ログイン亡命した将軍シュルツ。 彼の目に映ったのは、 統制も規律もない異常な日常だった。
フェルマー視点:シュルツという亡命者 報告を受けた瞬間、私は彼を「処分候補」に分類した。 元・ブリュード王国第二将軍シュルツ。 前線指揮、兵站管理、兵の損耗抑制―― いずれも一級。 優秀な亡命者ほど危険なものはない。 選択を誤ったときの破壊力が違う。 ヒマリは「一人で会う」と言い張った。 私は記録水晶を操作しながら、男の経歴を洗い直す。 不自然なほど、整っている。 武功誇示がない。 私怨による粛清がない。 部下の損耗率が異様に低い。 英雄でも、狂人でもない。 ただ、削られながら生き残ってきた男だ。 こういう人間は危うい。 次に何を信じるかで、世界の形を変える。 私は間者の可能性も考えた。 だが決定的に違う点が一つあった。 ――彼は、何も要求していない。 地位も権限も、情報も。 忠誠の証明すら、自ら差し出さなかった。 亡命者とは本来、信用と引き換えに何かを渡す生き物だ。 だが彼は違う。 疲れ切っている。 逃げたのではない。 壊れる前に立ち去ったのだ。 ヒマリが通した理由も理解できる。 彼女は浄化の時、直感でポイントを変える。 そして今回も外していない。 私は監視名簿に彼の名を記し、優先度を一段下げた。 代わりに注記を残す。 ―― 「支配すれば壊れる。 だが放てば、最も長く残る」 ―― 扱いづらい。 だが、最も価値がある。 それが、シュルツという男の評価だった。 ◆ シュルツ視点:魔王城の内部 目を覚ましたとき、鐘は鳴らなかった。 号令も、起床ラッパもない。 それなのに、拠点は静かに動いている。 廊下を何かが滑っていった。 ……雑巾? 違う。ゴーストだ。 その上に腹ばいで乗ったヒマリが、片手を振る。「おはよーございまーす……」「何をしているのですか」「掃除」 即答だった。「歩けばよいのでは?」「昨日走り回ったから疲れてて」 意味がわからない。 だが彼女はそのまま、すい、と曲がり角へ消えた。 私はしばらく立ち尽くした。 ――常識が通用しない。 だが、空気は穏やかだった。 ◆ 食堂らしき部屋に入ると、さらに異様だった。 長机の上に、食事が並んでいる。 だが配置が雑だ。 鍋、パン、果物、干し肉、薬草茶。 統一感が一切な
軍章を外した瞬間、私は王国の将軍ではなくなった。 私の中では、すでにすべてが終わっていた。 ノリス様は笑っていた。 あの人らしい、無邪気さの残る、残酷な笑み。「式はここでやるの。 魔王の婚礼に神父はいらないって!ね、素敵でしょ?」 ジギスムント様は、表情を変えず頷いた。 神父も誓約書もない婚礼など、国家として有り得ない。 陛下は百もご承知のはずなのに。 私はその場で理解してしまった。 この方は王たる資質を欠いている。 忠誠を捧げるべき主君の姿はなく、 遊戯を完成させるための駒同士の会話だ。 私は第二将軍として、 多くの戦場を見てきた。 裏切りも、粛清も、狂気も。 だが今の光景には、 それらとは別種の冷えがあった。 心が、最初から置かれていない。 ノリス様が本当に気づくのはこれからだ。 その夜、私は部屋に戻らなかった。 荷をまとめ、軍章を外し、剣だけを取った。 逃亡ではない。亡命だ。 向かう先は一つだけ。 ――ヒマリ。 彼女は最近、妙に名が挙がる存在だった。 無力と噂され、同時に魔王城を制したとも囁かれる女。 だが、事実魔物の被害は軽減していた。 不気味なほど、静かな中心。 私は情報網を頼り、 夜明け前の外縁拠点にたどり着いた。 魔王城を見渡せるだけの粗末な建物だった。 警備も、威圧も、誇示もない。 拍子抜けするほど、普通だ。 だが、聖女はここを会合場所に選んだ。 第二将軍である私を魔王城で受け入れるわけには いかないのだろう。 扉を叩くと、すぐに声が返った。「はーい。どうぞー」 ……軽い。 中に入ると、ランプの下に少女がいた。 異世界人らしく黒髪だ。 年若く、可愛らしい奇妙な服を着ている。 危険な気配はない。 だが――なぜか、視線を逸らせなかった。 それが、ヒマリだった。「えっと。シュルツさん?」 私は片膝をついた。 軍人としての、最後の礼だ。「はい、私がシュルツ。 元・ブリュード王国第二将軍。 本日をもって、亡命を希望する」 沈黙。 だが、重くならない。「ふーん。将軍さんなんだ」 ヒマリは首をかしげた。「亡命ってことは、 ノリスとジギスムントのとこ、やめたの?」「…
魔王ノリスは、城の高みから夜を見下ろしていた。 風に揺れる銀髪。 赤い瞳は、楽しげに細められている。「……ふふ」 思い出すのは、少し前の出来事だ。 あの聖女――ヒマリとの、二度目の対話。 ◆ 中層回廊。 結界の向こうで、ヒマリはひとり立っていた。 周囲に魔物はいるが、前に出てくる気配はない。 まるで、話すための場所を用意したかのようだった。 ノリスは肩をすくめて歩み寄る。「逃げなかったのね。偉いわ、聖女」 ヒマリは一歩も退かず、まっすぐに見返してきた。「今日はフェルマーも魔物もいない。 あなたと話したかったの」「ふうん?」 ノリスはくすりと笑う。 柱の陰にデーモン2、骸骨兵3。 ――あれで魔物を隠したつもりか。 城の機構に手を入れて来るかと思ったけど。 直接交渉しに来た。 でも、震えてもいない。 その事実が、少しだけ気に入らなかった。「で? 私の城を勝手に弄って、私の配下を浄化して―― 次は何? 王でも奪うつもり?」 わざと、棘を含ませる。 ヒマリはきょとんとした。「……え?」 その反応が、あまりに素直すぎて、ノリスの方が拍子抜けする。 演技なのか、試しているのか判断が付かない。「ジギスムントよ。 あなた、王位を狙ってるんでしょう?」「え、全然?」 ヒマリは首をぶんぶん振った。「正直、捨てられた立場だし、興味ないよ。 下層を攻略したのも、私が生きる場所を作りたいだけで ……恋とか政略とか、よく分からないし」 ノリスは思わず目を瞬かせた。(……は?) 何か勘違いしていたのか。 少し魔力で圧を掛けて確認する。「じゃあ、私とあの男を巡って争うつもりも?」「ないない。 むしろ、ノリスが狙ってるなら応援するわよ?」 ノリスの魔力を身に受けているはずなのに、 あまりに軽い調子だった。「今更どういうつもり!?」 今度はノリスのほうが声を漏らす。 ヒマリは少し困ったように笑った。「だって、あなた強いし綺麗だし。 もう、あなたのこと好きでしょ♡ 王様だって」 沈黙。 ノリスは数秒、言葉を失った。(……敵意が、ない?) 競争心も、嫉妬も、策略もない。 ただの事実確認のような目。「……あなた、私を警戒してないの?」「してるけど。敵とし
中層の回廊は、張りつめた空気に満ちていた。 ノリスの出現は、完全に想定外だった。 その存在感だけで、浄化された魔物たちは震え、 膝を折りかけている。 ――古い支配の残滓。 欲望構造の奥深くに根を張った恐怖が、 まだ消えきっていない証拠だった。 ヒマリは密かに浄化の光を魔王に送ったが 光は届く前にかき消された。(全然ダメだ) ヒマリは歯を食いしばり、フェルマーに視線を送る。 フェルマーは即座に察し、結界石を操作した。 淡い光が広がり、小規模な遮断結界が展開される。「撤退よ! 全員、下層へ!」 ヒマリの号令と同時に、魔物たちが一斉に後退を始めた。 ノリスは腕に膨大な魔力を込めると 力任せに結界を殴りつけた。 ドガァァン。 結界こそ破れなかったものの振動で 壁面一帯にヒビが入り、魔術師の足元が崩れた。「ゴリラ女め、何でも力で解決できると思うな!」 ヒマリ逃げたことを確認し、フェルマーは悪態を付く。「誰がゴリラよ。ジギスムントに怒られないよう これでも手加減してるんだから」 ノリスはフェルマーの引き攣った顔を見て くすくすと楽しげに笑った。「逃げるの? いいわよ、聖女。 また遊びに来てあげる」 黒い霧が彼女の身体を包み、 次の瞬間には上層へと溶けるように消えていた。 ◆ 最下層――仮作戦室。 扉が閉ざされ、結界が幾重にも張られる。 魔物たちは警戒態勢のまま配置につき、 フェルマーはすぐに記録水晶を展開した。 空中に、ノリスの魔力残滓データが浮かび上がる。 ヒマリは椅子に座るなり、テーブルに突っ伏した。「……最悪。あの人、強すぎる」 しばらくして顔を上げ、ぽつりと続ける。「私の浄化、まったく効く気配なかった」 フェルマーは水晶から目を離さず、淡々と言った。「当然だ。ノリスは魔王だ。 欲望構造が複雑すぎる」 投影されたデータが変化する。 絡み合ったグラフが、異様な密度で重なっていた。「支配欲、快楽欲、承認欲、退屈回避。 すべてが高水準で混在している。 君の光で上書きするには、完全解析が必要だ」 ヒマリは顔をしかめる。「……今の私じゃ無理、ってこと?」「その通りだ」 即答だった。「今の段階で無理に触れれば
王都ブリュード、王宮最上階。 夜風を裂いて、魔王ノリスは窓辺から飛び立った。 赤い瞳に映るのは、宝石のように煌めく王都の夜景 ――だが、彼女の視線はさらにその先、 闇に沈む魔王城の方角を射抜いている。「……変ね」 小さく呟き、指先で虚空をなぞる。 闇の魔力が糸のように伸び、 かつて自らの力で満たしていた旧魔王城の循環を探り始めた。 下層は卑屈で、怯えたように蠢く闇。 中層は妖しく、荒々しい衝動の坩堝。 上層は冷たく、重く澱んだ支配の核。 それが、ノリスの知る自分の城だった。 ――だが。「下層が……静かすぎるわ」 穢れの唸りがない。 代わりに感じ取れるのは、白く整えられた流れ。 生き物の呼吸のように、規則正しく循環する魔力。「生きてるのね、あの小娘」 唇が歪む。 愉悦と苛立ちが入り混じった、危うい笑み。「ジギスムントはロンデル公国を優先したけど……」 ノリスは飛翔の速度を上げた。「私は、自分の城を他人に使われたままにしておくほど、 甘くないのよ」 王都の門付近で、影が慌てて追いつく。 ジギスムントの配下だ。「殿下、王都防衛任務の最中です。単身行動は――」「黙りなさい」 甘く、冷たい声。 それだけで、影は喉を詰まらせた。「私の城が、私以外の誰かに制御されている。 確かめずにいられると思う?」「……王には、報告を」 影は膝をつきながらも告げる。 ノリスは振り返らなかった。 数時間後。 魔王城上空で、黒い霧が渦を巻いた。 それは凝縮し、ひとりの女の姿を形作る。 漆黒のドレスが、夜そのもののように揺れている。 月光が彼女の肌に触れた瞬間、 それは白磁のように冷たく輝いた。 赤い瞳は血よりも深く、鮮明な色を纏い 見る者の本能に告げる。 ――逆らってはならない存在だと。 ノリスはかつて自らの玉座があった最上階のバルコニーへ、 音もなく降り立つ。「……ずいぶん変わったわね」 空気を吸い、わずかに眉をひそめる。 腐臭は薄れ、瓦礫の匂いもない。 代わりに漂うのは、清浄で均された魔力。 下層から中層へ―― 魔物たちの気配が、異様なほど秩序立っている。「下層から浄化……城全体に波及してる?」 ノリスは小さく笑った。
ゴブリンたちは、新しく現れた支配者に警戒の目を向けていた。 ヒマリが何故こんな尊大な男を受け入れたのか 理解が追いつかない。 一方、スケルトンたちは、かちゃり、かちゃりと骨を鳴らし、 満足げに並んでいる。 その中心で、フェルマーが立ち上がった。「まずは現状把握だ」 即座に、冷えた声が場を引き締める。「君の浄化――《浄化支配》は、 対象の欲望構造を正確に読み取らなければ、上書きに失敗する」 ヒマリはフェルマーが差し入れた パンと果物を必死に口に入れている。「下級魔物は単純だ。生存欲だけ。 だが中層以上は違う。欲望が複雑に絡み合っている」 フェルマーは指を立てた。「無計画で進めば、城の魔力循環が崩れ、 最悪――魔物は全滅だ」 ヒマリはパンを喉に詰まらせ、涙目で聞き直す。「……あなた、なんでそんなに詳しいの?」 フェルマーは当然のように答えた。「私が召喚したからだ。 君の力の理論値は、最初から把握している」 傲慢な物言い。 だが、内容は正確だった。「ただし、理論と実施は違う。 聖女の力が最初に発現しなかったのがいい例だ。 だから観測していた」 ヒマリは一拍置いて言う。「……わかった。でも、私はヒマリ。 聖女って呼ぶの、やめて」 フェルマーは一歩近づき、彼女の顎に指をかけた。 丸い眼鏡の奥で瞳が歪んだ。「ゴミ捨て場の聖女、ヒマリよ。承知した」 ぞわり、と空気が揺れる。 ◆ 最下層の広間は、即席の作戦室へと作り替えられた。 浄化されたゴブリンたちが木箱を運び、 ゴーストたちが古びた地図を丁寧に広げていく。 ヒマリは埃っぽい椅子に腰を下ろした。 向かい側で、フェルマーは僅かに眉をしかめた。「座らないの?」「中層も魔物の警戒心が強まっている。 ジギスムントが何かやったのだろう」「前に失敗したのに、更に難易度があがるの?」 ヒマリの顔がこわばる。「……ふん、私がいるからには思い通りにいかない」 フェルマーは鼻で笑う。「あなたの頭はさぞかし優秀なんでしょうね」 ヒマリは面倒くさそうに相槌を打った。「天才の思考は立位のほうが冴える。 ――だが、君の最適化理論に従うなら」 フェルマーはヒマリを見つめながら、
王都ブリュード、王城最上階。 重厚な扉の向こう、執務室には静かな緊張が満ちていた。 机いっぱいに広げられた地図。 その前に座る男は、 まるで大理石から削り出された彫像のようだった。 長い睫毛の影が白い頬に落ち、 整いすぎた輪郭は感情を拒む刃のように鋭い。 淡い銀の髪が光を受け、静かに揺れる。「……遅いな」 ぽつりと漏れた声には、苛立ちが滲んでいる。 本来なら、とっくに報告が届いているはずだった。 ゴミ捨て場――処分したはずの異世界人の痕跡について。「フェルマーめ……」 蒼い瞳がゆるやかに細まる。 あの男は有能だ。 天才で、合理的で、感情に左右されない。
通路は、思っていた以上に広かった。 崩れた石壁の向こうへと続く回廊は、 かつての城の名残を感じさせる造りで、 ところどころに装飾の欠片が残っている。「ここが……魔王城……」 ヒマリは、足元を確かめながら歩いた。 湿った石床。 天井の高い空間には、かつての威厳が微かに残っている。「昔は、もっと栄えておりました」 先導するゴブリンが、静かに言った。「魔王クルス様が在りし頃は、 この城一帯が闇の都と呼ばれておりました」「……今は?」「主を失い、統制を失い ……強き魔物が弱き者を喰らう場所になりました」 淡々とした口調だった。 だが、その奥には、わずかな苦さ
ゴブリンが突然動きを止めた。 その理由を、ヒマリはすぐに理解したわけではない。 ただ、闇の奥で何かが目を覚ました気配だけが、肌を刺した。 ガサリ。 複数の足音。 赤い光が、闇に点る。 一つ、二つ……十を超える。 腐った息。 低い唸り声。(……来ないで……) 後ずさった背中が瓦礫にぶつかり、逃げ場が消える。 闇から現れたのは、歪な影たちだった。 骨だけの骸骨。 粘液の塊。 腐臭を放つ死体のような魔物。 魔王城の最下層に巣食う、最底辺の存在。「来るなっ!」 反射的に手を突き出した瞬間―― 白い光が、ふわりと指先から溢れた。 眩しくはない。
眩しい光に包まれ、思わず腕で顔を覆った。(……え?) さっきまで、狭いワンルームのベッドにいたはずだ。 スマホを握ったまま寝落ちし、通知の来ない画面をぼんやり見つめていた。 それなのに、鼻を刺す空気の匂いが違う。 古い石の冷たさ。ざわめく人の気配。「成功だ……!」 誰かの興奮した声が響く。 恐る恐る目を開いた瞬間、心臓が止まりそうになった。 見知らぬ大広間だった。 高い天井。壁一面に刻まれた巨大な魔法陣。 床には淡い光が流れ、豪奢な衣装をまとった人々が並んでいる。 まるでゲームか映画の世界。 けれど――違和感があった。 誰も、私を見ていない。 視線の先は、少