距離、体温、呼吸。そういうものだけを交換して終わる夜。

「恋愛はいつか終わる。でも欲は終わらない」

心の中で、そのフレーズを繰り返す。自分で作った言い訳とも、真理ともつかない言葉。

誰かを本気で好きになれば、その関係には必ず終わりがある。結婚、転勤、倦怠期、裏切り。理由は様々でも、永遠に続くものはない。終わるときには、どちらかが傷を負うか、あるいは両方が削れる。

ならば、最初からそこに期待しなければいい。感情を切り離して、身体だけを借り合う。名前も知らず、知られずに済む相手と、数時間だけ同じベッドにいる。そのほうが、ずっと合理的だ。

画面の中で、メッセージ一覧をスクロールする指先は、滑らかだった。迷っているようには見えない。実際、何に迷う必要があるのかも分からない。

視界の端に、別の記憶がちらつくまでは。

白いシーツの上で、誰かの背中が見える。枕元に落ちたネクタイ、乱れたシャツ。窓の外は雨で、ガラスに細かい水滴がびっしりと張りついていた。

その背中が振り向き、柔らかい笑みを浮かべる。

『結婚するから、もう会えない』

あのときの声は、妙に穏やかだった。悲しみも、怒りも、申し訳なさも、ほとんど滲んでいなかった。ただ、決定事項を告げるみたいに淡々としていた。

『お前は特別だったよ』

続いた言葉に、思わず笑ってしまった自分がいたのを覚えている。笑わずにはいられなかった。どこが特別なんだ、と頭の中で何度も問いながら、その「特別」という言葉にどれだけ縋っていたかも、同時に思い知らされた。

久我遼。あの男の名前を、今も心の中で口にすると、胃のあたりがわずかに重くなる。

取引先の営業として出会い、仕事の話の延長線上の飲みの席で距離が縮まり、週に一度会うようになった。最初は、軽い遊びのつもりだった。彼もそうだと思っていた。

いつから自分だけが本気になっていたのか、今となってはもう分からない。気づいたときには、彼の何気ないメッセージ一つで気分が上下するようになっていて、翌日の仕事に支障をきたすこともあった。

そして、全部が明るみに出かけたとき。

「取引先に手を出した」と噂され、自分だけが矢面に立たされ、彼は「困っている」と被害者の顔をした。人事部の会議室で、何度も説明を求められ、結局は「誤解」として処理された。形式的には。

実質的には、自分の評価には小さな傷が残った。それを口に出す人間はいないが、雰囲気で分かる。あの件以来、昇進の話が遠のいた。自分でも、そのほうが楽だと思った。責任あるポジションに就けば、それだけバレたときのリスクが大きくなる。

だから、もう二度と、誰かひとりに気持ちを預けることはしないと決めた。

画面の中で、過去のメッセージ履歴が一瞬ちらついた気がして、遥人は意識的に目をそらした。久我とのアカウントは、とっくの昔にブロックしている。連絡先も消した。にもかかわらず、記憶だけは簡単に削除できない。

「…さて」

小さく息を吐き、再び視線を現在のメッセージに戻す。

今夜会える相手は何人かいる。そのうちの一人のアイコンをタップすると、チャット画面が開き、既にいくつかのやり取りが続いていた。

[平日夜なら短時間で]

[場所は新宿か、その周辺]

[名前は聞かないし、聞かないでほしい]

条件は、どれも自分が決めたものだ。相手が何をしている人間か、どこに住んでいるか、本名が何か。そんなことを知ったところで、今の自分には意味がない。

「恋愛はいつか終わる。でも欲は終わらない」

もう一度、その言葉を心の中でなぞる。まるでおまじないのように。

メッセージを打つ指先は軽い。相手の質問に短く答え、時間と場所だけを決める。「今から一時間後に、新宿駅東口の近くのホテル街で」と。送信ボタンを押すと、画面に小さな送信マークが表示される。その隣に、「既読」の文字がすぐに追加された。

相手のオンライン表示が点灯し、返事の吹き出しが打たれては消え、再び打たれる。誰かがこちら側に向かっている。その事実だけが、今夜の予定を確定させる。

表情は、変わらない。

部屋の中は静かで、少し寒い。冷房の設定温度を一度上げるか迷って、そのままにする。肌寒さくらい感じていたほうが、眠気も欲望も誤魔化さずに済む気がした。

スマホの画面をホームに戻すと、他のアイコンが目に入る。メッセージアプリの未読は一件もない。家族からの連絡も、古い友人からの連絡も、最近はほとんどない。必要最低限のやり取りはしているが、「最近どう?」と聞かれるのが面倒で、こちらから話を振ることは少なくなった。

画面をふと消すと、部屋が一気に暗くなったように感じた。実際には照明はついているのに、さっきまでの光が目に残像を焼き付けていたせいだ。

スマホをテーブルの上に置き、遥人はベッドに背中を預ける。天井を見上げると、薄い白い塗装の中に、いくつかの小さな傷や汚れが見えた。そこに視線を固定していると、何も考えずに済む。

それでも、この街のどこかで、自分の知らない誰かが同じようにスマホの画面を覗き込んでいる光景が、ぼんやりと頭に浮かぶ。通勤電車の中、コンビニのレジ待ちの列、自宅のソファの上。誰もが小さな光の画面に、何かを求めて指を滑らせている。

その中の一人が、今日、自分の仕事を「すげえ」と言ってくれた後輩である可能性については、遥人は知らない。

スマホの通知ランプが、また小さく点滅した。相手からの「了解です」という短いメッセージが届いたことを知らせているだけだ。

それを確認し、遥人は無表情のまま、メッセージ一覧を親指でスクロールした。流れていくハンドルネームとアイコン。そのどれもが、今夜の自分とは、ほんの数時間の接点を持つだけの、名前のない人たち。

画面の明かりだけが、不自然に鮮やかだった。外のネオンと、部屋のオレンジ色の照明と、その間に浮かぶ青白い光。その中に、自分の孤独と、捨てきれない欲望と、終わってしまった恋の残骸が、静かに重なっている。

遠くで、救急車のサイレンが小さく鳴った。都会の夜の音に紛れて、すぐに聞こえなくなる。

遥人は立ち上がり、クローゼットからまた別のシャツを取り出した。今度は、会社の名札も社員証も付いていない、無地のシャツ。鏡に映る自分の姿を一瞥し、何も言わずに視線をそらす。

ガラス張りの箱の中で「村上遥人」と呼ばれていた男と、これからアプリの世界で誰かと会う人間は、同じ身体を持ちながら、別の顔をしていた。

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    それからの時間は、音を立てずに進んでいった。派手な出来事があったわけではない。ただ、気づけば、ホテルの白いシーツよりも、村上遥人の古い1Kの布団の感触のほうが、翔希の中で「いつもの夜」に近づいていた。ある平日の夜、高橋翔希は、いつもの新宿のビジネスホテルではなく、少し路地を入った先の古いマンションの前で立ち止まっていた。数週間前に初めて上がった階段。二、三本ほどペンキが剥げた手すり。雨上がりで少し湿ったコンクリートの匂いが、鼻の奥にまとわりつく。インターホンを押すと、少し間があってから、かすかに聞き慣れた声が返ってきた。「はい」「高橋です」「ああ、開けるね」ブザーの音とともにオートロックが外れ、扉が重い音を立てて開く。エレベーターのない階段を上がりながら、翔希は何度目かの、しかしまだ慣れきらない高鳴りを胸の中で確かめた。三階の廊下に出ると、薄いカーペットの匂いと、どこかの部屋から漏れるテレビの音が交じり合っていた。指定の部屋番号の前まで歩き、軽くノックする。「開いてるよ」内側からそう声がして、ドアノブを回すと、少し油の抜けた金属音がした。扉を引くと、見慣れてきたワンルームの景色が広がる。キッチンには、シンクに伏せられたマグカップが二つ。テーブルの上にはコンビニの袋と、簡単な総菜パック。部屋の中央には、布団ではなく、小さなソファとローテーブルが置かれている。その向こう側に、広げたままの洗濯物がハンガーに吊られていた。「お疲れ」キッチンの手前で、村上が片手を上げた。シャツの袖を肘までまくり、ネクタイはすでに外してテーブルの端に置いてある。眼鏡の跡が鼻の付け根にうっすら残っていた。「お疲れさまです。今日もありがとうございます」靴を脱ぎながらそう言うと、村上は小さく笑った。「そんなに改まらなくていいのに。ほら、適当に座ってて。ご飯、温めるから」「何買ってきたんですか」「たいしたものじゃないよ。コンビニの焼き魚とサラダと…あと、高橋くんが好きって言ってた唐揚げ」

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    朝の通勤電車が、ビル群の隙間を縫うようにガタン、と揺れた。高橋翔希は吊革を握りしめたまま、ドアの向こうに流れる景色をぼんやりと眺めた。窓ガラスには、スーツ姿の自分の顔が薄く映っている。ネクタイはきちんと締まり、ワイシャツの襟も、いつも通りに収まっているはずなのに、その「いつも通り」がひどく他人のものに思えた。昨夜、自分は誰かを抱いていた。それも、ただの「誰か」じゃない。村上遥人という名前を、何度も喉の奥で転がしながら、相手の体温にしがみついていた。肩に噛みつくときの塩辛い汗の味も、耳元で震えた息も、まだ肌のどこかに貼り付いている気がする。そのすぐ翌朝に、こうして満員電車に押し込まれて、会社へ向かっている。このギャップに、軽い眩暈みたいなものが込み上げた。ドア横の広告には、新築マンションやブライダルフェアのポスター。笑顔のカップルの写真に「理想の未来を一緒に」と白い文字が踊っている。昨日までなら視界の端をただ通り過ぎていたはずのその言葉が、今日は妙に目に刺さった。理想の未来。自分の理想は、何だったんだっけ、と翔希は思う。二十代半ばの営業職。数字は悪くない。上司からの評価もそこそこ。いずれ結婚して、どこかの郊外に2LDKでも構えて、週末に大型スーパーでまとめ買い…そういう「普通」が、なんとなく自分の前にも用意されているのだと、どこかで信じていた。でも今、あの薄暗いホテルの部屋や、古い1Kマンションの見慣れない天井が、頭の中で強く残っている。あの場所で、村上を抱きしめていた自分と、この広告の中の「未来」を目指す自分は、同じ人間なのか、本当に、と考えると、足元がふわついた。電車が駅に滑り込み、乗客がざわ、と動き出す。人の波に押されながらホームに降り、ビルへ向かう。オフィスビルのエントランスに入ると、冷房の冷たい風がスーツの布越しに肌を撫でた。エレベーターホールには、あちこちのフロアへ向かう社員たちが集まっている。二十階のボタンのライトがぼんやりと光っていた。翔希は、その列の中に自然に混ざる。扉が開き、人がぎゅっと詰め込まれる。革靴の匂い、スーツの生地に染み付いた柔軟剤と香水の匂いが

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