Masuk「……ぶっ、あははっ! もしかして、校長が本当に生徒を倒してるって、そう思ってたの?」「だって、クラスのお二人がそう言ってましたし、あなたも否定しませんでしたし」「それはものの例えだよ。朝礼では立ちっぱなしで校長の長い話ずっと聞いてるから、倒れる人出てくるってこと。校長が間接的にそうしてるって話だよ」 カンナはただ黙って聞いていた。頭の中で、キセキの説明を反芻しているようだ。「つまりは、校長先生は本当に生徒たちを倒しているわけではないと?」「そういうこと。仮にそうだったとして実際、どういう風に生徒を倒すんだ?」「それは何か、超能力のようなものを使ってかと」 既に二人きりになった教室で、キセキの笑い声が響いた。 カンナはふてくされた表情でキセキを睨んでいた。「そんなに笑わないでください。知らなかったんですから」「悪い悪い。……ああ、久しぶりにすげぇ笑った」 笑いすぎての涙を拭うキセキ。カンナは先刻までの怒りが収まったのか、急に態度を変えて言った。「キセキさん、先ほどはすみません。嘘つきなどと言ってしまい」「いいよ別に。ただの勘違いだったんだろ?」「怒ってませんか?」「ないよ」 それを聞いたカンナは、やっと表情が柔らかくなった。「良かった。やっぱり校長先生の仰ったことは本当だったのですね。皆さん良い人です」「何だよそれ。それを言うなら、神崎もじゃないか?」「どういうことですか?」「人に謝れるのって、当たり前だけど良いやつのできることなんだぞ」 その後は二人揃って学校を出て、帰路についた。 足取り軽いカンナの手には、みかんジュースがしっかりと握られていた。
しかしカンナは、どうしても確かめたいことがあったため、その背中に向かって声をあげた。「あ、あのっ」「はい、何か?」 ゆっくりと校長は振り向いた。カンナは息を整え、口を開く。「校長先生は、とても良い人なんですね」 一瞬、きょとんとした表情を浮かべた校長だったが、すぐににこやかな笑顔を浮かべて答えた。「ははは、ありがとうございます。それほどでもありませんよ。おや……」 校長はカンナの姿を改めて見ると、何か思い出したかのように続けた。「あなたはもしかして、編入生の方ではありませんか?」「はい。神崎カンナと申します」「そうです、神崎さんでしたね。橙色をした髪の毛の方が我が校にいらっしゃると聞いていたものですから、ふと思い出したのです。まだ始まったばかりですが、学校生活はいかがですか?」 校長はにこやかな笑みを絶やさずに尋ねる。「とても楽しいです」「それは良かった。生徒も先生も皆さん良い人ですから。困ったことがありましたら、なんでも仰ってくださいね。それでは……」 校長は踵を返し、再び去ろうとする。 だがカンナはもう一度、その背中に呼びかけた。「あの、もう一つよろしいですか?」「はい、どうぞ」「先生は、なぜ私のことをご存じなのですか?」「こう見えて、記憶力は良い方でしてね。生徒のことはある程度把握しておきませんと。それが生徒たちを預かる者としての責務だと思っていますよ」 そう言い残し、校長は今度こそカンナの元から去っていった。 校長との会話を終えたカンナは教室へと戻った。隣にはキセキがいたが、彼には目もくれず、カンナは残り少ない時間で昼食を食べ始めた。「神崎、次の教室は移動になったから」 昼休みに通知された情報を共有したキセキ。だが、カンナは返事をしない。「あの、神崎……さん?」 やはり返事をしないカンナ。黙々と昼食を食べている。キセキはわけがわからなかったが、伝えたいことは伝わったと思い、それ以降は口をつぐんでいた。 その後、放課後までカンナはキセキと口をきかなかった。休み時間にも、彼女は窓の方を向いて目を合わせようともしない。 キセキはしびれを切らし、思い切って話しかけた。「あのさ……。俺が何か気に障るようなことしたなら謝る。とりあえず話してくれない?」 続々と生徒がいなくなる教室で、カンナは未だに返事をしない。
「さて、先日は言い忘れていたが、今日はこの後朝礼があり、校長先生からの新学期の挨拶がある。全員、速やかに体育館へ向かうように」 大山は話題を変えるように切り出し、生徒たちは言葉に従って席を立ち始めた。「なぁ、今日は何人倒れると思う?」 体育館へ向かう途中の廊下で、クラスの男子生徒一人が別の男子生徒にそう尋ねた。「そうなぁ。多くて三人くらいじゃね?」 聞かれた男子はそう答える。「そんぐらいいくかね。マジで校長って学生キラーだよな」「それな。毎回何人倒れさせるんだってな」 男子生徒二人は会話に花咲かせ、笑い合った。 そのやり取りを近くで聞いていたカンナ。彼女の脳内では疑問が次々に沸いてくる。「キセキさん。お尋ねしてよろしいですか?」 足と口を同時に動かしながら、カンナはキセキに声をかけた。「何?」「校長先生は、朝礼で人を倒すのですか?」「あー、そうとも言えるかもな。けっこうな確率で倒れるからな、朝礼で」 キセキは一瞬ポカンとしたが、すぐにそう答えた。 そしてカンナは再び、考えにふけるのだった。(校長先生の挨拶で、よく人が倒れるのですか。これも恒例行事ということなのでしょうか?) あまり考える余裕なく、カンナたちは体育館へ到着した。 朝礼は予定時間は十数分ほどだったが、生徒たちはほとんど立ちっぱなしだった。体力に自信がない生徒にとっては、苦痛の時間だったと思われる。「……では、校長先生のご挨拶です。よろしくお願いします」 進行の言葉で校長は登壇し、ゆっくりと挨拶を始めた。初老の男性の校長であった。「えー、皆さんおはようございます。朝早くお集まりいただき、ありがとうございます。本日お話したいことは……」 その時、カンナの背後の方でドサっという鈍い音が響いた。小さな悲鳴のような声や、ざわめく声が辺りに広がっていく。「すみませーん、九頭竜《くずりゅう》さんが倒れました」倒れた生徒の周りから声が響いた。カンナのクラスの生徒だったためか、大山ともう一人の先生が小走りで駆け寄り、倒れた生徒を二人がかりで担いで体育館から運んでいってしまった。「えー、それでは皆さん改めて……」 騒動が収まった頃、校長は再び挨拶が始めるが、生徒の一件があったこともあってか、話は手短に終わった。「やっぱ倒れたな。うちのクラスの奴か?」「みてーだな。
午前七時。神崎カンナは起床すると、歯を磨いて顔を洗い、朝食に自分で用意したトーストを齧り、制服に身を包むとPCの前に座し、画面に向かって声をかけた。「おはようございます。これから学校へ向かいますね」「おはようございます。気をつけて行ってらっしゃい」 正体不明の声、Yに送られて、カンナは家を出る。 霧山キセキと学校の屋上で、友好を深めた翌日のことであった。 学校へと向かう道中、カンナは見知った背中が視界に入った。黒い癖毛にカンナと同じくらいの背丈だ。「おはようございます」 カンナはその背中に向けて声をかけた。振り返った顔は、やや驚いた表情をしていた。「お、おはよう」 霧山キセキは、どもりながら挨拶を返した。カンナは気にせず、キセキと並んで歩みを合わせた。「朝もご一緒できましたね。お家、近いのですか?」「ん、まぁね。向こうの丁字路、右曲がって少し歩いたとこだから」 キセキは親指で背後を指しながら言った。「そうだったのですか。私たち、すでに少しだけお近づきになれていたのですね」「そうとも言えるのか……? はぁ、また変な噂立たなきゃいいけど」 キセキは昨日の、カンナの言葉による誤解を思い出しながら呟いた。 揃って学校へ到着し、靴箱で靴を履き替えていざ教室へ、というところで、カンナは立ち止まっていた。自分の靴箱の中をじっと見て、固まっている。「おーい、神崎? どうした?」 キセキは心配そうに尋ねた。カンナは不思議そうな顔だけをキセキの方に向け、答えた。「いえ、なんでもありません。先に行ってください」「そうか? あと十分で学校始まるからな」「ええ。大丈夫です」 曖昧な返事をするカンナ。キセキも不思議そうな表情を浮かべたが、とりあえず教室へと向かった。 キセキが教室に入ってから数分後に、カンナも入室した。昇降口では挙動不審だったが、今の彼女に特に変わった所はないように見えた。「遅かったな。何かあったのか?」「いえ、問題ありません。ただ……」 カンナは視線を自分の足先へと移す。キセキもつられてそちらに目を移すと、彼女の足には白い靴下だけが履かれていた。足の裏は、黒く汚れている。「……上履きは?」「ありませんでした。近くを探したんですが。でも名前を書いてありますので、見つかりますよね?」「いやだけど、それってやっぱ……」
昇降口までの道すがら、カンナはキセキに尋ねる。「霧山さん、さっきの飲み物のお金、払いましょうか?」「いいよ。おごるって言ったろ?」「そうですか。あんなに美味しい物をいただいたのに、なんだか悪いですね」「いいってば。あとさ、できれば俺のことは霧山じゃなくって、キセキって呼んで欲しいんだけど」 キセキはそう言った。なぜか、名字で呼ばれることを拒んでいるかのような口ぶりだ。「そうですか。それでは、私のこともカンナと呼んでください」「いや、それは遠慮しとく」「なぜです?」「なんつーか、適度な距離ってもんがあるだろ。変な噂が立つかもしれないし……」 そんな会話をしながら階段を降りたところで、二人はクラスの二人組の女子と遭遇した。 彼女たちはカンナとキセキ、二人揃って現れたことを見ると、瞬時に想像がついたようだった。「あれ~、神崎さんと霧山クン……だっけ? 二人で一緒に何してたの〜?」「もしかしてだけど〜、二人付き合ってんの?」「いや違くて。これはその……」 ここで神崎カンナ、十数分前の記憶を遡る。「ええ、付き合いました」「はっ!?」 一瞬、静まる四人。女子二人は顔を見合わせると、満面の笑みを浮かべた。「やっぱりそうなんだ!!」「すごーい。編入初日にカップル成立なんて。一体何があったの?」「いやいや違うって。……おい、何を勘違いしてるんだよ。付き合ってなんかないだろ?」 興奮する女子二人を尻目に、キセキはカンナを嗜めた。しかし、彼女はきょとんとした表情で答える。「違うのですか? でも先ほど、キセキさんが付き合えと仰って、私は了承しましたよ?」「そういう意味じゃないんだって。あのな……」 その後キセキの帰宅時間を一時間ほど遅らせ、その場の誤解はひとまず解けたのだった。 その後自宅へと帰還したカンナは、すぐさま件のPC前へと向かった。正体不明の声、Yと話をするためだ。「あの、ただいま帰りました」「おかえりなさいカンナ。初日はいかがでしたか?」「とても楽しかったです。先日お会いしたキセキさんとも親密になれましたし」 嬉しそうに、カンナは今日の出来事を報告する。Yはどこか安心した風に話した。「そうですか。私の言った通りにはできたようですね」「それに色々なことを知ることができたように思います。キセキさんは石であって石ではな
数刻後、二人は学校の屋上へと来ていた。転落防止のフェンスが張り巡らされ、下からの放課後の賑やかな声が隙間から入り込んでいた。「屋上って、生徒でも勝手に入れるものなのですね。私、知りませんでした」 カンナは段差に腰掛け、辺りを見渡しながらさらりと言った。キセキは咳払いをひとつしてから、彼女の元へと歩み寄る。「……そゆこと言うなって。ほら、これおごるから」「なんです?」 キセキが手渡したのは、自動販売機で買ったみかんジュース(果肉入り)だった。 カンナは物珍しそうにそれを受け取ると、開栓して唇を缶へと運ぶ。「……! 美味しいですね、これ」「ただのジュースだけど。飲んだの初めて?」「ええ。初めて飲みました。」「マジか。変わってんな、やっぱ」 キセキもカンナの横に座り、同じく買ったジュースを口に運ぶ。 初めてのみかんジュースの味に感動していたカンナだったが、ここにいる理由を思い出すと、忘れないようにすぐさまキセキに尋ねた。「そうです、例の話、教えてください」「そうだったな。……やれやれ、忘れてくれたかと思ったけど、そりゃ無理か」 キセキは観念し、話し始める。「俺が自分のこと石って言ったことだけど、一言で言えば存在感がないってことだよ」「ソンザイカン?」「そう。昔から目立たなくてさ。友達とかくれんぼなんかした時には、最後まで見つけられなかった上に、忘れられて帰られたこともあった。あとは遠足とかの点呼で俺の名前飛ばされたり、久しぶりに会った幼稚園の時の友達から存在を忘れられてたり……」 キセキはそこまで話し終えると、大きくため息をひとつつき、自嘲気味に笑みを浮かべていた。「ま、そんなわけだから、あんたも俺にはあまり関わらない方がいいよって……」 そう言いながらキセキはカンナの方を向くと、頬に何かが触れるのを感じた。それは、彼女の指だった。キセキは面食らった。「にゃっ!?」「驚きました。世の中には、柔らかい石もあるのですね。しかも、人の形をしているとは」 そう言いながら、カンナはキセキの頬をつまみ、引っ張り始める。キセキの口は引き伸ばされて、間抜けな表情になった。「むー、本当に柔らかいですね。私よりも柔らかいかも」 自らの頬を反対の手でつまみながら、カンナはまだキセキの頬を離さない。キセキは自分の顔が熱くなるのを感じていた。
それから数分後、渡された私服に着替えたカンナは、部屋の外へと出た。 (あのYという声の指示に従ってしまいましたが、本当に大丈夫でしょうか? 私の助けになるという言葉は信用できるかもしれませんが) 歩く間も、彼女の疑念や想像は止まらなかった。 (しかし、次の指示は一体何なのでしょう。"この町に住む、私と同年代くらいの少年に接触しろ"と言っていましたっけ?) 当てもなく、町中を彷徨うカンナ。すれ違う人々の中には、まだ条件に合う男はいない。 (それにしても接触、とはどうすればいいのでしょうか? ただ声をかければいいのか、後をつけて、自宅を特定すればいいのか……いえ、それはいけませんね
「あくまで素性は明かさないということですか。それで、そのYさんが私に何のご用なのでしょうか?」 「はい。それでは本題に入らせていただきます。単刀直入に申しますと、あなたにはこれから、私の指示に従っていただくことになります」 Yははっきりと伝えた。カンナの意思の有無を言わせずに。 「ずいぶんと強制的なご要件ですね。もし、私が拒否した場合は?」 「それはできないはずです。なぜなら、私の協力がなければ、あなたは生活できないのですから」 カンナはそこで、周囲を見渡した。何も変わった所がない部屋ではあるが、人がいなかった。 「ひとつ、いえ二つお尋ねしてもいいですか?」 「どうぞ」
時は2012年4月。日本某所にて、一人の少女が目を覚ます。 そこは何処かの室内であり、真っ暗な暗闇の中に、一台のノートPCが置かれた場所だった。 奇妙なことといえば、そこにいるのは少女独りであることと、PCからの声が絶えず聞こえているということだ。 「……聞こえていますか? 目覚めてください……」 声を聞き、少女はゆっくりと目を開けた。 少女の瞳は深いブルーで、髪はロングのオレンジ色をしており、服装はパジャマ姿だった。 「目覚めましたね。気分はいかがですか?」 「…………」 声の問いかけにも、少女は答えない。突然、知らない声に話しかけられれば、警戒したり戸惑った
一時限目が終わり、教師が教室を出ると、生徒たちは途端にガヤガヤと会話を始めた。苦しい空気から解放された生徒たちは、溜まった鬱憤を晴らすかのように会話に花を咲かせるのだ。「あの、霧山さん。さっきのお話ですが、どういう意味ですか?」 大きく伸びをしていたキセキは、その姿勢のまま固まった。「お話……? もしかして、さっき俺が言ったやつ?」「そうです。"石"がどうとか言ってましたね。よくわからなかったので、教えていただけないかと」 カンナは無表情ながら、目だけはキラキラと輝かせてキセキに顔を近づける。キセキは身を反らせてできるだけ密着しないように顔を遠ざけた。「そ、その話はまた今度にし