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久我探偵事務所の灯りの下で
久我探偵事務所の灯りの下で
Author: 晴坂しずか

詐欺か善か①

last update Huling Na-update: 2025-12-04 11:23:54

 東京の中野駅からほど近い雑居ビルの二階、薄暗い階段を上がった先に久我探偵事務所はあった。白地に青文字で書かれたシンプルな看板が目印だ。

「実家の父のことなんです」

 冷房の風がひかえめにあたる応接スペースで、依頼人の宮崎春香は訴える。

「去年母を亡くして、今は一人で住んでいるんですが、今年に入ってから様子がおかしいんです。若い女性に何度もお金を渡しているみたいで、詐欺ではないかと心配で」

 所長の久我健人くがたけとは真剣なまなざしで聞き返す。

「詐欺といいますと?」

「妙なものを買わされてるんです。幸福になれる線香とか、気持ちを穏やかにさせる石とか」

「典型的な悪質商法ですね」

「そうですよね。父が言うには、そのボランティアの女性、中山さんはホープ・リレーションズっていう団体に所属しているらしいんです。

 最初は話を聞いてくれるだけだったみたいなんですが、いつからかお金を渡すようになったようで、預金額がどんどん減ってるんです」

 不安そうに宮崎春香は伏し目がちになり、膝の上に置いた手をぎゅっと握った。

 久我はできるだけ穏やかな口調で確認する。

「お金が減っているのは、その中山さんのせいだとお考えなのですね」

「ええ、そうです。父はお金のかかるような趣味は持っていませんし、他に考えられません」

「お父様は何とおっしゃっているのですか?」

 宮崎春香は再びため息をついた。

「それが、まったく疑ってないんです。中山さんの言う通りにすればいいと思いこんでいて……だから、父に考え直してもらえるよう、調査を依頼したいんです」

 久我は事情を把握し、うなずいた。

「分かりました。ぜひ調査しましょう」

「ありがとうございます」

 宮崎春香はほっとした顔をし、久我はさっそく依頼料について説明を始めた。

 話が済み、依頼人が帰っていったところで久我は言った。

「間遠、向かってくれるか?」

 デスクで退屈していた間遠桜まどうさくらが立ち上がる。派手な金髪に、どこか挑戦的なやんちゃな顔つき。久我探偵事務所を代表するベテラン調査員だ。

「どこですか?」

「依頼人の父親の調査だ。場所は練馬区大泉学園町。現地で聞き込みを行い、可能な限り、生活状況を把握すること」

「分かりました」

「詳細な情報と必要な資料は、あとで君のスマホへ送信する」

 久我の言葉に間遠はうなずき、壁にかけてあったバイクのヘルメットを手にする。

「いってきます」

 と、上着を羽織って事務所を出ていった。

 間遠を見送った久我はデスクへ戻り、依頼人から得た情報を整理して、間遠のスマートフォンへ送信する。

 ふうと小さく息をついた時、事務員である神崎寿直かんざきすなおが話しかけてきた。

「所長、先ほど依頼人が口にされていた『ホープ・リレーションズ』について、検索をかけてみました」

 久我は顔を上げ、その仕事の速さにわずかに目を瞠った。

「早いな。まだ指示はしてないはずだが」

 神崎はやわらかな笑みを浮かべた。

「されなくても分かりますよ。もうここで働いて四年目ですから、所長の考えてることはだいたい想像がつきます」

 神崎は肩まである明るい茶髪をゆるくハーフアップにしており、細く整った顔立ちも相まって一見すると性別が判別しにくい。かけている伊達メガネでも彼の美しさは隠せていない。

「それで、何か引っかかったか?」

 久我の問いに、神崎は視線を再び手元の画面へ戻した。

「はい。練馬区の協働交流センターに登録されていましたので、団体として実在しているのは確かです。ただ、公式なウェブサイトや活動内容は載っておらず、現状として具体的な実態まではつかめませんでした」

「なるほど。登録があるのは一歩前進だ。代表者の名前でSNSを調べてみてくれ。きっとその方が早い」

「分かりました、やってみます」

 神崎はすぐにマウスを動かし、キーボードをたたいた。

 久我は途中だったネット相談の続きを開始し、返信を打ち始めた。

 最近ではネット相談をAIに任せる向きもあるが、久我探偵事務所では導入していなかった。というのも、所長である久我が元警察官であることを売りにしているためだ。

 経歴を信じて助けを求める人に対して、真面目な久我は手を抜くことができなかった。

「うーん、これは……」

 神崎が困惑したような声を出し、久我は視線を向ける。

「何か見つかったか?」

「SNSで注意喚起している人物がいるんですけど、ホープ・リレーションズではないんですよね」

 久我は席を立った。横からパソコンの画面を覗き込む。

「詐欺だと訴えていますが、あまり拡散されていませんし、同姓同名かもしれません」

 SNSに投稿されていたのは永和聖会という、聞いたことのない組織を告発する文章だ。代表者の名前も挙げられているが、久我は苦笑した。

「代表者の名前は田中宏和、か。確かに同姓同名が多そうだ」

「どうします? ネットでこれ以上追っても、有益な情報は出てこない気がしますが」

「そうだな、一旦保留にしよう。間遠からの情報を待ってからでも遅くはない」

 直後、久我のスマートフォンが着信を告げた。

 すぐに耳へ当てると、間遠の元気のない声が聞こえてきた。

『すみません、久我さん。中山に会っちゃいました』

 事務所へ戻ってきた間遠は落ち込んでいた。

「近所で聞き込みをしている最中、中山が通りがかったんです。話を聞いていた人は中山と知り合いだったらしく、何気なく挨拶をして……」

「振り返っちゃったんですね」

 神崎が呆れ半分に言い、間遠はため息をつく。

「目が合ったんすよ。あの顔、確実に警戒されました」

 初日からミスをするとはついていない。しかし、ここでそれを責めても意味がない。

 久我は肩を落とす間遠の頭へ、そっと手を置いた。

「気にするな。他にもやりようはある」

「久我さん……やっぱオレ、黒髪にした方がいいすか?」

 上目遣いに見つめられ、久我は優しく微笑んだ。

「それはないな。僕は君らしくしている間遠が好きだ」

「っ……なな、何言ってんですかー!」

 間遠は顔を真っ赤にすると、一目散に給湯室へ逃げていった。

 神崎が冷めた目をして久我を見る。

「所長、何してるんですか」

 気まずさを覚え、久我は目をそらしながら返した。

「すまない。間遠があまりに可愛かったから、つい正直な想いを伝えてしまった」

「いつも言ってますけど、仕事中に間遠さんを口説くの、やめてもらえませんか?」

「すまない……。善処する」

「まったく、それでこれからどうするんですか? 間遠さんの顔が割れた以上、もう近所での聞き込みはできませんよ」

「そうだな。父親が買わされたという商品の写真があるから、次はそっちを調べてみるか」

「ネットで見つかるといいですけどね」

 すかさず神崎が皮肉り、久我は「僕が調べよう。神崎は他の仕事をしててくれ」と、席へ戻った。

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